イエス・キリストをわかりやすく解説!実はトルコと関わりが深かった!
更新日:2023.03.31
投稿日:2022.02.04
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イエス・キリストは、キリスト教において信仰の対象となる、唯一神と同一の存在と見なされる神の子です。今から2000年以上前の紀元前6年頃、パレスチナのベツヘレムで誕生しました。
パレスチナで誕生し、パレスチナのガリラヤ地方を中心に宣教活動をしていたイエス・キリストですが、実はトルコと深い関わりがありました。
トルコには、かつてキリスト教の大聖堂として使われていた「アヤソフィア」やイエス・キリストの母である「聖母マリアの家」があります。また、キリスト教の正典である旧約聖書に記されたノアの箱舟は、トルコにある「アララト山」に辿り着いたといわれています。
そんなトルコと縁深いイエス・キリストの生涯や教え、奇跡などを簡単にまとめました。この記事を読めば、イエス・キリストとはどのような人物だったのかがわかります。イエス・キリストについて知っておくと、トルコ観光も一層深く楽しめますよ!
Contents
イエス・キリストってどんな人?
イエス・キリストは、誰もが一度は耳にしたことがあると思いますが、どのような人物だったのでしょうか。イエス・キリストが何をして、どのように生涯を過ごしたのか解説します。
イエス・キリストとは?
イエス・キリストは、キリスト教の始祖であり、信仰の対象となる存在です。イエス・キリストは、姓名ではなく、「イエスはキリストである」ということを表します。
イエス=「神は救いである」、キリスト=「油を注がれたもの(救世主)、すなわち「救世主イエス」という意味があるのです。
イエスが生まれたユダヤでは、「ヤハウェ」という唯一の神を信じ、その神との契約である「律法」を守る「ユダヤ教」が信仰されていました。後にイエスが創始する「キリスト教」は、もともとはユダヤ教を母体とし、そこから派生した宗教なのです。
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イエス・キリストの生涯を簡単に紹介
紀元前6年 | イエス・キリスト誕生 |
---|---|
紀元27年頃 | 宣教活動を開始 |
紀元30年4月7日 | 反逆者として逮捕・処刑される |
紀元30年4月 処刑から3日後 | イエス・キリスト復活 |
神のお告げから救世主として誕生
イエス・キリストは、今から2000年以上前の紀元前6年頃、パレスチナのユダヤの国、ベツヘレムという土地で誕生しました。イエスの母(マリア)は、古代イスラエル王国のダビデ王の血を引いていて、父(ヨゼフ)はダビデ家の末裔である大工でした。
イエスの誕生前に、イエスの母(マリア)と父の前に天使ガブリエルが現れ、生まれてくる子に「イエス」と名付けるよう、お告げがあったといいます。
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イエスが誕生してからは、聖書に記されていた「ダビデ王の血をひいた子孫の中から、救世主(メシア)が生まれる」という預言が、現実のものになったといわれています。
預言者ヨハネに弟子入りして宣教活動を開始
イエスの宣教活動の始まりは紀元27年頃、イエスが30歳を過ぎた頃です。その頃、熱心に教えを説く「ヨハネ」と言う預言者が現れました。その噂を聞いたイエスはヨハネに弟子入りを願い、宣教師としての在り方を学びます。
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その後、パレスチナのガリラヤで本格的に宣教活動を始め、イエスの名は広がっていきます。イエスは、「神への愛」と身近な人だけでなく、自分の周りに現れる人すべてへの愛を大切にせよと「隣人への愛」を教え説きました。
反逆者としてユダヤ教に逮捕・処刑される
その当時のユダヤ教は「神からもらった決まりを守る者だけが幸せである」というものでした。しかし、イエスは「神を信じる人は全て救われる」とし、イエスは全ての人は神を信じる事で“平等”に幸せになれると説きました。
このようにイエスの教えは、ユダヤ教を批判するものでもあったため、ユダヤ人の指導者たちによってイエスは反逆者として逮捕されてしまいます。
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逮捕される直前、お祝い事があったため、イエスは12人の弟子たちと夕食を共にしました。その様子が描かれたのが、あの有名な「最後の晩餐」です。
紀元30年4月7日、イエスはローマ帝国への反逆者という理由で捕まり、十字架に磔(磔刑)にされます。イエスが宣教師として活動していたのは、わずか3年余りといわれています。
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新しい救世主として復活
イエスが処刑されてから3日後、墓を訪れた人たちの前に、イエスは生きた姿で現れたのです。すると、他にも使徒たちを含め、死後のイエスを見たという人が数多く現れました。
このことから、イエスは自ら磔刑にされたことで、すべての人の罪を背負い、身代わりになって死に、その罪が許されたからイエスは復活したと伝わっています。イエスの復活は、本当の救世主(メシア)になったことを意味しているのです。
イエスが誕生したユダヤの国は、強大なローマ帝国が支配し、多くの人々は、人種差別、重い税金、病気、貧困に苦しんでいました。その頃の人々は教典に記されている、新しい救世主の出現を待ち望んでいました。それが“イエス”だったのです。
イエス・キリストの教えと言葉
イエス・キリストは、数々の教えを説きました。その中でも有名な言葉、さらにイエスが起こしたといわれている奇跡について解説します。
イエス・キリストの名言
「剣を取る者は皆、剣で滅びる」
自分を守るために武器を構えるのはやめなさい、武器を持つと武器によって滅びてしまうという意味です。
「己を愛するごとく、汝の隣人を愛せよ」
キリスト教において、愛は非常に大切にしていることです。自分を愛するように自分の周りの人への愛を大切にしなさいという意味です。
「艱難は忍耐を生じ、忍耐は練達を生じ、練達は希望を生ず」
苦難にあっても自ら希望を強く持つこと、希望を持って苦難に立ち向かい耐え忍べば、必ず希望に導くという意味です。
イエス・キリストの奇跡
水がワインに変わった!
