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アナトリア文明博物館の見どころ解説!アンカラで外せない観光名所

更新日:2023.02.28

投稿日:2022.11.11

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アナトリア文明博物館 トルコ アンカラ

世界史やトルコの歴史に興味がある人であれば、イスタンブールにある考古学博物館とアンカラにあるアナトリア文明博物館は外せないスポットです。また、トルコの各都市を訪問する時間がない場合は、この場所でアナトリアの歴史と文化を学ぶことが出来ます。アナトリア文明博物館は、旧石器時代からビザンツ帝国時代の遺物が詰まったタイムカプセルです。

アナトリア文明博物館とは?

アナトリア文明博物館 トルコ アンカラ

アナトリア文明博物館はトルコの首都アンカラにあります。古代文明の遺物を展示している博物館で、トルコに存在した様々な文明の歴史、文化、美術などを学ぶことが出来ます。

屋根付きのバザール(市場)として使われていた建物が展示室となっており、旧石器時代からビザンツ帝国時代までの遺物が展示されています。かつて隊商宿として使われてた建物は、現在、図書館、会議場、作業室がある博物館の管理棟となっています。

この博物館では、人類で初めて鉄を利用したヒッタイト時代のコレクションに大きな焦点が当てられています。エジプトのラムセス2世の王妃ネフェルタリから、ヒッタイトのハットゥシリ3世の王妃プドゥヘパに送られた楔形文字で書かれた友好の粘土板は、最も重要な展示物の一つです。

また、新石器時代の集落から出土した大地母神キュベレーの像も必見です。他には世界で初めて作られた紀元前7世紀後半のコインも展示をされています。

アナトリア文明博物館は、その独自のコレクションと歴史的な建造物により、1997年にヨーロッパの最優秀博物館賞を受賞しました。

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アナトリア文明博物館の場所

アンカラ トルコ共和国

博物館は首都アンカラにあり、旧市街の中心部にあるアンカラ城の南側に位置しています。アンカラの中心部から北に4㎞ほど行った場所です。地下鉄のウルス駅から近い場所にありますが、急な坂を登っていくため徒歩で約20分となります。

丘の中腹に博物館があり、さらに登った頂上にはアンカラ城があります。アンカラ城からは、360℃のパノラマを見ることができますので、是非合わせて観光をしてみてください。

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見学に必要な所要時間

広い館内を見学するのに必要な時間は約2時間です。歴史に興味があり、じっくり見て周りたい場合は半日ほど必要です。逆に時間がなく駆け足で見学する場合は、見どころが多いヒッタイト時代の部屋を中心に見学することをおすすめします。

なお、館内ではフラッシュを使わなければ、ほとんどの場所で写真を撮ることが出来ます。教科書で見たことがある遺物も展示されていますので、是非カメラに収めてみてください。

名称 アナトリア文明博物館(Anadolu Medeniyetleri Müzesi)
住所 Kale, Gözcü Sk. No:2, 06240 Ulus/Altındağ/Ankara, トルコ
開館時間 (夏季)10:00~17:00
(冬季)8:30~18:00
休館日 月曜日
入場料 75TL
公式サイト https://turkishmuseums.com/museum/detail/1940-ankara-anatolian-civilizations-museum/1940/4

アナトリア文明博物館のここがスゴイ!数々の“No.1”

アナトリア文明博物館 アンカラ

アナトリア文明博物館に関係する世界最古などのナンバーワンをご紹介いたします。

  • 新石器時代のチャタル・ヒュユク遺跡の壁画には、2つの火山と集落の様子が描かれているものがあります。これは世界最古の地図又は風景画と言われています。また、チャタル・ヒュユクは人類最古の定住遺跡とも言われています。
  • 紀元前1万年頃に建設されたギョベクリテペ遺跡にある、T字型の石柱のレプリカが展示されています。ギョベクリテペ遺跡は、世界最古の文明の歴史を大幅に塗り替えました。
  • ヒッタイト人は、世界で初めて製鉄を行った民族とされています。鉄器は錆びて細かく壊れてしまうため、残念ながら彼らが作った鉄器はほとんど残っていません。博物館には、ヒッタイトよりもさらに古いアラジャホユック遺跡から出土した最古の鉄剣が展示されています。
  • エーゲ海交易で栄えたリュディア人は、紀元前7世紀後半に世界で初めて金属を鋳造してコインを製造し、信頼のある貨幣システムを作り上げました。コインは純度の高い金と銀で作られ、ライオンと牡牛が刻印されています。
  • アナトリア文明博物館は、1997年にスイスのローザンヌで開催されたヨーロッパ博物館フォーラムで、68の博物館の中から1位に選ばれ、ヨーロッパ最優秀博物館賞を受賞しました。これはトルコで初めての受賞でした。

アナトリア文明博物館の時代区分と展示物の紹介

博物館の館内は、時代ごとに部屋が分かれており、時代を順番に追いながら解りやすく見学をすることが出来ます。

旧石器時代 (紀元前8000年まで)

