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使徒パウロはどんな人で何をした?思想や名言、キリスト教に捧げた生涯を詳しく解説

更新日:2023.04.05

投稿日:2022.09.20

Views: 5154

パウロ

使徒パウロは元ユダヤ教徒でキリスト教を迫害していた過去を持ちながら、回心後は当時のキリスト教伝道において重要な役割を果たしました。実は新約聖書に収載されている重要な書物「パウロ書簡」の著者でもあります。また、よく聞くたとえ「目からうろこ」の由来ともなった人物です。

この記事では、パウロについて知るための基本的な情報をわかりやすくまとめました。人となりから名言、生涯、「目からうろこ」にまつわるエピソードまで詳しく解説しているので「パウロはどんな人?」と思うなら、さっそく読んでみてください。

パウロとは

パウロ

パウロはキリスト教における使徒の1人です。ギリシア名のパウロス,ヘブライ名のサウロと呼ばれることもあります。小アジア =現在のトルコのキリキア州タルスス生まれのユダヤ人です。

もともとは厳格な教育を受けてきたユダヤ教徒としてキリスト教を迫害していましたが、その後洗礼を受け(パウロの回心)、伝道につとめました。特に、異邦人=ユダヤ人以外の布教に力を入れ、小アジアやマケドニアへの大伝道旅行を数回行っています。

しかし、最後はユダヤ人の反感を買って投獄された上に、ローマ帝国第5代皇帝・ネロによる迫害を受け非業の死を遂げました。

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パウロの回心

パウロの回心

今でこそ、パウロはキリスト教における重要な人物の1人として位置づけられていますが、実は意外な過去を持っています。

パウロは元ユダヤ教徒(ファリサイ派)であり、キリスト教を迫害していました。キリスト教徒をユダヤ教における律法を無視する存在として敵視していたのです。しかし、あるとき「人が救われるのは、キリストを信じて一切をゆだねているからだ」という事実を悟り、キリスト教の伝道者となりました。

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よく聞くたとえ「目からうろこ」の由来となったパウロの回心エピソードの詳細を紹介します。パウロがダマスコの街に近づいた時、天からの光に照らされ地に倒れます。そして、イエスの声を聞きました。その後起き上がって目を開けましたが、なにも見えません。周囲の助けでダマスコにたどり着きますが、3日間目が見えないままで、飲み食いもしませんでした。そんな中、キリスト教徒のアナニアがイエスの声に従ってパウロを訪ね熱心に祈ると、目からうろこのようなものが落ちて元通りになります。

このパウロの回心のエピソードから、なんらかの出来事がきっかけになり、急に物事が理解できるようになることを「目からうろこが落ちる」とたとえるようになりました。

非ユダヤ人への宣教に貢献

パウロ

パウロは、キリスト教が民族の枠を超えた世界宗教へと発展するきっかけを作った人物でもあります。彼は、ギリシア語とヘブライ語を話せる上に、ローマ市民権を持っていました。これを武器に、パウロはマケドニアや小アジア(現在のトルコ・アナトリア半島のあたり)でも布教活動を精力的に行ったのです。

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具体的には、領内のシナゴーグ(ユダヤ教の礼拝堂)を拠点にし、バルナバやテモテ、マルコといった弟子や協力者と共に布教活動を行いました。ユダヤ人以外にも伝道が行えたのは、パウロの非常に大きな功績の1つです。他民族へ積極的に伝道を行ったという意味で、パウロを「異邦人の使徒」と呼ぶこともあります。

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皇帝ネロの迫害で殉教

パウロ

当初はユダヤ教徒だったものの回心し、キリスト教の伝導に生涯をささげたパウロでしたが、不本意な形でその生涯を終えることになります。ローマ帝国第5代皇帝のネロ・クラウディウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクスによる迫害で殉教します。世界史の知識がある人なら「暴君ネロ」といったほうがわかりやすいでしょう。

