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ミレトス遺跡とは?歴史的背景や見どころ・ミトレス学派から生まれた偉人などを詳しく解説!

更新日:2023.04.04

投稿日:2022.05.25

Views: 1889

ミレトス

トルコにあるミレトスは、かつて貿易によって発展し、古代ギリシャにおける小アジア地域の文化や学問の中心地でした。また、紀元前6世紀に生まれた初期の自然哲学といわれるミレトス学派が生まれた街です。

この記事では、ミレトス遺跡の歴史や見どころ、ミレトス学派から生まれた偉人などについて詳しく紹介します。ぜひトルコ旅行の参考にしてください。

ミレトス遺跡とは?

ミレトス遺跡 トルコ

 

ミレトス遺跡はトルコ南西部のエーゲ海沿いにある遺跡です。ミレトスは古代ギリシャの都市国家(ポリス)の一つで、小アジアの最大都市として繁栄し、商業的・文化的中心地となっていました。紀元前8~6世紀ごろには、黒海沿岸を中心に80以上の植民市を建設するほどの勢力がありました。ホメロスの叙事詩イリアスにも、トロイア王国の同盟軍としてミレトスの名前が登場します。

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現在のミレトスはトルコにあり、保存状態の良い古代ギリシャやローマ時代の劇場や浴場の遺跡が残るため、多くの観光客が訪れる観光地となっています。

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ミレトス遺跡の場所

ミレトス遺跡

アナトリア半島南西部のエーゲ海地方にミレトスがあります。トルコのアイドゥン県に属し、アイドゥン県の東にはデニズリ、北にはイズミールがあります。ミレトス遺跡に一番近いのは南に3kmほどの場所にあるバラット村となりますが、遺跡の北にあるリゾート地のクシャダスがミレトス遺跡観光の玄関口です。

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ミレトスはメンデレス川(古代はマイアンドロス川)の河口に作られ、古くから港街として栄えました。小アジアの品々がメンデレス川で運ばれ、ミレトスの港から地中海へと輸出していたのです。しかし現在は土石の堆積などにより港が使えなくなり、沿岸から10kmほど内陸に位置しているため、かつての港街の面影は残っていません。

名称 ミレトス遺跡(Miletos)
所在地 Balat, Hacılar Sk No:9, 09290 Didim/Aydın, Turkey

ミレトス出身の主な偉人

ミレトス出身のタレス、アナクシマンドロス、アナクシメネスなどの哲学者たちが、万物の根源(アルケー)の探求を始め、ミレトス学派と呼ばれるようになります。水や空気などが万物の根源とされ、学者の間で議論が行われました。

この都市で生まれたミレトス学派の自然哲学は、後にアテネのソクラテスやアリストテレスなどにも影響を与えたのです。ここでは、ミトレス出身の偉人について紹介します。

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タレス(紀元前624年~紀元前546年)

タレス ミレトス学派 哲学者

タレスはギリシャの七賢人の一人で、最初の哲学者として知られています。 自然哲学者とも呼ばれており「万物の根源は水である」と考えた人物です。哲学者であると同時に数学者でもあったタレスは、“多くの知識を持つ賢人”として人々から尊敬されていました。

タレスは、気象現象の知識を元にして日蝕を予言したことでも有名です。また、ある時は自分の影の長さと自分の身長を比較し、ピラミッドの影の長さからピラミッドの高さを測定しました。幾何学にも通じており、半円に内接する角は直角であるという定理(タレスの定理)を発見したのもタレスです。

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アナクシマンドロス(紀元前610年~紀元前546年)

アナクシマンドロス ミレトス学派 哲学者

アナクシマンドロスは、前述したタレスの弟子であったとされています。万物の根源を、無限のもの(アペイロン)であると論じました。それは、“火や水など反対の性質を持つものが生まれ、やがてこれらは消滅しアペイロンへ戻る”という考えです。