イエスが弟子たちと参加した結婚式において、用意されていたワインが無くなってしまいました。イエスは給仕に水がめに水をいっぱい入れるよう言うと、汲んだ水はたちまち美味しいワインに変わったというのです。これは、イエスが初めて起こした奇跡といわれています。
5つのパンと2匹の魚が5000人分の食料に!
イエスに教えを説いてもらおうと人里離れた草原へ訪れた人々が、家に帰れなくなったときの話です。イエスは弟子に人々へ食べ物を分けてあげるよう言いましたが、その時持っていたのは、5つのパンと2匹の魚だけでした。
すると、イエスはパンと魚を手に取り、天を仰ぎ神に捧げると弟子に渡しました。それらの食料を5,000人の群衆に与えると、人々は満腹になりました。余ったパンくずを集めると、再びパンは12個のかごをいっぱいにするくらいになったそうです。
病気を治し、死者を生き返らせる!
イエスが起こす奇跡は人々に伝わり、イエスの周りにはたくさんの人が集まるようになりました。12年間出血が止まらず苦しんでいた女性が後ろからイエスに近づき、イエスの服の端に触れた途端に出血が癒えたという奇跡や、38年間病気で苦しんだ人を癒したり、生まれつき盲目だった人の目を見えるようにしたりと、病気を治す奇跡も起こしています。
さらに、イエスの前に娘を救ってほしいと男性が現れました。すぐに男性の家に向かったイエスですが、着いたときにはすでに亡くなっていると告げられます。しかし、イエスは男性に「信じなさい。お嬢さんは亡くなったのではありません。ただ眠っているだけです」と告げ、娘の手を取り「子よ、起きなさい」と言うと、不思議なことに娘が生き返ったのです。
この他にも、イエスは何人もの人を生き返らせる奇跡を起こしています。
イエス・キリストの墓はどこにある?
イエス・キリストの墓は、イスラエルの都市エルサレムにある「聖墳墓教会」、もしくは「園の墓」だと信じられています。
聖墳墓教会は、エルサレム旧市街にある教会で、イエスが処刑後埋められていた墓も近くにあり、復活教会とも呼ばれています。
イエスが処刑されたゴルゴダの丘に教会堂が建てられたのが聖墳墓教会で、教会の中にイエスの墓があるといわれています。教会の中央にあるドームには、イエスが埋葬され3日後に復活を遂げたことを記録する石墓もあります。
園の墓は、イエスがゴルゴダの丘で磔刑後、埋葬されたとされる場所にあります。聖墳墓教会と園の墓は近くにありますが、聖墳墓教会はエルサレムの旧城壁内にあり、園の墓は城壁外にあります。
イエス・キリストの系譜
聖書をたどると、イエス・キリストの系譜と人物関係が読み解けます。実は、最初の人類であるアダムとイブから始まり、キリスト教の重要人物がイエスに連なっているのです。ここからは、重要な人物をピックアップし、イエス・キリストの系譜をまとめていきます。
アダムとイブ
イエス・キリストの系譜を辿ると、そのルーツはあのアダムとイブなのです!男性のアダムとその妻となる女性のイブは、唯一の神ヤハウェ(神様)によって造られた初めての人間です。
アダムとイブは、エデンという楽園で不自由なく暮らしていましたが、たったひとつ、神様と誓った約束事がありました。それは、エデンの園の中央にある“善悪を知る知識の木”に成った実だけは食べてはいけないということ。
しかし、ヘビがふたりを誘惑し、ふたりはついに禁断の果実を食べてしまいます。すると、神様がふたりの前に現れ、どうしてたべてはいけない果実を食べたか問います。アダムはイブから、イブはヘビからすすめられたから食べたと責任転嫁します。
これらは人間が犯した最初の罪とされ、アダムとイブは神様からエデンの園を追放されてしまいます。また、アダムには汗を流して働いて食べるものを得ること、イブには苦しんで子供を産むこと、さらにふたりは最終的に土に帰ることを罰として与えました。その後、ふたりは子供を産み、現代の人間の歴史をつくっていきます。
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ノア
ノアは、アダムとイブの孫にあたる男性です。ノアといえば、旧約聖書「創世記」に記述された「ノアの方舟」の話が有名です。
