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東西文明の歴史が集合!イスタンブール考古学博物館の見どころを紹介

更新日:2023.04.05

投稿日:2022.07.13

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イスタンブール考古学博物館

東西文明の交差点に位置するトルコは、古来さまざまな文明の影響を受けてきました。

オスマン帝国時代にはアナトリア地域(現在のトルコのアジア側)からさらに領土を広げ、広大な土地を征服しました。そのためイスタンブール考古学博物館には、古代エジプトやメソポタミア、バビロニア、ギリシャ、ローマなど、さまざまな文明に由来する展示物が収蔵されています。

イスタンブール考古学博物館は、まさに歴史と文化の宝庫だといえるでしょう。

イスタンブール考古学博物館とは?

イスタンブール考古学博物館は、考古学博物館、古代オリエント博物館、陶器タイル博物館という3つの建物で構成されています。トルコ最初の博物館であると同時に、国内や周辺地域から集められた100万点に及ぶコレクションを収蔵する国内で最大規模の博物館となっています。

名称 イスタンブール考古学博物館(İstanbul Arkeoloji Müzeleri)
住所 Alemdar Caddesi,Osman Hamdi Bey Yokuşu,Gülhane
開館時間 9:00~20:00
休館日 なし
入場料 100 TL
公式サイト https://muze.gov.tr/muze-detay?SectionId=IAR01&DistId=IAR

オスマン帝国の最盛期には、メソポタミア地域やバルカン半島、エジプトなど幅広い地域を支配下に置いたため、バラエティに富んだ歴史的遺物が集められました。

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紀元前4世紀に作られたとされる「アレクサンドロス大王の石棺」のほか、世界最古の平和条約とされる「カデシュ講和条約の粘土板」などを含む6万点の考古学的遺物や、76万枚のコインなどが収蔵されています。多くの展示品が3棟の建物の中だけでなく、屋外を含めたあらゆる場所に展示されています。

滞在時間としては、2時間ほどあれば主な見どころを鑑賞できるでしょう。歴史や考古学に興味がある方なら、半日~1日滞在しても飽きないかもしれません。時間がない方は、メインである考古学博物館に絞って見学することをおすすめします。

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イスタンブール考古学博物館の場所

イスタンブール考古学博物館は、イスタンブール旧市街「トプカプ宮殿」の最も外側に位置する「第一の庭」にあります。周囲には観光名所が集まっているため、トルコ旅行の最中に立ち寄りやすい場所でしょう。

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博物館へは、トラム(路面電車)のギュルハーネ駅から徒歩5分で到着します。アヤソフィア大聖堂からも徒歩5分であるため、あわせて観光するのがおすすめです。チケットはトプカプ宮殿とは別ですが、イスタンブール考古学博物館に属する3つの建物は一つの共通チケットで入館できます。

イスタンブール考古学博物館の歴史

イスタンブール考古学博物館

イスタンブール考古学博物館は、3つの建物によって構成されています。建築順としては、陶器タイル博物館、考古学博物館、古代オリエント博物館となります。

陶器タイル博物館の歴史

陶器タイル博物館は、1472年に当時のオスマン帝国皇帝であるメフメト2世によって、トプカプ宮殿の最も外側にある庭に建てられました。建物自体は娯楽目的のあずまやとして利用されていましたが、徐々に歴史的遺物への関心が高まり、さまざまな遺物が宮殿に集められ始めたのです。

1867年、当時の皇帝アブドゥルアジズがパリやロンドンへ視察を行い、各国の考古学博物館に感銘を受けました。帰国後、イスタンブールにおける考古学博物館の建設を命じ、1869年に帝国博物館が設立されます。

収集された考古学的遺物は、アヤソフィア大聖堂に隣接するアヤ・イリニ聖堂に収蔵されました。しかし、膨大な量の遺物を管理しきれなくなったことで、使われていないトプカプ宮殿のあずまやを修復し、博物館に改装することが決まったのです。

改装後の1880年には帝国博物館として開館し、考古学博物館の本館が完成する1891年まで利用されました。開館翌年の1881年には、画家であると同時に考古学者でもあるオスマン・ハムディ・ベイが館長に任命されます。

オスマン・ハムディ・ベイは、現在世界遺産に認定されているネムルート山やリムノス島で発掘作業を行い、多くの収集品を博物館に持ち帰りました。さらに、1887年にはレバノンのシドン近郊にあるネクロポリス(巨大墓地)の発掘を行いました。当時発見された多くの石棺には、有名なアレクサンドロス大王の石棺も含まれています。

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本館完成後に使用されなくなった建物は、1953年にトルコ・イスラム美術博物館として一般公開されました。のちにイスタンブール考古学博物館に組み込まれ、現在はその名のとおりタイルや陶器などの遺品を展示する陶器タイル博物館となっています。

考古学博物館の歴史

イスタンブール考古学博物館 像 彫刻

考古学博物館は、現在のイスタンブール考古学博物館の本館となっています。1881年に帝国博物館の館長オスマン・ハムディ・ベイによって建設が開始されました。

フランス人オスマン建築家のアレクサンドル・ヴァレリによって設計され、建物の正面部分は博物館収蔵の「嘆く女たちの石棺」にインスピレーションを受けたといわれています。また、イスタンブール新古典主義様式の傑作とされており、あらゆる箇所に古典技法を取り入れているのが特徴です。