また、地面の反対側にも空が存在し地球が浮いていることや、人間や動物は海の魚から進化したということを主張したことで知られています。現在では、これらの論理を一般的としていますが当時は信じる人がほとんどいませんでした。

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アナクシメネス(紀元前585年~紀元前525年)

アナクシメネスはアナクシマンドロスの弟子で、“万物の根源は空気である”としました。死者は呼吸をしないことから全ての生命の源は空気であり、空気によって世界が作られたという考えです。

空気の濃度により火や水や石が生成され、はるか上空にある太陽や宇宙は空気が限りなく希薄化することによって万物が生じるとし、生成変化が起こる仕組みをはじめて示した人物です。

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イシドロス(6世紀頃)

科学者であり数学者でもあるイシドロスは大学で物理学を教えていましたが皇帝に雇われたことがきっかけとなり、ビザンツ帝国で優れた建築家の一人となりました。コンスタンティノープル(現イスタンブール)に建てられたアヤソフィアの建築家としても知られている人物です。

建設されてから自然災害や反乱などにより損害を受けていたアヤソフィア大聖堂は、それまで使われていた木材に代わり石で再建することが計画されました。しかし、巨大なドーム建設や重量のある石での建築には正確な計算や物理学が必要でした。

そこで、当時のアナトリアで最も有名な学者であったアンテミオスと共にイシドロスが任命されたのです。西暦532~537年にかけてアヤソフィア大聖堂は再建され、これはイシドロスにとって最大の功績になりました。

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アルクティノス(紀元前775年~紀元前741年)

アルクティノスはギリシャ叙事詩の作者であり、古代ギリシャの詩人であるホメロスの弟子であったと考えられています。代表作として古代ギリシャ最大の詩人ホメロスが歌ったイリアスの続編にあたるアイティオピスが挙げられます。

トロイア戦争を描いた“アイティオピス”は全5巻で構成されていますが、オリジナルの文章はわずか5行しか残っていません。この物語は、トロイアの総大将ヘクトールの葬儀の後から始まり、ギリシャの英雄アキレウスの死と葬礼競技の様子が描かれています。

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ヒッポダモス(紀元前498年~紀元前408年)

ヒッポダモス方式

ヒッポダモスは建築家であり都市計画家でもあった人物です。イオニア人による植民市が増えたことで、ピッポダモスはミレトスを始め港街ピレウスやロドス島の都市を設計しました。

ピッポダモスは都市内を聖域や公共地域、私有地域に分け、居住地も兵士や農民などの身分に区画しました。また、道路を格子状に張り巡らせることによって、整然とした街を完成させたのです。これは“ヒッポダモス方式”と呼ばれ、都市計画の基本となりました。

ミレトスの歴史

ミレトス

ミレトスは、いつ最盛期を迎え、そして衰退をして現在に至るのでしょうか?ミレトスの歴史を紹介します。

都市の建設

ミレトスがあった場所では、新石器時代の紀元前3,000年頃から人が生活をしていた痕跡が見つかっています。紀元前19世紀頃には、ギリシャのクレタ島からやってきたクレタ人が生活していたと考えられており、後期青銅器時代までミノア文明がこの場所に根付いていました。クレタ島のミレトスという地域から入植者がやって来たため、この都市もミレトスと呼ばれるようになったという伝説があります。

このミレトスは紀元前14世紀頃、小アジアで勢力を拡大したヒッタイトによって支配下に置かれます。ヒッタイトの統治下でミレトスは要塞(ようさい)として使われていました。この都市ではクレタ人やカリア人が暮らしていましたが、海の民による攻撃を受けたびたび破壊されたため大きな発展はありませんでした。

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ミレトスの建設と最盛期

ミレトス

紀元前12世紀以降にイオニア人の民族移動が起こり、小アジアに来たイオニア人たちがミレトスを征服します。そしてイオニア人によって新たなミレトスが建設され、小アジアに作られた12のイオニア都市国家の1つとなりました。

