スレイマニエ・モスクとは?トルコ・イスタンブールにそびえ立つオスマン帝国最高の建築
更新日:2023.02.28
投稿日:2022.07.15
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イスタンブール旧市街の小高い丘にそびえ立つ壮大なモスクが、オスマン帝国の最高傑作といわれる「スレイマニエ・モスク」です。帝国最盛期において皇帝スレイマン1世の指令により、トルコ史上最高の建築家ミマール・シナンが7年の歳月をかけて完成させた傑作とされています。
スレイマニエ・モスクの基本情報や、建築家ミマール・シナンが手がけた建物の見どころを一挙紹介します。
Contents
スレイマニエ・モスクとは|特徴・観光情報まとめ
「スレイマニエ・モスク」は、オスマン帝国を最盛期に導いた皇帝(スルタン)であるスレイマン1世の指令により、帝国史上最高の建築家ミマール・シナンの手によって造られた壮大なモスクです。皇帝自身の名が冠せられていることからも、建築物としての重要性が伝わります。
名称 | スレイマニエ・モスク(英語:Suleymaniye Mosque) |
---|---|
トルコ語名称 | スレイマニイェ・ジャーミー(Süleymaniye Camii) |
着工 | 1550年6月13日 |
完成 | 1557年6月7日 |
使用開始日 | 1557年10月15日 |
建設指示者 | 第10代皇帝スレイマン1世 |
建築家 | ミマール・シナン |
スレイマニエにあるのは、モスクだけではありません。霊廟やマドラサ(高等教育機関)、図書館、医療機関、初等教育機関、ハマム(大衆浴場)、宿舎、公共厨房、墓地など計15の施設が併設された壮大な複合施設群(キュッリエ)となっており、総合して「スレイマニエ・キュッリエスィ(Süleymaniye Külliyesi)」とも呼ばれています。
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オスマン帝国時代に造られた複合施設群キュッリエの中で、ファティ・モスクがあるファティ・キュッリエスィに次ぐ大きさとなっています。
スレイマニエ・モスクは、オスマン帝国最盛期の皇帝と最高の建築家により作り上げられましたが、豪華絢爛というわけではありません。建築家ミマール・シナンは建築そのものに絶対的な自信を持っていたため、飾る必要がなかったのです。装飾に頼らない自然な建築物であるため、人を惹き付ける温かみを持つ点が特徴となっています。
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世界遺産にも早々に登録
スレイマニエ・モスクは、ブルーモスクやアヤソフィア、トプカプ宮殿などとともに「イスタンブール歴史地域」の一つとして、1985年にユネスコ世界文化遺産に登録されました。
1975年に世界遺産リスト登録が始まってからわずか10年後であり、早々に登録されたという点でも世界的に価値の高い歴史的遺産です。
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スレイマニエ・モスク|観光情報
スレイマニエ・モスクの観光情報は以下のとおりです。
名称 | スレイマニエ・ジャーミー(Süleymaniye Camii) |
---|---|
住所 | Süleymaniye, Prof. Sıddık Sami Onar Cd. No:1, Fatih/İstanbul -Turkey |
定休日 | なし |
開館時間 | 09:00~18:00 (礼拝の時間を除く) |
入場料 | 無料 |
服装 | ・男女ともに露出の多い服装は不可。 ・女性はスカーフの着用必須。ショールの貸し出しは無いため、準備が必要。 ・モスク内は土足禁止のため、靴袋持参を推奨。 |
写真撮影 | ・内部での写真撮影は可能。ただしフラッシュは禁止。 ・宗教施設であるため、礼拝中の方やムスリム女性を被写体にするのは避けること。 |
ユネスコ世界遺産ページ:https://whc.unesco.org/en/list/356
スレイマニエ・モスク|場所と行き方
スレイマニエ・モスクは、イスタンブールの旧市街に位置しています。地下鉄・トラム(路面電車)それぞれのアクセス方法は以下のとおりです。
地下鉄 | 地下鉄メトロ「Vezneciler(ヴェズネジェル)駅」で降車後、北側Suleymaniye通りをまっすぐ700m。徒歩約9分。 |
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トラム | トラムT1線「Laleli(ラーレリ)駅」で降車後、道を渡りイスタンブール大学の左横を約1km。徒歩約13分。 |
ここがすごい!スレイマニエ・モスクの特徴と見どころ
スレイマニエ・モスクの建物には、いたるところに建築家ミマール・シナンの知恵と工夫が施されています。ミマール・シナンが持つ建築技術の結集ともいえるこのモスクには、16世紀当時における驚異の技術が詰まっているのです。
スレイマニエ・モスク観光をより深く楽しむための見どころを紹介します。
大空間を作り出すメインの「大ドーム」
クッベ(Kubbe)と呼ばれる中央上部の壮大なドームは、高さ53m、直径27.5mときわめて大きく、前と後ろに2つの半円型副ドームを伴っている点が特徴です。
ドーム建設時には大きさだけでなく、音響システムにも工夫がなされました。モスク内全体に説教が聞こえるよう、音が一点からモスクの隅々まで均等に分配される音響システムを作り上げたのです。
音響システムの実現に役立ったのが、アナトリア地域でトルコのピクルス”トゥルシュ“を作るために使われる土甕です。空の土甕65個(250個ともいわれる)を、大ドームの周りの壁に逆さに設置し、土甕同士を卵白で接着させたのです。
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音響が綿密に計算されて作られたスレイマニエ・モスクでは、ドームの天辺をスピーカーのように使い、音が空間で3.5秒保たれるというすばらしい環境が実現されました。
土甕の使用は音響だけでなく、ドームの重さを軽減するのにも役立ったとされています。
ドームの音響を水たばこで試した!
