世界遺産の街・ブルサのおすすめ観光スポット紹介!歴史の深い自然豊かな古都
更新日:2023.04.04
投稿日:2022.05.20
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2014年に世界遺産登録されたブルサ(Bursa)は、街全体が博物館のような場所です。オスマン帝国の最初の首都が置かれた街で、オスマン朝初期のスルタン(皇帝)の霊廟が数多く残されており、オスマン帝国の歴史を知る上で欠かすことができない重要な街です。
トルコ北西部に位置し、標高2,543mのウル山の麓に広がり自然豊かなことから「イェシル・ブルサ(緑のブルサ)」とも呼ばれています。人口約234万人のトルコ第4の都市でイスタンブールから日帰りで行くこともできます。
Contents
ブルサの歴史
ブルサの地は考古学的発掘により7000年前から人々が居住していたことがわかっています。都市を創立したのは、恐らく2世紀に平野に住み着いたフリギア人の一族で、街を一望する丘の上に建城したのではないかといわれています。
もともとこの地は「キオス」と呼ばれていましたが、紀元前202年にマケドニア王ピリッポス5世からビテュニア王プリシアス1世に与えられ、王の名にちなんでプルサと名付けられたといわれています。オスマン帝国支配以前は、シルクロードの西端の都市として繁栄しました。
そして、1326年から1365年までは、オスマン帝国の最初の首都が置かれたオスマン帝国発祥の地です。首都がエディルネに移った後も帝国にとって重要な都市であり、スルタンやその一族の保養地として繁栄を続けました。
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世界史においても重要な都市ブルサ
ブルサは古くから歴史に登場してきました。紀元前6世紀にはペルシャのキュロス大王に占領され、ローマ時代にすでに東西の交易ルートに位置していたため、商業の中心地として繁栄しました。
また、キリストの十二使徒のひとりである聖アンデレが布教に訪れてからキリスト教が急速に広がり、その面からもブルサは地方の中心になった街といえます。
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ブルサへの行き方
ブルサは空路では行けませんので、イスタンブールへ行き、そこから陸路で向かいます。バスの場合は約3時間半、フェリーの場合は約1時間半で行くことができます。
ブルサのおすすめ観光スポット
オスマン帝国最初の首都であったブルサには、たくさんの見どころがあります。ここでは、代表的なスポットをご紹介いたします。
ウル・ジャーミィ
1399年に建てられたブルサで最も重要なこのモスクは、街の中心部にあります。オスマン帝国第4代皇帝バヤジット1世の命により1396年から1399年にかけて建設されました。あまりにも大きな建物のため、近くからはその全体を捉えるのは難しいほどです。
大ドームがいくつかの小ドームを支えるというオスマン建築様式とは異なり、20個もの小ドームが並列するように天井を構成するセルジューク様式で独特の外観です。
この20個のドームを支える頑丈な12本の柱と壁面に飾られた大小様々な額には、アッラーやイスラム教の預言者ムハンマド、コーランの一節などの美しいカリグラフィー(イスラム書道)が描かれています。
モスクには一般的に、手足を清める目的の泉亭が中庭に配してありますが、ウル・ジャーミィはモスク内にも泉亭が設置されています。このような構造は他のモスクでは中々見ることができず、ウル・ジャーミィの特徴の一つとなっています。
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イェシル・ジャーミィ
ブルサ中心部の隣に位置するイェシル地区にはブルサの自然と歴史の奥深さを感じられるイェシル・ジャーミィ(緑のモスク)があります。
イェシル・ジャーミィは、1424年にメフメット1世の命により建てられ、オスマン朝初期の寺院建築の傑作といわれています。内部がライトグリーンのタイルで装飾された「緑のブルサ」の象徴ともいえる古いモスクです。
正面入口の見事な大理石の彫刻、モスク内部を彩る青や緑のキュタフヤ産タイルの壁とステンドグラス、敷き詰められたトルコ絨毯が重厚さを放つ、落ち着いた雰囲気のモスクです。
イェシル・テュルベ