イオニア人によって建設されたミレトスは、地中海沿岸諸国との貿易や黒海を中心とした植民地活動によって、小アジアのイオニア同盟国の中で最も繫栄した都市となります。また、同じく植民地政策をおこなっていたギリシャの都市メガラと同盟を結び、争いを避けながら植民地を拡大していったのです。

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紀元前7世紀に小アジアでリディア王国が台頭し、リディアとの間で戦争が発生します。しかし、ミレトスは12年間戦い続け、リディア王国領の中で独立を維持し続けました。その後、アケメネス朝ペルシアがリディア王国を倒し、この地を支配します。

そしてミレトスも強大なペルシア帝国に征服をされてしまいました。ちなみに、ミレトスは紀元前6世紀頃に最盛期を迎え、6万人近くが暮らしていたということです。

アレクサンドロス大王による解放

アレキサンダー大王 アレクサンドロス3世

ペルシア帝国の支配下でも一定の自治が認められていましたが、貿易活動の制限などが行われるようになり、ミレトス市民の間で不満が膨らんでいきました。そして、紀元前499年にペルシアからの離反を掲げ、ペルシア軍と戦闘状態となります。他のイオニア人の都市も同調し大規模なイオニアの反乱が起こりました。

しかし紀元前494年にペルシア軍によって反乱は全て鎮圧されてしまいます。報復としてミレトスの街は破壊され、多くの女性や子供は街から追放となり街は衰退しました。

紀元前479年にギリシャとペルシア帝国との間で戦争が起こり、勝利したギリシャがミレトスの支配権を手に入れたのです。この時にギリシャの都市計画が導入され、碁盤の目のように道が整備されました。その後、紀元前387年に両国で結ばれた条約によりペルシアに返還され、ミレトスは再びペルシアの支配下に置かれるようになります。

紀元前334年にアレクサンドロス大王率いるマケドニアの軍隊が、ミレトスを包囲し陥落させ、ペルシアの支配から解放をおこないました。ミレトスはマケドニアから自治権が与えられ、再び大都市に発展していきます。

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ローマ帝国時代

アレクサンドロス大王による解放から200年後に、ミレトスはローマ帝国の支配下に入ります。ローマ帝国時代には、街の中にローマ式の劇場や浴場が建設されました。この時代に作られた建物の遺跡は現在も見られます。

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小アジアの文化的中心地として繁栄し、西暦57年に聖パウロがこの地を訪れてからミレトスはキリスト教の教区として重要な都市となりました。しかし、ローマ帝国の小アジアの中心地はやがてミレトスから北部の都市エフェソスに移っていったのです。

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オスマン帝国時代と衰退

オスマン帝国 イェニチェリ

14世紀にセルジューク朝トルコがミレトスを征服します。15世紀のオスマン帝国下でも地中海沿岸国との交易のためにミレトスの港が使われていました。しかし、土砂の堆積により港が完全に使えなくなると、港湾都市としては放棄されることになります。小アジアの陸上交通の中継地点の街としてなんとか存在をしていましたが、交通路の発展や大地震の発生などにより、完全に放棄され忘れ去られた街となったのです。

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19世紀から20世紀にかけて、フランスやドイツの考古学者によって、廃墟となり砂に埋もれていた遺跡の発掘が行われました。そして発掘により都市の歴史や全容が明らかになりました。ミレトスの出土品の多くは、1973年に開館したミレトス博物館で見られます。なお、ミレトスの市場門は分解されてドイツに運ばれ、ベルリンのペルガモン博物館に展示されています。

ミレトス遺跡の見どころ

ミレトス遺跡には「一度は足を運んで見て見たい!」と思わせる見どころがたくさんあります。ミレトス遺跡の見どころを紹介するのでぜひ参考にしてください。

大劇場

ミレトス遺跡 大劇場 トルコ

紀元前700年頃に建設されたギリシャ様式の劇場には5,000席の観客席が作られ、観客席からは雄大な海が見られました。また、ローマ帝国の支配下に入った西暦1世紀、ローマ人によってこの劇場は改修されます。

