カーバ神殿はイスラムの聖地!貴重な内部や歴史、どこにあるかを紹介
更新日:2023.04.05
投稿日:2022.09.14
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イスラム教の聖地のひとつであるサウジアラビアのメッカには「カーバ神殿」があります。カーバ神殿は黒い立方体の見た目をしており、とても古くから存在している神殿です。イスラム教にとって最も神聖な場所となります。この記事では、イスラム教にとってカーバ神殿はどれだけ重要な存在なのか、カーバ神殿の歴史や構造も合わせて解説します。
Contents
カーバ(カアバ)神殿とは?どこにある?
カーバ神殿はアッラーに奉納された唯一の神殿で、イスラム教の聖地として、ムスリム(イスラム教徒)の心の拠り所ともいえる存在です。カーバはアラビア語で「立方体」という意味で、文字通りカーバ神殿は箱形をしています。
大理石を基盤として15mほどの高さがあり、建物の全体は「キスワ」と呼ばれる黒い布で覆われています。なお、キスワには金色の刺繍が施されているのが特徴的です。
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カーバ神殿はどこにある?
カーバ神殿はサウジアラビアの「メッカ(マッカ)」という都市にあります。メッカはイスラム教の預言者ムハンマドの生誕地であり、イスラム教にとって最大の聖地です。
メッカにある世界最大のモスク「マスジド・ハラーム」の中庭中央に黒き聖殿「カーバ神殿」はあります。
カーバ神殿はイスラム教徒のみが入れる聖地
イスラム教の最大の聖地「カーバ神殿」は誰でも行くことができる場所ではありません。なぜなら、カーバ神殿のあるサウジアラビアのメッカは、ムスリム以外の立ち入りが禁止されているからです。メッカは都市全体がイスラムの聖地となっており、カーバ神殿はムスリムにだけ許された最深部なのです。
カーバ神殿の歴史!いつできた?
カーバ神殿の歴史は非常に古く、イスラム教が誕生する以前の時代にまで遡ります。イスラム教の伝承によれば、カーバはもともと神が人類の祖であるアダム(アーダム)と、その妻イブ(ハウワー)に命じて建設させた神殿とされています。
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また、神殿を周回することは「天上の神の玉座と、それを巡る天使たち」を地上において再現した形とされ、神がアダムに命じたのが始まりです。
しかし、最初のカーバの建物は、ノアの大洪水によって失われたとされていました。その後、神の啓示を受けたアブラハム(紀元前2000年頃の預言者)と、子のイシュマエルによって、同じ場所に再建されたと言われています。
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メッカは多神教の聖地だった
メッカはイスラム誕生以前、多神教の時代から聖地とされており、当時のカーバ神殿はアラビア人が信仰していた多神教の神殿として使われていました。ジャーヒリーヤ時代にはアニミズムの考え方によって、360もの神々の聖像が置かれていたそうです。
この頃のカーバは現在のような姿ではなく、人の背丈ほどの大きさで、屋根のない粗末な祠(ほこら)のような姿をしていましたが、その後カーバは焼失してしまい、石造りの建物に再建されたと言われています。
ここでは、そんなカーバ神殿が多神教の聖地からイスラム教の聖地へと変貌するまでの軌跡を辿っていきます。
630年にイスラムの聖地に
イスラム教は610年にイスラム教の創始者である預言者ムハンマドが、メッカ近くに位置するヒラー山の洞窟でアッラー(神)から啓示を受けたことによって誕生しました。しかし、当時のメッカは偶像崇拝が広く行われていたことから、最初の3年間は公の場で布教活動はできませんでした。
イスラムの布教と迫害
信者の数が30人を超えた頃、ムハンマドは公の場で布教活動を行うよう啓示を受けます。さらに、アッラーはメッカで信仰されている偶像崇拝を終わりにすることも命じました。しかし、メッカで信仰の多数を占めていた多神教信者たちは、ムハンマド率いるイスラム教徒たちを迫害するようになります。
反イスラム勢力の鎮圧
ムハンマドは622年に布教の拠点をメディナへ移すと、ここにモスク(預言者モスク)を設立し、ウンマ(イスラム共同体)の礎とし、反イスラム勢力との戦いを開始します。
その後、630年にムハンマドがメッカを占領すると、カーバ神殿に建てられた360体もの偶像を破壊し、黒石だけを残しました。そして、カーバ神殿をイスラム教の聖地としました。ムハンマドはアッラーから最初の啓示を受けた年から20年後、アラブ世界に大きな変革をもたらしたのです。
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コーランの記述
イスラムの啓典「コーラン(クルアーン)」には以下のような記述があります。
カーバ神殿の横には、アブラハムの足跡が残った「聖石」があります。この存在が、「カーバ神殿はイスラム最大の聖地」という事実の裏付けとなり、現在もなおムスリムの心の拠り所ともいえる存在となりました。
カーバ神殿の内部と構造
黒い立方体のような形をしているカーバ神殿。内部はどのような構造になっているのか気になりますよね?ここでは、カーバ神殿の構造を紹介します。
カーバ神殿の大きさと外壁
カーバ神殿は立方体に見えますが、正確には、カーバ神殿の構造は立方体ではなく、長さ12m、幅10m、高さ15mの造りとなっています。外壁は灰色の花崗岩でできており、入口は北東側の地上およそ2mの場所にひとつのみあります。
カーバ神殿の内部はどうなっている?
