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オスマン帝国の宮廷料理の歴史を解説!世界三大料理・トルコ料理を育んだ多様な食文化

更新日:2023.04.05

投稿日:2022.08.17

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オスマン帝国 料理 トプカプ宮殿

世界三大料理のひとつとされるトルコ料理は、トルコの壮大な歴史をそのまま反映するかのように、さまざまな食文化からの影響やアナトリアの大地がもたらす豊かな食材、そしてオスマン帝国の栄華によってもたらされた恵みによって独自の発展を遂げてきました。

そのため、唯一無二ともいえる多様さと豊かさがトルコ料理の個性となって現代にも受け継がれているのです。今回はそんなトルコ料理を育んできた食文化とその歴史について解説していきます。

トルコ料理はなぜ世界三大料理のひとつなのか

トルコ料理

トルコ料理はその歴史と土地に育まれた唯一無二の料理として、世界三大料理のひとつに数えられています。

トルコ人の祖先でもある遊牧民族テュルク人は、中央アジアから移住しながら各地に自分たちの伝統をもたらしました。その後アナトリアに定住したトルコ人は、自分たちの食文化を守りつつ、新たな食文化に出会い影響を受けていきます。

現在のトルコにも繋がるセルジューク朝やオスマン帝国は3大陸にもまたがる広大な帝国だったこともあり、食文化に多様な民族的宗教的要素もとり入れられていきました。

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そのような背景から育まれた多様性こそが、他の料理にはないトルコ料理の豊かさの土台となっているのです。

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トルコの食文化の源流とは?

トルコ人の食文化は、彼らの先祖でもある騎馬遊牧民のテュルク人の歴史に由来します。

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それに加えて、テュルク人がイスラム化する過程で、アラブ人やイラン人から受け入れたイスラムの食文化、アナトリアに進出した後のオスマン帝国の食文化、アナトリア地域に根付いたギリシャやビザンチンの食文化が影響し合い融合し形成されていきました。

遊牧民から受け継いだトルコの食文化

パストラミ

ここでは、トルコ人の祖先でもある騎馬民族から受け継がれたトルコの食文化について解説していきます。遊牧民の食文化は、現代のトルコ料理にも色濃く受け継がれています。

肉の調理法の発達

遊牧民族のテュルク人が住んでいた中央アジアは厳しい気候と乾燥した土地でした。そんな困難な条件下での生活で、最も大切だった栄養源は肉。トルコ系民族は肉を長期保存するために、加熱殺菌するという知恵をかなり早い段階で学んでいました。ほかにも乾燥や焙煎、発酵という保存方法も取り入れていました。

現代のトルコでも食されている「パストラミ」という乾燥肉はトルコ系民族にとって重要な食品になり、兵士達の重要な栄養源にもなっていました。

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ほかにも、肉を腸の皮に入れて発酵させる保存方法で作るソーセージのスジュクも、現代でも食されている遊牧民族由来の食べ物です。

ヨーグルトの発明と多種の乳製品

トルコ スズメヨーグルト

ヨーグルトはトルコ語でヨーウルトと呼ばれ、トルコに出自を持つ食べ物です。遊牧民のおもな食事はバターやチーズ、ヨーグルトなどの乳製品で、ヨーグルトは冬に使用するため乾燥させていました。クルトという乾燥ヨーグルトは、現在でもアナトリアのいくつかの地方で作られています。

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ヨーグルトはまた、乳製品を作るためにも活用されていました。ヨーグルトを動物の皮で作った袋に入れ振ってバターを作ったり、油脂を取り除き塩を加えて沸騰させ水切りして乾燥ヨーグルトを作ったり、ヨーグルトを活用してチーズなども作っていました。現代でもアナトリアのヨシュックと呼ばれる遊牧生活をしている人々によって作られています。

パンをはじめとした穀物原料の料理

バズラマ トルコパン

古代のトルコ人は、穀物を原料とした料理も多く作っていました。当時は、円形でふっくらしたソムンや、円形で平たい発酵パンのバズラマ、イーストを使用しないクレープ生地のようなユフカの3種のパンを食していたようで、おもに大麦、小麦、キビから作っていました。

