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マルコ・ポーロは何をした人?生涯、東方見聞録、紅茶まで紹介!

更新日:2023.04.03

投稿日:2022.02.25

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マルコ・ポーロ

マルコ・ポーロは、ヴェネツィア共和国生まれの旅行家です。東方への大旅行を成し遂げ、13世紀の中国全土を支配したフビライ・ハンに仕えました。

『東方見聞録』でアジアの詳しい様子をヨーロッパに初めて伝えた人としても知られています。また、旅の道程でアナトリアを通ったため、トルコとも非常に縁深い人物でもあるのです。

そんなマルコ・ポーロの功績は、死後700年近く経った今もまったく色あせていません。この記事では、13世紀の東西世界をつなぎ歴史に名を刻んだ旅行家、マルコ・ポーロについて紹介します。

マルコ・ポーロとはこんな人

マルコポーロ

まずはマルコ・ポーロの生涯と、彼が生きた時代について知っておきましょう。ヴェネツィア商人の息子として生まれたマルコが、遠く離れた中国を目指した理由も紹介します。

アジアとヨーロッパをつないだ旅行家「マルコ・ポーロ」

マルコ・ポーロは中世ヨーロッパの旅行家であり、冒険家です。父と叔父とともにアジアへ向かい、距離にして15,000キロ、24年もの年月を旅に費やしました。

マルコは長い旅のあと故郷に戻り、後にジェノヴァとの戦争で従軍しますが、捕虜となり投獄されてしまいます。その獄中で作家と出会い、冒険談を語ったことで生まれたのが『東方見聞録』です。

『東方見聞録』はさまざまな言語に翻訳され、アジアの地理や文化といった詳細な情報をヨーロッパに伝える資料として多くの人に影響を与えました。アメリカ大陸の発見者として有名なコロンブスも、『東方見聞録』に影響を受けて大航海に挑んだといわれています。

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マルコ・ポーロはヴェネツィア共和国の商人

マルコポーロ ヴェネツィア

マルコ・ポーロは1254年、ヴェネツィア共和国で生まれました。ポーロ家は代々商家であり、父のニッコローと叔父のマッフェーオも商人でした。父と叔父は中東貿易のためコンスタンティノープル(現在のトルコのイスタンブール)に暮らしており、マルコは15歳になるまで父や叔父と会ったことはありませんでした。

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父と叔父は貿易活動を広げるために東方へと旅立ち、旅の途中でモンゴル帝国の第5代皇帝フビライ・ハンに謁見しました。そこでフビライ・ハンより、ローマ教皇への書簡を託されます。書簡の内容は、「キリスト教に精通した100人の賢者」の派遣を要請するものでした。教皇に書簡を届けるためローマへ向かった父と叔父は、その過程でヴェネツィアに戻ることに。15歳になっていたマルコは、このとき父と初めて会ったのです。

マルコはその後、父・叔父とともに東方に向かって出発し、24年にわたる長い旅をしました。旅を終えたあとは前述のとおり、ジェノヴァの獄中で『東方見聞録』を誕生させます。牢獄生活ののちヴェネツィアに帰還したマルコは、商人として成功して財をなしました。また46歳のときに結婚し、3人の娘をもうけたという記録が残っています。

四半世紀も旅を続けたマルコ・ポーロ

マルコポーロ

1271年、父と叔父の2回目の東方旅行に同行したとき、マルコは17歳でした。目的地は、元の皇帝フビライ・ハンが夏の間を過ごす上都(現在の内モンゴル自治区のシリンゴル盟正藍旗上都鎮の北東20kmの位置)です。マルコ一行が辿ったルートはトルキスタンや西域を通る過酷なもので、到着までには3年半もかかりました。

マルコたちはフビライ・ハンに仕えることとなり、17年もの間中国にとどまります。滞在中は元の国の役人として、中国国外を訪問する機会に恵まれました。マルコはこのときに中国や近隣国の歴史や民俗、地理など多くを見聞きし、のちに『東方見聞録』に記したのです。

例えばマルコが元を訪れた13世紀、ヨーロッパでは金貨や銀貨が使われており、紙幣はまだ登場していませんでした。しかし中国では紙切れがお金として使われていたため、マルコは大変驚きました。『東方見聞録』の中で元の初代皇帝フビライ・ハンを「錬金術師」と評し、中国の紙幣が先進的であることを紹介しています。

