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ユダヤ人とは?ホロコーストなど迫害の歴史からオスマン帝国との意外な関係までを解説

更新日:2023.04.05

投稿日:2022.10.06

Views: 2186

ユダヤ人 エルサレム

民族の成立からヨーロッパでの迫害の激動の歴史を経て、第二次世界大戦中のホロコーストの時代に最大の苦難を経験し現在はパレスチナ問題を抱える流浪の民、ユダヤ人。日本ではその概要や歴史について詳しく知っているという人は多くないのではないでしょうか。そこで今回は、ユダヤ人の苦難多き歩みを、時代を追いながらわかりやすく解説。そこには、オスマン帝国との意外なつながりも存在しました。

ユダヤ人とは?

ユダヤ人とはどんな民族なのか。その定義から信仰するユダヤ教の教義の特徴、現代の状況などをわかりやすく解説していきます。

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ユダヤ人の定義とは?

ユダヤ人 エルサレム

ユダヤ人は、イスラエル(ユダ王国)の古代イスラエル民族(ユダ族・ベニヤミン族・レビ族)に由来する、ユダヤ教を信仰する人々です。近代以降は、ユダヤ教徒の家系でキリスト教に改宗した人や、無神論者などもユダヤ人と見なされることが多いようです。

イスラエル国内では、ユダヤ教を信仰している人がユダヤ人で、信仰していない人はイスラエル人と呼ぶこともあります。イスラエルの国内法「帰還法」では、ユダヤ人の母から産まれたもの、もしくはユダヤ教に改宗しほかの宗教を一切信じないものをユダヤ教徒と定義していますが、民族・宗教問題をはらむため、すべての人々が納得するように定義づけすることは難しいとされています。

ユダヤ教の教義の特徴

ユダヤ人 ヘブライ聖書

ユダヤ教の教義には、一神教・選民思想・律法主義という3つの特徴があります。ユダヤ人は唯一絶対の神ヤハウェのみを信じ、ほかのいかなる神も存在を認めない一神教。ユダヤ人はヤハウェから選ばれた民だという選民思想のもと、神から与えられた律法(トーラー)を厳格に守ることで救済されると考えます。

ユダヤ教の聖典は、キリスト教の聖典である旧約聖書の基となったヘブライ聖書です。内容は旧約聖書と基本的に同じですが、文書の順番や解釈の仕方は異なります。また、ユダヤ教の聖典にはもう一つ、口伝律法とそれに関する議論をまとめた「タルムード」があり、ユダヤ人の生活や考え方の指針となっています。

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現代における世界各地のユダヤ人の人口

ユダヤ人

2,000万人以上いるともいわれるユダヤ人は世界中に存在しますが、その大多数はイスラエルとアメリカに居住しています。国別ではイスラエルが最も多く推定689万人、次いでアメリカは推定570万人。そのほかに、フランス45万人、カナダ39万2,000人、イギリス29万2,000人と続きます。

長きにわたり困難な歴史を歩んできたユダヤ人ですが、中世から現代まで各地で商業的・文化的に重要な役割を果たし、経済的に大きな成功を収めた人がたくさんいます。第二次世界大戦後、一部のユダヤ人は故郷に帰還してイスラエル王国を建国しましたが、現在もなお歴史的に紛争問題を抱えています。

有名なユダヤ人

アンネ・フランク

古代から現代まで、ユダヤ人には誰でも名前を聞いたことのある有名人も多数います。古代でいうと、ユダヤ教・イスラム教・キリスト教の始祖とされる預言者アブラハムやイエス・キリストもユダヤ人。

近代でいうと、映画界の巨匠スティーブン・スピルバーグはウクライナ系のユダヤ人。Facebookを作ったマーク・ザッカーバーグや、Googleの共同創業者であるセルゲイ・ブリンもユダヤ系の家庭に生まれています。

女性では『アンネの日記』を記したアンネ・フランクがユダヤ人なのはあまりにも有名ですよね。世界的に有名な女優のナタリー・ポートマンやローレン・バコールもユダヤ人です。