アナトリアの大地が育んだ食文化

ここでは、遊牧民を始祖にもつトルコ系民族が、アナトリアに進出していく過程で得た食文化について解説します。

アナトリアに根付いたビザンチン帝国の食文化を吸収

中央アジアからから移動してきたテュルク人は、イスラム教徒となりアナトリアの地に進出していきます。アナトリアはもともとキリスト教を信仰しギリシャ語を話すビザンチン帝国の土地だったので、その食文化も受け入れていきます。

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地中海文化としてのビザンツ帝国から受け継いだもの

ハムスィ・タワ トルコ料理

内陸の中央アジアからやってきたテュルク人は、ここで初めて海に出会い、海産物を口にするようになります。そのため現在でも多くの海産物の名称は、トルコ語とギリシャ語とで似通っているものが多いのです。

海産物だけでなく野菜料理などにもギリシャ語とよく似た名称のものが現代でも残っています。また、ギリシャ料理に似た料理がトルコでも食されているなど、地中海の食文化もトルコの食文化に深いつながりがあるといえるでしょう。

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ほかにも、日本のお惣菜のように食されるメゼや冷たい料理に使われるオリーブオイルも、ビザンツ帝国の食文化から受け継がれたものです。

現代のトルコ料理につながるオスマン帝国の宮廷料理

オスマン帝国 宮廷料理

ここでは、現代のトルコ料理に大きな影響を与えているといわれる、オスマン帝国の宮廷料理について解説していきます。

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オスマン帝国の宮廷料理を形成する重要な要因とは?

オスマン帝国の宮廷料理を形成していたのは、その歴史的背景と拡大する領土からもたらされる新たな食材や食文化からの影響でした。伝統的なトルコ民族の食文化を守りつつ、イスラムの文化を受容してきたトルコの食文化は、オスマン帝国の時代には、その栄華を反映するように多彩に発展していきます。

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例えばオスマン帝国の西方移動の際には、アラビアやイランの料理と相互に影響を与え合いました。また、オスマン帝国に残って生活をしていたギリシャ人やグルジア人、アルメニア人、ユダヤ人の食文化からも影響を受けています。

さらに、アナトリアの大地で育まれる豊富な食材や、オスマン帝国の通商からもたらされる品々の幅広さも食文化の発展の確かな礎となったといえるでしょう。

オスマン帝国の食文化の頂点「宮廷料理」とは?

トプカプ宮殿 厨房

宮廷料理とはその名の通り、トプカプ宮殿内でスルタンやハレムの人々が食べたり、客をもてなすときに振る舞われたたりした料理のこと。現在のトルコ料理にも、多大な影響を与えているといわれています。

トプカプ宮殿には宮殿内で働く人々の料理を作る厨房があり、宮廷料理はそこで作られていました。スルタンの食事は別の専用厨房で調理され、スルタンは一人で食事をしていました。トプカプ宮殿では医食同源の考えが信じられていたため、それに応じて食事を用意していたようです。

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第7代皇帝のメフメト2世の時代の宴会では、おもに肉と肉入り料理がメインとして振る舞われました。ほかに、ピラフ、多種の野菜、デザートとシェルベティ(シャーベットの起源とされる飲み物)が振る舞われていたことも伝えられています。

オスマン帝国の栄華を反映するかのように、宮廷料理には稀少な食材も取り入れられていました。また、オスマン帝国の領土の拡大により、使用される食材も多様化していきます。

宮廷料理に革命を起こした多樣な香辛料

スパイス 香辛料 イスタンブール

16世紀のオスマン帝国のエジプト征服によって多樣な香辛料がもたらされました。エジプト征服以前に宮殿で使用されていた香辛料はわずか8種でしたが、エジプト征服以降はその数が200種にも増えたともいわれています。

東南アジアで栽培される胡椒は、当時かなり貴重なものでしたが、オスマン帝国の宮廷料理では最も多く使われた香辛料でした。ほとんどの肉料理には胡椒が加えられていたと伝えられています。