マルコ・ポーロの生きた時代

マルコ・ポーロは1254年に生まれ、1324年に死去しました。この時代、モンゴル帝国がユーラシア大陸をまたいで支配を広げていきました。モンゴル帝国の第5代皇帝であるフビライ・ハンは1271年に国号を「元」とし、中国全土の支配に成功。陸上のみならず海の交易路も手に入れたことから、東西の文化交流が活発になりました。なお、マルコがフビライ・ハンに拝謁し、仕えることになったのは1274年だと推定されています。

マルコが生きた時代は、日本では鎌倉時代(1185~1333年)にあたります。鎌倉時代といえば「元寇(げんこう)」をイメージする人も多いでしょう。フビライ・ハンは、1266年、日本を属国にしようと国書を送りました。ところが鎌倉幕府はこの国書を無視します。フビライ・ハンはその後も使者を送ったものの、鎌倉幕府がことごとく無視をしたことから、ついに日本に攻め入ることになりました。こうして文永の役(1274年)弘安の役(1281年)が起こったのです。なお元寇については、『東方見聞録』でも紹介されています。

また世界に目を向けると、アナトリア地方(現在のトルコ)で1299年にオスマン帝国が建国されています。オスマン帝国は勢力を拡大し、最盛期である16世紀には西アジア、東ヨーロッパ、北アフリカにまたがる広大な帝国を形成しました。

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マルコ・ポーロが旅した東アジア

マルコポーロ 地図 ルート

マルコ・ポーロは四半世紀もの間、約15,000キロを旅して見聞を広めました。ここではマルコ・ポーロが辿った道のりや中国での様子を見ていきましょう。

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ユーラシア大陸を横断

マルコ・ポーロ一行はユーラシア大陸を横断し、陸路でフビライ・ハンのいる中国の上都を目指しました。ヴェネツィアを出発したのち、まずは船でアッカ(現在のイスラエル・アークル)へ向かい、アナトリア(現在のトルコ)南東の港町であるライアスに上陸。アナトリア半島を経てトリス(現在のイラン・タブリーズ)に入りました。

その後、シルクロードを通ってパミール高原やゴビ砂漠を越えたマルコたちは、1274年の夏、ついに上都に辿り着いたのです。ヴェネツィアから約3年半におよぶ長旅でした。

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なおこの東方旅行には、当初ローマ教皇が派遣を決めた二人の宣教師も同行していました。ところがアナトリアに入ったところで、この地で起こっている戦乱に縮みあがった二人の宣教師は同行を取りやめてしまいます。そのためマルコと父のニッコロー、叔父のマッフェーオは、3人だけで元を目指すことになったのです。

フビライ・ハン(クビライ)に仕える

マルコポーロ クビライハン 元

マルコたちは元の皇帝であるフビライ・ハンに謁見し、ローマ教皇からの書簡などを献上しました。フビライ・ハンは大変喜んで、マルコたちを手厚く迎えます。さらにマルコは知識が豊富なうえ多言語を使いこなせたため、フビライ・ハンからその優秀さを認められました。こうしてマルコはフビライ・ハンの使者として、中国国内のみならず東南アジアやインドにまで派遣されることになったのです。

マルコは派遣のたびにその地方の実情や特色をよく把握して、途中で見聞きしたおもしろい話や変わった出来事などを報告したため、フビライ・ハンは喜んでマルコを重用したといわれています。

帰路は海路で難航

マルコと父のニッコロー、叔父のマッフェーオの3人はフビライ・ハンに仕え、17年もの間中国で暮らしました。ヴェネツィアに帰りたいと申し出たことはありましたが、フビライ・ハンは3人の帰国を許そうとしませんでした。

そこへ絶好の機会が訪れます。モンゴル国家であるイル・ハン国から要請があり、元のコカチン姫を嫁がせることになったのです。マルコたちはコカチン姫をイル・ハン国に送り届けることになり、14隻の船団で泉州からイランを目指しました。

