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ハレム(ハーレム)とは?知られざる意味とオスマン帝国宮廷の女性たちの生活

更新日:2023.04.05

投稿日:2022.10.20

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トプカプ宮殿 ハレム イスタンブール

日本語でも一人の男性がたくさんの女性に囲まれていることを「ハーレム」と言いますよね。この「ハーレム」の元となっているのが、トルコ語の「ハレム(Harem)」です。ただ、オスマン帝国時代のハレムは、現代の私たちが使っている「ハーレム」とは違う意味を持っています。

そこで今回は、オスマン帝国のハレム(Harem)の意味や歴史、ハレムで名を残した有名人物やハレムの世界を描いた作品を紹介します。オスマン帝国で重要な意味を持っていたハレムへの理解を深めて、知られざるトルコの魅力に触れてみましょう。

ハレム(ハーレム)とは

オスマン帝国 ハレム トプカプ宮殿

現代の日本で使われているハーレムという言葉は、一人の男性がたくさんの女性をはべらせている状態を意味しています。このハーレムという言葉はトルコ語のハレム(Harem)からきていますが、元々はアラビア語で「禁じられた場所」「神聖な場所」を意味するハリーム(ḥarīm)が語源です。

最もよく知られているオスマン帝国のハレムは、イスラム系王国の君主であったスルタンの妾となるべく奴隷の女性が奮闘する生活の場で、スルタンと去勢された宦官以外立ち入ることができない場所でした。ハレムの語源となったハリームが意味する通り、男性が入ることが許されない神聖な場所だったのです。

ちなみにアメリカ・ニューヨークにハーレムという地区がありますが、このハーレムはトルコ語のハレムから来た言葉ではありません。ニューヨークのハーレムの語源は、オランダの街・ハールレム(Haarlem)です。1630年代のニューヨーク・マンハッタンにはオランダ人の入植者が多かったため、オランダの地名がつけられました。

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イメージと違う?ハレムはどんな場所だったのか

ドミニク・アングル グランド・オダリスク

多くの人は、ハレムをたくさんの女性がスルタンを取り囲むように過ごす妖艶な場所だとイメージするかもしれません。オスマン帝国のハレム伝説は多くの画家を虜にし、フランスの画家ドミニク・アングルの「グランド・オダリスク」など、作品としても残されています。

しかし、オスマン帝国のハレムはスルタンと去勢された宦官しか立ち入れない場所ですから、画家たちが実際にハレムを目にして描いたわけではありません。オスマン帝国のハレムを描いた作品は全て画家の想像によって生まれたもので、オスマン帝国以外のイスラム世界の宮廷にあったハレムから着想を得ています。

オスマン帝国にあったハレムの実態は、権力が皇子のみに受け継がれるという家父長制のような性質を維持する目的を持った仕組みでした。その性質を維持するために、スルタンは妻の裏切りなどのリスクがない奴隷の側室を持つ伝統があり、ハレムはその奴隷が生活する場所だったのです。また、同時に女性の奴隷を教育する学校機関としての役割も持っていました。

イスラム教におけるハレム(harem)の本来の意味

ハレム

イスラム社会でハレムが浸透した背景には、イスラム教の聖典・コーランがあります。コーランには「イスラム教徒の女性は固く貞操を厳守するべき」という戒律が書かれていました。ハレムはこの戒律を守るため、女性を男性から隔離する場所として生まれたのです。現代でも一部の保守的な地域には、家庭で女性を隔離するハレムの習慣があります。

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コーランを元にしたイスラム社会では、一夫多妻制を認める地域があります。この制度では一人の男性が4人の妻をめとることができるとされていますが、同時に全ての妻に対して平等に責任を持ち、養っていかなければなりません。本来のイスラム社会でのハレムは、現代におけるハーレムのイメージや、オスマン帝国のハレムとは異なる意味を持っていました。

ハレムの歴史

ハレム

ハレムを作る習慣は、イスラム社会に限らず、一夫多妻制を認めている多くの古代オリエントに浸透していました。イスラム以前のアッシリアとペルシャでも、ほぼ全ての宮廷にハレムがあり、支配者の妻や側室は宦官やお世話係の女性と一緒に隔離されて暮らしていたのです。江戸時代の日本にあった「大奥」に近い場所だと考えると、わかりやすいかもしれません。