旧約聖書で綴られるユダヤ人の歴史

ここでは旧約聖書の中のユダヤ人について、出エジプトからバビロン補因まで時代を追いながら解説していきます。

出エジプトから民族の成立まで

モーセ 十戒

『旧約聖書』では、メソポタミアのウルからの移住者がアブラハムに率いられカナーンの地(パレスチナ)へ移住し、ヤコブの一族はさらにエジプトへ移住したとされています。紀元前1230年頃、ファラオの制圧を受けたヤコブの一族はモーセに率いられ「出エジプト」を行います。

出エジプトによってカナーンの地へ帰る途中に、彼らはシナイ山で「十戒」を中心として神と契約を結びます。その神との契約によって、12の部族が宗教共同体という形でイスラエル民族として成立するきっかけとなったとされています。

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ヘブライ王国の建国と分離

ダヴィデ王 エルサレム

紀元前11世頃ヘブライ王国が建国されると、ダヴィデはエルサレムを都と定めます。ソロモン王はエルサレムにヤハウェ神殿を建設。ユダヤ人は神から選ばれた民であるとし、神と人々の言葉をつなぎ神の言葉を伝える預言者の言葉に従うようになります。ちなみに、十戒のモーセも預言者の一人です。

ソロモン王の死後、圧政に不満を持っていた北部の人々により王国が分離。紀元前922年に北イスラエル王国が建国されます。一方南部では、エルサレムを都とした世襲王朝が続きます。一般的にはこちらをユダ王国とよんでいます。

北イスラエル王国は紀元前878年にサマリアに遷都。フェニキア人などと融合しながら存続していましたが、紀元前722年にアッシリアによって滅ぼされ属州となります。一方ユダ王国は、紀元前586年に新バビロニアによって滅ぼされてしまいます。

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バビロン捕囚

バビロン捕囚

ユダ王国が新バビロニアに滅ぼされたときに、多くの民はバビロン捕囚の身となり民族的苦難を経験します。紀元前538年、ペルシャ帝国によってバビロニアが滅ぼされると、アケメネス朝ペルシャの王キュロスによってユダヤ人はイスラエルの地への帰還を許されますが、一部はそのままバビロニア周辺に残ったと見られています。

イスラエルに帰還したユダヤ人はヤハウェ神殿を再建。この民族的苦難を経験したことでユダヤ人としての民族意識を高め、ユダヤ教という民族宗教の体系を作り上げたともいわれています。

イスラエルの地に戻らず離散したユダヤ人の中には、アナトリア(現在のトルコ)などに移住した人もいました。

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現在のトルコにあるサルディスには多くのユダヤ人が移動してきたようで、現在も古代のシナゴーグ跡が残っています。これは、紀元前223~187年にセレウコスウ王アンティオコス3世によってバビロニアからのユダヤ人の定住が奨励されたことで多くのユダヤ人が移動してきたのがゆえんで、宗教的権利を認められたユダヤ人はこの地にシナゴーグを建てたと考えられています。

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ヨーロッパにおけるユダヤ人の迫害

ここでは、古代より苦難の歴史を歩み続けるユダヤ人の迫害がピークに達したといわれる中世の時代に焦点をあて解説していきます。

ディアスポラのはじまり

エルサレム

ユダヤ人の故郷であるイスラエルの地は、その後セレウコス朝の支配を経て、紀元6年にローマ帝国の属州となります。当初ローマ帝国はユダヤ教の信仰そのものを禁じることはありませんでしたが、ローマの支配に対抗するユダヤ人による2度にわたる反乱を受けて、当地でのユダヤ人への抑圧は強まり、世界中に離散していきました(ディアスポラ)。

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封建社会であったヨーロッパでは、ユダヤ人は土地所有ができなかったため、都市に流入し、手工業の職人や商人となっていきます。800年に即位したカール大帝は、ユダヤ人の経済活動での貢献を認め、ユダヤ人を保護しユダヤ商人に特権を与えました。