人々は動物を狩猟し、自然に生息している植物や木の実を採取して生活をしていました。定住生活は行われておらず、自然に出来た洞窟の中を寝床としていたと考えられます。

地中海に面しているアンタルヤから30㎞の場所にあるカライン洞窟からは、人が暮らした痕跡が見つかっています。道具として使われた石や動物の骨がこの洞窟から発見されており、博物館に展示されています。

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新石器時代 (紀元前8000年~紀元前5500年)

チャタルホユック アナトリア文明博物館

新石器時代に農耕が始まり、人々が定住し集落が形成されました。主にトルコ中南部のコンヤ近郊にあるチャタル・ヒュユク遺跡と、トルコ南西部のブルドゥル県にあるハジュラル遺跡からの出土品が展示されています。

骨や石から作られた農具、陶器の鍋や壺、陶器のスタンプなどが見つかっています。また、部屋の壁に飾る牛の頭の彫刻や、狩りの様子を描いた壁画、地母神キュベレーの像などの美術要素が強い作品も生み出されています。

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銅石器時代 (紀元前5500年~紀元前3000年)

この時代には石器に加えて、金属の胴を使った道具や装飾品が作られるようになります。農耕を行う人、鉱石を採掘する人、道具を作る人など役割分担が分かれ、より複雑な社会が形成されるようになります。この時代の陶器の器には、幾何学模様や動物などが赤色で描かれているのが特徴です。他には女神像や装飾がされた宝石なども出土しています。

アナトリア文明博物館

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初期青銅器時代 (紀元前3000年~紀元前1950年)

銅にスズを混合して加熱することで青銅を作り出した時代です。鋳造と鍛金技術の発展により、より複雑な形に金属を加工出来るようになります。ボアズキョイの北東にあるアラカ・ヒュユク遺跡から、多くの遺物が見つかっています。紀元前2500年頃の王の墓から、金の装飾品、黄金の杯、青銅で作られた器や鹿の形をした像などが出土しました。

また、太陽盤(ソーラーディスク)と呼ばれる青銅器が棺の中から発見されています。これは太陽の姿を表していると言われており、アナトリアで神聖とみなされていた牛や鹿がデザインされているものもあります。

アンカラ アナトリア文明博物館

アッシリア交易植民地時代 (紀元前1950年~紀元前1750年)

アナトリアで採取される銅やスズなどの資源に目を付けたのが、現在のイラク北部に存在したアッシリア王国です。アッシリア人との交易関係が発展し、彼らの言語や品物の重さを測るおもりなどが持ち込まれました。また、アッシリアで使われていた楔形文字も持ち込まれ、粘土板に書かれた書物がアナトリアに登場します。出土した粘土板には、主に交易や経済の事が書かれており、中には借金の利子に関する記載などもあります。

交易が盛んになるにつれ、取引される品物も多くなります。アナトリアからは織物や衣服、金銀の装飾品などが輸出され、アッシリアは金や銀で支払いを行いました。そしてトルコのカイセリ県にあるキュルテペが、貿易の重要な拠点として栄えました。キュルテペ遺跡では、宗教の儀式で使われたと考えられる動物の形を模した陶器が多く見つかっています。

また、動物の角で作られた角杯に似ている器のリュトンが、様々な金属や陶器で作られました。

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古代ヒッタイトとヒッタイト王国時代 (紀元前1750年~紀元前1200年)

アナトリア文明博物館

博物館で一番見どころがあるセクションで大ホールに展示されています。アッシリアとの交易で発展をしたヒッタイト族が、アンカラの東にあるボアズキョイで都を築きました。彼らはこの場所で採れる鉄鉱石の加工技術を開発し、鉄の武具を作り出します。ヒッタイトは強大な武力によりアナトリアに点在していた小国を征服し、アナトリアに大帝国を作りました。

このセクションには多くの展示品があり、特に見応えがあるのはハットゥシャシュ遺跡で見つかったライオン門です。他に有名な展示品は、エジプトのラムセス2世の王妃ネフェルタリから、ヒッタイトのハットゥシリ3世の王妃プドゥヘパに送られた楔形文字で書かれた友好の手紙(粘土板)です。イナンディク遺跡で発掘された当時の結婚式の様子が描かれた壺も必見です。

他には、楔形文字が書かれた紀元前1235年の青銅版や、戦車に乗るヒッタイト兵が書かれたレリーフの展示があります。また、ハットゥシャシュ遺跡の発掘調査の写真展示や、当時の宗教儀式の再現などもあります。

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フリュギア時代 (紀元前1200年~紀元前700年)

ゴルディオン フリギア王国 ミダス王

ヒッタイト王国の滅亡と時を同じくして、海の民であるフリュギア人がバルカン半島からアナトリアにやってきました。彼らはアナトリア西部の都市を征服し、中央部へと進出します。そしてアンカラから南西70㎞の場所にゴルディオンを建設し、ここを首都と定めました。ゴルディオンにある王家の古墳からの出土品が、このセクションの大部分を占めています。

アナトリアの陶器は主に赤で着色をされていましたが、フリュギア人によって鮮やかな青色の陶器が持ち込まれます。ヒッタイトの鉄器の色に似た濃い灰色をした陶器も生み出されました。これらはグレイセラミックと呼ばれています。グレイセラミックで衣服を留めるためのピンも作られています。