ハレムを機能させるためには、複数の女性を労働力とすることなく居住区内で生活させる経済力が必要不可欠でした。イスラム世界で豊かな経済力がある王侯貴族の宮殿には、大きなハレムがあったことがわかっています。

ムハンマドの後継者であるとしていたカリフが強大な権力を持っていたアッバース朝では、千夜一夜物語でも語り継がれている壮大な規模のハレムがありました。

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アッバース朝のハレムはイスラム世界のハレムのモデルとされ、オスマン帝国のハレムもこれを模していると言われています。

オスマン帝国のハレムの特徴と歴史的重要性

トプカプ宮殿 ハレム

オスマン帝国のハレムは、君主の妾として子孫を産むために多くの女性奴隷が集められていました。最盛期には1000人以上がハレムで暮らしていたと言われており、その中心は美人が多いとして有名なコーカサス地方からの奴隷だったと言われています。

戦争の捕虜となって奴隷にされた女性や貧困から奴隷になった女性は、イスタンブールで買われ、イスタンブール内にある宮廷に連れていかれます。各宮廷では黒人宦官による監視の元、礼儀作法や教養、料理、裁縫などを学び、最終的にはスルタンが住むトプカプ宮殿のハレムに侍女として移されました。

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ハレムにおける女性たちの生活

トプカプ宮殿ハマム

トプカプ宮殿のハレムに入った女性奴隷は、侍女という意味のオダルク(odalık)と呼ばれ、使用人として生活全般の世話をおこないます。ハレムに入ったからといって全ての女性が側室になれるわけではなく、側室になれるのはスルタンに見初められたオダルクのみです。側室となった女性は「幸運な者」という意味のイクバル(İkbal)あるいは「目をかけられた者」という意味のギョズデ(Gözde)と呼ばれ、個人の部屋を与えられました。

側室の女性の中で、最も寵愛を受けた女性は「寵妃」の意味を持つハセキ(Haseki)や、「夫人」の意味を持つカドゥン(Kadın)と格付けされます。また、最も高い地位にある女性は主席夫人としてバシュ・カドゥン(Baş Kadın)の称号が与えられました。

さらにスルタンの後継者となる男児を産んだ側室はハセキ・スルタン(Haseki Sultan)と呼ばれるようになります。ただし、後継者の男児を産んだとしても奴隷身分であることに変わりはありません。基本的に奴隷としてハレムに入った女性の身分は最後まで奴隷です。

しかし、一つだけ奴隷の身分を脱する方法があります。それは、自らが産んだ男児がスルタンとして即位することです。スルタンの母になるとヴァーリデ・スルタン(Valide Sultan)として女主人としてハレムの頂点に君臨することとなり、奴隷の身分から敬意を払われる立場になります。

ヒュッレム

オスマン帝国史上最も知られているスルタンといえば、第10代スルタンのスレイマン1世です。彼の側室だったヒュッレムは男児を産んでハセキ・スルタンとなり、最終的には婚姻関係を結んで強大な力を持つ正妃となっています。そしてこのヒュッレムがきっかけを作った女人政治が、オスマン帝国を衰退させる原因の一つとなりました。

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ハレムは熾烈な権力争いが行われる女性の戦場だった

ハレムにおいてオダルクは最も身分の低い奴隷でした。そこから抜け出すためには、なんとしてもスルタンに見初められて側室にならなければなりませんし、側室になってからも寵愛を受けなければ、さらに上の地位に上り詰めることはできません。

そのためハレムでは常に女性たちの熾烈な戦いが繰り広げられており、ライバルを蹴落とそうと陰謀を仕組むことは日常茶飯事でした。まさに嫉妬と欲望にまみれた女性たちの戦場だったのです。

一方、奴隷とはいえ、ハレムに入った女性には安定した暮らしが約束されました。そのため、娘を進んでハレムに差し出す親も少なくなかったと言われています。しかし、ひとたび権力争いに巻き込まれると、陥れられて失脚したり後継者となりうる男児を暗殺する役目を課せられたりすることもありました。

ハレムで重要な役割を担った宦官(かんがん)とは?