ほかに、当時最も高価とされていた香辛料「アンバー」も宮廷料理のデザートに使用されていました。アンバーはマッコウクジラの腸で形成され排便中に排出される結石のようなもので、その中でも薄い色を持つ「赤アンバー」を、ヘルヴァ(ハルヴァ)やシェルベティなどに使っていたそうです。

現代のトルコ料理でも使用されているクミンやサフラン、マスタード、シナモンなども宮廷料理では多く使用されるようになり、料理の味わいも多彩になっていきます。19世紀以降は、アメリカ原産の赤唐辛子やバニラ、オールスパイスなどの香辛料も宮廷料理に使用されていたようです。

宮廷料理で食されていたおもな料理

ここでは、実際に宮廷料理で食べられていたおもな料理についてご紹介していきます。現代のトルコ料理にも通じるものがたくさんあります。

羊などの肉料理

ケバブ 肉 トルコ料理

オスマン帝国の料理でも肉は重要な食品でした。特に羊の肉が好まれ、牛肉はパストラミに使われていました。宮殿の人や裕福な市民は、ほかに鶏肉やガチョウ、鴨、クジャク、ヤマウズラ、鳩などの肉も食していたようです。18世紀以降は、七面鳥も宮廷料理にとりいれられるようになります。

羊・鶏・魚料理は、串刺し炭火焼きのケバブ、シチューのようなヤフニ、骨なし炭火焼きのキュルバストゥ、揚げ物のクザルトマの4つの調理法を用いていました。

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ヘルヴァなどのデザートとシェルベティ

ハルヴァ トルコスイーツ お菓子

オスマン帝国の料理の中でも、デザートは肉やピラフと並ぶ重要料理でした。アルコールが禁止のイスラムの世界で、甘味は重要な嗜好品だったのです。イスラム教の受容とアラビア人からの影響が増したことで、デザートが発展していったともいわれています。

宮廷で食すデザートは、宮殿の厨房の中でも独立したヘルヴァハネという場所で作っていました。ヘルヴァはアラビア語でデザートを意味していて、イスラム教徒のトルコ人に愛され続けるデザートの名前にもなっています。ヘルヴァは、現代でも伝統菓子としてよく食べられています。ちなみに、当時サトウキビはかなり稀少だったので、甘みづけには干しぶどうやハチミツなどを使っていたようです。

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トルコ ムハッレビ ライスプディング

米粉と牛乳が入った全ての物はムハッレビと呼ばれていました。オスマン帝国初期に最も消費されていた小麦粉から作るデザートは、ロクムとカダイフ。

また、オスマン帝国で最も好まれていたデザートはタヴックギョウスでした。タヴックギョウスは、鶏の胸肉を煮て叩き繊維状にし、ミルクを加えて作るデザート。こちらも現代に受けつがれています。

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シェルベット

シャーベットの起源ともいわれるシェルベティは、宮廷料理で最も好まれていた甘く冷たい飲み物です。バラやスイレン、スミレなどの花の香りを加えたシェルベティのほかに、ムスクやアンバーのような香辛料で作るものもありました。客人にもシェルベティが振る舞われ、ザクロのシェルベティを振る舞うことは親切さを表すとされていました。

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ピラキなどの野菜料理

バンブルヤ・ピラキ

17世紀になると、アフリカ原産のオクラが宮廷料理に取り入れられはじめます。19世紀になると、宮殿内でトマト、エンドウ豆、ジャガイモ、ピーマン、ズッキーニなどのアメリカ原産の野菜も食されるようになっていきます。

また、19世紀以降、イスタンブールで暮らしていたキリスト教徒が、断食期間に作っていた白インゲン豆の冷菜「ピラキ」が、イスラム教徒やユダヤ教徒の間でも食される料理となりました。

現代のトルコ料理で頻繁に使用されるトマトの歴史は意外と新しく、宮廷料理に入り始めたのは1690年代からといわれています。

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現代トルコの食卓にも欠かせないパン

トルコ パン エキメッキ

オスマン帝国で最も好まれていたパンは、小麦の麦芽と胚芽を取り除いた白いパンでした。オスマン帝国ではパンは小麦粉から作っていました。大麦は、飢餓や飢饉や戦争の期間にのみ使用していたようです。