モスクは厳粛で静かな空間ではありますが、説教や礼拝の際に全体に音を届けることは、簡単ではありませんでした。
建築家ミマール・シナンは、スレイマニエ・モスクのドームの音響を試すため、水たばこを使いました。もちろんモスク内で水たばこの喫煙はできないため、中身は水だけです。
水たばこを吸った際に出るボコボコという音がドームに到達し、モスク全体に均等に分散されるかどうかを確認したといわれています。
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アヤソフィアの欠点を克服した「大支柱」
スレイマニエ・モスクの巨大なメインドームは、30トンの大きな支柱4本で支えられています。
ビザンツ建築の傑作である大聖堂アヤソフィアは、当時のバシリカ様式から進化した大ドームを2つの副ドームが支える構造で建てられました。しかし、副ドームを支える4本の支柱が露見しており、景観を損なっていました。
建築家ミマール・シナンは、スレイマニエでも大ドームと2つの副ドームという構造を採用しますが、4本の支柱を壁の中に埋め込むことで、アヤソフィアの欠点を克服したのです。
ちなみに、4本の支柱はイスラームの四大カリフ(イスラム国家の最高権威者)を表しています。
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オスマン帝国時代には見台が置かれ、学者たちはクルアーンの解釈、イスラーム法、ハディース、神秘主義について一般の人々に講義したといわれています。
モスク内部の柱と窓へのこだわり
モスク内に入れば、室内が意外と明るいことに気づくでしょう。
モスク内すべての窓・ステンドグラスは計238枚にもなり、大ドームの側面にも32枚の窓が設置されているため、陽光が内部に注ぎ明るい空間が生み出されているのです。とくにチューリップやカーネーションなど、デザインの美しいステンドグラスが目を引きます。
また、大きな花崗岩で作られた4本の柱は、実は1本はエジプトのアレクサンドリア、もう1本はレバノンのバールベック、残りの2本はイスタンブールのクズタシュ (Kıztaşı)とサラユ・アミレ(Saray-ı Amire)からわざわざ持ち運ばれたことが知られています。
宝石のミナレットも!そびえ立つ「4本のミナレット」
モスクの中庭には、礼拝の呼び掛け「アザーン」を行うための尖塔「ミナレット」があります。高さ76mで3つのバルコニーが付いたものが2本、高さ56mで2つのバルコニーが付いたものが2本の計4本です。
ミナレットの本数「計4本」とバルコニーの数「計10個」には、意味が隠されています。
スレイマニエ・モスクの建設を命じたスレイマン1世は、コンスタンティノープルを陥落して首都とした皇帝メフメト2世から数えて4代目の皇帝でした。そのため、ミナレットの本数は4本となっています。
また、バルコニーが合計で10個あることは、スレイマン1世がオスマン帝国第10代皇帝であることを表しているのです。
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宝石のミナレットのおはなし
モスク左側の3つのバルコニー付きのミナレットに陽が当たると、ほかの塔よりも明るく輝いていることがわかります。実は、このミナレットには逸話があるのです。
