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ギリシャ神話の女神アフロディテとは?絵画・石像など美術作品も紹介

更新日:2023.04.05

投稿日:2022.07.09

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アフロディテ

ギリシャ神話に登場する女神アフロディテ(英語名:Aphrodite)は、古代ギリシャやローマにおいて愛と美の神として崇拝されていました。古代ローマ人が信仰していた「ウェヌス」と同一視されたことから、英語読みで「ヴィーナス」とも呼ばれています。

本記事では、ギリシャ神話におけるアフロディテの誕生や結婚、またアフロディテを描いた絵画・石像などの有名美術作品をまとめて紹介します。

女神アフロディテとは?

アフロディテ 像 彫刻

アフロディテはギリシャ神話に登場するオリュンポス十二神のうちの一人で、愛と美の女神とされています。

元々は小アジア地域(現在のトルコのアジア側)で生殖や豊穣の女神として崇拝されていました。アフロディテという名前は古代ギリシャが由来ではなく、西アジアやアラビア半島で生活をしていたセム族の言語から来ているといわれています。

また、アフロディテはアフロディーテやアプロディーテーなどと発音されることもあります。

アフロディテは、オリンポスの神々にその美しさを褒め称えられていました。絵画作品としても有名な「パリスの審判」において、神々の女王ヘーラー・知恵や戦の女神アテーナーと競った「最も美しい女神」の座を射止めたことで、その地位を確固たるものとします。

また、吟遊詩人ホメロスが叙事詩『イリアス』の中で「笑顔を愛するアフロディテ」という表現を使用したため、多くの美術作品で微笑んだ状態のアフロディテが描かれているのも特徴です。

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アフロディテは愛や美、生殖の女神であるため、古代ギリシャでは遊女たちの守護神とされていました。特に遊郭が発展したギリシャの都市コリントスでは、アフロディテをまつる神殿が多く建設されました。そして、成功した遊女たちがアフロディテ神殿に寄付を行ったとされています。

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ギリシャ神話におけるアフロディテの出生と結婚

アフロディテ 像 彫刻

アフロディテは、地中海に浮かぶ島国キプロスで生まれたという説が広く知られています。そのため、キプロスの女神を意味するキュプリスの名で呼ばれることもあります。

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アフロディテの誕生は、古代ギリシャの詩人ヘシオドスの神統記に書かれています。天空神ウーラノスの妻である大地の女神ガイアが、自らの子供クロノスに命じて夫ウーラノスの男性器を切り落とさせました。海に落ちた男性器の周りに発生した泡から生まれたのが、アフロディテとされています。

アフロディテには子供時代の描写がなく、誕生直後から成人女性の姿で描かれています。絵画や彫刻においても、誕生の場面は貝殻に乗った美しい成人女性の姿で描かれるのが一般的です。キプロス島にいたアフロディテの美しさは広く伝わり、ギリシャの神々が集まるオリュンポスに迎えられます。アフロディテを気に入った最高神ゼウスは自分の養女とし、ほかの神々が彼女をめぐって争わないよう結婚させることにしました。

最高神ゼウスとその妻ヘーラーは、自分たちの息子である火と鍛冶の神ヘパイストスとアフロディテを結婚させます。しかし、優れた容姿ではないヘパイストスに対し、アフロディテは好意を持つことができません。そして、同じくゼウスとヘーラーの子供であり、乱暴で好戦的な性格の軍神アレースと恋仲になります。神々の中で最も美しい顔を持つとされる軍神アレースとアフロディテの間には、恋心と性愛を司る神エロースなどの子供が誕生します。

復讐心に駆られたヘパイストスは、アフロディテのベッドに細工を施し、金の網で二人を捕らえました。ヘパイストスは、捕らわれたアフロディテとアレースの姿をほかの神々に見せることで屈辱を与えました。アフロディテはヘパイストスとの離婚後、キプロスに戻ったといわれています。

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トロイア戦争にまつわるアフロディテの逸話

アフロディテ パリスの審判

アフロディテには多くの神話がありますが、ここではトロイア戦争に関するエピソードを紹介します。トロイア戦争とは、吟遊詩人ホメロスによる叙事詩「イリアス」で描かれた古代ギリシャ伝説の一つです。

「パリスの審判」がトロイア戦争を引き起こした

トロイア戦争の発端となったのは、絵画としても有名な「パリスの審判」です。

テッサリア地方の王である人間ペレウスと海の女神テティスの結婚式が開かれた際、宴席に「最も美しい女神へ」と書かれた黄金のリンゴが投げ入れられました。神々の女王ヘーラー、知恵や戦の女神アーテナーにアフロディテを加えた3人の女神は、黄金のリンゴは自分宛であるとそれぞれ主張します。