ノアが生きていた時代は、人間が神様に従わず好き勝手に生き、悪いことをするようになっていました。それに怒った神様は、洪水によって地上の生き物をすべて消し去ってしまおうと計画します。しかし、人間の中で唯一神様に従って真面目に生きていたノアだけは、助けてあげることにしました。
ノアの前に突然神様が現れ、洪水によって地上の生き物を消滅させること、ノアは助けるから自分の家族、各動物のオスとメスなどを乗せて洪水から逃れられる方舟を造りなさいと告げられます。ノアが素直に方舟を造ると、神のお告げ通りに洪水が起こります。
ノアが造った方舟にノアの家族や動物は乗り込み、約40日間続いた洪水が終わります。洪水が終わったあと、方舟に乗った生き物以外の地上の生き物はほぼ全滅してしまいました。再び神様は現れ、もう洪水を起こして生き物を滅亡させることはしないと約束し、その約束の証として虹をかけたといわれています。
伝説となったノアの方舟ですが、最終的にはトルコにあるアララト山に漂着したといわれています。アララト山の山頂では、方舟の遺跡とも思われる巨大な木の化石が見つかっています。
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預言者アブラハム
アブラハムは、ノアの洪水後に神に選ばれた預言者で、ノアの末裔でもあります。アブラハムは「信仰の父」とも呼ばれていて、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の共通の始祖です。
アブラハムは何度か神の啓示を受けており、それは「故郷を離れて、神の示す場所に行けば大いなる国民として祝福する」と「その子孫にこの土地を与える。また、その子孫を増やしてみせよう」ということでした。
アブラハムはそのお告げ通りに旅をして回ると、富と財産に恵まれました。また、妻とは長年子供がいなかったのですが、アブラハムは100歳、サラは90歳という、現在では考えられない年齢で2人の子供「イサク」という男の子が誕生し、ここから子孫が広がっていきました。イスラエル人の祖「ヤコブ」はアブラハムの孫にあたります。
ちなみにトルコのシャンルウルファはアブラハムゆかりの地として知られ、当地のモスク「ハリル・ラフマン・ジャーミ」は、アブラハムが旅の途中に休息した場所といわれています。
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ダビデ
ダビデは、アブラハムの孫「ヤコブ」の息子でありユダ族の祖でもある「ユダ」の子孫です。古代イスラエルの第2代の王として活躍しました。ダビデ像としても有名ですが、英雄としても知られていて、ダビデの伝説で有名なのが“巨人ゴリアテとの戦い”です。
当時のイスラエルは、ペリシテ人との戦いを繰り返していて、宿敵の中にゴリアテという巨人がいました。巨体には厳重な装備品を身に着けており、イスラエル軍を挑発しますがその大きさと強さにイスラエル軍は為す術もありませんでした。
すると、たまたま戦場に現れたダビデが装備品も身に着けず、一本の杖と石投げだけ持ってゴリアテに向かいました。ゴリアテはダビデを馬鹿にしていましたが、ダビデの投げた石がゴリアテの額に当たりあっけなく倒れ、ダビデはゴリアテの首を落とします。
これによりイスラエル国民は、ダビデを英雄と称えましたが、当時の王サウルはこれを妬み、ダビデを殺そうとします。一躍有名になったダビデですが、サウル王からの逃亡生活が始まります。逃亡生活は続きますが、サウル王が死後、ダビデはイスラエルの王になりました。
ソロモン
ソロモンは、先程紹介したダビデの息子であり、古代イスラエルの第3代の王です。ソロモンは非常に優れた頭脳を持っていて、イスラエル国の全盛期を支えた人物といわれています。
ある日、ソロモンの前に神様が現れ、願うものを何でも与えると言いました。そこでソロモンは、神様から知恵を授かります。その知恵の深さは国内外に広まり、あっという間にイスラエルは繁栄します。
しかし、ソロモンは他国の神様も信仰するようになり、それに怒った神様はイスラエル王国を取り上げ、王国は南はユダ王国、北はイスラエル王国に分裂してしまいます。ソロモンの息子レハブアムは、ユダ王国の王となります。
イエス・キリスト
イエス・キリストは、父ヨセフと母マリアから誕生した、神の子でもある人間です。イエス・キリストが生まれる前に神様から、「ダビデ王の血をひいた子孫の中から、救世主(メシア)が生まれる」とお告げがあったという話は有名ですね。