建築家ミマール・シナンはモスク建設の際、大ドームをすぐに作り上げるのではなく、地盤と基礎がしっかりと固まって落ち着くまで時間をとりました。しかし、世間では「ドームが巨大で重いからなかなか作れずにいる」「こんな大きなドームが崩れずにちゃんと建てられるのか」などといった噂や疑問の声が聞かれました。
噂がイランのサファヴィー朝のシャーにまで伝わったときには、「イスタンブールに大きなモスクを建て始めたオスマン帝国は、国庫が底をついたため建設を中断した」という内容になっていたのです。
オスマン帝国のライバルだったイランのシャーは、オスマン帝国の危機をチャンスと捉えました。友好を示すために大使を派遣し、貴重な宝石がたくさん入った宝箱を「モスク建設が続行できるように」と皇帝スレイマン1世に届けたのです。
名誉を傷つけられたスレイマン1世は激怒し、建築家シナンにただちにモスクを完成させるよう命じました。さらに「宝石などモスクの石に比べたら全く価値のないものだ」と言い、送られたエメラルドやルビー、ダイヤモンドなどの宝石を粉砕し、建設途中であったミナレットの石膏に混ぜることにしたのです。
陽の光に当たるとキラキラ光ることから、“宝石”を意味する「ジェヴァヒル」のミナレットと呼ばれるようになりました。
自然の空気の流れを利用!発達した通気技術
当時のモスク内部では、多数のオイルランプが使われていました。そのため、ランプから発生する煤(すす)の処理という問題がありました。
建築家シナンは、モスク内の煤が一か所に集まって煙突から出ていくよう空気の流れを計算し、自然の換気・通気システムを作ったのです。
実際、スレイマニエ・モスク内には275個のランプに加え、ミフラーブ(聖龕)の両脇に巨大な蝋燭2本があり、大量の煤が発生していました。換気システムがなければ、すぐにモスク内のドームが煤で真っ黒になっていたのです。
設計時点で煤の流れを計算していたという事実から、建築家シナンの優秀さが伝わります。
煤(すす)を再利用!「煤の部屋」
内部から空気の流れで集められた煤(すす)は、正面入り口上部の4つの穴から「煤部屋」に収集されていました。しかし、ただ煤を集めるだけではなく、この煤でインクを作って再利用していたのです。
集められた煤で作られたインクは高品質だったため、国の最重要事項や勅令などを書き記す際に使われていたとされています。煤から作られるインクは耐久性がきわめて高く、書き直したり消したりできないことから、とても重宝されました。
モスクに「ダチョウの卵」?!
スレイマニエ・モスク内のランプの間には、絵付けされたダチョウの卵が吊り下がっています。蜘蛛や小さい虫がダチョウの卵を避けることに気づいたシナンは、モスク内に蜘蛛の巣が張るのを防ぐため、ダチョウの卵を吊り下げたのです。
ダチョウの卵は綺麗な乾燥した空気のもとでは、水分が減って腐ります。その際、人間にはわからない臭いが発生し、蜘蛛や虫を遠ざけるのです。卵の臭いは、60~70平方メートル範囲にまで効力があるといわれています。
建築家ミマール・シナンがスレイマニエ・モスクで採用したダチョウの卵は、その後多くのモスクや生活の場でも使われるようになりました。
スレイマニエで見逃せない3つの霊廟!