また、装飾がされた木製家具が作られるようになり、木工細工もフリュギア時代の特徴の一つです。ギリシャで一般的だった古墳文化もアナトリアに持ち込まれ、ミダス王の墓が博物館に再現されています。

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後期ヒッタイト時代 (紀元前1200年~紀元前700年)

ヒッタイト アナトリア文明博物館

アナトリア中央部をフリュギア人に征服された後、ヒッタイト人は南東地域に移動をして生活を送ります。マラティヤ郊外のアルスラーンテペや、古来より栄えていたカルケミシュなどから、ヒッタイトの遺物が発見されています。

兵士や戦車が描かれた戦争をテーマとしたレリーフ、ヒッタイトの支配者のレリーフ、ライオンや牡牛など強い動物の石像を見ることができます。この時代は他国の支配を受けないように、戦いが繰り返されていたことが分かります。

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ウラルトゥ時代  (紀元前1200年~紀元前600年)

ウラルトゥ人は、フリュギア人とヒッタイト人と同じ時代に、東アナトリア地域に住んでいました。東からやって来たウラルトゥ人はヴァン湖周辺に国を築き、アナトリアと東のアッシリアの文化を融合させます。

特に高い建築技術を持っていた彼らは、街を囲む城壁を作り、城内に巨大な神殿を建てました。神殿の柱には細かい彫刻が施されています。また、採掘した鉱物でネックレスやイヤリングなどの装飾品が作られました。

リュディア時代  (紀元前685年~紀元前546年)

アナトリア文明博物館

リュディア人は、ヒッタイト王国滅亡後、アナトリア半島西部のエーゲ海や地中海沿岸を支配しました。そして、フリュギア王国が衰退した紀元前7世紀頃に中央部までの地域を征服して王国を築きます。彼らはギリシャとのエーゲ海交易に加え、ペルシアやエジプトとも交易を行いました。

リュディア美術はヒッタイトやアナトリアの文化を基本とし、ペルシアやギリシャなどから影響を受けました。象牙細工、金銀の装飾品、大理石のスフィンクスなどが博物館に展示されています。

紀元前7世紀以降からビザンツ帝国時代

現在のイランに存在したアケメネス朝ペルシア帝国によって、アナトリアの都市が征服され、最後に西部のリディアが滅ぶとアナトリア全土はペルシアの支配下に置かれました。この後アナトリアは、アレクサンドロス大王のマケドニア、ローマ帝国、ビザンツ帝国などの大国に支配されるようになります。

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博物館では、それぞれの時代に作られた大理石の像、青銅の像、陶器、ガラスの器、アクセサリー、コインなどが展示されています。それぞれの展示品には、マケドニアのヘレニズム文化や、ローマとビザンツ帝国のローマ文化が反映されています。

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10th year

アナトリア文明博物館の歴史

アンカラ

アナトリア文明博物館はアンカラで最初に作られた博物館です。トルコ初代大統領のムスタファ・ケマル・アタテュルクが、国の中心となるアンカラにヒッタイト博物館を建設したいという構想を持っていました。

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そこでアンカラ城のアッカレ要塞に、1921年に博物館が作られました。この場所に、アウグストゥス神殿とローマ浴場から収集された遺物も展示されました。しかし、アタテュルクの希望を叶えるために、国内からヒッタイト時代を中心とした遺物が大量にアンカラに送られたことで、より大きな博物館が必要となりました。

そこで、アンカラ城の近くにあり、1881年の火災以降使われなくなっていたマフムト・パシャ・ベデステン(バザール)とクルシュンル・ハン(隊商宿)を修復し、博物館にすることを決定します。バザールで特に貴重な品物を貯蔵しておくベデステンは、15世紀中ごろに、メフメト2世の大臣だったマフムト・パシャによって建てられました。

バザールに隣接する隊商宿は、マフムト・パシャの後に大臣となったメフメット・パシャによって作られました。また、メフメット・パシャによって、ベデステンを取り囲むようにして、アーチ型の天井を持つバザールが建設されています。廃墟となっていたバザールと隊商宿の改修工事は、1938年から1968年まで行われます。

建物の修復が行われている1943年に一部のセクションが一般公開されます。1948年には、修復が終わった隊商宿にある4つの部屋で展示が行われ、アッカレ要塞は収蔵品の保管庫となります。バザールは元の構造を生かしつつ、店を仕切る壁を壊し、広い展示室として生まれ変わります。屋根にあったドームは修復をされ、博物館にそのまま使われました。

1968年に全ての改修工事が終わり、現在見ることが出来る博物館の姿となりました。収集された膨大な遺物は、バザールを改装した展示ホールに置かれています。博物館の名前は、ヒッタイト博物館、アンカラ考古学博物館を経て、現在のアナトリア文明博物館となりました。

2014年に改装され、なかなか訪問することが難しい遺跡のバーチャルツアーやアニメーション映像などによる紹介が導入されました。館内に入ってすぐの場所に、ギョベクリテペ遺跡のT字型の石柱のレプリカも設置されています。

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