中世ヨーロッパではユダヤ人は各地を移動する商人として活動し、その後村々に定住するようになっていき、フランス、ドイツ、イギリス、イタリア、スペインや東欧、ロシア、トルコにもユダヤ人社会が作られていきます。ユダヤ人は移住地でもシナゴーグを造り、トーラーにしたがった信仰生活を続けました。

アナトリアやアフリカ北部に移住したユダヤ人もいました。異教徒に寛容なイスラム教の国であるオスマン帝国はユダヤ人の移住を歓迎したため、特にトルコには多数のユダヤ人が移住しました。16世紀の初頭にはイスタンブールのユダヤ人コミュニティは3,000人に達していたともいわれています。キリスト教の伝道で主導的な役割を果たした使徒パウロも、トルコに移住したユダヤ人の家に生まれた人物です。

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中世ヨーロッパでのユダヤ人の迫害の背景

エルサレム

4世紀にローマ帝国においてキリスト教が公認、次いで国教化されたことで、異教であるユダヤ教への風当たりは徐々に強くなります。ユダヤ教がイエスを救世主として認めないことや、イエスを裏切ったのがユダヤ人だったことなどを口実とした反ユダヤ主義の台頭も背景にありました。

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また、富を得たユダヤ人は資本階級となり、どんどん裕福になっていきましたが、貧しいキリスト教徒からの恨みをかっていました。利子を取ってはいけないという教えがあるキリスト教徒には金融業をおこなうことができませんでしたが、ユダヤ人は金貸しが許されていたからです。当時のヨーロッパ社会では、戦争をするにも建築をするにもユダヤ人の資本が必要でした。十字軍を派遣するにもユダヤ人の資本が不可欠だったにもかかわらず、ユダヤ人は「聖戦でもうけている」とキリスト教徒から非難されます。

第1回の十字軍が派遣された1096年からユダヤ人の迫害はピークに達します。イスラム教徒に冒涜された聖地奪回と同じく、キリスト教の敵であるユダヤ人と戦うことも必要だと扇動する人もでてきます。1097年、エルサレムに進入した十字軍は、ユダヤ人を殺戮し、シナゴーグを破壊。反ユダヤ暴動やユダヤ人街の略奪なども起こります。

1179年には、ユダヤ人がキリスト教徒を使用人とすることや、キリスト教徒とユダヤ教徒が同居することも禁止され、これが後のゲットー(ユダヤ人の強制居住区域)の根拠となっていきます。さらに、1215年にはローマ教皇インノケンティウス3世の強行勅書により、すべての異教徒は「差別バッチ」をつけることが課されます。

13~14世紀になると、激しい迫害や集団的な虐殺も行われるようになっていきました。イギリスやフランス、スペインでは、ユダヤ人が国外追放になったりゲットーへの強制移住を強いられたりもしました。その後もユダヤ人の迫害や追放はヨーロッパの各地で19世紀まで続きました。

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レコンキスタ完了によるスペインからの追放

スペイン レコンキスタ

8世紀のイスラム勢力の進出にともなって、多くのユダヤ人がスペインに居住していました。10世紀頃スペインで国土回復運動のレコンキスタが盛んになりますが、このころはまだカスティリヤ王国などで、ユダヤ人は財政や外交で重用されていました。

しかし、1212年のラス・ナバス・デ・トロサの戦いを転換期にイスラム勢力が後退。ユダヤ教優遇の意義がなくなると、スペインでもユダヤ人に対する激しい弾圧がおこるようになります。1391年、セビリジャからはじまったユダヤ人襲撃はスペイン全土に広まり、約7万人のユダヤ人が犠牲となりました。生き残ったユダヤ人も難を逃れるために、改宗を余儀なくされます。

1479年にスペイン王国が建国されると、カトリックの統一国家の建設を目指したフェルナンド王とイザベル王女によって異教徒の取り締まりがさらに激しくなります。イスラム教国ナスル朝の最後の拠点グラナダをスペイン王国が陥落させたことで、レコンキスタが完了。その直後の1492年にはユダヤ人追放令が出されます。