スレイマニエの敷地内には、皇帝スレイマン1世、皇后ヒュッレム・スルタン、そして建築家ミマール・シナンという3人の霊廟があります。
皇帝スレイマン1世の霊廟
モスクの東側には、スレイマニエ・モスクの建設を命じた皇帝スレイマン1世の霊廟があります。
1566年、スレイマン1世がハンガリー遠征中に73歳で病死した後、跡を継いだ息子のセリム2世が建築家ミマール・シナンに作らせた霊廟です。イスタンブールに運ばれたスレイマン1世の遺体は、この霊廟に埋葬されました。
八角形の形をした霊廟の内部は、16世紀に造られた特別なタイルで飾られています。また、壁や天井も色とりどりで、ステンドグラスからは陽光が注ぐ明るい空間となっています。
霊廟の入口上部には、聖地メッカのカーバ神殿にしかない、貴重な石の破片が飾られている点にも注目です。
霊廟の真ん中にスレイマン1世、その横には皇女ミフリマー・スルタン、アフメット2世、スレイマン2世など計7つの石棺が並んで置かれています。
皇后ヒュッレム・スルタンの霊廟
スレイマン1世の正妃ヒュッレム・スルタンの霊廟も、スレイマン1世の霊廟の隣に建てられています。ヒュッレム・スルタンは、スレイマン1世よりも早い1558年に亡くなっており、悲しんだスレイマン1世が建築家ミマール・シナンに霊廟を建てさせました。
外は八角形、中は六角形の造りになっており、内部の壁の下半分はタイルで覆われています。植物のモチーフが描かれたタイルには、ターコイズ色や紺色のほか、トルコのタイルではほかに見られない黒色が使われている点が特徴です。
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ミマール・シナンの霊廟
モスクから金閣湾を向いた北側、外庭の塀から向かい側の角には、白い大理石でできたシンプルで小さな「ミマール・シナンの霊廟」が存在します。
建築家シナンは亡くなる前年に自身で霊廟を作り、1588年にイスタンブールで亡くなった後、同霊廟に埋葬されました。オスマン帝国史上最高の建築家と呼ばれたミマール・シナンの最期の建築ともいえるでしょう。
スレイマニエ・モスクの歴史
ここでは、スレイマニエ・モスク着工当時からの歴史を紹介します。
1550年6月13日、オスマン帝国の最高宗教権威者シェイヒュルイスラーム・エブッスード・エフェンディが、スレイマン1世の命でモスクの正面となるミフラーブと呼ばれる場所に最初の一石を置き、着工となりました。
1557年10月15日、帝国の高官たちが一堂に揃った式典において、皇帝スレイマン1世が建築家ミマール・シナンに鍵を渡しました。皇帝の“Ya Fettah”の一声とともに鍵が開けられ、スレイマニエ・モスクはその日から本日まで460年以上ずっと扉が開かれたままとなっています。
1660年には火災の被害を受けますが、当時の第19代皇帝メフメト4世により修復されました。
20世紀初頭の第一次世界大戦の際には中庭が馬具と武器の倉庫として使用されたほか、その後も一度火災の被害に見舞われましたが、1956年にワクフ(慈善団体)によって修復されました。
スレイマニエ・モスクを造らせた「スレイマン1世」
スレイマニエ・モスクの建設を命じたのは、壮麗帝・立法帝と呼ばれたオスマン帝国第10代皇帝スレイマン1世です。オスマン帝国の領土をヨーロッパ大陸・アジア大陸・アフリカ大陸の3大陸に渡って拡大し、帝国を最盛期に導いた偉大な皇帝でした。
皇后は、帝国で初めて奴隷の身分から正妃となり、ハレムで女人政治を始めたヒュッレム・スルタンです。
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スレイマニエ・モスクは、財力・権力・権威といったすべての頂点であったスレイマン1世が広い領土内各地から材料を集めさせて作った、まさに時の権力の象徴ともいえるモスクでもあります。
スレイマン1世とは?オスマン帝国で最も有名なスルタンの生涯と功績
スレイマニエ・モスクを設計した「ミマール・シナン」
オスマン帝国史上最高の建築家ミマール・シナンについて紹介します。実は、ミマール・シナンの「ミマール」は名前ではありません。“建築家”を意味するトルコ語なので、「ミマール・シナン」は「建築家シナン」を意味するのです。
シナンは1490年、現カイセリ(トルコ中央部)の北西の小さな町にてギリシャ系(またはアルメニア系)キリスト教徒の家庭に生まれました。父は石職人であったため、シナンは父のもとで手伝いをしながら建築に関する基礎知識を学びました。
デヴシルメ制度(非イスラム教徒の徴兵制度)でイスタンブールに徴兵され、教育を受けたシナンは才覚を発揮し、建築士として帝国先鋭軍隊イェニチェリの一員となりました。従軍しながら各地を回ったことで、建築士としての経験に加え、さまざまな建築物を目にする機会に恵まれました。また、進軍に必要な橋やガレー船などをつくり、帝国軍の戦勝に貢献したといわれています。
昇進を重ねたシナンは、1539年に49歳で帝国の建築造営長官に就任します。そして1588年に約100歳で亡くなるまで、彼は約50年にわたって帝国建築造営長官を務め、375にものぼる建物を帝国各地に建設しました。
