トラブゾン観光ガイド!断崖絶壁に建つ「スメラ修道院」は必見
更新日:2023.04.05
投稿日:2022.11.14
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トルコ東部の黒海沿岸にある「トラブゾン」という都市を知っていますか?日本のツアーに含まれていることはあまりないので、馴染みのない場所かもしれません。
トラブゾンはトルコ有数の長い歴史を持つ都市で、その歴史は紀元前にまで遡ります。現在では黒海沿岸を代表する工業都市になり、トルコ東北部の経済の中心を担う重要な港湾都市になっています。
トラブゾンは隣国ジョージアの国境にも近いことから、通過点として多くの旅行者が訪れていますが、実は知らないと損する観光スポットがあります。
ここでは、実は見どころが満載なトラブゾンの魅力などを紹介していきます。
Contents
トラブゾンはこんなところ!
「トラブゾン(Trabzon)」は黒海沿岸にある、人口約80万を抱える黒海地方第3の都市です。町は黒海の海岸線近くまで迫る山々の斜面に張り付くように築かれています。黒海に面した港湾都市であるトラブゾンは、交易都市としても栄えてきました。
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トラブゾンの近郊の町「マチカ(Maçka)」には断崖絶壁にある修道院として有名な「スメラ修道院」があり、また隣国のジョージアとの国境も近いことから多くの旅行者が訪れる町でもあります。
トルコはサッカーが盛んな国としても知られていますが、トラブゾンには、トラブゾンを本拠地とするサッカークラブ「トラブゾンスポル」があります。トラブゾンスポルはイスタンブールを本拠地とする3つのクラブ(ビッグ3)に次ぐ、トルコ第4のクラブとなっています。
ちなみに、かつてイスタンブールのクラブチームに長友佑都選手と香川真司選手が在籍していました。
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トラブゾンの町の名前の由来
トラブゾンはその時代時代で町の名前が変わっており、古代には「トラペズス」、中世には「トレビゾンド」や「トラペズンダ」とも呼ばれていました。これらを経て、現在の「トラブゾン(Trabzon)」という名前になりました。
町の名前はトラブゾン特有の砦丘の地形からギリシャ語でお皿を意味する「トラペザ(Trapezos)」に由来していると言われています。
トラブゾンの治安は?
トラブゾンは治安が比較的良いと言えます。日本と比べるとスリや置き引きといった軽犯罪に遭う可能性はあるため、「貴重品は肌身離さず持ち歩く」「夜は人通りの少ない場所に行かない」といった海外旅行における基本的な対策は心がけましょう。
トラブゾンへのアクセス
「トラブゾン(Trabzon)」は、トルコ東部の黒海沿岸にあり、イスタンブールからは約1,100km、アンカラからも800km近く離れた場所にあります。
トラブゾンの町には空港があるので、イスタンブールやアンカラから国内線を利用して行くことができます。所要時間は1時間20分~40分ほどです。1日に数便の運航があります。
トラブゾンの空港は町の中心部から幹線道路沿いに東へ6kmの場所にあります。空港から中心部まではドルムシュ(乗合ミニバス)を利用するのが便利で、料金は2,50TLほどです。タクシーの場合は、片道25~30TLほどになります。
トラブゾンのおすすめ観光スポット
トラブゾンの観光スポットのほとんどは中心街に位置しています。各所はさほど離れていないので徒歩での観光も可能です。交通機関を利用する場合はドルムシュ(乗合バス)が交通手段となります。
観光スポットは数多くあるわけではありませんが、せっかくトラブゾンに来たら訪れたい代表的な名所を紹介します。
アヤソフィア・ジャーミィ(アヤソフィア博物館)
町の中心「メイダン公園(Meydan Parkı)」から西へ約3kmの場所に黒海を背にして建つ「アヤソフィア・ジャーミィ」があります。中央には高いドームがあり、その前後左右に屋根が延びる内接十字形という形をした典型的なビザンツ様式の建造物です。
アヤソフィア・ジャーミィは元々、教会として5世紀に建立されました。トラブゾンでは最古の教会となります。13世紀にはマヌエル1世の命で大改修が行なわれましたが、オスマン帝国時代以降はモスクとして使用されるようになりました。