イェシル・ジャーミィと面するように、イェシル・テュルベが建っています。これは同じくメフメット1世の命により建てられた建物で、ターコイズブルーに輝くタイルの外壁が周囲の木々の緑と相まって、とても美しい廟です。
また、内部の壁面もブルサを象徴する色のタイルで見事に装飾されており、メフメット1世とその家族がこの霊廟で眠っています。
中央の花模様の基盤の上にはメフメット1世の棺が安置されています。棺はブルーのタイルに金色のカリグラフィーを施した豪華なものです。
イェシル・モスクよりこの霊廟が高く造られているのは、オスマン帝国の困難な時期に敵に対して「私たちは立ち上がっている」というメッセージを与えるためといわれています。
オスマン1世とオルハンの霊廟
オスマン帝国の創設者である初代スルタン(皇帝)オスマン1世と、2代目スルタンのオルハンの陵墓です。
この霊廟は当初、キリスト教会をもととしたビザンツ様式の建築物でしたが、1854年の地震などにより破壊と再建が繰り返され、オリジナルはオルハン廟の床にモザイクをとどめるのみとなっています。
建物の奥の眺めのよい高台はトプハーネ公園で、のどかな雰囲気が漂っています。19世紀から時計台の置かれている、かつてローマとビザンチンの砦のあった最も古い地区ヒサルにあり、ここから街を一望することができます。
ムラディエ・ジャーミィ
市の西部ムラディエの静寂な庭園はムラディエ・ジャーミィ(ムラト2世のモスク)を中心に、マドラサ、ハマム、泉、公共厨房、ムラト2世を含めた12の霊廟が建つ複合建築群です。
ムラディエ・ジャーミィは、ムラト2世により1426年に造られたモスクで、美しいタイルの装飾が見応えします。これ以前もモスクとは異なり、二つのドームが同じ高さになっている等、セルジューク朝様式からオスマン朝独自の様式へと変わりゆく当時の建築の様子がわかります。
ブルサ博物館
博物館になっている建物は以前、裁判所として使用されていました。1階はブルサの地理や歴史、文化、ブルサとアタテュルクに関する展示が中心になっています。カラギョズ文化についてのビデオ上映もあり、2階はオスマン朝時代の民芸品、工芸品を展示しています。
バザール
街の中心部にあるウル・ジャーミィの裏道あたりからバザールが広がっています。中心はベデステンと呼ばれる小さなドームが連続するアーケードで覆われた辺りです。ブルサの名産品であるタオル地のバスローブ等がお手頃な価格で売られています。
コザ・ハン(シルクバザール)
コザ(繭)・ハン(専門街・職人街)という意味通り、古くから絹糸・繭の取引がされてきたシルクバザールです。
歴史はとても古く、1490年にベヤジット2世が建てたキャラバンサライ(隊商宿)に始まり、約500年以上もブルサの絹取引を牽引してきた場所です。
当時の趣を感じる門は大きな四角い回廊と繋がった2階建て正方形の回廊になっており、中庭があります。回廊の中は隊商宿を彷彿させ、シルク製品のお店がたくさん並んでいます。
スカーフや洋服、ネクタイ、刺繡、ビーズを施した物や流行の物もあり、どれもとても素敵な色とデザインです。かつてはイギリスの女王・エリザベス2世も訪れたそうです。美しい中庭にはテラス席が並び、市民の憩いの場にもなっています。
ジュマルクズク
ジュマルクズクは、「オスマン帝国発祥の地ブルサとジュマルクズク」としてブルサと共に世界遺産に登録されています。ブルサから東へ約10㎞のところにあり、ブルサの中心部から車で20分程です。
オスマン帝国の最初の居住地となった村で、オスマン帝国時代の住宅の質感を現在まで伝える伝統家屋が合計270軒あり、そのうちの180軒が現在も住宅やお店、カフェとして使用されており、一部は保存及び復元されています。
村に一歩足を踏み入れると、オスマン帝国時代にタイムスリップしたかのような石畳の道と、煉瓦(れんが)と木材で造られたパステルカラーの昔ながらのオスマン様式の可愛らしい街並みが目を楽しませてくれるでしょう。素朴な料理が味わえるレストランや、手作りのお土産を扱うお店も多いです。
シティーであるブルサに対し、ジュマルクズクは村落のような感じで、ゆったりとした時間が流れるローカルな癒しのスポットです。
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ウル山
ブルサ近郊のウル山はイスタンブールから南へ約185㎞、車で3時間ほど行ったところにあります。古代ビティニア地方(アナトリア北西部)のオリンポスとしても知られています。ブルサの南にそびえる標高2543mの山で、ウルダー国立公園に指定されています。