また100歳近くまで長生きしたシナンは、スレイマン1世の父セリム1世、スレイマン1世、息子のセリム2世、孫ムラト3世と4人の皇帝に仕えた人物でもあります。
ミマール・シナン自らが傑作としたスレイマニエ・モスク
ミマール・シナンは、長い建築家としての自身の生涯を見習い・職人・親方の三つの時代に分け、それぞれの時代において自身が傑作と称賛する建物を1つ選びました。シナンが称賛した3つの傑作のうち、2つが現在世界遺産に登録されています。
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見習い時代の傑作は、イスタンブールにある「シェフザーデ・モスク」です。シナンが50代の頃、幼くして亡くなったスレイマン1世の皇子のために造った最初の大モスクです。
職人時代の傑作は、同じくイスタンブールにあり、本記事で紹介している世界文化遺産「スレイマニエ・モスク」です。70歳の頃に完成させた、シナンの持つ技術が駆使された建築物となっています。
親方時代の傑作は、エディルネにある世界文化遺産「セリミエ・モスク」です。シナンが86歳の頃に完成した、大ドームを持つモスクとなっています。
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シナンの建築物は460年以上たった今でも世界的に評価される、まさに傑作だといえるでしょう。
実はイスタンブールには、ほかにもミマール・シナンによる建築物が数えきれないほど存在します。代表的な建物とその地域は以下のとおりです。
- ミフリマー・スルタン・モスク(イスタンブール/ウスキュダルとファーティの2か所)
- リュステムパシャ・モスク(イスタンブール/エミノニュ地区)
- ヒュッレム・スルタン・ハマム(イスタンブール/スルタンアフメット地区)
- チェンベルリタシュ・ハマム(イスタンブール/グランドバザール近く)
- クルチ・アリ・パシャ・モスク(イスタンブール/トプハーネ地区)
労力・建設費用はどのくらい?
スレイマニエ・モスクにかかった費用は、5,900万アクチェ(オスマン帝国の銀貨の単位)または70万ドゥカート(中世の金貨の単位)、さらに使用した金3,200kgを合わせ、現在の価値では200憶円以上とされています。
7年間にわたる建設作業には3,523人の職人、約20,000人の労働者が参加したといわれており、夏場の一日の労働者数は2,000人に達していたとされています。
職人のうちイスラム教徒は1,713人だったため、意外にもキリスト教徒の方がわずかに多かったようです。バルカン半島など領土内から職人が集められたことが要因とされています。
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スレイマニエ・モスクからの絶景
小高い丘の上に立つスレイマニエ・キュッリエスィの北の金閣湾側からは、新市街やボスポラス海峡、マルマラ海、金閣湾、アジア側まで見渡せるまさに絶景が広がっています。写真スポットとしても人気が高いため、スレイマニエに訪れた際はぜひ景色を楽しんでみてください。
スレイマニエ・モスクが綺麗に見えるおすすめスポット
スレイマニエ・モスクは遮るものがない小高い丘にそびえ立っているため、遠くからでもそのシルエットが完璧に見えます。しかし、せっかくならモスク全体をきれいに見たいという方は多いでしょう。
スレイマニエ・モスクが綺麗に見えるおすすめスポットを3か所紹介します。
おすすめスポット①中庭へ入る正面門
中庭へ入る正面門からはモスクを見上げる形になりますが、空の青とモスクのコントラストが迫力満点なため見逃せないスポットとなっています。
おすすめスポット②金閣湾の対岸
金閣湾の対岸の新市街側からは、夕日と並ぶスレイマニエ・モスクの息をのむほど美しいシルエットが堪能できます。
また、金閣湾の対岸のカラキョイは散歩エリアとなっています。魚介系レストランも並んでいるため、食事しながら景色を眺めるのもおすすめです。海岸沿いには座れるフリースペースもあるため、屋台でサバサンドを買い、頬張りながらスレイマニエ・モスクを眺めてみてはいかがでしょうか。
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おすすめスポット③ガラタ橋
ガラタ橋からは、スレイマニエ・モスクに加えて、丘の下に同じくシナンが造ったルステムパシャ・モスク、エミノニュの賑わい、サバサンドの屋台船、金閣湾を同時に眺められます。イスタンブール観光では絶対に見逃せないおすすめスポットだといえるでしょう。
ガラタ橋の下にはカフェやレストランもあるため、ぜひチャイやトルココーヒーを飲みながらスレイマニエの景色を眺めてみて下さい。
スレイマニエ・モスクの見どころ・歴史まとめ
本記事では、トルコ・イスタンブールにあるオスマン帝国史上最高の建築物ともいわれるスレイマニエ・モスクを紹介しました。建築を命じた皇帝スレイマン1世や最高の建築家ミマール・シナンらによる歴史を理解したうえで訪問すれば、より深く楽しめることは間違いないでしょう。
イスタンブール観光の際にはぜひ足を運んでみてください。
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