カーバ神殿の内部は、天井を支える3本の支柱と、金の吊りランプを除くと装飾のない空洞となっています。
カーバ神殿の黒石
カーバ神殿の東の角には、「ハジャルル・アスワド」と呼ばれる黒い石がはめ込まれています。アラビア語で「黒い石」を意味するこの石は、神殿を建てた際に天使が運んできたと言われている神聖な石です。ただし、ハジャルル・アスワドがどうやってできたのかは未だに解明されておらず、多くの謎に包まれています。
現在は黒石が傷つくのを防ぐために保護されていますが、この黒石に触れると大変な幸福がもたらされると、イスラムの世界では信じられているそうです。
神殿を覆う黒い布「キスワ」
神殿を覆っている黒い布「キスワ」は、年に1度、メッカの最高支配者(現在はサウジアラビア政府)によって交換されます。なお、キスワはメッカ市内で制作されています。
イスラム教徒は礼拝を行う際にカーバ神殿を向く!?
ムスリムは毎日、1日5回の礼拝が義務付けられており、礼拝を行う際はメッカのカーバ神殿を向くように定められています。ムスリムは世界中にいますが、世界中どこにいてもカーバ神殿の方向に向かって、毎日礼拝を行なわなければなりません。
イスラムでは、礼拝を行う際に向かなければならない方角のことを「キブラ(アラビア語で”方角”を意味する)」と言います。礼拝を行う際のキブラについても、啓典コーランには以下のように記されています。
これにより、一般信者にも同じ方向を向いて祈ることを指示し、「メッカのカーバ」の方角が礼拝時の方向となりました。
モスクに必ずあるキブラのしるし
世界中のイスラム教徒は、礼拝時にどうやってカーバ神殿の方角を見つけているのか疑問に思う方もいるかもしれません。イスラム教の礼拝堂「モスク」の壁には、必ずキブラを示す「ミフラーブ」と呼ばれる窪みがあります。
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世界中どのモスクにも必ずミフラーブはありますが、世界で唯一1箇所だけ、例外としてミフラーブのないモスクがあります。そのモスクは、聖地メッカにある「マスジド・ハラーム」です。
マスジド・ハラームは礼拝の方向(キブラ)であるカーバ神殿を取り囲む形で建っているため、キブラを示すミフラーブがありません。
キブラを示すミフラーブはモスクの最奥の壁に設けられますが、全世界のモスクはキブラと一致するように建てられています。ミフラーブは、2本の柱に支えられたアーチを単位とする戸口の形をとり、より精緻な幾何学模様が施された場所となっています。
カーバ神殿は世界中のムスリムが目指す場所
イスラムの教えのひとつに「ハッジ」というものがあります。これは、ムスリムならば一生に一度は、行わなければならない「聖地巡礼」を指します。
預言者ムハンマドは亡くなる直前に、メディナからメッカへ一度だけ巡礼(別離の巡礼)をしており、これが「ハッジ(聖地巡礼)」として現代にも継承されてきました。
聖地巡礼はイスラム暦の第12月(ズー・アル=ヒッジャ月)に、8日~12日までの5日間で、カーバ神殿などを参拝することで達成します。ただし、ハッジに関しては「体力的、経済的に可能な場合のみ」という前提条件があります。
ちなみに、この5日間以外に巡礼を行うとハッジとはみなされません。ハッジで定められた日程以外で行う巡礼は「ウムラ」と呼ばれ、「ハッジ」とは別物です。
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なお、ハッジの時期になると、全世界のムスリムが200万人程メッカに集まると言われています。メッカへの玄関口の都市ジッダにある空港では、ハッジの時期にだけ巡礼者のみが使用できる空港ターミナルがあるそうです。
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カーバ神殿の巡礼の儀式
カーバ神殿の巡礼では「タワーフ」と呼ばれる、巡礼の際に行う儀式があります。タワーフは、ハッジまたはウムラの際に、カーバ神殿の周りを半時計回りに7周するという儀式です。
