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シャンルウルファとハラン観光の見どころは?アブラハムゆかりの聖地

更新日:2023.02.28

投稿日:2022.11.14

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トルコ シャンルウルファ

トルコにあるシャンルウルファとハランは、紀元前より多くの人と物が行き交った陸上交通の要衝となっていました。現在は、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教の信者や、アナトリアやメソポタミアの歴史に興味のある人たちが訪れています。シリアとの国境の近くにあり、日本から行くことがなかなか難しいため、この記事でイメージを膨らませてみてください

シャンルウルファとはどのような町?

シャンルウルファ トルコ アブラハム

シャンルウルファはトルコ南東部にある都市で、ウルファとも呼ばれています。新市街と旧市街に分かれており、旧市街には中庭を持つ伝統的なイスラムの住宅が建ち並び、昔にタイムスリップしたかのような雰囲気となっています。

シャンルウルファは古来メソポタミアとアナトリアの陸上交通の要衝として発展を遂げました。そのため、たびたびキリスト系勢力とイスラム系勢力によって街の支配権が争われた歴史があります。また、シャンルウルファは預言者アブラハムの生誕地とされ、アブラハムにまつわる建物が多く現存しています。

シャンルウルファ観光の見どころ

シャンルウルファ

シャンルウルファには預言者アブラハムや聖書にまつわる歴史的・宗教的な観光名所が数多くあります。また、シャンルウルファ郊外にあるギョベクリテペ遺跡は必見です。

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シャンルウルファ城

シャンルウルファの街を見下ろす丘の上にある城塞です。城壁からは360度のパノラマを見ることができます。紀元前15世紀頃のヒッタイト帝国時代に最初の城が造られました。現在見ることが出来る城壁は、9世紀のアッバース朝によって建設されています。城壁の上にある2本の巨大な石柱は、ローマ帝国時代の紀元前2世紀ごろのものです。

聖なる魚の池

シャンルウルファ

預言者アブラハムがアッシリア王に神への信仰を説きましたが、王はこれを受け入れずアブラハムを処刑することを決め、ウルファ城の崖の上から彼を炎の中に投げ落としました。すると炎は水に変わり、薪が魚に変わり、アブラハムが救われたという伝承があります。

現在も池には多くの魚が泳いでおり、魚に餌をあげる人たちが多く集まっています。池の反対側にあるのは、ルズワニイェ・ジャーミィで、1716年にオスマン帝国の官僚ルズワニイェによって建てられました。

アブラハムが生まれた洞窟

洞窟はシャンルウルファの中心部にあるモスクの広場にあります。入口で靴を脱いで室内に入り、さらに狭い部屋からガラス越しにアブラハム生誕の岩窟を見ることが出来ます。部屋の中にある蛇口から、洞窟に湧き出ている聖水をくむことができ、多くの信者が聖水を持ち帰ります。

ウル・ジャーミィ

シャンルウルファで最も古いと言われているモスクです。5世紀初頭のビザンツ時代に作られたキリスト教の聖堂を利用して、1170年にモスクへと改修されました。教会の壁や石柱はそのまま使われ、鐘楼はミナレットへと姿を変えました。モスクの中庭には古い日時計が置かれています。

シャンルウルファ考古学博物館

ギョベクリテペ遺跡 ウルファマン

2015年にオープンした博物館で、トルコでも指折りの大きさをほこる博物館です。ここにはシャンルウルファ周辺の遺跡で出土した貴重な遺物が展示されています。ギョベクリテペ遺跡の巨大石柱や、聖なる魚の池の近くで発見された世界最古の等身大石像と言われるウルファマンがこの博物館の目玉です。考古学博物館は、考古学公園やモザイク博物館がある複合施設となっています。

ギョベクリテペ遺跡

ギョベクリテペ遺跡 トルコ 世界遺産

シャンウルファの北東12㎞にある遺跡です。約1万年前の遺跡であることが判明し、後期旧石器時代の後半に高度な文明が存在していたことは、世界中で驚きのニュースとなりました。遺跡からは、様々な動物のレリーフが彫刻されたT字型の石柱が発掘されています。

