トルコが誇る世界遺産 トロイ

西洋史を変えた!?実在した神話都市・トロイの歴史と芸術的価値を徹底解説

更新日:2023.04.05

投稿日:2022.09.16

Views: 1953

トロイの木馬 トルコ アナトリア

トロイア戦争の舞台として知られているトロイ遺跡。今でこそトルコを代表する世界遺産の1ですがかつては神話上の都市とみなされていたことをご存じでしょうか。

伝説と思われていたトロイはシュリーマンの発掘により実在の都市であった可能性が指摘されると、西洋史を変える重要な場所として注目を集めるようになったのです。今回は、そんな伝説の都市トロイの魅力を、歴史や芸術的価値とともに解説します。

歴史的要所!伝説が残る古代都市・トロイとは

トロイ 戦争 絵画

トルコ北西部の人気観光スポットであるトロイ遺跡は、ダーダネルス海峡の南側から5kmほどのヒサルルクの丘にあります。イリオス遺跡やトロイア遺跡とも呼ばれ、ギリシャ神話「トロイア戦争」の舞台として有名です。

トロイは数千年にわたって繁栄した歴史的に重要な都市で、西洋史や芸術に大きな影響を与えてきました。1998年にはその歴史的価値が認められ、世界遺産に登録されました。

周辺には、先史時代・ヘレニズム・ギリシャ・ローマ・オスマン帝国と数千年もの集落や墓、記念碑などが多く見つかっており、トロイ遺跡は考古学上でもとても重要なスポット。そのため現在はトルコ政府によって保護されています。

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文学・芸術の舞台になった伝説の古代都市

トロイア戦争

トロイを世界的に有名にしたのが「トロイア戦争」です。かつて、この戦いはギリシャ神話の1つの物語として、口承形式で伝えられていました。

紀元前8世紀頃には古代ギリシャの詩人・ホメロスにより、トロイア戦争をテーマにした長編叙事詩『イリアス』と『オデュッセイア』が作られました。両叙事詩は文章化され、ギリシャ最古の文学作品として、現在に至るまで、2000年以上にわたり芸術作品全般に大きな影響を与えています。

例えば、紀元前1世紀に活躍した古代ローマの詩人・ウェルギリウスは、『アエネーイス』を執筆。トルコの英雄アイネアスが主人公の物語で、ホメロスの作品を意識して作られています。

そのほか、トロイア戦争やイリアスの内容を題材に、数々の絵画や彫刻、文学作品などが作られてきました。現代でも、音楽や映画、ゲームなど幅広い分野でインスピレーション与え続けています

トロイア戦争とは?古代ギリシャの叙事詩で語られる出来事は史実だったのか?

謎に包まれていた古代史を解明するカギ

アガメムノン

トロイは、西洋の古代史にも大きな影響を与えた重要な都市でもあります。というのも、実はトロイが発掘されるまで、古代の人々の生活様式は解明されていませんでした

しかしトロイ遺跡の発掘と調査が進むにつれ、トロイの周辺には8,000年も昔から人が住んでいたことが発覚。紀元前2500年頃のレンガ造りの家屋や石垣、神殿や井戸の跡など、世界最古のものとされる跡が多数発見され、それまで謎に包まれていた西洋の古代史を、2,000年ほど長く遡ることが可能になったのです。

またアジアとヨーロッパの中間に位置するため、ギリシャやエーゲ海で発展した文明とアナトリアやアジア地方の文明の接触の様子も残っていることから、古代西洋文明の発展や継承を研究・理解するうえでも重要な役割を担っています

またトロイ遺跡は復元作業や観光開発があまり進んでいなかったため信ぴょう性が高いという面も。それでは考古学的価値が高い史跡からトロイの歴史を順にみていきましょう。

トロイはどんな都市だった?紀元前から中世まで、トロイ4000年の歴史

何世紀にもわたる長い歴史を誇るトロイ。当時はエーゲ海に面しており、発見された陶器や建築物の跡から、アナトリア文明の影響を受けた都市だったと考えられています。

ヨーロッパとアジアを隔てるダーダネルス海峡のすぐ南、スカマンダ川の河口に位置していたため、海陸両面での交通の要所、軍事面での要衝でもありました。当時の帆船はダーダネルス海峡を渡る際に、トロイの周辺で待機し航海に適した風を待ったといわれています。

