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アッソスはトルコの穴場観光スポット!地中海に残る古代都市遺跡

更新日:2023.02.28

投稿日:2022.11.11

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アッソス アクロポリス

トルコの「アッソス(アソス)」という場所を聞いたことありますか?

アッソスとは、古代ギリシャ時代にトロイ地方にあった古代都市のひとつで、トルコ北西部、地中海に面した場所にあります。

アッソスには比較的保存状態の良い古代遺跡が残っており、この遺跡を見学しにヨーロッパなどからの観光客が訪れています。2017年には、トルコの世界遺産の暫定リストに登録されました。

アッソスは日本のガイドブックに載っていないので、日本ではあまり知られていません。日本人観光客はほとんどと言っていいほど見かけませんが、トルコの穴場観光スポットといえます。

そんなアッソスとはどんなところなのか?アッソスの歴史と併せて解説します!

アッソスとは?どこにあるの?

チャナッカレ アッソス

「アッソス(Assos)」とは、古代ギリシャ時代にトロイ地方にあった古代都市のひとつです。トルコの北西部の町「チャナッカレ(Çanakkale)」から85km南下した、地中海に面した場所に位置している、チャナッカレ県のアイワジュク(Ayvacık)地区にある小さな港町です。近郊には、トルコの有名観光地で世界遺産にもなっている「トロイ遺跡」があります。

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アッソスは、現在「ベフラムカレ(Behramkale)」に町の名前が変わっていますが、ほとんどの人は今でも古代名の「アッソス」と呼んでいます。

アッソスは小さな港町ですが、海沿いには新鮮な海鮮を使ったシーフードレストランがあるので、観光の中休みにランチを楽しむことができます。また、ホテルもあるので、のどかな雰囲気の中でのんびりと滞在したい人にはおすすめの場所です。

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アッソス遺跡の観光情報

名称 アッソス遺跡(Assos Ruins)
住所 Behramkale Köyü, 17860 Behram/Ayvacık/Çanakkale, トルコ
開館時間 8時30分~19時00分(11月~3月は17時00分まで)
※砂糖祭と犠牲祭の初日は13:00から
休館日 なし
入場料 25TL

Archaeological Site of Assos – UNESCO World Heritage Centre

アッソス(ベフラムカレ)までのアクセス方法

ダーダネルス海峡 チャナッカレ

「アッソス(Assos)/ベフラムカレ(Behramkale)」は、トルコの北西部の地中海に面した場所にあります。

一番近い主要の町は「チャナッカレ(Çanakkale)」で、チャナッカレはダーダネルス海峡のほとりにある、トロイ遺跡の起点として多くの観光客が訪れる町になります。

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アッソスはそのチャナッカレの南85km、車で約2時間の距離になります。チャナッカレからはバスを利用して、アッソス近隣の町「アイワジュク(Ayvacık)」を経由してアッソスまで行くことができます。

「イスタンブール」からアッソスへ行く場合は、陸路(一部フェリーも)での移動となります。イスタンブールから直行のアッソス行きの公共交通手段はないため、チャナッカレを経由します。

チャナッカレには空港もありますが、国内線を利用する場合は「アンカラ」から行くことができます。所要時間は1時間20分ほどで、国内線は1日に1便の運行です。

アッソス遺跡観光の見どころポイント

アッソス

古代都市アッソスは山の斜面に町が広がっていました。そしてアクロポリス(頂上)には神殿が建てられていました。小高い丘の上に町があるので、アッソス遺跡はエーゲ海を遠くまで見渡せる絶景スポットでもあります。

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アッソス遺跡の見どころを紹介します。

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古代円形劇場

アッソス トルコ

アッソス遺跡で欠かせないのが「円形劇場」です。この円形劇場は紀元前540年頃に造られ、当時は2,500人の収容が可能でした。

客席からは劇場全体が見渡せるのと、エーゲ海も望むこともできる絶景スポットのひとつです。

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アクロポリスのアテナ神殿

アテナ神殿は、アナトリアで最も古くから知られているドーリア式の神殿として、紀元前530年頃にアクロポリスに建てられました。ゼウスの娘であり、オリュンポス十二神の1人でもあるアテナは、町の守護神とされていました。