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遺跡内に人が住んだ痕跡がないため、人類最古の宗教施設であると考えられています。現在も発掘調査が続けられており、今後も驚きの発見があるかもしれません。

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シャンルウルファの歴史

シャインウルファギョベクリテペ遺跡 トルコ

シャンウルファの近郊で、紀元前1万年頃の遺跡ギョベクリテペが発見されたことで、同じ時代にシャンルウルファにも集落が築かれていたと考えられています。紀元前2900年頃の初期青銅器時代には城壁都市となり、古代ウルファはアッカド帝国、新シュメール帝国、アッシリア帝国に征服されるまで、独立した都市国家として存続をしていました。

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その後ヒッタイト帝国の支配を受け、紀元前3世紀にマケドニア王国がこの地を征服します。近代的な都市の礎は紀元前304年にセレウコス1世によって作られ、マケドニアの古都にちなみエデッサと名付けられました。

2世紀後半にセレウコス朝が崩壊すると、アラブ民族のアブガル朝の首都となり、最終的には3世紀にローマ帝国の属州となりました。しかしローマ帝国の東の辺境に位置していたため、帝国の力が弱くなった時期にはたびたび他勢力の征服を受けました。ビザンツ、アラブ、アルメニア、トルコ勢力などによる支配が頻繁に入れ替わりました。

十字軍が権力を握り、1098年にウルファに最初の十字軍国家を建国し、この地域にキリスト教を普及させました。その後、アイユーブ朝、ルームセルジューク朝、白羊朝、サファヴィー朝などによる統治を経て、1516年にトルコのオスマン族によって征服されます。この時代は、綿、革、宝石の貿易の中心地として街は繁栄し、ユダヤ人のコミュニティーも作られていました。そして、19世紀には多くのアルメニア人がシャンルウルファで暮らしていました。

しかし、第一次世界大戦の間に、シャンルウルファに住んでいたアルメニア人やキリスト教徒のほとんどが殺されてしまいます。街はイギリス軍が占領し、そのあとフランス軍に引き継がれました。1920年にトルコの抵抗軍がフランス軍を追い払い独立し、トルコ共和国建国後はトルコの都市となりました。現在は宗教の聖地として多くの信者が訪れ、また、観光客も訪問する都市となっています。

ハランとはどのような村?

トルコ ハラン

ハランは歴史がある村で、モスクなどの遺跡の一部が残されています。また、ハラン村には円錐形をした屋根を持つ特徴的な家が建ち並んでいます。家は日干し煉瓦を積み上げて、土と泥で固められています。

とんがり帽子のような屋根は、真夏には50℃以上になる暑さを避けるための工夫で、太陽熱を最小限に受けるようにこの形となっています。現在は新しく作られた村に人々は移り住んでおり、ハラン村はかつての暮らしを伝えている観光箇所となっています。

ハランの歴史

ハラン トルコ

ハランが登場するのは紀元前3000年後期の青銅器時代で、粘土板に街の名前が書かれています。その時代にはハランは城壁を持つ都市国家として存在していました。アッカド帝国が台頭すると街は征服され、その後アッシリア帝国の支配下に入ります。アッシリア帝国時代には、主要な交易地の一つとして栄えました。

ハランはティグリス川とユーフラテス川に囲まれた場所にあり、それぞれの川を超えてアッシリアやバビロニアに容易にアクセスできました。また、ユーフラテス川の北部から、マラティアやアナトリア地方に向かう道路があり、ハランは陸上交通の交差路に位置していました。

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旧約聖書にハランの名前で登場する町が、現在のハラン村であると言われています。旧約聖書ではアブラハムが、カナンの地(現在のパレスチナ)を目指して旅をする途中に、ハランに立ち寄りこの街で暮らしました。そしてハランの人たちと共に約束の地カナンに向けて旅立つ記述があります。

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紀元前10世紀頃の碑文には、ハランは免税の特権を持っていたことがわかっています。その時代にはハランは商業の自由都市となっていました。しかし新アッシリア帝国が崩壊すると、バビロニア、アケメネス朝、セルジューク朝に支配され、紀元前331年にはマケドニアのアレクサンドロス大王によって征服されます。