森と冷たい湧き水がある自然豊かな環境で、夏には登山やキャンプ場やハイキングコースとして、冬は良質の雪を誇る絶好のスキー場として、アウトドアスポーツが楽しめるトルコで一番人気の山です。
ブルサからウル山の間には直行のロープウェイが運行していますので、ブルサ市内から30分程で気軽に行くことができます。このロープウェイは現在9㎞の距離を誇り、2014年より世界で一番長いロープウェイと認定されました。
ブルサは温泉も有名な街
ブルサは温泉の街としても有名です。ローマ時代からこの地の天然温泉は人々に愛され、現在はトルコ国内から保養のために訪れる人が後を絶ちません。イスタンブールからも近いので、気軽に行ける温泉地として人気です。ここでは有名な温泉をご紹介いたします。
イェニ・カプルジャ(新温泉)
ブルサ市内のキュルトゥル公園の西に位置するイェニ・カプルジャは、スレイマン大帝の娘婿の大宰相リュステム・パシャがスレイマン大帝のために1555年に造りました。
源泉は80℃で硫黄やカルシウム分を含んでいます。建物の壁と床は大理石、全体を覆うドームの中央はタイル張りです。建物中央にプールがあるほか、マッサージと休憩室が付随しています。
浴槽の湯温は45℃と日本人がなじみやすい熱さで、ミネラル豊富で効能のある温泉水は、保養や療養、リハビリにも人気があります。
この施設にはイェニ・カプルジャ、カラムスタファ、カイナルジャの、3つの温泉がありますが、イェニ・カプルジャは男性専用のため、女性は入れません。女性が入浴できるのは隣接のカイナルジャのみとなります。
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エスキ・カプルジャ(古温泉)
別名アルムットル・カプルジャとも呼ばれるエスキ・カプルジャは、ブルサの北西部に位置する「チェキルゲ」という温泉街にあります。新旧含め、温泉の多くがチェキルゲ地区にあります。
この地域の温泉には、重炭酸塩、硫黄、ナトリウム、カルシウム、マグネシウムが含まれており、湯温は47~78℃程で、入泉しても飲んでも効果があります。特に婦人科や皮膚科の病気に効能があり、代謝を活発にする作用もあります。
エスキ・カプルジャはブルサで最古の温泉であり、ビザンチンの浴場の基盤の上にスルタン・ムラト1世が1394年に建て、1511年にベヤズット2世が増設した歴史ある温泉です。
キャビンのある最初の部屋は更衣室になっており、ここからマッサージ室と最後のプールへと続きます。ビザンチン時代の支柱や温泉水が噴き出るライオン頭像、平らなドームなど、初期オスマン浴場としても貴重な温泉です。源泉の温度は90℃、浴槽内の温泉は45℃と熱めの湯温で、ゆっくりと疲れを癒せます。
ブルサの伝統芸能・ユネスコ無形文化遺産「カラギョズ」とは?
「カラギョズ」とはブルサに伝わる伝統的な影絵芝居で、2003年にユネスコの無形文化遺産に登録されました。そもそもカラギョズは黒い目を意味する主人公のキャラクターの名前で、16世紀にブルサで始まりました。
ブルサのモスクの建築が遅々として進まないことを不思議に思ったオスマン帝国第二代皇帝オルハンが、現場で働く労働者にたちに尋ねたところ、カラギョズとハジワットという2人の掛け合いが面白すぎて、みんな手を止めて聞き入ってしまうからと答えたそうです。これがカラギョズ芝居の由来となりました。
この影絵芝居は、無学ではあるものの気が利いて行動力のあるカラギョズと、学があり詩的で分別のあるハジワットの2人を中心とした物語です。登場人物も多く、影絵のスクリーンに映し出される彼らは、自分自身や身近な人を投影しているかのようです。
風刺を交えて物語られるカラギョズたちの世界観は、スルタン(皇帝)から庶民に至るまで幅広い人々の心を捉えました。
この伝統芸能を始めたといわれる人物、シェイフ・メフメット・キュシュテリの墓がブルサにあるため、カラギョズの故郷といわれています。トルコでカラギョズを見るならば、本場のブルサでぜひ鑑賞してみてください。
また、チェキルゲの近くにはカラギョズ博物館があり、カラギョズ人形の他に世界のあやつり人形も展示されています。
ブルサで食べたい!名物グルメ
地域色豊かなご当地グルメがたくさんあるトルコですが、もちろんブルサにも名物グルメがあります。ここで代表的な料理をご紹介いたします。
イスケンデル・ケバブ
ブルサ発祥のご当地グルメといえば、「イスケンデル・ケバブ」です!お皿にピデというトルコ風のピタパンをしき、日本でもおなじみのドネルケバブをのせ、その上にヨーグルトとトマトの特製ソース、熱々の溶かしバターをたっぷりとかけて食べるボリューム満点の名物料理です。