泉州を出発してから2年以上経った1293年、マルコ一行はペルシア湾の入り口に位置するホルムズ港に到着しました。航海はとても過酷なもので、出港時には600人以上もいた団員が、ホルムズ港に着いたときにはわずか18人しか残っていませんでした。

そこから陸路でイル・ハン国までコカチン姫を送り届けたのち、マルコたちはヴェネツィアへ向かいます。こうして1295年、24年にわたる長い冒険の旅を終えたマルコは、ようやく生まれ故郷に戻ったのです。

マルコ・ポーロの旅はトルコから始まりトルコで終わった

イスタンブール 歴史地区 シルクロード

マルコ・ポーロ自身の旅路は出身地であるイタリアのヴェネツィアからスタートし、イスラエルのアッカから小アルメニアのライアスに上陸し、陸路でアナトリア(現在のトルコ)のカイセリやエルズルム、マルディンなどを経由したのち、シルクロードを通ってユーラシアを横断しました。

しかし、そもそもマルコが東方旅行に出ることになったのは、コンスタンティノープル(現在のトルコのイスタンブール)で商売をしていた父のニッコローと叔父のマッフェーオが黒海の向こう側にある東方世界に商人として興味を抱いたからです。

そうして実際に一度東方を旅した父と叔父に同行して24年間に及ぶ大旅行を終えたマルコ・ポーロが黒海の港町トレビゾンド(現トルコのトラブゾン)を経由して、故郷のヴェネツィアに戻る直前に立ち寄ったのもまたコンスタンティノープルでした。

地理的に重要な地にあったコンスタンティノープルはローマ帝国、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)、ラテン帝国、オスマン帝国の首都として約1,600年にわたって世界の中心として繁栄し続けた都市です。現在はトルコ共和国最大の都市であり、世界中から多くの観光客が訪れる観光地として発展を続けています。

トルコ最大の都市「イスタンブール」は東西が交差する世界唯一の街

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マルコ・ポーロの東方見聞録とは

マルコポーロ 東方見聞録 世界の記述

日本では『東方見聞録』としておなじみですが、実は原本が散失しているため原題は不明です。他国では『世界の記述』と呼ばれるこの旅行記は、当初フランス語で書かれ、さまざまな言語に翻訳されました。マルコが見聞きした当時のアジアの様子を詳細に伝えるものとして関心を集め、多くの人に影響を及ぼしました。

東方見聞録はアジアの様子が書かれた旅行記

『東方見聞録』は4冊で構成され、マルコ・ポーロ一行の旅路を辿る内容になっています。

  • 1冊目:往路にて、中東から中央アジアで見聞きしたこと
  • 2冊目:フビライ・ハン統治下の中国について
  • 3冊目:日本(ジパング)、インド、東南アジア、アフリカなどについて
  • 4冊目:モンゴル、ロシアなどについて

『東方見聞録』にはマルコが現地で実際に見聞きしたもの以外に、単なる伝聞も含まれていました。そのため事実ではない部分や架空の地名などがたびたび登場し、実際に通ったルートを明らかにすることは難しいとされています。しかし中国や近隣諸国の文化や風習、宗教などについて非常に詳しく紹介されており、ヨーロッパの人たちを驚かせました。

獄中で生まれた東方見聞録

ジェノヴァ マルコポーロ

『東方見聞録』が生まれたきっかけは、マルコ・ポーロがジェノヴァの捕虜として獄中生活を送っていたときに、同じく捕虜であったイタリア人作家、ルスティケロ・ダ・ピサに出会ったことです。マルコが東方へ旅した経験談を語ったところ、ルスティケロがそれを物語の形に整えフランス語で執筆しました。なおルスティケロは『アーサー王の円卓騎士物語』の著者としても知られています。

当時の貴族や商人たちは、アジアの様子を細かく描写した『東方見聞録』をこぞって読みました。活版印刷術が発明される前だったので、人々はルスティケロの原本を書き写して写本を作りました。こうした写本の数は140以上もあるといわれています。

東方見聞録で日本はジパングと紹介

マルコ・ポーロは『東方見聞録』の中で、日本を「黄金の国ジパング」として紹介しています。実際にはマルコは日本を訪れていませんが、中国で耳にした伝聞をもとに、莫大な黄金や真珠を産出する豊かな国だと記しました。