そんなトロイは、青銅器時代にエーゲ海周辺における重要な都市の1つとなり、ギリシャのミケーネ文明やアナトリアのヒッタイト帝国が栄えたのとほぼ同時代に最盛期を迎えます。

このような歴史から、トロイ遺跡はエーゲ海周辺やアナトリア、ヨーロッパにおける文明発展の様子を理解するのに役立つのです。

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地層からみるトロイの年表

トロイ遺跡 トルコ 世界遺産

トロイは紀元前3000年頃に小さな集落として誕生しました。、青銅石器時代から中世までの約4000年の間、トロイの人々は地震や火事、戦争などで街を破壊される度、残骸の上に新たな都市を再建してきました。

そのため、トロイ遺跡は9つの層から成り立っています。地層ごとに異なった特徴があり、それぞれ当時の居住者や支配者、文明発展の様子が見て取れます。

1層目 紀元前3000年~2500年 トロイの中で最も古い層。1層目~5層目までは初期青銅器時代にあたる。
2層目 紀元前2500~2250年 都市は1層目の2倍の大きさを誇った。当時の宝石やアジアとの貿易を示唆する素材が見つかる。
3層目
4層目
5層目
紀元前2250~2100年
紀元前2100~2000年
紀元前2000~1750年
発掘が困難な時代。都市の大きさは2層目よりも小さく、集落は密集していた。
6層目 紀元前1750~1300年 レンガで作った城壁・監視塔があった。遺跡で最もよく見られる時代で、ホメロスのトロイ戦争で包囲された都市である可能性が最も高いとされる。
7層目 紀元前1300~950年 建築的・芸術的な質は下がるものの、家屋が密集していることや、食料を貯蔵するための工夫などがみられる。
8層目 紀元前950~85年 ギリシャ時代に入り、イリオンと呼ばれるようになる。ペルシャ王クセルクセスはギリシャを侵略する前にこの地を訪れた。
9層目 紀元前85~西暦500年 ローマ時代に入り、イリウムと呼ばれるようになる。コンスタンチノープルの建国(324年)後、徐々に衰退。
1870年 トロイ遺跡が発掘される。

1~5層:初期青銅石器時代(紀元前3000年~紀元前1750年)

トロイ遺跡 トルコ 世界遺産

1~5層は初期青銅石器時代、紀元前3000年~紀元前1750年頃に相当します。

トロイの歴史は小さな集落として始まり、トローアス地方の首都として発展。ギリシャやエーゲ海の島々、アナトリアやアジアなど、外国との貿易により繫栄しました。王族の住む城塞の外に農民たちが住んでおり、危険が迫ると住民たちも城塞内に避難していたと考えられています。

1層目:トロイは小さな集落から始まった

1層目は、紀元前3000年頃~紀元前2500年頃までの時代。直径90メートルにも満たない小さな集落のような状態で、石垣に囲まれていました。基礎部分を石で、上部を泥レンガで造った長方形の家屋が20棟ほど建っていたようです。

この層からは黒い陶器や銅でできた加工品などが見つかりました。エーゲ海の島々やアナトリア北部と一致する特徴を持つ土器や金属もあり、すでに他の地域との交易を行っていたことがわかっています。

2層目:後世に残る宝石の数々…この時代で最も繫栄していた時期

2層目は、紀元前2500~紀元前2250年頃のものです。都市の大きさは約2倍になり、防御壁といえる傾斜のついた石垣はより高くなりました。

高所には、石壁で覆われた宮殿があり、王や王族が住んでいたと考えられています。一方低所には街が作られており、その外観にも進歩の跡が。宮殿は、前室や炉を備えた長方形のメガロン様式で建てられていました。

この時代のトロイは、貿易や商業によって都市としてさらに発展し、ギリシャやエーゲ海方面だけでなく、アジア地方との交易が行われていました。
この層からは「プリアモスの財宝」と呼ばれる財宝が発見され、この時代の繁栄ぶり、また住民たちが高度な加工技術を有していたこともわかっています。

