乙女の塔はロマンティックな伝説で有名なイスタンブールの観光名所
更新日:2023.10.20
投稿日:2023.10.20
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乙女の塔(トルコ語:Kız Kulesi、英語:Maiden’s Tower)は、トルコ最大の都市・イスタンブールのボスポラス海峡南端の小島に建っている塔です。ユニークで可愛らしい見た目からイスタンブールのランドマークとして有名で、2,000年以上の歴史を持つ観光名所でもあります。
趣深いこの塔には、長い歴史の中でいくつもの愛や悲劇の物語が数多く語られてきました。1999年の映画『007 ワールド・イズ・ノット・イナフ』や、ゲーム『アサシン クリード』の舞台として登場したことでも知られています。
乙女の塔の歴史と観光の見どころ
もともと乙女の塔は、ボスポラス海峡を通る船舶を管理する税関として、紀元前408年にアテネの将軍によって建てられたものです。その後は再建を繰り返しながら、ビザンチン時代には防衛塔として、オスマン帝国時代には灯台や軍事基地として機能しました。
この塔は1926年まで灯台として利用されていましたが、1998年に歴史的な特徴を維持しつつ、近代的な設備の追加や災害に対する補強工事を実施。内部に博物館とレストランとしての機能を新たに組み込み、一般向けに公開されました。
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さらに2021年からは、トルコ共和国文化観光省のプロジェクトのもと、約200年前のオスマン帝国スルタン・マフムード2世の治世に実施された修復計画に沿って改修工事を実施。2年にわたる修復を経て、2023年5月11日に観光客への公開が再開されました。
現在、乙女の塔の内部は記念博物館となっており、観光客向けにペストリーショップも併設。塔の中庭の城壁を囲むように設置された歩道からは、美しいイスタンブール市街が見渡せます。また、美しい夕日が見られる絶好のサンセットポイントでもあります。
乙女の塔の場所・行き方
乙女の塔は、イスタンブールのアジア側・ユスキュダル地区の海岸から約200メートルの位置にある、ボスポラス海峡の南入口の小さな島に建っています。人気アクティビティであるボスポラス海峡クルーズでも、その美しい姿がよく見えます。
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乙女の塔へは、アジア側のユスキュダルのサラカク港か、ヨーロッパ側のガラタポート桟橋から出航する専用ボートでアクセスできます。運賃は50TL(トルコリラ)です。
乙女の塔への入場には別途チケットの購入が必要です。イスタンブール・ミュージアムパスは使用できないので注意してください。
名称 | 乙女の塔(Kız Kulesi) |
---|---|
住所 | Salacak, 34668 Üsküdar/İstanbul, トルコ |
営業時間 | 9:00~20:00(チケット売り場は19:00まで) |
定休日 | なし |
入場料 | 550TL |
公式サイト | https://muze.gen.tr/muze-detay/kizkulesi |
乙女の塔にまつわる3つの伝説
ビザンツ皇帝と娘の悲劇
乙女の塔にまつわる伝説の中で特に有名なのは、ビザンツ帝国のある王とその娘に関する悲劇の物語です。占い師に娘が18歳になる前に蛇に噛まれて死ぬと警告された王は、運命から娘を守るために塔を建て、その塔に娘を入れました。
王は1日の決まった時間に、籠に入れた食べ物を娘に送りました。しかし、娘の18歳の誕生日に贈った果物かごの中に潜んでいた蛇が王の娘に噛みつき、その毒によって娘は予言通りに命を落としてしまったのです。
レアンドロスの恋の悲劇
もう一つ、乙女の塔に関する最もポピュラーな伝説は、ギリシャ神話で語られる、ヘレスポント(ダーダネルス海峡)の両岸に住んでいた男女の恋の物語です。
アビドス出身の若者・レアンドロスは、祭りで見かけた美しい女性に一目惚れしました。愛と美の女神アフロディーテの巫女であったその女性は恋愛を禁じられていたため、二人は毎晩、巫女が住んでいたセストス近くの塔で密会することにしました。
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毎晩、巫女は自分の塔の上で火を灯して対岸から海峡を泳いで渡ってくるレアンドロスを導き、一夜を共にした後、夜明け前にレアンドロスは泳いで自分の家に帰りました。
しかし、ある嵐の夜、巫女が灯した塔の火が消えてしまったため、レアンドロスは暗い嵐の海で道に迷い、溺れ死んでしまいました。セストスの塔の近くの海岸で、流れ着いたレアンドロスの死体を見た巫女は悲しみに打ちひしがれ、自らも塔から身を投げて命を落としてしまいました。
この伝説はチャナッカレ発祥といわれていますが、その後イスタンブールでも有名になり、セストスにあった塔を乙女の塔に、レアンドロスをビザンチンの兵士に置き換えたバージョンも知られるようになりました。そのため、乙女の塔は「レアンドロスの塔」とも呼ばれます。
バタール・ガズィ
最後にご紹介するのは、西暦8世紀にビザンチン帝国と戦った勇敢なイスラム戦士、バタール・ガズィという実在の人物にまつわる伝説です。イスタンブール(コンスタンティノープル)を包囲するためにやってきたバタール・ガズィは、乙女の塔の前の海岸に7年間にわたり陣取りました。彼がここに長く滞在したのは、ウスキュダル封建領主の娘と恋に落ちたからです。
バタール・ガズィを恐れたウスキュダル封建領主は、娘と財宝を乙女の塔に閉じ込めましたが、その後バタール・ガズィは船で塔にやって来て娘と財宝を奪った後、馬に飛び乗って去りました。
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