アテネ神殿には元々38本の柱がありましたが、現在は6本の柱を残すのみとなっています。

アテナ神殿からもエーゲ海を見下ろすことができ、晴れた日は近くのレスボス島まで望むこともできる、アッソス遺跡の絶景スポットです。

アテネ神殿の柱にあったレリーフは、イスタンブールの考古学博物館、パリのルーヴル美術館、アメリカのボストン美術館で保存されています。

アッソス トルコ

アゴラ

アゴラとは人々が集まる、町の中で最も活気のある場所です。アッソスのアゴラは、異なる時期に建てられた2つの向かい合ったストア(柱廊)に囲まれていました。

アゴラには、スポーツトレーニングのための体育館やブレーウテリオン(議事堂)があり、周辺にはビザンチン教会の遺跡があります。

城壁

港湾都市として築かれたアッソスの町には長さ3km、高さ20mにも及ぶ城壁が町を取り囲んでいました。城壁は紀元前4世紀に造られ、城壁には2つの大きな門と7つの小さな門がありました。

現在も城壁の痕跡を見ることができ、城壁の一部と高さ14mの塔がある正門が残っています。

ネクロポリス

東と西の門の前のエリアにはネクロポリスがありますが、アッソスのネクロポリスは9世紀にもわたって墓地として使用されていたとされています。

2018年には比較的状態の良いヘレニズム時代の家族の墓が発見され、その墓には「アリスティオス」という名前が記されており、墓には21人もの家族が埋葬されていました。その中の1人はそのまま埋葬されており、残りの20人は火葬され、遺灰は壺のような花瓶の中に置かれ、骨壺は中に異物が入らないように蓋がセメントで密封されていました。

ネクロポリスには四角い石が並んでいますが、これらは全部棺になります。

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オスマン帝国時代のモスク

アクロポリスの北側には、ムラト1世の治世中にビザンチン教会の遺跡から建てられた14世紀のオスマン帝国のモスクがあります。その左側にはビザンチン時代の要塞の遺跡があります。

アッソスの歴史

アッソス トルコ

アッソスの地の歴史はとても古く、青銅器時代(紀元前3000年から1200年)にはこの地に集落が形成されていたと言われています。アッソスの町が設立したのは紀元前1000年、レスボス島から渡ってきた古代ギリシャのアイオリス人がこの地を植民地化したことによってでした。

紀元前560年になると、アッソスはリディア人に征服され、その後の紀元前407年にはペルシャ帝国に征服されてしまいます。しかし、紀元前334年にアレキサンダー大王によってペルシャ人は追い出されることとなりました。

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アレキサンダー大王の死後は、紀元前241年にペルガモン王国と統合され、紀元前133年までこの状況が続きました。

アッソスはその後もローマ帝国やビザンチン帝国、十字軍からオスマン帝国に至るまで、多くの帝国の支配を受け、その痕跡をアッソスに残していきました。

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アッソスの発掘作業

アッソスの発掘は1881年、アメリカの考古学協会はオスマン帝国からアッソスの発掘作業の許可を得て、1883年まで発掘作業を行っていました。その時に発掘された品々の多くは現在、イスタンブール考古学博物館とアメリカのボストン美術館にあります。

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その後、100年の時を経た1981年に発掘作業が再開され、発掘作業は現在も続いています。

哲学者アリストテレスがアッソスに滞在していた!

アリストテレス

アッソスは、プラトンの弟子でもあった古代ギリシャの哲学者「アリストテレス(Aristotle)」が滞在していた地としても知られています。アリストテレスとは、多くの学問や化学分野の基礎を築いた人物です。

アリストテレスは紀元前348年~345年までの数年間、アッソスに滞在していました。他にも数名、アカデメイア(哲学学校)からプラトンの生徒が来ていたとされています。

アリストテレスはアテネのプラトン主催のアカデメイアを去った後アッソスに行き、そこでエルミアス王に迎えられ、アッソスにアカデメイアを開きました。その後、エルミアスの養女であるピュティアスと結婚をしました。

アッソスのアカデメイアで哲学者グループの首長となったアリストテレスは、学友らと共に動物学と生物学について革新的な観察を行いました。

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アリストテレスは数年でアッソスの地を去りましたが、町の入口には現在もアリストテレスの像があります。

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アッソスはキリスト教の伝道者パウロの宣教の旅の通り道

パウロ

キリスト教最大の伝道者「パウロ」は合計で3回の宣教の旅を行い、小アジア、ギリシャ、ローマ、コリント、アテネに福音を伝えていました。

キリスト教の新約聖書には、パウロが西暦53年~57年の間に行った3回目の宣教の旅においてアッソスを訪れたという記録があります。

伝道者パウロは1人でトロアスから陸路でアッソスに向かい、アッソスで同労者のルカと落ち合って、船でレスボス島(ギリシャ)へ向かったとされています。アッソスはキリスト教最大の伝道者パウロの宣教の旅の通り道だったのです。

アッソスはアナトリアの中で、キリスト教を受け入れた最も初期の都市のひとつとされています。アッソスを訪れたパウロがキリスト教の都市の受け入れに影響を与えたのかもしれません。

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