そのとおり、父ヨセフは、ユダ王国の最初の王であるレハブアムの末裔です。系図を辿るとレハブアムは古代イスラエル王のソロモンの息子、ソロモンは2代目イスラエル王ダビデの息子です。
イエス・キリストの聖遺物
聖遺物とは、イエス・キリストや聖母マリアに関する遺骨や遺品のことです。キリスト教において大切に保管され、祭儀などで使われてきました。聖遺物は、聖人の体の一部や直接関わるもののため、これに触れると病気が治癒したり、日々の願掛けによって願いが叶ったりするなどと信じられました。
聖骸布
聖骸布(せいがくふ)は、イエス・キリストが十字架刑に処されたあと、遺体を包んだとされる布のことです。縦4.41m、横1.13mの大きな布で、痩せた男性のネガが浮かび上がっているとされています。聖骸布は、イタリアのトリノにある聖ヨハネ大聖堂で保管されています。
聖十字架
聖十字架は、磔刑の際にイエスをはりつけたとされる十字架のことです。十字架は現存していませんが、その断片は各地の教会に祭られています。イエスが磔刑を受けたエルサレムでは二度のユダヤ戦争が起こったため、磔刑の舞台であるゴルゴダの丘の所在はわからなくなってしまいました。
その後、3世紀初め頃にコンスタンティヌス1世の聖母ヘレナがエルサレムに赴き、ゴルゴタの丘と特定し、その場所に聖墳墓教会を建てたといわれています。このときに十字架と釘などの聖遺物が発見されたそうです。
聖槍
聖槍は、磔刑の際にイエスの死を確認すべく、わき腹を刺したとされる槍です。刺した人はロンギヌスといい、目がほとんど見えなかったがイエスの血に触れると目が見えるようになったという伝説があります。聖槍はイエスの血に直接触れたものとして、聖遺品の中でも重要にされていますが、いくつかの聖槍が発見され、保管先は複数あります。
聖釘
聖釘(せいてい)は、磔刑の際にイエスを十字架に固定すべく手足に打ち付けられた釘のことです。世界中のカトリック教会で祭られており、発見されている聖釘は30本ほどだと推定されています。
聖杯
聖杯は、イエスが磔刑前に弟子たちと会食をした“最後の晩餐”の際に使われていたとされる杯のことです。最後の晩餐で使われていたと信じられている聖杯はいくつかあります。エルサレムの近くの教会にあったもの、ジェノヴァ大聖堂、バレンシア大聖堂、メトロポリタン美術館に保管されているものなどで、どれが本物なのかは不明です。
トルコで会えるイエス・キリスト
イエス・キリストとトルコには、実は深い関係があります。トルコ旅行をする際は、イエス・キリストに関連する場所を訪れてみてはいかがでしょうか。おすすめのスポットを紹介します。
アヤソフィアのイエス・キリスト
アヤソフィアは、かつてキリスト教の大聖堂として使われていましたが、オスマン帝国時代に入ると、ミナレットなどが加えられイスラムモスクとして姿を変えた建造物です。アヤソフィアの歴史は長く、これまで博物館として多くの観光客に親しまれてきましたが、2020年7月24日からは再びモスクとなることが決定。しかし、ブルーモスクなどと同様に、礼拝時間以外は誰でも無料で内部を見ることができます。
アヤソフィアとは?世界遺産イスタンブール歴史地域を代表するモスクの特徴と歴史
内部には偶像崇拝禁止の歴史を乗り越えたキリストの貴重なモザイク画、聖母マリアと洗礼者聖ヨハネのモザイク画や、アラビア語で書かれている歴代カリフの名前なども見られ、まさにこの地の歴史の深さを感じることができます。
名称 | アヤソフィア(ハギアソフィア)大聖堂 |
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住所 | Sultan Ahmet, Ayasofya Meydanı No:1, 34122 Fatih/İstanbul, トルコ |
入場料金 | 無料 |
カッパドキアのフレスコ画
カッパドキアは1985年に「ギョレメ国立公園およびカッパドキアの岩石遺跡群」として、世界遺産に登録されました。文化遺産と自然遺産両方の条件を満たす珍しい世界遺産で、火山によってできた土地には奇妙な岩がたくさんあります。