ネロは64年に起きたローマの大火(大規模火災)をキリスト教徒による放火と断定します。それに伴い、拘束したキリスト教徒を簡単な裁判で死刑にし、残虐な刑罰を下したのです。このときにパウロも殉教したと言われています。

ローマ教会初代教皇・ペテロとパウロ

パウロ ペテロ イエス

今回紹介しているパウロと同様、新約聖書において重要な人物の1人として位置づけられているのがペテロです。シモン、ケファとも呼ばれることがあります。

ガリラヤ(現在のイスラエル北部)の漁師だったものの、イエスに声をかけられ、最初の弟子になりました。史実的に実証できない部分も多いですが、皇帝ネロによる迫害を受け、紀元67年に殉教したと伝えられています。

アンティオキアでの対立

パウロとペテロをめぐる有名なエピソードの1つに、アンティオキアでの対立(衝突)があります。

新約聖書の「ガラテヤ人への手紙」に、詳しい経緯が載っているので紹介しましょう。背景から説明すると、当時のキリスト教は、今のような独立した宗教ではなく、どちらかといえばユダヤ教の一派としての性質が強いものでした。当時のユダヤ教においては、男子は一定の年齢に達すると割礼を行うのが一般的でした。しかし、ユダヤ教徒でない人=異邦人にはそのような習慣はありません。

このとき対立のもととなったのは、ペテロの行動です。ペテロは、アンティオキア教会に集まっていた異邦人の教徒とも一緒に食事をするなど、親しく接していました。しかし、ユダヤ教徒がやってくると、異邦人と一緒にいることを非難されたくなかったのか、彼らの目を気にしてペテロは離れていきました。

そのことを危惧したパウロが「福音を曲げようとしている」とペテロと討論するというのが大まかな一連の流れです。

パウロ ペテロ

ともにローマで殉教

ペテロとパウロはネロの迫害により、ともにローマで殉教したと考えられています。しかし、いつ殉教したのかに関して、正確なところは今でも判明していません。なお、キリスト教では聖人ごとに祝日が設けられています。一般的にはその聖人が亡くなった日=命日を祝日とする場合が多いようです。ペテロとパウロに関しては命日を特定できないものの、毎年6月29日(ユリウス暦を使用する正教会では7月12)日を「聖ペテロと聖パウロの祝日」としています。

パウロの思想

パウロ

パウロの宗教的・政治的思想についても触れておきましょう。まず、教会のリーダーは男性であるべきと主張していました。この主張の背景には、当時各地の教会で女性による問題が多発していたことがあるようです。また、結婚についても苦難を招くものの、性的誤りを無くすためには重要であると説いていました。

彼の思想は人間の無力さ、不完全さが根幹にあります。人間は無力かつ不完全なものであるため神の恩寵によってのみ救われるとし、その神の恩寵こそがイエスの死とパウロは考えたのです。

政治的思想については、受動的服従が大きな特徴として指摘できます。「権威に逆らう者は、神の定めに背くことになり、背く者は自分の身に裁きを招く」と、政治権力への服従を繰り返し述べていました。つまり、政治的権威も含め、この世の権威はそもそも神が決めるものであり、それに背くことは神に背くものであると考えたのです。

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新約聖書に収められている『パウロ書簡』

パウロ

新約聖書に収められている文書の一種に、パウロ書簡があります。文字通り、パウロが執筆したと聖書中に書かれている文書で、すべて書簡=手紙の形を取っているのが大きな特徴です。具体的には以下のものをさします。

  • ローマの信徒への手紙
  • コリントの信徒への手紙一
  • コリントの信徒への手紙二
  • ガラテヤの信徒への手紙
  • エフェソの信徒への手紙
  • フィリピの信徒への手紙
  • コロサイの信徒への手紙
  • テサロニケの信徒への手紙一
  • テサロニケの信徒への手紙二
  • テモテへの手紙一
  • テモテへの手紙二
  • テトスへの手紙
  • フィレモンへの手紙