改修後、ローマの建築様式が取り入れられた観客席は15,000席に拡大され、天蓋付きのロイヤルボックスも作られました。観客席は現在も状態が良く、前列のいくつかの席では座席に刻まれた番号も見られます

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城壁

前述した大劇場の上には、8世紀に建設されたビザンチン様式の城の城壁が残っています。残念ながら城自体は崩壊しているため、その姿は見られません。しかし、城門を守っていたライオン像の後方には、かつて繁栄した港のライオンハーバーが見られます。

アポロ神殿(デルフィニオン)

ミレトス アポロ神殿

ライオンハーバーの南に北アゴラ(市場)があり、北アゴラに隣接しているのが太陽神アポロに捧げられたアポロ神殿です。アポロ神殿は紀元前6世紀頃に作られ、ミレトスに残る最も古い神殿の1つとされています。15km離れた場所にあるディディマの神殿で神託を受けるために、1年に1度この神殿から記念行進がおこなわれました。

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ファウスティナ浴場

ファウスティナ浴場は、西暦2世紀に皇帝マルクス・アウレリウスの妻のために建てられた浴場です。ファウスティナは皇帝の妻の名前で、この浴場は典型的なローマ浴場となっています。

床の下に張り巡らされた温水パイプと、素焼きの壁で作られた熱気送管によって、カルダリウム(温浴室)は高温に保たれていました。カルダリウムの隣にはフリギダリウム(冷浴室)があります。巨大な壁と内部の床の構造の一部は現在でも見られます。

競技場

競技場

ファウスティナ浴場の南西にある競技場で、230m×74mのフィールドの周りに20段の客席が作られていました。紀元前2世紀にマケドニアの統治下で建設され、槍投げやレスリングなどの競技が行われたと考えられています。

聖ミカエル教会

大劇場の東には聖ミカエル教会の遺跡があります。かつてはヘレニズムのディオニュソス神殿がありましたが、ローマ帝国の支配時代にキリスト教の教会となりました。3つの身廊と後陣、洗礼堂を備えた大聖堂に改築され、6世紀にはキリスト教の司祭たちが暮らしていました。

市場の門

ミレトス

ミレトスにあった南アゴラは、およそ3万2,000平方メートルにも及ぶ当時最大級の規模を誇った市場です。この南アゴラの入り口であった2階建ての記念門は、現在ベルリンにあるペルガモン博物館に展示されています。

ペルガモン博物館には、世界遺産に登録されているトルコのペルガモン遺跡から発掘された、「ゼウスの大祭壇」などの貴重な出土品も多数所蔵されています。

名称 ペルガモン博物館(Pergamon museum)
住所 Bodestraße 1-3, 10178 Berlin, ドイツ
公式サイト https://www.smb.museum/en/museums-institutions/pergamonmuseum/home/

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イリヤスベイモスク

イリヤスベイモスク

競技場の東には、セルジューク帝国時代の1404年に建設されたイリヤスベイモスクがあります。イリヤスベイモスクは、大理石による一辺18.5mの正方形の建物の上に、大きなドームが設置されているのが特徴です。

イスラム教徒の礼拝所としての役割の他に、神学校や宿舎などの機能もありました。このモスクは2012年に修復工事が行われました。

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キャラバンサライ

キャラバンサライは、ミレトスが港湾都市としての機能を失った15世紀のオスマン帝国時代に作られた施設です。キャラバンサライとは隊商宿のことで、ミレトスが小アジアの陸上交通の中継地点として使われていたことを示しています。

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ミレトス遺跡を訪れて歴史や文化に触れる観光もおすすめ

ミレトス遺跡

ミレトスは古代ギリシャ時代に築かれた街ですが、現在でも当時の文化をうかがい知れる遺跡が数多く残っています。また、ミレトスは多くの偉人を排出した地域として有名です。

ミレトス遺跡にはたくさんの見どころがあります。トルコのエーゲ海沿岸の都市と合わせて、ぜひ現地を訪れてみてはいかかでしょうか。

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