正面入り口の上には、オスマン帝国皇帝アブデュルハミト2世による「古代博物館」という碑文が残っています。

完成後には現在の陶器タイル博物館から収蔵品が移され、1891年6月13日に帝国博物館として一般公開されました。創立100周年を前に改築や増築が行われ、1991年6月13日に改めて公開されています。

古代オリエント博物館の歴史

古代オリエント博物館の元となった建物は、1883年に当時の館長オスマン・ハムディ・ベイによって美術学校として建設されました。本館と同じくアレクサンドル・ヴァレリによって設計された美術学校は、のちに博物館へ改修され1935年に開館となりました。

内部の修復工事のため1963年に一度閉館されたあと、1974年に再度オープンとなっています。1891年にエジプトのカルナック宮殿近くで行われた発掘調査の成果など、1,200を超えるエジプト由来の収蔵品が展示されています。

イスタンブール考古学博物館|各建物の特徴と展示品

イスタンブール考古学博物館

イスタンブール考古学博物館を構成する3つの建物について、それぞれの特徴と展示品を紹介します。

考古学博物館

考古学博物館は敷地内で一番大きな建物面積を持ち、地上4階建ての新古典主義様式で作られています。

1階には、イスタンブール周辺都市の彫刻や出土品、ビザンツ帝国末期までのアナトリア地域(現在のトルコのアジア側)の彫刻が展示されています。また、博物館の創設者オスマン・ハムディ・ベイの記念ホールでは、本人がレバノンでの発掘に携わった「アレクサンドロス大王の石棺」や「嘆く女たちの石棺」が見られます。

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2階には、イスタンブールで発見されたさまざまな時代の彫刻や建築物が展示されています。3階に並ぶのは、「トロイの木馬」で有名なトロイア遺跡からの出土品や、アナトリア地域で出土した石器時代から古代フリュギア文明までの遺物です。4階には、キプロスやパレスチナ、シリアなどの周辺国から出土した土器や陶器などが年代順に展示されています。

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古代オリエント博物館

古代オリエント博物館

博物館の入場ゲートを抜けてすぐ左にあるのが、古代オリエント博物館です。

ヒッタイト、古代エジプト、バビロニア、シュメールなど古代王国文明の出土品が約2万点収蔵されています。建物入口の階段にあるライオン像も展示物の一つで、後期ヒッタイト時代のものです。

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古代オリエント博物館の展示物は、主に粘土や石で作られたレリーフ、像です。一番の見どころは、世界最古の平和条約とされるカデシュ講和条約の粘土板でしょう。また、ライオンに青やオレンジで彩色が施された、バビロニア王国イシュタル門のレリーフも必見です。

陶器タイル博物館

陶器タイル博物館の建物は最も古く、オスマン建築様式のタイル装飾が特徴となっています。大理石の円柱とアーチで飾られた柱廊式玄関は、18世紀に付け加えられました。陶器タイル博物館は、別名「タイル張りのキオスク(あずまや)」とも呼ばれています。

陶器タイル博物館にはセルジューク朝やオスマン帝国時代のタイル、陶器などが展示されています。16世紀の芸術作品であるイズニックタイルは、ターコイズブルーやコバルトブルーなどを使い、花や幾何学模様をデザインしているのが特徴です。

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イスタンブール考古学博物館の見どころ紹介

イスタンブール考古学博物館の見どころを8つ厳選して紹介します。

アレクサンドロス大王の石棺(Alexander Sarcophagus)

イスタンブール考古学博物館 アレクサンドロス大王 石棺

紀元前4世紀に作られた「アレクサンドロス大王の石棺」には、イッソスの戦いにおいてアレクサンドロス大王がペルシア人と戦う様子が側面に彫刻されています。きわめて保存状態が良く、ライオンの頭部の革をかぶり馬に乗ったアレクサンドロス大王がペルシア兵を攻撃する場面に加え、反対側にはライオン狩りの様子も描かれています。

石棺は大理石で作られており、製作当時は赤色や青色で鮮やかに着色されていました。アレクサンドロス大王のために作られたものではなく、発掘地のシドンやアレクサンドロス大王に関係する人物のものとされていますが、確定には至っていません。

嘆く女たちの石棺(Sarcophagus of the Crying Women)

嘆く女たちの石棺

「嘆く女たちの石棺」は、レバノンのシドンにて複数の石棺とともに発掘されました。シドン王ストラトンのために作られた石棺とされています。

ギリシャ神殿のような形をしており、嘆く女性たちが円柱の間に彫刻されています。柱のある石棺のなかでも、とくに技術的表現への評価が高い作品です。製作当時は赤色や青色で鮮やかに彩られていました。

石棺の中身は発見以前に盗掘されており、棺の中には骨と青銅で作られたベルトのバックルしか見つかりませんでした。

リュキアの石棺(Lycian Sarcophagus of Sidon)