結論を下すため、3人の女神はトロイア王子パリスの元へと送られました。パリスはアフロディテを最も美しい女神に選び、アフロディテは見返りとして絶世の美女といわれるスパルタ王妃ヘレネーの愛情をパリスに与えます。パリスはスパルタ王国からヘレネーを奪い去ったため、怒ったスパルタ王メネラーオスはギリシャ連合を結成し、トロイアに攻め込んだのです。

トロイア戦争でアフロディテが果たした役割

トロイ 戦争 絵画

トロイア戦争では、恋人関係にあった軍神アレースを助けるためアフロディテはトロイア軍につきました。トロイアの王子パリスがギリシャ連合軍のメネラーオスに一騎打ちで負け、とどめを刺されそうになった際には、アフロディテが霧を発生させたことでパリスは城内に逃げられたといわれています。

また、トロイア王国の総大将ヘクトールがギリシャの英雄アキレウスとの戦いに敗れた際にも、アフロディテが登場します。ヘクトールの遺体はアキレウスの戦車に結ばれ引きずり回されましたが、アポロンとアフロディテが加護を与えていたため遺体に傷がつくことはありませんでした。ヘクトールの遺体は、無傷のまま父親のプリアモス王に引き渡されたのです。

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アフロディテの息子がローマ建国の礎を築く

トロイア王家とつながる人物アンキーセースとアフロディテの間に生まれた息子アイネイアースは、トロイア側の武将として戦争に参加していました。トロイア王国が滅びた後、アイネイアースはイタリアへ逃れ、ローマ建国の礎を築いたといわれています。

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エジプト・ローマ神話におけるアフロディテ

 

エジプトやローマにおいても、アフロディテはさまざまな形で信仰されていました。それぞれの歴史を紹介します。

エジプトにおけるアフロディテ信仰

エジプトでは、太陽を表すホルス神の母であるハトホル神が愛と美の女神とされていました。ヘレニズム時代(紀元前330~27年)には、ギリシャ人によりハトホル神とアフロディテが同一視されるようになります。

エジプトの都市アレクサンドリアにはアフロディテの神殿が建設され、エジプト女王に崇拝されるようになります。神殿には大理石でできた多くのアフロディテ像が奉納されていました。

エジプトではプトレマイオス朝時代(紀元前305~30年)からアフロディテ信仰が始まり、エジプト女王クレオパトラがアフロディテ神殿を建設したといわれています。

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ローマ神話におけるアフロディテ

ローマ ジュリアスシーザー

ローマ神話では、アフロディテは古代ローマ人が信仰するウェヌスと同一視されていました。ウェヌスは英語読みではヴィーナスとなります。紀元前3世紀頃にギリシャからアフロディテの神話がローマに伝わり、豊穣や春の女神であったウェヌスがアフロディテと同一視されたことから広く普及しました。

また、アフロディテの息子アイネイアースがローマ建国の礎を築いたとされているため、アフロディテは国の母として崇拝されました。ローマ皇帝ジュリアス・シーザーは、自らをアイネイアースの子孫であると主張し、アフロディテを強く崇拝していました。

また、ギリシャ神話におけるアフロディテの子供エロースは、ローマ神話ではクピドと呼ばれました。クピドの英語名はキューピッドであり、翼のある少年が金の矢を持つ姿は日本人にとってもなじみがあるでしょう。

オリュンポス十二神の一人であったアフロディテは、ギリシャからローマに伝わることでさらに広く信仰されました。ローマでは、アフロディテはより母性的でありながら、戦いの女神としての側面も強調されるようになります。

ローマで崇拝されたアフロディテは、のちにギリシャに逆輸入のような形で再び伝わり、改めてギリシャでのアフロディテ信仰が広がることとなりました。

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アフロディテを描いた絵画・石像など美術作品一覧

美しい容姿を持つアフロディテはさまざまな神話に登場しており、古来より絵画や彫刻のモチーフとなってきました。ここではアフロディテが描かれた代表的な美術作品を紹介します。

ヴィーナスの誕生(The Birth of Venus, Botticelli)

ヴィーナスの誕生 アフロディテ

「ヴィーナスの誕生」は、ルネッサンス期の1486年にイタリアの画家サンドロ・ボッティチェリが描いたテンペラ画(卵と顔料を混ぜた絵具で描かれた絵画)です。世界的に有名な作品であるため、教科書などで目にした方も多いでしょう。

海から誕生したヴィーナスが貝殻に乗った状態で中央に描かれ、左には西風の神ゼピュロスとその妻フローラ、右には時を司る女神ホーラがヴィーナスの身を包むためのローブを持って駆けつけています。海で生まれたヴィーナスがゼピュロスの風に乗り、ホーラが待つキプロス島にたどり着く様子を表しています。

