トルコが誇る世界遺産

アニの考古遺跡(世界遺産)の歴史と観光の見どころ

更新日:2023.02.28

投稿日:2022.11.11

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アニの考古遺跡 世界遺産 トルコ

トルコ北東部のカルス県にある世界遺産「アニ遺跡」は、アルメニアとの国境にあり、かつてはシルクロードの拠点として栄えました。荒野に残る遺跡は、かつて繁栄した町を思い浮かべることができる圧巻の景色です。ここでは、古都アニの遺跡や歴史についてご紹介します。

アニの考古遺跡とは?

アニの古代遺跡 トルコ 世界遺産

アニは、トルコ北東部のカルス県のアルメニアとの国境となるアフリアン川に面する都市遺跡です。アルメニア人が中世に建設したシルクロードの商業都市で、10世紀頃にはアルメニア王国バグラトゥニ朝の首都になり、王国の宗教的中心地として栄えました。

アニにある多くの宗教建築物や宮殿・要塞は、技術的にも芸術的にも世界で最も優れた構造を有していました。最盛期のアニは、「1001つの教会がある都」、「40の門がある都市」として知られ、最盛期の人口は約10万人といわれています。

また、キリスト教の大国・ビザンツ帝国やイスラム教のアッパース朝、セルジューク朝などの支配を受けたため、キリスト教とイスラム教が融合し、文化が多様化された場所でもあります。この地は、2016年に「アニの考古遺跡」としてユネスコの世界文化遺産に登録されています。

Archaeological Site of Ani – UNESCO World Heritage Centre

アニ遺跡の場所・行き方

日本からアニ遺跡観光へ行く場合は、ターキッシュエアラインズの直行便でイスタンブールまで行き、国内線に乗り換えてアニ遺跡観光の玄関口となる町「カルス」へ行きます。イスタンブールからカルスまでの飛行時間は約2時間です。

アニの歴史

アニの考古遺跡 トルコ

アニについては、5世紀にアルメニア人の年代史家が初めて言及し、丘の上に建つ強固な要塞として、またアルメニア人のカムサラカン家の所有地として説明しています。

かつてカムサラン家が有していた領土や、現在のアルメニア北西部の地方の領土は、9世紀初頭までアルメニア人のバグラトゥニ家の領土に組み込まれていました。そして、804年にバグラトゥニ家の首領であるアショト4世が、イスラム王朝のアッパース朝から「アルメニア公」の称号を与えられました。

イスラム王朝の指導者カリフは、勢力の及ぶ範囲で他宗教の教会の新設を許さなかったそうですが、アルメニアには例外的に多くのアルメニア教会が新設されました。

こうして誕生したバグラトゥニ朝の最初の首都は、アニの40キロ南にあるバガランとなり、その後アニの25キロ北東にあるシラカヴァンに移されました。929年にカルスに首都が再度移されましたが、961年にアショト3世によってアニが首都となりました。979年から989年のスムバト2世の治世には、町の発展に力が注がれ聖堂や多くの教会が建設されました。

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アニの最盛期

アニの勢力は、ガギク1世の治世(989年から1020年)にピークに達しました。かつて、アニは重要な交易路に沿っていませんでしたが、都市規模・勢力・富などを誇っていたことが理由となり、この時代には重要な交易拠点となりました。

主な交易相手は、ペルシャ帝国、東ローマ帝国、アラブ人などでした。アルメニア高原からの産物には、木工品、金属類、皮製品、織物、絹製品などがありました。また、この最盛期のアニは、「1001つの教会がある都」、「40の門がある都市」として知られ、バグラトゥニ朝の歴代の王の霊廟はアニに建設されました。

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アニの衰退期

アニ遺跡 トルコ 世界遺産

アニは、ガギク4世の治世の1045年にビザンツ帝国に奪われ、バグラトゥニ朝は滅亡しました。その後、アニは1064年にセルジューク朝の手に落ち、1072年から1199年までイスラム系のシャッダード朝に支配されましたが、12世紀に再びジョージアの支配下となりました。そして、13世紀には再びアルメニアの都市として栄え、モンゴル軍が来襲する1236年まで多くの建物が建てられました。その後も都市は存続しましたが、1319年に起きた大地震により壊滅状態となりました。

1380年代にはイスラム王朝のティムール帝国の創始者ティムールがアニを支配下に置きました。侵略と荒廃が続く混乱の状態でしたが、アルメニアの商人はアルメニアからベネチアやジェノヴァに至る交易路を利用して活発に活動しました。この時の商人たちが蓄えた富の一部は教会の建設や修道院への寄付に充てられ、新しい教会がいくつか建設されました。

1441年にはアルメニアのカトリコス(東方キリスト教の一部の教会で使われる首長の称号)の座をアニから現在のアルメニア共和国の首都エレバンに移しました。その後は、ペルシャ人のサファヴィー朝がアニを支配していましたが、オスマン・サファヴィー戦争中の1579年にオスマン帝国の一部となりました。

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17世紀の中頃までは小規模な街が残っていましたが、1735年までには最後の僧侶が修道院を去りアニの町は完全に放棄されました。

近代のアニ

トルコとロシア間の露土戦争後の1878年に結ばれたベルリン条約で、オスマン帝国のアニを含むカルスはロシア帝国の支配下となりました。その後、第一次世界大戦末期の1918年にオスマン帝国軍は新たに成立したアルメニア第一共和国(1918年から1920年の間アルメニアに存在した国家)の領土に進軍し、カルスを奪い返しました。