リュキアの石棺

「リュキアの石棺」は、蓋上部にカーブが施された特徴的な形の石棺です。紀元前5世紀頃にシドン近郊を支配した王のための石棺と考えられています。現在のトルコ南西部アンタルヤに存在したリュキア人の墓に似ているため、「リュキアの石棺」と名付けられました。

ギリシャ様式の彫刻が施されており、ギリシャとアナトリア(現在のトルコのアジア側)の芸術が融合したものと考えられます。側面にはライオンと猪を狩猟する様子や、ケンタウロスとスフィンクスの戦いも描かれています。

シドン王タブニトの石棺(The Tabnit Sarcophagus)

シドン王タブニトの石棺

「シドン王タブニトの石棺」は、ほかの石棺と異なりエジプト風のデザインが特徴的です。もともとはエジプトの将軍のために作られましたが、ペルシア帝国によるエジプト征服の際に持ち帰られ、タブニト王の手に渡りました。

発掘された石棺の中からは、紀元前500年ごろに死去したタブニト王の遺体が防腐処理液に満たされた状態で見つかっています。石棺にはエジプトの象形文字が刻まれていましたが、タブニト王はフェニキア文字で「王の眠りを妨げるものはみな呪われる。彼らとその血族はこの世界や別の世界において平和に暮らすことはできないであろう。」と書き加えました。

カデシュ講和条約の粘土板(Egyptian-Hittite peace treaty)

カデシュ講和条約

カデシュ講和条約は、世界最古の国際条約とされています。紀元前1274年、現在のシリアのオロンテス川周辺で、南から攻めてきたエジプトとヒッタイト(現在のトルコ)によるカデシュの戦いが行われました。

ヒッタイトが戦車部隊によって戦いを優位に進めましたが、援軍の加勢を受けてエジプトも反撃しました。両軍多くの犠牲を出し、戦闘が膠着状態となったため、ヒッタイト軍からエジプト軍に停戦の申し出がなされました。

そして紀元前1269年、ヒッタイトのハットゥシリ3世とエジプトのラムセス2世の間で結ばれたのがカデシュ講和条約です。エジプト側では条約の内容が象形文字でカルナック神殿の壁に刻まれ、ヒッタイト側では楔形文字で粘土板に書かれる形で保管されました。

条約にはお互いの領土を侵略しないこと、第3国から攻撃を受けた場合は援軍を派遣すること、亡命者を返還することなどが記載されています。

マウソロス霊廟の大理石の獅子像(A marble lion from Mausoleum of Mausolus)

マウソロス霊廟は、アナトリア南西部のカリア(現在のトルコの港湾都市ボドルム)を支配したマウソロスと妻のために建設された霊廟です。壮麗な霊廟は、世界七不思議の一つに選ばれていることでも有名です。

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霊廟は度重なる地震によって崩壊してしまい、15世紀に聖ヨハネ騎士団によってボドルム城が作られた際、霊廟の残骸が資材として使われました。残っていた彫刻のいくつかは十字軍によって保管され、現在はイギリスの大英博物館に収蔵されています。トルコに残った数少ない彫刻が大理石の獅子像で、考古学博物館での鑑賞が可能です。

蛇の柱の頭部(Snake head of Serpent Column)

蛇の柱の頭部

コンスタンティノープル競技場にある「蛇の柱の頭部」の一部が展示されています。もともとは3匹の蛇が絡み合って柱となり、3匹の蛇の頭で金の器を支えるデザインでした。

蛇の柱は、紀元前5世紀頃にペルシアに勝利したギリシャで戦勝記念として作られ、デルポイのアポロン神殿に設置されていました。その後コンスタンティヌス1世によってトルコに持ち帰られ、コンスタンティノープル競技場に設置されます。しかし18世紀頃に蛇の頭部が破壊され、競技場には土台部分のみが残ることとなりました。

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キュベレーの像(Statue of Cybele)

キュベレーの像

キュベレーはアナトリア(現在のトルコのアジア側)で信仰されていた大地母神で、紀元前2000年頃から信仰が確認されています。

さまざまな時代のキュベレー像が収蔵されていますが、3世紀頃に作られた大理石のキュベレー像がとくに話題となっています。1970年代にトルコから違法にイスラエルに持ち出され、近年アメリカで競売に掛けられる予定だったのです。しかし、トルコ文化観光省がキュベレー像はトルコの所有物であると証明したことで、2020年にアメリカから返還されました。

現在は一時的に考古学博物館で展示されていますが、将来的にはキュベレー像が本来あったトルコ西部アフヨンに完成予定の博物館に収蔵される予定です。

イスタンブール考古学博物館の歴史・見どころまとめ

イスタンブール考古学博物館

本記事では、イスタンブール考古学博物館の歴史や見どころをまとめて紹介しました。トルコだけでなく、古代エジプトやメソポタミア、バビロニア、ギリシャ、ローマなどさまざまな文明に由来する展示品が並ぶ、国内最大規模の博物館となっています。

見どころを絞れば2時間程度の滞在時間でも十分魅力を感じられるため、イスタンブール旅行の際にはぜひ訪れたい観光名所です。

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