ただし、以下の6つの書簡に関しては、真筆性(=パウロ本人が書いた可能性)が低いとされるか、判断が分かれているのが実情です。このため「第二パウロ書簡」や「疑似パウロ書簡」と呼ばれることがあります。

  • エフェソの信徒への手紙
  • テモテへの手紙一
  • テモテへの手紙二
  • テトスへの手紙
  • コロサイの信徒への手紙
  • テサロニケの信徒への手紙二

これらの書簡の中で、エフェソの信徒やガラテヤの信徒への手紙は、トルコにも深く関連しています。エフェソもガラテヤも現在のトルコに存在した一都市ですが、そこの教会で起きていた問題に対して、パウロが福音に立ち返った適切な運営をするよう説いた手紙として重要な意味を持つものだからです。

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パウロの名言

パウロ

パウロはさまざまな名言を残しています。キリスト教式(教会式)の結婚式ではよく読み上げられる「コリント人への手紙I 13:4〜8」もパウロの言葉です。その他の代表的な名言と合わせてご紹介します。

  • 愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。不義を喜ばないで真理を喜ぶ。そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。
    (コリント人への手紙I 13章:4〜7)
  • いつも喜んでいなさい。
    絶えず祈りなさい。
    すべての事について、感謝しなさい。
    (テサロニケの信徒への手紙一5章16~18)
  • わたしたちは、何ひとつ持たないでこの世にきた。また、何ひとつ持たないでこの世を去って行く。ただ衣食があれば、それで足れりとすべきである。
    (テモテへの手紙第一6章:7・8)
  • わたしは思う。今のこの時の苦しみは、やがてわたしたちに現されようとする栄光に比べると、言うに足りない。
    (ローマの信徒への手紙 8章18節)

出典:『口語訳 新約聖書』日本聖書教会

パウロはもともとユダヤ教徒であったものの後にキリスト教に回心したこともあり、暗殺や投獄の危険と戦いながら日々を過ごしていました。困難な日々の中でも自身の信念を貫き伝道につとめたパウロの温かい言葉は、今を生きる私たちにとっても何かの教えを授けてくれるでしょう。

映画『パウロ 愛と赦しの物語』

パウロを取り巻くエピソードは映画にもなっています。それが、2018年に公開された「パウロ〜愛と赦しの物語〜(原題Paul,Apostle of Christ)」です。この記事でも紹介した通り、ローマ皇帝ネロはローマ大火の原因をキリスト教徒による放火とし、パウロをその首謀者として投獄しました。

この映画では、投獄されたパウロを訪ねてきた医師・ルカがパウロの言葉を民衆に伝えるべく筆記していくエピソードがストーリーの軸になっています。ネロの迫害は激しさを増していくなか、ローマ軍に武力蜂起を企てるキリスト教徒に対し、愛を持って戦えと説くパウロの姿が胸を打つ作品です。

イギリスの俳優ジェームズ・フォークナーがパウロ役、同じくキリスト教を題材にした映画「パッション」でイエス・キリストを演じた俳優ジム・カビーゼルがルカを演じました。

トルコ国内にあるパウロゆかりの地

現在のトルコおよびその周辺地域には、パウロにゆかりのある土地が存在します。たとえば、キプロス(クプロ)のサラミス、デルベ、ルステラ、コンヤ(イコニオム)、デニズリ(ラオデキヤ、コロサイ)、ミレト、エフェソス(エペソ)などが非常に有名です。遺跡や資料館など、実際に訪れられるスポットがある場所を中心に紹介しましょう。

もっとも長く滞在した町「エフェソス」

エフェソス遺跡 エフェス トルコ

エフェソスは、トルコ西部の小アジアの古代都市です。現在のトルコ・セルチュク近郊にあたる場所で、エフェス、エペソと表記されることもあります。エフェソスはかつて、ローマ帝国のアジア州の首都であり、一大商業都市として栄えていました。その一方で、街中では道徳的・性的退廃も横行するなど問題も発生したのです。パウロはこのようなエフェソスの街にイエス・キリストの福音を伝えるべく、いくつかの教会に手紙を書きました。これが、新約聖書における「エフェソの信徒への手紙」です。

