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テオドシウスの城壁とは?イスタンブールに残る難攻不落の防壁

更新日:2023.11.08

投稿日:2023.11.08

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テオドシウスの城壁は、ビザンツ帝国の首都であったコンスタンティノープル(現イスタンブール)に築かれた強固な城壁です。当時の高度な軍事・建築技術によって築かれたこの三重の防壁は約1,000年間にわたって敵の侵攻を食い止め、コンスタンティノープルを難攻不落の都市たらしめました。

城壁は何世紀にもわたる外敵からの攻撃や地震に耐えてイスタンブールに現存しており、中世に繁栄したコンスタンティノープルの激動の歴史を見る人に伝えてくれます。

テオドシウスの城壁の観光ポイント

テオドシウスの城壁は、軍事的に強固な防御を実現する機能的な設計に加え、美的配慮もなされたデザインになっており、古代世界における城壁建築の傑作といえます。

城壁は、都市の外側から堀・外壁・内壁の三重構造になっているのが特徴です。外からの侵入者がまず直面するのは、幅20メートル・深さ7メートルの水が張られた溝(堀)。その後ろには低い防壁が設置してあり、背後には槍を持った兵士が待ち構えていました。

中間にある外壁の高さは5~7メートルで、敵軍を攻撃するための射撃台を備えた塔も設置されています。そして最後に待ち受ける内壁は厚さ約5メートル・高さ12メートルの一際巨大で、一段高い堤防の上に高さ15~20mにおよぶ96か所の塔が約70メートル間隔で設置されました。

外側の堀と内壁との間は60メートルも距離があり、コンスタンティノープル側は敵が城壁に辿り着く前に、有利な高所から「ギリシャの火」と呼ばれた焼夷弾や射撃により、優位に戦いを進めることができたのです。

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テオドシウスの城壁には出入りのための9つの正門があります。そのうちいくつかは現存しており、一部上に登ることができる箇所もあります。最も有名なのは、一番南側にある「黄金の門」でしょう。施錠忘れによってオスマン帝国軍の侵入を許したといわれる「ケルコポルタ門」は、カーリエ博物館の近くにあります。

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テオドシウスの城壁の場所・アクセス

テオドシウスの城壁は、イスタンブールのヨーロッパ側、北は金角湾近くの「ポルフュロゲネトス宮殿」から、マルマラ海沿岸のイェディクレにある「大理石の塔」まで、5km以上にわたって横たわっています。

名称 テオドシウスの城壁(Edirnekapı Surları)
名称 Topçular, Edirnekapı Kavşağı, 34055 Eyüpsultan/İstanbul, トルコ
営業時間 24時間
定休日 なし
入場料 無料

テオドシウスの城壁の歴史

コンスタンティノープルの陥落

ビザンツ帝国(東ローマ帝国)時代、コンスタンティノープルには金角湾沿岸とマルマラ海沿岸、そして陸側と都市を囲むように城壁が築かれ、外敵からの侵入を防いでいました。コンスタンティノープル城壁は5世紀から建設され、都市の拡張を繰り返しながら4度にわたって再建されました。

最後に建設された陸側の城壁は、紀元前439年に皇帝テオドシウス2世(408-450)が古い城壁を拡張して造らせたものです。西暦410年にローマがゴート族に滅ぼされたことに危機感を抱いたテオドシウス2世は、コンスタンティノープルの防御を固めるため、約6.5kmにおよぶ巨大な三重の城壁を建設しました。これにより、城域は5平方キロメートル拡大しました。

その後コンスタンティノープルの城壁は何度も敵に包囲されましたが、1,000年の間に突破を許したのはラテン人に占領された1204年と、オスマン帝国に征服された1453年の2度だけでした。

鉄壁を誇ったテオドシウスの城壁がオスマン帝国の侵入を許したのは、ケルコポルタ門の通用口が施錠されていなかったことが一因だといわれています

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