例えば『東方見聞録』には、全体が純金で覆われ、床に分厚い純金が敷き詰められた宮殿が登場します。この純金の宮殿は、12世紀に建立された中尊寺金色堂のイメージがもとになったとする説もあります。

マルコ・ポーロが旅したアナトリア(トルコ)

マルコ・ポーロ一行は港町ライアスからアナトリア(現在のトルコ)を通って東方に向かいましたが、著書『東方見聞録』ではそのときに見聞きした情報も多く書かれています。マルコ・ポーロは当時のアナトリアを最も広く深く知った旅行家の一人だったのです。

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コンヤ|当時の文化・芸術の中心地

コンヤ メヴレヴィー教団 セマー

コンヤはトルコ中部の主要都市の一つです。マルコ・ポーロも、コンヤがアナトリアの主要な都市の一つであると述べています。実際、マルコ・ポーロが旅した13世紀ごろのコンヤは、多くの学者や文化人が集まって文化・芸術面で大きく発展していました。

コンヤは、ユネスコ無形文化遺産にも登録された「セマー」という儀式で知られるイスラム神秘主義(スーフィズム)の教団、メヴレヴィー教団の総本山です。

メヴレヴィー教団の創始者メヴラーナの霊廟やモスク、神学校、考古学博物館などの名所があり、多くの観光客が訪れます。

古都「コンヤ」は今なお宗教色が色濃く残る歴史ある町

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カイセリ|カッパドキアとトルコ絨毯

カイセリ カッパドキア

カイセリはトルコ屈指の人気世界遺産であるカッパドキア地方の中心都市です。古来から交通の要衝として繁栄してきた都市で、マルコ・ポーロもコンヤと同様にアナトリアの主要都市の一つであると評しています。

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トルコ絨毯 マルコ・ポーロ

また、マルコ・ポーロは『東方見聞録』の中で、このカイセリの名産品であるトルコ絨毯の芸術性を絶賛しています。カイセリは今でも伝統的なトルコ手織り絨毯の主要産地として、世界的に名高い高品質な製品を作り続けているのです。

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アララト山|ノアの方舟山

アララト山 トルコ ノアの方舟

旧約聖書に登場するノアの方舟が大洪水を乗り越えた末に辿り着いたとされるアララト山は、実はトルコの最高峰として実在しています。マルコ・ポーロもアララト山について、「ノアの方舟山」と呼ばれる万年雪に覆われた高い山であり、登頂した人はいないと記しています。

「ノアの方舟」の物語は実話だった?!旧約聖書の隠された“真実”とは?

一方、現在では許可申請をした上でツアーに参加すれば、一般人でもアララト山の頂を目指すことが可能です。登山せずとも、麓の街ドウバヤズット(Doğubayazıt)からでも、その威容を十分に眺められます。

マルコ・ポーロは老舗紅茶ブランドでも人気

パリ創業の老舗紅茶ブランド「マリアージュフレール」には、マルコ・ポーロの名を冠した人気商品があります。時代に先がけて東方を旅したマルコ・ポーロは、今もなお大きな影響力を持っていることがわかりますね。

マリアージュフレールの「マルコポーロ」

マリアージュフレールは、ルイ14世に献上され、現在も世界中に多くのファンがいる有名ブランドです。1854年にフランス流紅茶専門店として創業しました。世界35か国から集めた500種類以上のお茶や、お茶菓子などを販売しています。

多くのフレーバーの中でも多数のファンを持つ人気商品が、マリアージュフレールを代表するお茶「マルコポーロ」です。シックでおしゃれな黒い缶入りの紅茶は、贈答品としても人気があります。

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マルコポーロの由来や味わい

マリアージュフレールの「マルコポーロ」は、東方への壮大な旅をし、フビライ・ハンに仕えたマルコ・ポーロをイメージした紅茶です。「フレーバードティーの神話」とも称されていることに、マルコ・ポーロの神聖さが伝わりますね。

マルコポーロは、中国やチベットの花と果物による、まるでハチミツやキャラメルのような甘くやさしい香りが広がります。クセのない味わいで、初心者でも楽しめるフレーバーティーとして有名です。