これによって多くのユダヤ人が、ポルトガルやオスマン帝国に逃れていくこととなります。この時、イベリア半島を追われて世界各地に移住したユダヤ人は、セファルディムとも呼ばれています。

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近代ヨーロッパでのユダヤ人解放と迫害

近代になって市民革命が進む中、人権思想や平等思想、脱宗教、世俗主義の傾向が強くなり、19世紀までにゲットーや宗教裁判が否定され、ユダヤ人も解放されます。しかし、19世紀後半にはヨーロッパ各国が帝国主義へと変容。それによってナショナリズムが国家主義に傾き、再び反ユダヤ主義によるユダヤ人排斥が行われるようになります。そして、このような状況に反発するように、ユダヤ人の中でユダヤ人国家建設運動であるシオニズムの潮流がおこります。

ユダヤ人最大の苦難・ホロコーストの時代

ここではユダヤ人最大の苦難であるホロコーストの時代について解説していきます。

ナチスによる迫害と殺戮

アウシュビッツ ホロコースト

ホロコーストとは、ナチス政権とその協力者によるユダヤ人の迫害及び殺戮のことです。これにより、約600万人ものユダヤ人が犠牲となりました。

ドイツで1933年に政権を握ったナチスは、ユダヤ人を劣った人種とみなし、「最終的解決」という政策の一環でヨーロッパ在住のユダヤ人を殺害。さらには強制収容所を設立し、ユダヤ人を集めて監視し大量殺害を行いました。ドイツの敗戦後、ホロコーストの余波で生存者の多くは難民キャンプに避難。1948~51年に70万人近いユダヤ人がイスラエルに移住しました。そのほかの人々もアメリカやそのほかの国々に移住していきます。ホロコースト時代のナチスの犯罪により、ヨーロッパのユダヤ人コミュニティは大打撃を受けることとなりました。

ユダヤ人を救ったトルコの外交官

セラハッティン・ウルクメン

ナチスによる迫害や殺戮の恐怖にさらされていたユダヤ人を救おうとした人もいます。トルコの外交官が、セラハティン・ウルクメンもそのひとり。当時のウルクメンは、ロドス島駐在トルコ領事でした。ロドス島はオスマン帝国の時代から400年近くユダヤ人が榮えた地。ナチス当局からの嫌がらせを受け危険を冒しながらも、ウルクメンはユダヤ人の支援を続けました。

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後の1989年ウルクメンはイスラエル政府から「諸国民の正義の人」として、「ヤド・バシェム賞」を与えられています。ちなみにこの賞は、東洋のシンドラーと呼ばれた日本人外交官の杉原千畝にも与えられました。

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第二次世界大戦後のパレスチナ問題

第二次世界大戦後、国際連合のパレスチナ分割決議により1948年にイスラエルが建国されます。これに反発したアラブ連盟との間で第一次中東戦争が勃発。この戦争で多くのパレスチナ難民が発生し、パレスチナ問題を生み出すことになります。その後イスラエルはアメリカやイギリスの支援を受けて軍事国家化し、アラブ諸国と現在も対立しています。

オスマン帝国におけるユダヤ人

ユダヤ人とイスラム教の国であるオスマン帝国には、深いつながりがあります。ここでは、ユダヤ人とオスマン帝国の関係性について解説していきます。

スペインを追放されたユダヤ人最大の移住先はオスマン帝国だった

イスタンブール歴史地域 トプカプ宮殿

イベリア半島を追われたユダヤ人を大量に受け入れたのがオスマン帝国でした。オスマン帝国は1516年にシリア・イスラエル地方を征服。400年ほどこの地を支配下においていたという歴史があります。

時のスルタン・バヤジット2世は、ユダヤ人を利用すれば帝国の経済を豊かにできると考えたこともあり彼らの移住を歓迎しました。イスラム教はもともとほかの宗教に寛容で、中世のイスラム教徒はキリスト教徒やユダヤ教徒と共存していました。

