ユスキュダルとは?イスタンブールのアジア側にある歴史的観光エリア
更新日:2023.11.29
投稿日:2023.11.29
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ユスキュダルはトルコのイスタンブールのアジア側にある、文化や伝統が色濃く残る歴史的な地区です。現在は主に住宅地となっていますが、歴史的なモスクや伝統的な木造家屋が多く残されているほか、バザールや地元の商店が立ち並ぶ昔ながらの静かな雰囲気を保つこの場所は、イスタンブールの多面的な魅力を感じられる穴場観光エリアでもあります。
ユスキュダルの観光の見どころ
ミフリマー・スルタン・モスク
ミフリマー・スルタン・モスクは、オスマン帝国で最も偉大な建築家ミマール・スィナンが、16世紀にスレイマン大帝の愛娘であるミフリマー・スルタンのために建てたモスクです。ミフリマーに恋心を抱いていたとされるスィナンが、彼女をイメージして設計したとされる美しいモスクは、ユスキュダルのランドマークの一つになっています。
イェニ・ヴァリデ・モスク
イェニ・ヴァリデ・モスクは、18世紀初頭にオスマン帝国のアフメット3世が母に敬意を表して建てたモスクです。典型的なオスマン様式の複合施設になっており、緑色の鳥かごのような霊廟が特徴的です。
カラジャ・アフメト墓地
カラジャ・アフメト墓地は、イスタンブールで最も古く、最も大規模なイスラム教の墓地です。糸杉の木が生い茂る公園のような気持ちの良い敷地内には、著名人も埋葬されています。墓地の奥には、小高いチャムルジャの丘が広がっており、ボスポラス海峡やイスタンブールの美しい街並みを一望できます。
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クズグンチュク
クズグンチュクは、ユスキュダルとベイレルベイの間にある伝統的な地区です。かつてヨーロッパから逃れてきたユダヤ人の居住区で、その後アルメニア人とギリシャ人が住んでいた歴史があり、現在でもシナゴーグやキリスト教会、ユダヤ教とキリスト教の墓地など、異文化が混在する特徴が残されています。
乙女の塔
乙女の塔は、ユスキュダル沿岸からほど近いボスポラス海峡の小さな島に建っている塔です。かつて見張り台や灯台などとして使われた長い歴史を持ち、そのユニークな見た目から数々の伝説が語られてきたイスタンブールのアイコン的存在。ユスキュダルの港からボートでアクセスできます。
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セリミエ兵舎
現在トルコ第一国軍の兵舎となっている建物は、1853年のクリミア戦争の際に野戦病院として使われ、あのナイチンゲールが看護師として従事していた場所です。ナイチンゲールたちが寝泊まりしていた部屋は、現在「フローレンス・ナイチンゲール博物館」として公開されており、事前予約すれば見学できます。
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ベイレルベイ宮殿
ボスポラス海峡に面したベイレルベイ宮殿は、19世紀にオスマン帝国のスルタンの夏の離宮として建てられました。現在は博物館として人気の観光スポットとなっており、宮殿の美しい庭園や精巧な調度品・美術品で飾られた内部を見学できます。
ユスキュダルの場所・行き方・アクセス
イスタンブールのヨーロッパ側からアジア側のユスキュダルに行くには、旧市街の金角湾沿いにあるシルケジ駅から海底鉄道トンネル・マルマライを利用するのが便利です。
また、エミノニュやカラキョイ、ベシクタシュなどからはユスキュダル行きのフェリーも発着しています。
ユスキュダルの歴史
都市としてのユスキュダルの始まりは、紀元前7世紀にメガラから来た古代ギリシア人の入植者によって建設された「クリソポリス」にまで遡ります。クリソポリスは港と造船所として利用され、ギリシャとペルシャの戦争では重要な中継地点となりました。
紀元前4世紀にはアレクサンダー大王に征服され、後にローマ帝国の一部に。ビザンチン時代になると宗教上の重要なエリアとなり、多くの教会や修道院がありました。
この場所は、12世紀ごろにはスクタリと呼ばれるようになりました。14世紀にオスマン帝国がウスキュダルを征服し、貿易・商業・軍事の拠点となり、鉄道が発達するまでは周辺諸国からのキャラバン・ルートの終着駅として利用されました。
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