大理石の帯を踏み、そこを起点に最初の3周は群集の外側を急ぎ足で回り、続く4周はカーバ神殿に近づいてゆっくりと回ります。カーバ神殿の周囲を大勢のムスリムが整然と回ることは、アッラーを崇拝するイスラム教徒の団結を象徴するものです。
黒石に触れる、または口付けべきであるとされていますが、実際には巡礼者が多すぎて黒石まで近寄れないことがほとんどなので、その時は周回する際に黒石の方向に手をかざせばよいとされています。
回り終えたら、アブラハムの立所(アブラハムの足跡が残った聖石)に行き、2ラカート(セット)の祈りを捧げ、その後聖なるザムザムの泉を飲んで、次の儀式に進むという流れになります。
このザムザムの水ですが、巡礼者が個人的に持ち帰る分には自由となっているため、巡礼者の代表的なお土産にもなっているそうです。ただし、販売目的で国外へ持ち出すことは、サウジアラビアの法律によって禁止されています。
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巡礼の服装
男性は「イフラーム」と呼ばれる縫い目のない巡礼着を身に付けます。女性は特別な巡礼着はないので、普段通り顔と手以外を覆った服装で向かいます。
意外?!トルコのイスタンブールにメッカゆかりの品々がある!
国民の90%以上がムスリムのトルコ。そのトルコのイスタンブールにある観光名所「トプカプ宮殿」には、イスラム教およびメッカに関する品々を見ることができます。
トプカプ宮殿はもともとオスマン帝国のスルタン(皇帝)の居城で、当時のスルタンはイスラム教のカリフ(ムハンマド没後のイスラム共同体の最高権威者)も兼ねていました。
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そのため、トプカプ宮殿には現在もイスラム教に関する至宝が多く残されており、カーバ神殿に埋め込まれている黒石を保護するために使われた金属の覆いや、カーバ神殿歴代の鍵など、カーバ神殿に深く関係する品々も展示されています。
他にも、預言者ムハンマドが使用したとされる軍旗、剣、弓、さらにはヒゲや足形など、大変貴重な聖遺物を目にすることが可能です。
また、トプカプ宮殿にはイスラム教に深く関与する品々が多く保管されていることから、ムスリムの巡礼地となっています。
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【トプカプ宮殿|観光情報】
名称 | トプカプ宮殿(Topkapı Sarayı) |
---|---|
住所 | Cankurtaran, 34122 Fatih/İstanbul, Turkey |
営業時間 | 9:00~18:45 ※チケット売り場は18:00まで(夏季:4月15日~10月30日) 9:00~16:45 ※チケット売り場は16:00まで(冬季:10月30日~4月15日) |
定休日 | 火曜日 |
入場料 | 72TL ハレム入場の追加料金:42TL ハギアアイリーン教会入場の追加料金:36TL オーディオガイド:20~30TL |
公式サイト | https://muze.gen.tr/muze-detay/topkapi |
トルコはイスラムの雰囲気を気軽に感じられる国!
トルコはイスラム国家でありながら、政教分離によって信仰の自由度が高いので、イスラムの雰囲気を肌で感じながら、気軽に観光が楽しめる国です。
イスラム国家は「旅行中、お酒が飲めないのでは?」「服装の決まりが厳しいかも…」と思われがちですが、トルコはイスラム国家でありながら、スーパーやレストランで気軽にお酒を飲めたり、露出が激しくなければいつも通りの服装で出歩けたりと、イスラムの雰囲気を気軽に味わうことができます。
とは言っても、時期や観光する場所によっては、少し気をつけなければならないルールもありますので、不安な方は旅行会社のツアーを利用するのがおすすめです!
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