しかし、2層都市は貿易が減少したために衰退し、ついには火災により焼失してしまいました。ちなみに、トロイを発掘したシュリーマンは2層都市をホメロスが描いたトロイであると推測しました、その後の発掘調査から実際は異なる時代だと考えられています。

3~5層目:外交はしていたものの、やや都市は衰退気味に

3層目は紀元前2250年~紀元前2100年頃、4層目は紀元前2100年~紀元前2000年頃、5層目は紀元前2000年~紀元前1750年頃のものです。

城壁は2層目の時代のものがそのまま利用され、さらに大きく要塞化。城壁内の家は以前より小さくなり、密集して建てられました。

3~5層の時代のトロイは衰退気味でしたが、外国との接触は続いていたようです。アナトリアの影響を受けたかまどや、ミノス(クレタ)島の器などが見つかっています。

しかし、これらの地層は初期の発掘で雑に掘り進められたため、発掘の記録も残っていません。そのため情報が少なく、復元が最も困難な時代です。

6~7層:青銅器時代中期・後期

トロイの陥落 トロイア戦争

青銅石器時代(紀元前3000年~紀元前1200年頃)の中後期頃(紀元前1900年〜紀元前1100年頃)にあたるのが6~7層。具体的には、紀元前1750年以降と考えられています。

この時代のトロイは強固な城壁や監視塔を建設し、都市の防御により力を入れるようになりました。高台に城塞があり、南側に街が広がっており、ホメロスが描いたトロイは、この時代のものだったといわれています。

6層目:神話「トロイア戦争」の起源となった時代!?人口も多い繁栄期

6層目は紀元前1750年~紀元前1300年頃。この時代のトロイは、神話上の神々ポセイドンとアポロンによって造られたとも言い伝えられる強固な城壁で守り固められていました。

厚さ5m高さ9mの城壁は10mずつずらすことで角をなくし、曲線を描きながら都市を囲っており、周囲の平野や海を見張るための塔もありました。城塞の南側にあった居住区の大きさに関しては諸説があるものの、都市全体の規模はさらに大きくなり、人口は1万人にまで増加。高官たちの家は、1階部分に窓のない要塞のような造りだったようです。

また、数々の出土品から、毛織物産業が盛んであったことや、馬を使用していたことがわかっています。クレタ島やキプロス、ミケーネなど他国の影響を受けた陶器も発見されました。ヒッタイトの影響も受けていたようです。

青銅製の矢じりや投石器、そして火災の痕跡も見られ、この時代には何らかの紛争があったとも考えられています。ある説ではトロイをめぐり、ミケーネとヒッタイトが対立したともいわれていますが、最終的には略奪ではなく、紀元前1300年頃に起こった地震により破壊されました。

7層目:下層都市部の面積は広がるも、建築・芸術面は低下

7層目は紀元前1300年~紀元前950年頃。大地震の後、すぐに同じ居住者たちにより城壁が修復されました。そして、城壁内の空いていたスペースに、多くの家屋が密集して建てられます。

家々には、地下に埋め込まれた巨大な貯蔵用の壺が備え付けられていた跡があり、長期間の包囲に耐えるための準備がされていたと考えられています。

実際に壊滅的な火災・略奪に見舞われた痕跡が見られ、この層から見つかったミケーネとの交易品が少ないことを踏まえると、ミケーネからの攻撃を受けていたのかもしれません。

そのためこの戦争こそが、ホメロスの叙事詩イリアスで歌われたトロイア戦争だと有力視されています。細かな年代に関しては諸説があるものの、紀元前12世紀~紀元前13世紀の間に起こった可能性が高いようです。

いずれにせよ、街は戦いで壊滅、そして部分的に再建されます。その後ミケーネとの交易が再開され都市の規模は拡大しましたが、建築や芸術などに関する居住者の文化レベルは低下。手製の陶器を使っていた跡が見つかっています。

そして紀元前950年頃に起こった火災により、再び都市は焼失しました。

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8層:ヘレニズム時代、ギリシャが占領しイリウスと呼ばれるトロイ

