トルコの豆知識・お役立ち情報

ストラボンとは?『地理誌』で知られる古代ローマ時代の学者の生涯や功績を紹介

更新日:2023.04.05

投稿日:2022.08.15

Views: 874

ストラボン

学校で世界史を履修していた人は、古代ローマ時代の知識人としてストラボンの記述を見かけたことがあるのではないでしょうか。ただし、彼が地理学者という点を除いては、その生涯や人物像、歴史的功績などを詳細に学ぶ機会があった人は少ないと思います。

今回は、地理分野以外に、歴史家や哲学者としての顔を持つストラボンの生涯や実績を辿る一方、彼の生まれ故郷、トルコ・アマスヤのおすすめ観光スポットも紹介していきます。

ストラボンとは

ストラボン

ストラボンは小アジアで生まれたギリシア人の地理学者・歴史家です。生涯のうち、特にローマとエジプトのアレクサンドリアで長く過ごしたほか、イタリアやギリシア方面など世界各地を旅して見聞を広げました。

特に、彼が編纂した17巻からなる「地理誌」は、地理と歴史を関連させて論じた古代史の貴重な資料として高い評価を確立しています。また、哲学や弁論にも傾倒し、複数の知識人に師事しましたが、最終的にはストア派の哲学者に転じました。

イスタンブール
  • 人気ランキング【第1位】
  • 特別全額キャンセルサポートで安心
  • 4名から19名限定・バスは1人2席
  • ビジネスクラスも格安プランでご用意
トルコツアーキャンペーン!
燃油サーチャージ込み!全観光・全食事付
旅行代金 339,800円~
羽田発・イスタンブール海峡クルーズと世界遺産歴訪トルコ9日間
直行便トルコ航空指定!
 
  
 
10th year

ストラボンの生涯

ストラボンの生涯は、哲学などの学問に打ち込んだ30代半ば頃までと、各地を巡った体験を活かし、2冊の書をまとめ上げた壮年期の2つに大まかに分けられます。

現トルコ北部で裕福な家庭に生まれる

アマスヤ トルコ

ストラボンは紀元前64年頃、現トルコ北部の都市アマスヤに当たる、ポントゥス王国のアマセイヤにて誕生しました。当時、第3次ミトリダテス戦争中のポントゥス王国は、ストラボン誕生とほぼ時を同じくして、ポンペイウスの率いる軍に敗れ、共和制ローマの支配下に入っています。

両親ともにポントゥスの名家出身という裕福な家庭で育ったストラボンは、若かりし頃は、古代都市ニサ(現トルコのアイドゥン県スルタンヒサル)でアリストデモスに師事して古典ギリシアの教育や弁論を学びました。

そして、20歳を迎えた紀元前44年には、さらに学問を深める志を胸にローマへと渡ります。

熱心に学問の道を歩む

ローマの地を踏んだストラボンは、当初、ローマの政治家キケロの講師も務めたテュラニオンなどからアリストテレス派の哲学や地理を学んでいました。

しかし、ローマ初代皇帝アウグスティヌスの家庭教師であり、友人関係にあったアテノドロスの影響で、ストア派哲学に転じたと伝えられています。

こうしてストラボンは、紀元前31年、33歳までローマに留まり、哲学の思索を深めながら歴史書の著述などを進めたそうです。

動乱の歴史を歩んだローマ帝国の成り立ちから滅亡までをわかりやすく解説!

当時の西洋世界を旅して回る

エーゲ海

ストラボンは30代半ば以降、ローマ帝国が治めた地域の大部分およびその近隣を旅で巡り、各地の地形・気候・特産物について独自の洞察を重ねました。

紀元前29年にはギリシアのコリントスへ向かう途中にエーゲ海のギュアロス島へ上陸、その3~4年後には、エジプトのナイル川をフィラエまで航海するなど、西はトスカーナ地方、最南部はエチオピア付近まで壮大なスケールの旅を敢行したのです。

2冊の書を書き上げる

世界を巡る旅が一段落した壮年期には、ストラボンは歴史的な功績と評価されている2冊の書を書き上げました。1つは、ポリュビオス(古代ギリシアの歴史家)の『歴史』の続きを意図した、全47巻の『歴史(Historika Hypomnemata)』。

もう1つは、科学的地誌の手本とさえ称される、全17巻にまとめられた『地理誌(Geographumena)』です。

エジプト滞在後に著述に取り組んだと見られる地理誌は、一時中断後の紀元後14年には再開し、最終的に21年頃完成させたのではと推察されています。

故郷で生涯を閉じる

アマスヤ トルコ

ストラボンは生誕の地、小アジアのアマセイヤで晩年を過ごし、紀元後23年頃に生涯を閉じた説が有力です。知識人として当時誰よりも多くの地を周ったストラボンが、最終的に生まれ故郷に安住したのは、何か運命的な縁を感じずにはいられません。

イスタンブール
  • 人気ランキング【第1位】
  • 特別全額キャンセルサポートで安心
  • 4名から19名限定・バスは1人2席
  • ビジネスクラスも格安プランでご用意
トルコツアーキャンペーン!
燃油サーチャージ込み!全観光・全食事付
旅行代金 339,800円~
羽田発・イスタンブール海峡クルーズと世界遺産歴訪トルコ9日間
直行便トルコ航空指定!
 