ハレム シーシャ 水タバコ

ハレムで生活する女性たちを監視し、教育する役目を持っていたのが宦官です。宦官は去勢された男性のことで、宮廷や貴族のもとで働いていました。

ハレムを管理していた宦官は、主に現エジプト南部からスーダンあたりに位置したヌビア出身の黒人宦官です。ハレムで暮らす女性たちはハレムから出ることができないので、黒人宦官は彼女たちの世話だけでなく、外部との通信や交渉も手助けしていたと言われています。女性たちは自らの産んだ男児をスルタンにするために、クズラル・アースゥと呼ばれる黒人宦官長を味方にしようと奮闘していました。

ちなみに、宮廷にいた宦官は黒人宦官だけではありません。スルタンに仕え、男性の居住地を監督していたのは白人宦官です。彼らは奴隷として集められた男子から選抜された小姓を監督する役目も担っていました。白人宦官に武術や教養を学び訓練された小姓たちは、エリート官僚としてオスマン帝国を支える存在になっていきます。また白人宦官長はトプカプ宮殿にある「幸福の門」を警護することが最も重要な任務で、16世紀末まではハレムを含むトプカプ宮殿全体の内廷に強い影響力を持っていました。

しかし、16世紀以降ハレムが力を持つようになると、白人宦官長に代わり、黒人宦官長が権力を持つようになります。表の最高権力者であった大宰相の裏で、影の最高権力者となっていきました。

オスマン帝国のハレムにおいて有名な人物

スレイマン1世

スレイマン1世 スルタン

スレイマン1世は第10代スルタンであり、スルタンの中で最も名を馳せた人物です。26歳から46年間、オスマン帝国史上最長在位のスルタンとして君臨しました。対外遠征を計13回行い、オスマン帝国の名をヨーロッパ全土に知らしめ、その領土を拡大したことで知られています。

対外遠征に出ていることが多かったスレイマン1世は、それほど多くの時間をハレムで過ごすことはありませんでした。しかし、寵妃であるマヒデヴラン・スルタンや、のちに正妃となるヒュッレム・スルタン、側室のギュルヘム・ハトゥン、フュラネ・ハトゥンの間に子をなしています。

スレイマン1世とは?オスマン帝国で最も有名なスルタンの生涯と功績

ヒュッレム・ハセキ・スルタン

ヒュッレム ハセキ スルタン

正妃を持たない伝統があったオスマン帝国。ヒュッレム・ハセキ・スルタンは、その伝統を破り、スルタンのスレイマン1世と婚姻関係を結ぶことに成功した女性です。元々はウクライナ西部ロハティンで司祭の娘として生まれましたが、のちに捕虜として捉えられ、奴隷として売られたと言われています。

ヒュッレムがハレムに入った時には、すでにスルタンの第一夫人であるマヒデヴランが皇子ムスタファを産み、不動の地位を築いていました。しかし、スレイマン1世の寵愛を受けたヒュッレムは、4人の皇子と1人の皇女をもうけます。最大のライバルであったマヒデヴランを策略により蹴落とし、その座を奪うことに成功。

スレイマン1世の母ハフサ・スルタンの死後はハレム内でさらに強い影響力を持つようになり、1534年にはスレイマン1世と婚姻関係を結んで、奴隷出身から正妃の身分を勝ち取ります。スレイマン1世の良き相談役として、皇位継承権にも関わるようになり、女人政治を始めました。

ヒュッレムとは何者か?オスマン帝国ハレムにおける功績と激動の生涯

イブラヒム・パシャ

イブラヒム・パシャ

ギリシャの村で漁師の息子として生まれたイブラヒム・パシャは、奴隷としてマニサ宮殿に売られ、そこでマニサの軍事長官として赴任したスレイマン1世と出会います。彼はスレイマン1世が最も信頼する側近であり、親友でもありました。スレイマン1世がスルタンに即位すると、大宰相にまで上り詰めています。しかし、スルタンに匹敵するほどの力をつけたことで、1536年スレイマン1世の命令によって処刑されてしまいました。

イブラヒム・パシャは生前、スルタンの後継者としてマヒデヴランの息子ムスタファを支持し、ヒュッレムと対立していたことが知られています。そのため、イブラヒム・パシャの処刑はヒュッレムの企てだったという説もあるようです。

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キョセム・スルタン

キョセム・スルタン

第14代スルタン・アフメット1世の妃で、第17代スルタン・ムラト4世と第18代スルタン・イブラヒムの母后として、大きな権力を握っていたのがキョセム・スルタンです。孫のメフメト4世が第19代スルタンに即位したことで太皇太后にもなり、30年間ほど政治に影響力を持っていたと言われています。

アフメット1世がわずか27歳で亡くなると、未亡人となったキョセムは一度トプカプ宮殿を離れました。しかし、息子ムラト4世の即位とともに宮殿に戻り、まだ幼いムラト4世に変わって国政に介入していきます。