ヘクトール

8層目は紀元前950年~紀元前85年頃です。

人が住んでいた痕跡はあるものの、大きな発展はないままヘレニズム時代に突入。もともとの住民たちに加え、アイオリス系ギリシャ人が移住し始めます。

以前の城壁はそのまま利用され、ギリシャ式の建物が建てられるようになりました。そして「イリウス」と呼ばれるようになったトロイには、歴史上に名を連ねる王たちが訪れるように。

歴史家・ヘロドトスによれば、ペルシャ王クセルクセスはギリシャ侵攻の前にこの地を訪れ、1,000頭以上の牛を捧げたようです。また、アレキサンダー大王も紀元前334年の東方遠征に際し、この地に眠る英雄アキレウスの墓やアテナ神殿を訪れています。

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その後、アレキサンダー大王の意志を受け継いだリュシマコスにより、ドーリア式(古代ギリシャの建築様式の1つ)のアテナ神殿が完成。要塞も新しくされました。

この時代は、紀元前85年にローマ軍の攻撃を受け、幕を閉じます。

9層:ローマ帝国がイリオスを奪還。復興するもローマの終焉と共にトロイは衰退へ

トロイ遺跡 トルコ 世界遺産

9層は紀元前85年から西暦500年頃の時代。ローマ軍の攻撃を受けた後、ローマの支配下で都市はすぐに再建されました。

実は、自らをトルコの英雄アイネアスの子孫であると信じていたローマ人は、この地を「イリオス」と呼び高く評価していたのです。紀元前20年には、初代ローマ皇帝・アウグストゥスがイリオスを訪れています。

そして、アウグストゥスや14代ローマ皇帝・ハドリアヌスなどにより、さまざまな公共施設が建設されました。現在でも、アゴラと呼ばれた公共広場や劇場、評議会が行われていた議事堂などのローマ式都市の跡を見学できます

コンスタンティヌス帝の時代には、イリオスを新行政首都とする計画も立てられましたが、結局コンスタンティノープル(現・イスタンブール)が選ばれます。その後、港が沈下したこともあり、かつて繫栄したトロイの地は徐々に衰退。西暦500年頃に連続して発生した地震によりついに廃墟となり、忘れ去られてしまいます。

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西洋史を揺るがす大発見!トロイを発掘したのは神話を信じた考古学者

シュリーマン

トロイは、約1,500年もの間発掘されることなく忘れ去られていました。ホメロスやヘロドトスなどが言及していたことからおおよその位置は知られていたものの、なかなか発見には至らず…。神話上の架空の都市であるとさえいわれていました。

そのような状況下で、ドイツ人実業家ハインリッヒ・シュリーマンが、トロイ遺跡の発掘をはじめます。イリアスやオデュッセイアを読んで育った彼はトロイの存在を信じており、発掘することが長年の夢だったのです。

彼はまずより南の地域で発掘作業を行ったものの、成果が得られませんでした。そして1870年に、それよりも50年ほど前にチャールズ・マクラーレンがトロイの可能性を指摘していたヒサルルクの丘の調査を開始します。

その結果、翌1871年に都市遺構を発見。1873年には数々の宝や装飾品が見つかり、ついにこの都市がトロイア王国であると発表したのです。

シュリーマンのこの発見は、神話と史実の関係性を裏付け、西洋史をより深く理解するのに役立つ大発見でした。しかし、初期の発掘における不手際により重要な箇所が失われているため、確証は困難に…。現在では9つの層のより正確な年代測定が可能になり、発掘・研究が続けられています。

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トロイア戦争って?神話のなかのトロイ

トロイア戦争

ギリシャ神話のトロイア戦争とは、トロイとギリシャ連合軍による10年にわたる長い戦争です。トロイの王子パリスが、スパルタ王の美しい妻ヘレネーを誘惑し連れ去ったことがきっかけで戦争が起きました。この裏には、増えすぎた人口を減らそうという、最高神ゼウスの思惑が働いていたともいわれています。