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パウロ宣教の拠点「アンタキヤ(アンティキオヤ)」

アンティオキア 洞窟協会

アンタキヤは現在のトルコ南東部・ハタイ県にある都市の1つです。トルコを代表する高原の1つ・アナトリア高原内にあり、かつてはアンティオキアと呼ばれていました。

アンタキヤはパウロとペテロが宣教の拠点とした場所として有名です。アンタキヤ正教会や聖ペテロの洞窟教会、ハタイ考古学博物館などキリスト教や宗教美術に興味がある人なら一度は訪れたいスポットが複数あります。ただし、現存するアンタキヤ正教会は2000年に復元されたものです。

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大勢のユダヤ人・ギリシャ人を導いた「イコニウム(コンヤ)」

コンヤ トルコ メヴラーナ博物館

パウロは生涯にわたり、複数回伝道旅行を行っています。初めての伝道旅行で訪れた地の1つがイコニウム(コンヤ)でした。内陸部アナトリア地方の主要都市の1つで、首都アンカラから電車で1時間ほどのところにあります。

パウロ一行はアンティオキアで伝道をしていたものの、ユダヤ人の妨害により移動せざるを得ませんでした。そこで向かったイコニウムで、パウロ一行は精力的に伝道を行い、大勢のユダヤ人やギリシア人が信仰に入ったと言われています。

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ヨーロッパ伝道の出発港「トロアス」

ダーダネルス海峡 チャナッカレ

トロアスは、現在のトルコ・チャナッカレ県に属するピガ半島を指す歴史的名称です。

かつてトロアスは、東ローマ帝国の首都候補にあがるほど、繁栄している街として知られていました。パウロはこの地を起点としてマケドニア(現在のギリシア)に向かっています。

きっかけは、トロアスでパウロが見た「マケドニアに渡って来て、私たちを助けてください!」と叫ぶマケドニア人の幻だったそうです。その後、パウロは伝道旅行の途中に立ち寄るのも含めて、複数回この地を訪れました。

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パウロの出身地「トルコ・タルスス」

パウロ記念教会 タルスス トルコ

トルコ・アンタルヤ地方の都市の1つ、タルススはパウロ生誕の地として知られています。古代ローマ帝国時代にはキリキア州の首都となるほど栄えるものの、何度も侵略を受け、破壊され、支配されてきた場所です。

このように、数奇な歴史をたどった場所でもあるため、市内にはみどころが沢山あります。

パウロ記念教会はもちろん、ヒッタイトの神殿、古代の教会、オスマン帝国時代のウル・ジャーミィ(モスク)やクバト帝の神学校など、宗教美術に興味がある人なら、一度は見ておきたいスポットも充実しています。自然を眺めてゆっくりしたい人にはタルスス滝もおすすめです。

木陰で滝の音を聞きながら午後のひとときを過ごすのは、旅先ならではの贅沢な時間の使い方でしょう。

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トルコにはキリスト教ゆかりの地がたくさん!聖地巡礼の旅をしてみませんか?

エフェソス遺跡 聖ヨハネ聖堂

今回紹介したパウロは、小アジア=現在のトルコを中心に伝道活動を行いました。新約聖書を読んだ上で、パウロゆかりの地をたどってみるのも、非常に興味深いトルコ旅行になりそうです。

そして、トルコにはパウロに関連するもの以外にも、ヨハネの黙示録の教会や聖母マリアの家など、キリスト教にゆかりの深い遺跡がたくさんあります。キリスト教や宗教美術に興味がある人なら、聖地巡礼目的の旅をしてみるのも、トルコ旅行の楽しみ方の1つになるでしょう。

なお、トルコ国内にあるキリスト教ゆかりの場所については、以下の記事でも詳しく解説しています。

キリスト教の宗派や教えとは?深い歴史や三大行事の意味など詳しく解説

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