イスケンデル・ケバブに使われているお肉は、普通のドネルケバブとは違い、ウル山のタイムを食べて育ったブルサ産の羊肉が使われているのが特徴です。トマトソースとヨーグルト、バターが混ざったソースは絶妙な味わいで、羊肉の風味を引き立てます。
オスマン帝国時代末期の1867年にブルサで発明されてから人々に愛され続けている人気の料理です。
ピデリ・キョフテ
イスケンデル・ケバブの知名度に隠れたブルサの名物グルメに、ピデリ・キョフテがあります。材料や作り方はおおむねイスケンデル・ケバブと同じですが、お肉はドネルケバブではなく、キョフテ(トルコ風ミニハンバーグ)をのせているところが異なります。羊肉独特の風味が苦手な方にはこちらがおすすめです。
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イネギョル・キョフテ
キョフテは、挽き肉を使った少しスパイシーな、ミニハンバーグのようなトルコ風の肉団子です。トルコには各土地特有の多種多様なキョフテがあり、トルコ全土で200種類以上ものキョフテが存在します。
ブルサのイネギョル地区で生まれたイネギョル・キョフテは、もとはブルガリアから移住した一家が作ったものだそうです。お肉は牛肉と羊肉を使うこと、重曹を使ってお肉に弾力を出すこと、よくこねて柔らかくして一晩休ませること、卵やパン粉等のつなぎを一切使わないことで、独特の弾力性のあるキョフテになります。
ミハリチ・ペイニル
ブルサ名物のチーズにミハリチ・ペイニルがあります。オスマン帝国時代から作られていたという古い歴史を持つチーズです。低温殺菌されていない羊のミルクから作られるミハリチは、固くなる前に塩水に浸して保存されます。
羊だけでなく、牛やヤギのミルクからも作ることがあるようです。すりおろしてサラダやパスタにかけたり、パンに挟んだりしてそのまま食べます。
ケスタネ・シェケリ
ケスタネ・シェケリは「トルコ風マロングラッセ」のような感じのデザートで、質の良い栗が採れることで知られるブルサではどこの菓子店にも置いてある定番メニューです。
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剥き栗をそのまま糖蜜漬けにしたものと、チョコレートでコーティングしたものの二種類があります。
激甘スイーツが多いトルコですが、ケスタネ・シェケリの甘さは控えめですので、日本人にもなじみやすい味といえます。
ブルサ近郊の観光スポット
ブルサと合わせて観光をしてみたい、近郊のおすすめスポットをご紹介いたします。
イズニック
各地のモスクを華やかに彩る「イズニックタイル」は、ブルサ県のイズニックという町で生まれました。イズニックタイルの最盛期は15~16世紀頃で、ブルサのイェシル・ジャーミィとテュルベ(お墓)に使われたのが最初といわれています。イズニックタイルはオスマン帝国の建築において欠かせないものでした。
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イズニックはトルコ北西部の町で、紀元前4世紀にマケドニア王国が建設した都市ニケーア(ニカイア)に起源し、紀元前1世紀から古代ローマ帝国の属州になりました。
11世紀にはセルジュークトルコの最初の首都となりましたが、十字軍と東ローマ帝国により奪還されました。13世紀にはオスマン帝国の支配下となり現名称のイズニックと呼ばれるようになりました。
そんな華々しい歴史を持つイズニックの旧市街はローマ時代の城壁に囲まれ、劇場の遺跡がある他、14世紀前半に建てられたオスマン朝最古のハジュオズベク・モスクや、1378年に首長ハイレッディン・パシャによって建てられた緑色の尖塔をもつイェシル・ジャーミィ(名前は同じですが、ブルサのものとは異なります)などがあります。
ギョルヤズ村
ギョルヤズはブルサ市ニルフェル区に属する、ウルバト湖の東岸に突き出た半島上にある村です。漁業とオリーブ生産が盛んで、ヨーロッパの美しい村30選にも選ばれています。歴史はローマ時代にさかのぼり、建物の礎石や城壁の一部など遺構も残っています。
村では新鮮な農作物や鯉の魚卵の塩漬け、オリーブオイルなどが売られており、ブルサから自然食材を求めてやってくる人も多いです。また、湖には85種類の野鳥の生態が確認されています。
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