「ヴィーナスの誕生」はフィレンツェのウフィツィ美術館で展示されており、同美術館の代表的な作品の一つとなっています。

ミロのヴィーナス(Venus de Milo)

ミロのヴィーナス

「ミロのヴィーナス」は、パリのルーブル美術館で展示されている有名な大理石像です。紀元前2世紀頃に製作された高さ203cmの女性像は、アフロディテを描いたものとされています。

1820年、当時オスマン帝国領であったエーゲ海のミロス島で農夫によって発見されました。駐トルコのフランス大使が購入した後、ルイ18世に献上したといわれています。

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「ミロのヴィーナス」は、両腕が失われた状態の石像です。もともとは「パリスの審判」で黄金のリンゴを左手で受け取っている場面だったとも言われていますが、真相は解明されていません。

パリスの審判(The Judgement of Paris, Rubens)

パリスの審判 ルーベンス

「パリスの審判」は、中世に栄えた地方フランドルの画家ピーテル・パウル・ルーベンスによって描かれました。絵の中に登場するのは神々の女王ヘーラー、知恵や戦の女神アテーナー、愛と美の女神アフロディテ、羊飼いの服装をしたパリス、伝令の神ヘルメスです。

ルーベンスが描いた「パリスの審判」は複数存在しているほか、レプリカも数多く制作されています。円熟期の1632~1635年にかけて描かれた作品は、ロンドンにあるナショナルギャラリーに収蔵されています。

ヴィーナスの勝利(The Triumph of Venus, Boucher)

ヴィーナスの勝利

「ヴィーナスの勝利」は、フランスの巨匠フランソワ・ブーシェが1745年頃に描いた絵画です。誕生したヴィーナスが貝殻に座っているほか、周囲には生き生きと官能的に表現されたニンフ(精霊)や海神ネプチューンの息子トリトン、空にはキューピッドも描かれています。

ブーシェに製作を依頼したのはスウェーデンの駐フランス大使だったことから、現在もストックホルムにあるスウェーデン国立美術館に収蔵されています。

アフロディテ(Aphrodite, Moreau)

アフロディテ

「アフロディテ」は、フランス人画家ギュスターヴ・モローによって1870年ごろに描かれた絵画です。アフロディテの誕生場面が描かれており、海上に出来た泡の上にアフロディテが立っている構図となっています。

「アフロディテ」は、アメリカのハーバード大学付属フォッグ美術館に収蔵されています。

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ヴィーナスの家(Mural of Venus, Pompei)

イタリアのポンペイ遺跡にある壁画「ヴィーナスの家」は、保存状態がきわめて良いことからポンペイ遺跡の見どころの一つとなっています。2人のキューピッドに囲まれ、大きな貝の上に横たわったヴィーナスが色鮮やかに描かれています。

邸宅自体は紀元前1世紀頃に建てられ、象徴的なヴィーナスのフレスコ画(砂・石灰・水からできたモルタルを壁に塗り、そのうえに水で溶いた顔料で描いた絵画)から「ヴィーナスの家」または「貝のヴィーナスの家」と呼ばれています。

古代遺跡アフロディシアス|アフロディテ信仰の地

アフロディシアス 遺跡

古代ギリシャやローマ時代にはアフロディテ信仰が盛んになり、多くの神殿が建設されました。トルコ南西部にある都市アフロディシアスは、当時最も大きなアフロディテ信仰の地の一つでした。

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古代遺跡アフロディシアスとは

古代遺跡アフロディシアスは、トルコ南西部のゲイレ村から東に約1km離れた場所にあります。現在も遺跡の発掘作業が続いており、城壁に囲まれた都市や神殿の遺構を見ることが可能です。

アフロディシアスにある大きな神殿は、アフロディテ信仰が盛んであったことを物語っています。当時はアフロディシアスを中心として、地中海の広い地域にアフロディテ信仰が広まっていました。また、近郊で大理石が豊富に採掘されたことから彫刻技術が発展し、紀元前1世紀から西暦5世紀にかけて芸術の中心地となっていました。

アフロディシアス古代遺跡と大理石採石場は、2017年にユネスコ世界遺産に登録されています。

アフロディシアスへのアクセス

アフロディシアスはトルコ南西部のゲイレ村近くにあります。ホテルなどの施設が整うデニズリまたはイズミルから向かうのがおすすめです。

デニズリまたはイズミルへは、イスタンブールから国内線のフライトが利用できます。デニズリからは車で約1時間15分、イズミルからは車で約2時間でアフロディシアスに到着します。それぞれの都市からは日帰りツアーの利用も可能です。