  
 
10th year

ストラボンが書き上げた2冊の書

ストラボン最大の功績とされ、後世に伝わるという点では一部明暗を分ける結果となった2冊の書、「歴史」と「地理誌」について紹介しましょう。

歴史を書きとめた『歴史』

『歴史(Historika Hypomnemata)』は、ポリュビオスの歴史書に続く時期、紀元前146年のカルタゴ滅亡から、カエサルの死去やアクティウムの海戦までを書きとめた網羅的な歴史叙述です。

あいにく、ほとんどが失われて現存しませんが、同じくストラボンの著作物「地理誌」内の引用を通して、47巻にわたる作品の一部を確認できます。

地理の百科事典『地理誌』

全17巻の『地理誌(Geographumena)』は、当時の西洋世界に関する全領域の地誌を結集した書物で、散逸した『歴史』とは違い、現存する古代史史料としても高い希少価値を有しています。

ストラボン以前のギリシア色の強い地理誌は、自然地理や天文学寄りの視点に立脚していましたが、本著は地理と歴史の関連性を柱に、各地の伝承や神話を取り入れて編纂されているのが特色です。

地理誌内では、ギリシア・ローマ時代の著名な文献も多数引用されており、現存しない作品の詳細を知るうえでも重要な役目を果たしてくれます。

ストラボンの故郷アマセイヤ

アマスヤ 岩窟墳墓 トルコ

ストラボンの生まれたアマセイヤは、トルコ黒海地方に位置する都市で現在は「アマスヤ」と呼ばれています。市街地中心部を貫くイェシル川沿いは見事な峡谷が形成され、古代より要塞の街として栄えた面影を今も色濃く残しています。

黒海の魅力!トルコなど沿岸国のグルメや観光地、日本との関係は?

大国ローマと争ったポントゥス王国の王都として栄えたほか、オスマン帝国時代は学芸の中心地となり、支配者の地位に就く多数の皇族たちがこの地で学びました。

オスマン帝国はなぜ600年以上も続いたのか?栄光と滅亡の歴史と強さの秘密

注目の観光スポットは、古代史ロマンとアマスヤ特有の風土を同時に堪能できる岩窟墳墓です。川沿いの街並みの背後に浮かぶ、石灰岩を掘って絶壁に構築された墳墓は、無意識に目を奪われてしまうほどの圧倒的な存在感を有します。

墳墓にはポントゥス王国歴代の王が眠っており、断崖を繰り抜いた通路を経由すれば、お墓の本体前まで登れるようになっています。さらに、墳墓側から一望できる、アマスヤの街並みと峡谷の織り成すコントラストも絶景です。

続いて、ハゼランラル コナウは、イェシル川沿いの北側にある18世紀に建てられた古民家です。美しい白壁を特徴とする木造民家は、トルコの伝統的な建築様式で知られ、建物内は民族博物館として18世紀当時の生活空間が再現されています。博物館周辺も同様の建築様式が立ち並び、アマスヤならではの美しい風景に魅了されるでしょう。

各時代に強国が栄えたトルコの歴史的遺物に興味があれば、アマスヤ博物館がおすすめです。ヒッタイト、ローマ、オスマン朝時代の貴重品がメインに揃い、ミイラや棺など古代史ロマンをかきたてる展示品とも対面ができます。

ストラボンの故郷アマスヤへ当時の遺跡を見に訪れませんか?

ストラボン

アマスヤは、ストラボンの故郷であり、世界各地を旅した彼自身が晩年を過ごす地に選んだゆかりの深い街でもあります。

そして、奇しくもアマスヤは、ストラボン誕生と同時期にローマと戦火を交えたポントゥス王国の都であり、その王族の眠る雄大な墳墓が築かれた場所です。また、オスマン帝国時代に盛んに建てられたマドラサ(神学校)が、当時のままの姿で旅行者を迎え入れてくれます。

古代西洋史きっての旅人が、最初と最後に暮らす運命に導かれたアマスヤ、旅好き・歴史好きの皆さんなら1度は訪れずにはいられないでしょう。

イスタンブール
  • 人気ランキング【第1位】
  • 特別全額キャンセルサポートで安心
  • 4名から19名限定・バスは1人2席
  • ビジネスクラスも格安プランでご用意
トルコツアーキャンペーン!
燃油サーチャージ込み!全観光・全食事付
旅行代金 339,800円~
羽田発・イスタンブール海峡クルーズと世界遺産歴訪トルコ9日間
直行便トルコ航空指定!
 
  
 
10th year
  • SHARE
  • ico_facebook
  • ico_twitter