その後、1960年までモスクとして使用され続けてきましたが、1964年からは博物館として公開されるようになりました。しかし、2013年6月からは再びモスクとして使用されるようになり現在に至っています。
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このアヤソフィア・ジャーミィの最大の見どころが岩壁に残るフレスコ画で、内壁にはビザンツ美術の傑作とされるフレスコ画があり、最後の晩餐、聖母マリアなど、聖書の場面が描かれています。
建物の西側には高い鐘楼がありますが、これは1427年に完成したものになります。アヤソフィア・ジャーミィは高台にあるので、黒海を眺めることもできますよ。
名称 | アヤソフィア・ジャーミィ(Ayasofya Camii) |
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住所 | Ortahisar, Fatih /Trabzon, トルコ |
開館時間 | 8:15~18:45(冬期は16:45) |
休館日 | なし |
入場料 | なし |
オルタヒサル(トラブゾン城塞)
坂の多いトラブゾンの町を取り囲むようにして城塞がありますが、これは14世紀にトレビゾンド帝国の皇帝アレクシオス2世の時代に建てられた城塞になります。「オルタヒサル(Ortahisar)」とはトルコ語で、「中央の砦」という意味があります。
オルタヒサルは現在、廃城となっており城壁の一部だけが残る状態ですが、色鮮やかな外壁の伝統家屋も多く残っており、見ごたえは十分あります。
オルタヒサルには自由に登ることができ、城壁上はトラブゾンの街並みと黒海の風景を眺めることができる絶景ポイントです。オルタヒサルに登る際は、手すり等はないので十分に気を付けて下さい。
ボズテペ
トラブゾンの山側の丘の上にある「ボズデペ(Boztepe)公園」は、黒海をバックにレンガ色の屋根が連なるトラブゾンの街並みが一望できる絶景スポットとなっています。ボズデペ公園から、沈む夕陽や夜景を楽しむこともできます。
展望カフェもあるので、景色を眺めながらのんびり過ごすのもおすすめです。
アタテュルク博物館(アタテュルク邸)
アタテュルク博物館は、トルコ共和国の初代大統領アタテュルクが滞在した邸宅で、現在は博物館として公開されています。建物は元々、1890年にとある銀行家の別荘として建てられました。ヨーロッパのルネサンス建築の影響を受けた造りとなっています。
アタテュルクはこの別荘をとても気に入っており、銀行家が別荘を手放した際に、トラブゾン市がアタテュルクに敬意を表して献上し、以降アタテュルクはトラブゾンを訪れた際はこの邸宅に滞在していました。
その後の1943年に邸宅は博物館へと改築され、一般公開されるようになりました。博物館には、アタテュルクの所持品やアタテュルクの生涯とトラブゾン訪問時の写真、トラブゾン訪問時のスピーチの全文などが飾られています。他にも、アタテュルクが休んでいたアームチェアやソファもそのまま残されています。
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また、邸宅の美しい外観と素晴らしい庭園も見どころです。
ガイドブックに載っていないのであまり知られていない場所ですが、現在もトルコ国民に愛されているトルコの建国の父アタテュルク所縁の場所は一見の価値ありです。アタテュルク博物館は、市内中心部からは車で約10分の場所にあります。
名称 | アタテュルク博物館(Atatürk Köşkü) |
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住所 | Soğuksu, Ata Cd. No:1, 61040 Ortahisar/Trabzon, トルコ |
開館時間 | 8:00~19:00(冬期は17:00) |
休館日 | なし |
入場料 | 10TL |
トラブゾンと言えばココ!スメラ(スュメラ)修道院
トラブゾンの中心地から南へ約54kmの場所に、断崖絶壁にある修道院として広く知られている「スメラ(スュメラ)修道院」があります。トラブゾンを訪れる人のほとんどはスメラ修道院が目的と言ってもいいほど、トラブゾンを訪れたら欠かすことの出来ない観光スポットです。
スメラ修道院は、岩山に貼り付いているようにして造られたキリスト教の修道院で、標高1,200m、川から300mも切り立った垂直の岩壁の途中、人里離れた所にあります。トルコ人にさえ「夢の地」と言われるような場所です。