オスマン帝国も多民族からなる帝国で、イスラム教徒やキリスト教徒、ユダヤ教徒らが共存する柔軟な社会を形成していましたので、ユダヤ教徒にとっては安心して暮らせる場所だったといわれています。このような背景から、16世紀にはオスマン帝国は世界で最も多くのユダヤ人が居住する国となりました。

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オスマン帝国の経済力の発展にユダヤ人移民が貢献

オスマン帝国 ユダヤ人

ユダヤ人はヨーロッパ商業のネットワークに通じ多くの言語を知っていたため、貿易商人としてオスマン帝国で重要な役割を果たしていきます。これによって16世紀にオスマン帝国の経済力は上昇。

1500年代にオスマン帝国がバルカン半島を征服すると、多くのユダヤ人達がバルカン半島に移住します。テッサロニキでは、ユダヤ人が過半数を占めるまでになり、科学技術の向上にも貢献しました。

後にユダヤ人はトルコ共和国の建国にも貢献。イスラエル建国後は大多数のトルコ系ユダヤ人がイスラエルに移住しましたが、現在でもイスタンブールを中心に一定数のユダヤ人が暮らしています。

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トルコにあるユダヤ人地区やシナゴーグ、遺跡

トルコにはユダヤ人にゆかりのある街や遺跡、シナゴーグがあります。次回のトルコの旅で、足をのばして訪れてみてくださいね。

ヨーロッパで三番目に大きいエディルネのシナゴーグ

エディルネの大シナゴーグ

CeeGee, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

シナゴーグとは、ユダヤ教徒の集会所で祈りの場であり学習の場。エディルネのシナゴーグは、1200人収容というトルコ最大のシナゴーグでヨーロッパでも三番目の大きさを誇ります。1905年にエディルネの大火事で壊滅状態になりましたが、当時のオスマン帝国のスルタン・アブドゥミルハミト2世の許可を得て建設されました。2015年には改装が終了し、美しい姿をとどめています。ユダヤ教徒でない一般の人も見学できます。

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イスタンブールにあるユダヤ人地区、バラット地区

イスタンブール バラット地区

バラット地区は、イスタンブールの旧市街地にあるユダヤ人地区だった場所です。現在は移民などが暮らしている地区となっていますが、ユダヤ教徒の集会所であるシナゴーグが残っています。最近ではおしゃれなカフェや雑貨店などもできているので、街歩きをするのも楽しいですよ。

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古代のシナゴーグ跡が見られるサルディス遺跡

サルディス

サルディスは、古代リディアの都だった場所。紀元前7世紀に都がおかれ、紀元前6世紀のクロイソス王の時代に最盛期を迎えますが、その後ペルシャによって征服されてしまいます。古代都市遺跡にはユダヤ人集落に残るシナゴーグが見られます。

サルディスとは?世界初の貨幣を鋳造したリディアの古代都市

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オスマン帝国に安住の地を見いだしたユダヤ人の痕跡をたどってみよう

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今回はユダヤ人について解説してきました。民族の成立から中世ヨーロッパでの激しい迫害、第二次世界大戦中のホロコーストを経て現代のパレスチナ問題まで、ユダヤ人は苦難の歴史を歩んできました。そこには宗教や民族、政治や経済などの難しい事情がからみあい、現在もまだ解決していない問題もあります。ユダヤ人とはどんな民族なのかという定義もさまざまで、すべての人が納得のいく答えはみつかっていないのが現状です。

そんなユダヤ人の歴史の中で、一時の安住の地となったのがオスマン帝国でした。スペインから追放されたユダヤ人は、オスマン帝国に移住。金融や商売の知識と才能を活かし、はからずもオスマン帝国の繁栄に貢献しました。トルコにはユダヤ教徒の集会所であるシナゴーグや、ユダヤ人がかつて居住した地区などが現在も残っています。中世ヨーロッパの大きな歴史のうねりを感じながら、トルコのシナゴーグなどを巡ってみるのも、よい経験が得られる旅になりますよ。ぜひ、次回の旅では足をのばして訪れてみてくださいね。

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