10万人以上のギリシャ連合軍をまとめる総大将は、スパルタ王メネラオスの兄でミケーネ王であったアガメムノン。アキレウスやオデュッセウスなどの英雄たちも活躍しました。対するトルコ側は、パリスの兄ヘクトルが総大将を務め、アイネアスなどと共に懸命に抵抗します。さらに、アテーナーやアポロンなどのオリンポスの神々が両派に分かれ、積極的に戦争に介入しました。

トロイは長期間にわたる包囲に耐え続けますが、最終的にはギリシャ軍が巨大な木馬の中に隠れてトロイの城門内へ侵入。都市に火を放ち、ついにトロイは陥落してしまいました。

ちなみにホメロスのイリアスでは、このトロイ戦争の10年目の51日間のエピソードがアキレウスを主人公に描かれています

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トロイア戦争を舞台にした映画「トロイ」

2004年公開のハリウッド映画。イリアスがもとになっているものの神々は登場せず、トロイア戦争を人間のドラマとして描いています。

アキレスをブラッド・ピット、トロイ王子パリスをオーランド・ブルーム、パリスの兄ヘクトルをエリック・バナが演じるなど豪華俳優陣の共演も見どころの1つ。アキレスとヘクトルの一騎打ちや木馬作戦など、有名なシーンも登場します。歴史映画としても、エンターテインメントとしても楽しめる大作です。

戦いで失われた?!「トロイアの財宝」

アガメムノンのマスク

シュリーマンは、トロイの発掘作業中に数々の財宝を見つけました。金の指輪や髪飾りなどの装飾品、銀の花瓶や青銅製の武器など、約8,000点にのぼる品々です。それらの財宝は、ホメロスの叙事詩で言及されているトロイ王の名前にちなんで「プリアモスの財宝」と呼ばれるようになりました。

シュリーマンはそれらの財宝を無断でギリシャへ運び出します。その後フランスやロシア、ドイツなどへと渡りましたが、1945年の第二次世界大戦以降は行方不明に…。

現在は、一部はイスタンブール考古学博物館で、残りはモスクワのプーシキン美術館などで展示されています。

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トロイの木馬が出迎える!トロイ遺跡に行こう

トロイ遺跡 トルコ 世界遺産

トルコ北西部に位置するトロイ遺跡は、イスタンブールから車とフェリーで5~6時間ほど。拠点となるチャナッカレからは車で30分ほどでアクセスできます。

ちなみにチャナッカレは、レトロな街並みや海沿いの風景が魅力的な小さな町です。2022年3月には、ダーダネルス海峡にかかる世界最長のつり橋が開通しました。周辺には、軍事面における要衝としての歴史に触れられるスポットや、美しいビーチリゾートなどもあります。

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遺跡以外にも見どころがたくさん!

トロイ遺跡のメインは9層に及ぶ古代の都市遺構ですが、見どころはそれだけではありません。代表的な2つのおすすめポイントを紹介します。

木馬

トロイ遺跡の入口には、トロイア戦争においてギリシャ軍に勝利をもたらした木馬のレプリカが置かれています。木馬が実在した証拠は残っていないため正確な姿は再現できないものの、実際に内部に入り、当時のギリシャ兵の気分が味わえます。

チャナッカレには映画「トロイ」で使われた木馬が設置されているため、両方を見比べてみるとよいでしょう。チャナッカレの木馬は内部に入れませんが、どちらも人気の撮影ポイントです。

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博物館

トロイ博物館 トルコ

2018年にはトロイ遺跡の隣にトロイ博物館がオープン。欧州最優秀美術館賞を受賞するなど、世界的に高く評価されている博物館です。

館内には、世界各地に散っていたものも含め、約2,000点の出土品が集められました。また、絶世の美女とうたわれるヘレネーが所持していた、24個の金の装飾品も見られます。

さらに、最新のテクノロジーを駆使して歴史が解説されています。博物館をあわせて見学することで、トロイ遺跡をより一層楽しめるでしょう。

名称 トロイ博物館(Troya Müzesi)
営業時間 8:30~17:30(冬季)
8:30~20:00(夏季)
入場料 100TL
公式サイト https://www.kulturportali.gov.tr/portal/troya-muzesi
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