このような場所となったのには、異教徒からの迫害に逃れるためという理由もあり、現にイスラム勢力に追われたキリスト教徒が隠れ住んでいた場所でもあったとされています。
スメラ修道院の歴史
スメラ修道院は4世紀に創設されました。当初は岩の割れ目を祈りの場としていましたが次第に拡張され、現在ある建物は14世紀の建造で、6階建て全72室となっています。その後も何度か改修が行なわれてきました。岩山にあるこの造りはカパッドキアの建築様式にも似ています。
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スメラ修道院はオスマン帝国、ロシアの支配下にあっても、キリスト教徒が暮らす特別なエリアとして存続していました。しかし、1923年のトルコ共和国の成立によって事実上の閉鎖となり、ギリシャとの住民交換によって修道院で暮らすキリスト教徒はいなくなりました。
最後の1人となった修道士が修道院を立ち去る際に貴重な品々を持ち出し、そして持ち出した後に「イスラム教徒の手に落ちるよりは」と考え、修道院の数か所を爆破したそうです。
この時に修道士が持ち出した品々の中には、1世紀に聖ルカが書いたとされるとても貴重な、世界最古の「聖母マリアのイコン(肖像画)」もありました。
このイコンは現在、ギリシャ北部マケドニアの国境に近い山の中にある教会に安置されています。
スメラ(Sümera)の由来
スメラの名の由来には諸説あります。ギリシャ語で黒や暗闇を意味する「メラス」に由来している説や、修道院の正式名「パナギア・トゥ・メラス(Panaghia tou melas)」のtの発音がしにくかった住民がsの発音になって“スメラ”となった、という説などです。
フレスコ画の中のひとつには、顔が黒い聖母マリアのフレスコ画がありますが、これはこの修道院の名前に由来する「黒」に関係していると言われています。
スメラ修道院の見どころ
スメラ修道院はその外観も見事ですが、建物の内外の壁面に数多く残るフレスコ画もスメラ修道院の見どころです。洞窟教会の天井や内壁、外壁に現在も残るフレスコ画は4世紀から脈々と描かれ、聖書に基づいた内容となっており、色鮮やかなのも特徴的です。
洞窟教会の内部にある代表的なフレスコ画には「幼少のキリスト」、「聖母マリアとキリスト」、「コムネノス王朝の肖像」、「玉座のマリアと天使」、「キリストの誕生」、「東方からの3人の賢者」などがあります。
壁面には残念ながら落書きも多くありますが、落書きの中にはギリシャ語で「1803」と書かれた200年以上も前に書かれたものと思われる落書きもあります。
スメラ修道院を訪れるには、岩壁の間の狭い道を30分ほど登らなければなりません。体力も多少必要ですが、その見事な外観とフレスコ画の数々、そして、高地にある修道院から見下ろす渓谷の風景などは是非とも体感したい場所です。
トラブゾンからはミニバスを利用して行くことができ、所要時間は片道1時間半ほどです。また、バス会社主催のツアーもあります。
名称 | スメラ修道院(Sümera Manastırı) |
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住所 | Altındere, 61750 Maçka/Trabzon, トルコ |
開館時間 | 9:00~19:00(冬期は16:00) ※入場は閉館時間の1時間前まで |
休館日 | なし |
入場料 | 10TL |
公式サイト | https://muze.gov.tr/muze-detay?SectionId=SML01&DistId=MRK |
トラブゾンの名物グルメ
トラブゾンは黒海沿岸ということもあって魚類が充実していますが、中でも「ハムシ(Hamsi)」(片口イワシ)が黒海東部地方の特産品として知られています。
トラブゾンといったら“ハムシ”と言えるほどハムシが名物で、ハムシを使った料理がトラブゾンの名物料理となっています。
ハムシ料理にはハムシを揚げた「ハムシ・タヴァ」や「ハムシピラフ」があり、ハムシピラフは耐熱皿にピラフを入れたらその上にハムシを並べてオーブンで焼き上げていて、その見た目はまるでケーキのようにも見えます。
ハムシの旬は11月下旬~3月上旬頃までになります。そのため、地元の人はハムシを1年通して食べられるように、瓶につめてオイルと塩で保存したりもしています。
この期間にトラブゾンを訪れる機会があったら、是非名物のハムシ料理も食べてみてはいかがですか?