アレクサンドロス大王が亡くなった後は、セレウコス朝やローマ帝国によって支配を受けます。ローマ皇帝のカラカラは、西暦217年にハラン近郊で暗殺されました。ビザンチン帝国による短い統治の後、640年にイスラム教徒のアラブ勢力によって征服されます。ヌマイル朝、アイユーブ朝と支配者が代わり、1260年代にモンゴル勢力によってハランは完全に破壊されました。

1516年にシャンルウルファと共にオスマン族によって征服され、その後、オスマン帝国そしてトルコ共和国の領土に組み込まれました。現在は特徴的な伝統家屋がある遺跡となっています。

ハラン観光の見どころ

ウルファ 遺跡

伝統的な家

日干し煉瓦と土で作られた「蜂の巣」の家です。蜂の巣箱に形が似ていることから、この名前が付けられています。夏の暑さが特に厳しいこの地域で、内部を涼しくするために、とんがり帽子のような屋根を持つ特徴的な形の家となりました。このデザインは、預言者アブラハムが住んだ時代から変わっていないと考えられています。1980年代までは実際に人が暮らしていましたが、現在は観光用の展示となっており、住民は近くにある新しい村で暮らしています。

グレートモスク

8世紀にウマイヤ朝のカリフであるメルヴァン2世によって作られました。アナトリア地域に建てられた最古のモスクです。107m×104mの床面積を持つモスクで、1980年代に行われた発掘によって発見をされました。中庭や噴水、ミナレットが発掘され、現在はミナレットの一部が残されています。

ハラン大学

グレートモスクに隣接するのが、イスラムの教えを学ぶための大学です。紀元前2000年頃の古代アッシリア時代に作られたと考察されており、この大学は特に西暦8世紀から10世紀にかけてイスラム学問の中心として栄えました。世界で最も古い高等教育機関であるとも言われています。

シャンルウルファとハランの場所と行き方

シャンルウルファとハランは、トルコ南東部のシリアとの国境近くにあります。シャンルウルファはシャンルウルファ県の県都となっています。イスタンブール空港から国内線で、シャンルウルファGAP空港まで約1時間45分です。そして、シャンルウルファGAP空港から新市街まで車で約40分です。ハランはシャンルウルファの街から南に44㎞の場所にあります。

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シャンルウルファとハランゆかりの預言者アブラハムとは?

アブラハム イサク

アブラハムは、ユダヤ教の始祖で、キリスト教の聖人であり、イスラム教の預言者です。シュメールのウルという町で生まれ、イスラム教の伝承によるとウルはシャンルウルファと言われています。紀元前2000年前後に活躍したと考えられていますが、正確な生年月日などは分かっていません。

聖書では、カナンの地(現在のパレスチナ)を目指し、シャンルウルファから家族と共に出発しましたが、途中の町ハランに住みつきました。父親の死後、アブラハムが75歳の時に神のお告げを受け、家族に加えハランの人たちと共にカナンを目指して旅立ちました。カナンに到着したアブラハムは神より土地を与えられましたが、飢饉に襲われたため、肥沃なエジプトへと避難をします。そこで妻のサライがエジプト王に気に入られ、多くの財宝を与えられました。

莫大な財産と共にカナンに戻ったアブラハムと家族は、そこで再び神からの預言を受け、子供がいなかった彼が子宝に恵まれるようになると言われました。妻のサライの勧めで、彼女の身の回りの世話をするハガルを妾とし、すぐに息子イシュマエルを授かりました。また、100歳の時にサライとの間にイサクが生まれました。そして妻サライが亡くなった後に後妻をもらい、多くの子供をもうけました。アブラハムは175歳で亡くなり、息子のイシュマエルとイサクによって埋葬されました。

ユダヤ教ではイサクの子供ヤコブが始祖とされ、ユダヤ人が誕生しました。また、イスラム教ではイシュマエルの子孫たちがアラブ人になったとされています。シャンルウルファは、それぞれの宗教の信者にとって聖地となっており、また、アブラハムという名前は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教社会で一般的な男性の名前となっています。

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