1918年10月30日にオスマン帝国が降伏したことにより、アニは一時的にアルメニアの支配下に戻りましたが、1920年にアルメニア第一共和国に対する政撃を再開し、アニは再びトルコの手に渡りました。そして、1921年にカルス条約が締結され、アニを含む領域はトルコ共和国の領土となり現在に至ります。

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アニ遺跡の発掘

アニがロシア帝国に帰属していた1892年に初の考古学的発掘調査が行われました。帝国サンクトペテルブルク科学アカデミーが主催し、ロシア人民族学者のニコライ・マル氏が監督しました。1904年にはマル氏によるアニの発掘調査が再開され、1917年まで毎年行われました。町の大部分が専門的に調査され、多くの建築物が発掘され測量されました。

アニ遺跡の見どころ

荒野に広がる古都アニ遺跡の主な見どころをご紹介致します。

アニ主教座大聖堂

アニの古代遺跡 トルコ 世界遺産

アニ遺跡の中心部には、1001年に建てられた大聖堂(カテドラル)が残っています。設計を手掛けたのは、イスタンブールのアヤソフィアを修復した事で有名なトゥルダトという中世のアルメニアで最も偉大な建築家です。

1064年にアニがセルジューク朝に占領された際にはジャーミィ(モスク)として使用されるようになりましたが、13世紀になると再びアルメニア教会として使われるようになりました。その時の修復により、現在見られる姿になりました。三方後陣型のドーム・バシリカ様式でしたが、天井にあるドームは、14世紀に起きた地震で失われてしまいました。内装は、尖ったアーチやクラスタ化された柱など、当時の設計としては進歩的な構造になっていて、外観はゴシック建築です。

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ティグラン・ホネンツの聖グリゴル教会

アニ遺跡 世界遺産 トルコ

ティグラン・ホネンツという名前の裕福な商人によって寄進された小さな教会です。とんがり帽子の形をした屋根の典型的なアルメニア教会で、アニがジョージアの影響下にあった1215年に建てられました。

教会内にはキリストの生涯と聖グリゴル・ルサヴォリッチの生涯を描いたフレスコ画があります。別名「フレスコ画の教会」といわれるほど、内部の壁は色とりどりのフレスコ画で覆われていて、その美しさに目を見張ります。

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アブガミルの聖グリゴル教会

アニの考古遺跡 トルコ

アブガミルの聖グリゴル教会は、アニ遺跡の北西にありポスタンラル峡谷に面しています。10世紀末に建てられた小規模な円筒形の教会で、八角形のドームを持ち6つの角柱で支えられています。

マヌーチェフルのモスク

このモスクは、1072年以後にアニを支配したシャッダード朝のエブル・マヌーチェフル公の命により建てられました。アナトリアで初めてつくられた現存する最古のモスクです。ほぼ無傷の状態で残っているミナレットの北面には、アラビア語のクーフィー体で「神の名において(Bismillah)」と刻まれています。後の12世紀または13世紀に建設された礼拝ホールの半分も残っています。

アニの城壁

アニ 城壁

かつてアニの町全体は、城壁に囲まれていました。町の北側以外は河川や渓谷などの自然障壁がありましたので、北側は特に堅固な城壁が築かれました。町は二重の城壁で防御されていて、より高いのが内側の壁で半円形の塔が散りばめられていました。この城壁を築いたのはスムバト2世とされており、その後の統治者は城壁を高くしたり、塔を新たにつくったりして、城壁をより強固なものにしました。

アニ遺跡観光の拠点となる町カルス

カルス トルコ

アニにはホテルがないので宿泊予定で観光する場合は、トルコ国内線の空港がある「カルス」が拠点の町となります。カルスはトルコの北東部にあり、アルメニアとの国境から45キロに位置しています。

この辺りの地域は、19世紀にオスマン朝とロシア帝国の間で激しい争奪戦が行われ、ロシア領だった時期もあります。そのため、ロシア時代の建築物が町のあちこちに残っています。カルスからアニまでの距離は約45キロ、車で40分程です。

カルスの観光スポット

カルスの町に宿泊するなら観光も楽しみたいですね!ここでは、代表的な観光スポットをご紹介致します。

カルス城

カルス城は、カルス川が大きく屈曲する内側の岩山の上に建っています。セルジューク朝によって1153年に建てられた城塞で、19世紀末の露土戦争に至るまで何度も攻防戦が繰り返された場所です。現在も強固な城壁や塔の後が残る城跡にのぼると、カルスの町と城がとても重要であったことが感じられます。

カルス

キュンベット・ジャーミィ

キュンベット・ジャーミィは、10世紀の前半にグルジア王国のアッバース王によって建てられた教会です。11世紀に入ってカルスがセルジューク朝の支配下に入るとジャーミィ(モスク)となりました。ロシア支配時代は教会となり、第一次世界大戦後にトルコ領となったあとは長年博物館として使われていましたが、1994年に再びジャーミィになっています。

カルス博物館

カルス博物館は町の北東部にあります。1963年に設立され、先史青銅器時代から現代に至るまでの様々なカルス周辺の歴史資料が展示されています。青銅の装飾品や古代の大きな壺、民族衣装など多岐に渡る展示品が揃っています。

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カルス名物!はちみつ

カルスはチーズと蜂の巣がついたハチミツが名産品です。アニ遺跡観光でカルスを訪れた際は、是非試してみて下さい。

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