トラブゾンの歴史
トラブゾンの町の歴史はとても古く、紀元前8世紀のギリシャ植民時代まで遡ります。ギリシャ人によって交易都市として建設されたトラブゾンは、ポントス王国、ローマ帝国の支配下において繁栄していきます。特に、ペルシャやメソポタミアへの通商路の起点として重要な都市でした。
しかし、258年にゴート人によって町全体が破壊されると町は衰退していき、その後はビザンツ帝国の地方都市となり、中世にはテマ(軍管区制)・カルディアスの首府としてポントス地方の中心都市となりました。
13世紀、第4回十字軍によってコンスタンティノープルが占領されると、ビザンツ帝国のアンドロニコス1世コムネノスの孫のアレクシオスがトラブゾンに逃れ、1204年にトラブゾンを首都とした「トレビゾント帝国」を建国しました。
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13~15世紀のアナトリアは群雄割拠のような状態でしたが、その中でトレビゾンド帝国は巧みに生き抜いていました。
黒海東岸の隣国のジョージア王国とは共に正教会国家として友好関係を結び協力し合い、1453年にオスマン帝国によってコンスタンティノープルが陥落した後も、軍事力が強大な南のアクコユンル朝と友好関係を結び、カラマン君候国とも同盟を組むなどして抵抗を続けてきました。
しかし、オスマン帝国の圧力は日増しに強くなり、1461年にトレビゾンド帝国はオスマン帝国のメフメト2世によって滅ぼされ、滅亡してしまいました。ほどなくして、カラマン君候国もアクコユンル朝もオスマン帝国の軍門に下り、アナトリアは統一されました。
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トラブゾンは13世紀にトレビゾント帝国の中心地であったことから、数多くのビザンツ美術も残されています。また、ペルシャ、ローマ、ビザンツ、オスマンなど様々な帝国の支配を受けてきたことから、その歴史を建造物に垣間見ることができます。
トラブゾン付近のチャイの名産地「リゼ(Rize)」
トラブゾンから東に75kmの場所には「リゼ(Rize)」という町があります。このリゼの町は、トルコでよく飲まれているチャイ(紅茶)の産地として有名な町です。
紅茶をよく飲む国として浮かぶのはほとんどの人がイギリスだと思いますが、実はトルコでは紅茶(チャイ)がかなり多く飲まれており、なんとトルコは紅茶の消費量が世界で1位なんです!
また、紅茶の生産量も年間20万トン以上と、世界有数の紅茶生産国でもあります。その中で特に有名な紅茶の産地が「リゼ」で、トルコの茶葉の75%はリゼ県で生産されています。
リゼで茶葉の生産が始まったのは1930年代でした。町の名前のリゼはギリシャ語で「山の斜面」という意味があり、リゼはお茶の栽培に適した地形でした。その後、政府の手厚い保護の下、茶葉を生産する農家が増え始めました。
時間があったら少し足を延ばして、本場リゼの紅茶を飲んでみてはいかがですか?トルコの紅茶は日本ではなかなか見かけないので、お土産にもおすすめですよ!
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更新日:2023.11.29
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