マルコポーロのシリーズ展開

マルコポーロのシリーズは紅茶だけではありません。カフェインフリーのルイボスティータイプや、茶葉をあしらったチョコレート、マルコポーロの甘い香りが詰まったサブレ、紅茶のジャムなどがあります。ぜひ紅茶とともに頂きたいですね。

現代に受け継がれるマルコ・ポーロ

マルコ・ポーロは世界のさまざまな場所で現代にも受け継がれています。ごく一部ですが、どんなものがあるか見てみましょう。

マルコ・ポーロ由来の場所

マルコ・ポーロに由来した場所はたくさんありますが、ここではヴェネツィアと中国の北京にある2つのスポットを紹介します。

マルコ・ポーロ国際空港

マルコ・ポーロ国際空港

「ヴェネツィア・テッセラ空港」は、マルコ・ポーロがヴェネツィア出身であることから、「マルコ・ポーロ国際空港」と呼ばれています。ヴェネツィア中心部から約7キロの場所にある、空の玄関口です。

ヴェネツィアは水の都として知られ、ラグーナ(潟)の中に100以上の島が点在しています。島の間には運河が張り巡らされ、交通手段は船と徒歩のみ。美しい中世の街並みを眺めながら狭い運河を進むゴンドラクルーズは、観光客に大人気です。

そのほかヴェネツィアのシンボルであるサンマルコ寺院や、ナポレオンから「世界で最も美しい客間」と称えられたサンマルコ広場、共和国時代の総督の館であったドゥカーレ宮殿など、たくさんの見どころがあります。

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マルコ・ポーロ橋

マルコポーロ橋 盧溝橋

中国の北京市には、「マルコ・ポーロ橋」と呼ばれる橋があります。正式名称は盧溝橋(ろこうきょう)で、日中戦争の引き金となった「盧溝橋事件」が起きた場所です。マルコ・ポーロは『東方見聞録』の中で盧溝橋の美しさを絶賛し、詳しく描写しました。

盧溝橋はアーチ型の石橋で、欄干には獅子の彫刻が施されています。485頭もの獅子は大きさや形がすべて異なるため、お気に入りを探すのもいいかもしれません。

飲食店の名前にも多いマルコ・ポーロ

日本でも、マルコ・ポーロの名前がついた飲食店は少なくありません。「アジアへ向かったマルコ・ポーロのように、食の見聞を広めて欲しい」「新しい味との出会いを楽しんで欲しい」といった願いが込められているのかもしれませんね。

ドラマやゲーム、アニメなどにも登場するマルコ・ポーロ

マルコ・ポーロはさまざまなジャンルで、多くの作品の題材となっています。昭和の時代にはNHKにて「アニメーション紀行 マルコ・ポーロの冒険」が放送されました。そのほかマルコ・ポーロの旅を描いたTVドラマや、中国への足取りをたどってゴールを目指すボードゲームなどもあります。

また近年では人気ゲームアプリ「モンスターストライク」に、「鋭気に満ちし宇宙の大商人マルコ・ポーロ」というキャラクターが登場しました。13世紀に東西の世界を結び歴史に名を刻んだマルコ・ポーロは、いつの時代も人気者ですね。

アメリカのTVドラマ「マルコポーロ」

2014年から2016年までNetflixで配信されたオリジナルのTVドラマシリーズで、マルコ・ポーロをモデルにした歴史スペクタクルです。モンゴル帝国のフビライ・ハンに仕える中で、マルコが権力争いに巻き込まれながらたくましく成長していく様子を描いています。迫力あるアクションシーンも見どころの一つです。

マルコポーロの功績は時を経てなお受け継がれる

15世紀以降、活版印刷の普及とともに『東方見聞録』はますます広い地域に伝わりました。コロンブスを始めとする大航海時代の探検家たちは、『東方見聞録』を参考にしながら海を渡ったといわれています。マルコ・ポーロの大冒険は、彼の死後700年近く経った今でも、多くの人を惹きつけてやみません。

トルコには、イスタンブールをはじめ当時のアナトリアを旅したマルコ・ポーロゆかりの地が数多くあります。トルコ旅行に行った際には、マルコ・ポーロの遥かな旅路に想いを馳せてみると、より深く現地の雰囲気を楽しめるでしょう。

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