カッパドキアには、アラブ人の支配から逃れてきたキリスト教徒が、たくさん住んでいたとされています。それらのキリスト教徒が石を刻んで造った教会がいくつかあり、その内部には風化して傷んでいる部分もありますが、色鮮やかなフレスコ画が描かれています。
イエス・キリスト、聖母マリア、洗礼者ヨハネなど、キリストに関連する人物のフレスコ画がたくさんありますが、それぞれの教会によって描かれている人物や内容が異なるので、注目してみてください。歴史と芸術どちらにも触れることができるカッパドキアは、広大な敷地なので1日ですべて回ることは難しいですが、2~3日かけてゆっくりと観光したい方におすすめです。
カッパドキアはトルコの人気世界遺産!観光名所と旅行ツアーの楽しみ方
聖ペテロの洞窟教会(アンタキヤ)
アンタキヤ東部のスタウリス山の岩肌にあった、自然の洞窟を使い作られた洞窟教会です。初期教会の中でも最も古い教会の内のひとつであり、最古の洞窟教会とされています。
イエス・キリスト12使徒のひとりペテロがアンタキヤ(当時の名はアンティオキア)を訪れて、この教会で伝道したと伝えられています。当初、迫害されていたキリスト教徒たちが隠れて集会をするために使われていたといい、ここに集まった信者たちのことを「クリスチャン」と呼び始めたことから、最古の教会のひとつとされています。
1983年にローマ教皇パウロ6世によって、聖ペテロの洞窟教会はキリスト教徒の巡礼地として宣言されました。毎年6月29日にカトリック教会によってここでミサが行われています。
巡礼とは?礼拝との違いや種類、主要宗教やトルコならではの聖地を紹介
スリヤニ人の街マルディン
マルディンはシリア国境部にある都市です。山の斜面に立ち並ぶ古い町並みやダラメソポタミア遺産、歴史のある修道院、モスクなどがあり観光にも人気のスポットです。
マルディンは、3世紀ころにキリスト教徒が開いた都市といわれています。マルディンは、スリヤニ人の宗教や文化の中心になっており、スリヤニ人はイエス・キリストが使っていたとされるアラム語を話します。
「モル・ガブリエル修道院」では、スリヤニ人の子供にアラム語を教えているそうです。イエスの使っていた言語を体感したいという方は、マルディンを訪れてみてはいかがでしょうか。
チグリス川とユーフラテス川の狭間メソポタミアにあり、雄大なメソポタミア平原を見渡せます。
トプカプ宮殿
トプカプ宮殿は、トルコの前身であるオスマン帝国時代にスルタン(皇帝)の居城として使われていた建物で、世界遺産「イスタンブール歴史地区」にある人気観光スポットのひとつです。
トプカプ宮殿には、当時のオスマン帝国の栄華を反映する至宝が数多く残っており、預言者ムハンマドの外套、アブラハムの鍋、モーゼの杖、ダビデ王の剣、ヨセフのターバンなどの聖遺物も保管されています。
トプカプ宮殿はオスマン帝国皇帝達380年の居城!見逃せない観光ポイント!
名称 | トプカプ宮殿(Topkapi Palace Museum) |
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住所 | Cankurtaran, 34122 Fatih/İstanbul, トルコ |
公式サイト | https://www.millisaraylar.gov.tr/en/palaces/topkapi-palace |
イエス・キリストについて知るとトルコ旅行はもっと楽しい!
イエス・キリストは、キリスト教を布教した人物であり、神の子や救い主として信仰の対象にあたる人物です。私達の身近なところでは、キリストが生まれた年を西暦元年と定めていますね。イエスは、世界でも知らない人がいないくらいの有名な歴史上の人物です。
そんなイエスの歴史を紐解いていくと、実はトルコとの関わりが深く、イエスに関わる遺跡や聖遺物をトルコで実際に見ることができます。
トルコに旅行しようと思っている人、イエス・キリストやキリスト教について理解を深めたい人などは、ぜひこの記事を参考にしてイエス・キリストに関連するスポットへ足を運んでみてはいかがでしょうか。旅行に行く前に、イエスの生涯やキリスト教について知識を深めておくと、より一層観光が楽しめることでしょう。
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