アフロディシアスの歴史

アフロディシアス 遺跡

アフロディシアスには、古来よりアッシリア人が定住していました。アフロディテ神殿は紀元前3世紀頃に建設されたと考えられています。豊富に採掘された大理石を輸出することで都市が発展し、紀元前2世紀ごろには碁盤の目状に区画が整備されていました。

アフロディテ信仰が広まっていたローマ帝国や東ローマ帝国時代には、アフロディシアスは皇帝から優遇を受け税金が免除されます。また、大理石を使った多くの彫刻作品が生み出されました。

大きな発展を遂げたアフロディシアスは、3世紀にはトルコ南西部カリア地方の首都となります。しかし、7世紀に発生した大地震により、多くの建物が被害を受け徐々に人口が減少しました。東ローマ帝国はアフロディテ神殿を教会へと改装することで、キリスト教徒の移住による都市の再建を図ります。

しかし、11世紀にセルジューク朝の征服を受け、キリスト教やアフロディテ信仰が禁止されたことで、再び都市が衰退していきます。12世紀にはアフロディシアスは完全に放棄され、廃墟と化しました。

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オスマン帝国時代の15世紀には、遺跡となっていたアフロディシアスの上に村が築かれます。アフロディシアスの存在は長く忘れられていましたが、1957年に発生した地震による地滑りの影響で、地中から古代遺跡が姿を現しました。1961年より本格的に発掘作業が開始され、現在では各国から観光客が訪れる世界遺産となっています。

アフロディシアスの見どころ

古代遺跡アフロディシアスの見どころを紹介します。

 アフロディテ神殿 (Temple of Aphrodite)

アフロディシアス 遺跡 アフロディーテ神殿

「アフロディテ神殿」は、紀元前3世紀ごろに伝統的なギリシャ様式で建設されました。イオニア式の神殿は31m×8.5mの長方形となっており、長辺には13本、短辺のファサードには8本の円柱が設置されました。

5世紀には、東ローマ帝国の皇帝ゼノンによってキリスト教教会へと改築されます。入り口が変更されて身廊や後陣が造られたほか、アフロディテ神殿は聖ミカエル聖堂となり、セルジューク朝が周辺地域を征服する1200年頃まで教会として使われました。

アウグストゥス祈念堂 (Sebasteion)

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皇帝アウグストゥスと女神アフロディテに捧げられた神殿です。1世紀にアフロディシアスの富豪によって建設されたといわれています。

3階建ての建物の壁には200を超える大理石のレリーフが埋め込まれていました。現在は、アフロディシアス博物館で80個ほどのレリーフが展示されています。

劇場 (Theater)

アフロディシアス 劇場

紀元前1世紀に作られた半円形の劇場です。座席やステージが良好な状態で残されており、ステージ上には装飾が施された高さ5mの壁があります。7千人の観客を収容できたといわれています。

競技場 (Stadium)

長さ約270m・幅約60mの競技場には30段の座席があり、3万人の収容が可能でした。古代競技場の中でもとくに保存状態がよく、当時の人々の熱気が感じられます。陸上競技やレスリングのほか、彫刻師が腕を競い合うコンテストなども行われました。

南アゴラ (The South agora)

南アゴラは7千人を収容可能な大きな公共の広場となっており、中心には長さ170mほどの池がありました。池の周りには列柱が立ち並び、市場などが作られていました。

ハドリアヌスの浴場 (Hadrianic Baths)

2世紀に建てられた「ハドリアヌスの浴場」には、熱いお湯が出る風呂や水風呂など5つの浴室がありました。床には白と黒の石で装飾が施されており、浴室に囲まれた中庭には円柱や石像、噴水、泉が設置されていました。

アフロディシアス博物館 (Aphrodisias Museum)

古代遺跡近隣にある「アフロディシアス博物館」では、アフロディシアスで発掘された大理石の像やレリーフが展示されています。多くの収蔵品は、紀元前のヘレニズム時代から5世紀の東ローマ帝国時代に作られたものです。

アフロディテの立像や、トロイア戦争でアマゾーンの女王ペンテシレイアを殺したことを後悔するアキレウスのレリーフなどがあります。当時のアフロディシアスの彫刻家がいかに優れた技術を持っていたかが分かる貴重な資料となっています。

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アフロディテの神話・美術作品まとめ

アフロディテ 像 彫刻

本記事では、ギリシャ神話におけるオリュンポス十二神の一人、愛と美の女神アフロディテについて紹介しました。ギリシャに留まらず、ローマやエジプトなどさまざまな地域で信仰された女神アフロディテは、絵画や石像など美術作品としても数多く残されています。

アフロディテ信仰の地としては、2017年に世界遺産へ登録されたトルコの古代遺跡アフロディシアスが有名です。アフロディテ神殿やレリーフなどを見れば、信仰の深さや長い歴史を感じられるでしょう。

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