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地中海文化がもたらした魚料理

ラケルダ トルコ料理

もともとトルコ料理に魚が存在しなかったため、オスマン帝国初期は魚料理は好まれなかったようですが、第7代皇帝のメフメト2世は魚を好んで食べたと伝えられています。19世紀以降になって、カツオの塩漬けラケルダやキャビア、魚卵などが宮廷料理で食されるようになりますが、貝類は食されず、外国人客に振る舞うために使用していました。

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トルコ料理で最も重要なスープ

レンズ豆 スープ

トルコ料理でスープは最も重要な料理といわれます。それだけで一品料理となる優れた料理でもあり、トルコ人にとっては、生まれてから死ぬまで一生食べる料理でもあります。

16世紀のオスマン帝国の宮廷料理では、煮込んだあばら骨と肉のゆで汁をスープに使っていました。当時は酸味のあるものが好まれていたため、ヴェルジュと呼ばれる未熟ぶどうの汁やスモモ汁などを加えたスープを食すこともあったようです。

ピラウをはじめとした米料理

トルコ料理 ピラフ ピラウ

米は16世紀後半にオスマン帝国に入り始めます。米料理の代表格ピラウは、宮廷料理でも多く食される重要な料理でした。食事の〆を意味する料理でもあったようで、デザートまで終えたあとの食事の最後にピラウが出されていました。

ピラウは、米のほかにもブルグルなどでも作られ、27種類ほどありました。種類豊富なピラウを用意することで、饗宴の料理の豊かさを表していたともいわれています。

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文化歴史学者のマリアンナ・イェラスイモスの『オスマン帝国料理』という著書の中でも、18世紀には無水ピラウや魚入りピラウなどの変わったピラウがあったと述べられています。

また、オスマン帝国のスルタンの慶事の祝宴で、重臣たちにピラウが振る舞われていたという記録も残っています。宮廷料理の中でも、儀式的な性質をもつ料理でもあったようです。

オスマン帝国時代の市民の食卓

トルコパン ピデ

オスマン帝国の時代、市民は通常ゴマを振りかけたパン、羊肉かパスとミラを少し、お米のスープかピラフ、野菜や果物を食していました。

飲み物はシロップ、蜂蜜のシェルベティ、ローズウォーターなどを飲んでいたようです。イスタンブールでは魚が大量にあがり安かったのでよく食されていました。

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オスマン帝国時代の宮廷料理が食べられる店Asitane(アシターネ)

オスマン帝国の宮廷料理のレシピは門外不出だったため、現代でもその味を再現できるレストランは少ないのですが、オスマン帝国料理を味わってみたという人には、イスタンブールにあるAsitane(アシターネ)がおすすめです。

アシターネは、トプカプ宮殿などの料理台帳や迎賓帳などを元にレシピを忠実に再現。トルコ国内でも、オスマン帝国時代の料理が味わえる貴重な宮廷料理レストランです。カーリエホテルに併設されていて、テラス席も気持ちがいいですよ。

店舗名 Asitane(アシターネ)
住所 Kariye Camii Sok. No.6, Edirnekapi,Istanbul
公式サイト https://www.asitanerestaurant.com/English/

遊牧民の食文化からオスマン帝国の宮廷料理まで。歴史と土地に育まれたトルコ料理を味わおう!

トルコ料理

ここまで世界三大料理といわれるトルコ料理を生み出したトルコの食文化とその歴史について解説してきました。特に、現代のトルコ料理を形作ったといわれるのはオスマン帝国の宮廷料理です。

オスマン帝国の繁栄と領土の拡大などによって、多彩な食材や食文化が集り、独自の食文化と料理が生み出されました。さまざまな食文化の影響を受け、豊富な食材や多彩な食品に彩られたオスマン帝国の料理は華やかに発展し、現代の唯一無二の個性と豊かさを持ったトルコ料理の礎となりました。

壮大な歴史が濃厚に凝縮された、トルコ料理を味わいにトルコを旅してみてはいかがでしょうか。

トルコ料理は世界三大料理!ケバブなど定番有名メニューを徹底紹介

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