第17〜19代スルタンの母后、太皇太后として絶大な力を持っていましたが、イブラヒムの妃の策略により暗殺され、これによりオスマン帝国の女人政治は終焉を迎えました。

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ミフリマー・スルタン

ミフリマー スルタン

スレイマン1世と正妃ヒュッレムの皇女がミフリマー・スルタンです。皇女として生まれただけでも十分に権力を持っている女性でしたが、15年間も大宰相としてオスマン帝国の財を潤したリュステム・パシャを夫としたことで、財力も持つようになります。ヒュッレム以上に政治に介入したオスマン帝国史上で最も知名度のある女性です。

ヒュッレム存命のうちからスレイマン1世を支え、ヒュッレム亡き後は母に代わってスレイマン1世の相談役となります。また、スレイマン1世亡き後は、弟で第16代スルタンのセリム2世の相談役として活躍しました。セリム2世即位時はヒュッレムが亡くなっていたため、皇太后の役割も果たし、ヴァーリデ・スルタンとしてハレム内で揺るぎない権力を持ったと言われています。

トルコ史上最高の建築家として名を残しているミマール・スィナンは、ミフリマーのために二つのモスクを建設しています。そのうちの一つは「イスタンブール歴史地区」にあり、壮大かつ豪華なデザインはエレガントな繊細さも持ち合わせていて、当時のミフリマーの権力と、密かにミフリマーに恋心を抱いていたスィナンの思いを感じられる傑作です。

オスマン帝国のハレムは人気の観光名所に

トプカプ宮殿 ハレム イスタンブール

ハレムを含めてトプカプ宮殿は現存しており、イスタンブールで外せない人気の観光スポットとして知られています。現在は博物館として利用されており、ハレムの中にも入場可能です。

黒人宦官の住居や彼らが使っていた小さなモスク、女性奴隷たちの住居、寵愛を受けた女性奴隷がスルタンに謁見するスルタンの広間などを見学できます。アフメット1世が幼少期を過ごした部屋は、少食だったアフメットを心配した父の命によって、壁に果物の絵が施されています。

またムラト3世の部屋の両側にあるタイルも必見です。イスタンブールで最も美しいタイルには、大きなスモモの枝とヒヤシンス・カーネーション・チューリップが描かれており、「天国の庭」「生命の樹」と呼ばれています。他にも豪華な天井、美しいステンドグラス、お気に入りの女性たちの住居など見どころばかりです。

ハレムがあるトプカプ宮殿は世界遺産である「イスタンブール歴史地区」を構成しています。イスタンブールを訪れたらぜひトプカプ宮殿に足を運んで、オスマン帝国の歴史を感じてみましょう。

住所 Cankurtaran, 34122 Fatih-İstanbul  ※アヤソフィア裏(北側)
最寄駅 トラムT1線「スルタンアフメット駅」徒歩8分
開館時間 9:00~18:00
※チケット販売は17:00まで
※ハレム開館時間09:00~17:00
入場料 320TL(+ハレム:420TL)
定休日 火曜日
休館日 元旦、砂糖祭の初日、犠牲祭の初日
ウェブサイト https://www.millisaraylar.gov.tr/en/ziyaret-bilgileri

トプカプ宮殿はオスマン帝国皇帝達380年の居城!見逃せない観光ポイント!

ハレムの世界を描いた作品

大ヒットドラマ『オスマン帝国外伝〜愛と欲望のハレム〜』

世界中で大ヒットした「オスマン帝国外伝~愛と欲望のハレム~」は、スレイマン1世とのちのヒュッレムとなるアレクサンドラを中心に、ハレムで暮らす女性たちの嫉妬と欲望渦巻く争いを描いています。

全312話に渡るこのドラマは、史実を元にした作品ではありますが、スレイマン1世がハレムの女性たちに溺れた人物として描かれるなど、史実とは違う部分も多いです。

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夢の雫、黄金の鳥籠

「天は赤い河のほとり」や「闇のパープルアイ」で知られる篠原千絵による漫画です。16世紀のオスマン帝国が舞台で、奴隷から正妃になったヒュッレムの生涯を中心に描かれています。

史実を元にした部分もありますが、ヒュッレムと大宰相イブラヒム・パシャの不倫関係を描くなど、フィクションの部分も多くあります。

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