トルコ行進曲はなぜ「トルコ」?作曲者による違いや歴史的背景も紹介
更新日:2023.04.05
投稿日:2022.08.12
Views: 6340
「トルコ行進曲」(英題:Turkish March)は、子供から大人まで多くの人が口ずさめる、もっとも有名なクラシック曲の一つだといえるでしょう。
本記事では、世界的に有名なトルコ行進曲について、曲名の由来や作曲者、さらに流行の歴史的背景を紹介します。
トルコ行進曲はなぜ「トルコ」?
トルコ行進曲は、オスマン帝国時代におけるトルコ軍楽隊の音楽(メフテル)に刺激を受けて作曲されました。トルコの軍楽隊によって行進中に奏でられたメロディーが元となっていることから、トルコ行進曲と命名されたのです。
トルコ行進曲の作曲者は複数いる?
「トルコ行進曲」といえば、多くの人が思い浮かべるのはモーツァルト作曲のものでしょう。由紀さおり・安田祥子姉妹がスキャットで歌う“ダバダバダー ダバダバダー ダバダバダバダバダー”という軽快なメロディーの印象が強いはずです。
しかし実は、モーツァルトのほかにベートーヴェンやハイドンも「トルコ行進曲」を作曲しているのです。ここでは、それぞれの曲について紹介します。
モーツァルト
モーツァルト(ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト)作曲のトルコ行進曲は、「ピアノソナタ第11番」の第3楽章です。あまりにもトルコ行進曲が有名なため、このピアノソナタ自体が「トルコ行進曲付き」と呼ばれるほどであり、第3楽章だけが単独で演奏される機会も多くあります。
第3楽章は「ロンド」という形式(異なる旋律を挟みながら、同じ旋律を何度も繰り返す形式)で書かれており、楽譜の冒頭には「Alla Turca」(トルコ風に)と書かれています。左手の伴奏のアクセントがはっきりした力強いリズムは、トルコ軍楽隊の打楽器が打ち鳴らすリズムから影響を受けたものです。さまざまな形に変化する右手のメロディーからは、異国感が感じられます。また、わざと和音をずらして演奏することで、まるで多くの打楽器が一斉に鳴らされているかのように響く作曲術も魅力の一つです。
モーツァルトはトルコ行進曲のほかにも、実はトルコを題材とした作品を複数作曲しています。「ヴァイオリン協奏曲第5番 トルコ風」の第3楽章に加え、「後宮からの誘惑」というオペラでは全体がトルコ風を意識して作られています。このオペラはトルコを舞台として後宮ハーレムに囚われた恋人を奪還するストーリーになっており、モーツァルト5大オペラの一つとして人気が高い作品です。
ベートーヴェン
ベートーヴェン(ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン)が作曲したトルコ行進曲は、劇付随音楽「アテネの廃墟」の第4曲にあたるもので、原題は「Marcia alla turca」です。この曲の主題は、「ピアノのための変奏曲」(創作主題による6つの変奏曲(作品76))からとられています。ピアノ用に初級から上級まで幅広く編曲もされており、多くの人々に親しまれています。
ベートーヴェンは1811年8月末から9月半ばにかけて、ペスト(現在のハンガリー)に建設されたドイツ劇場開幕公演のために作曲した祝典音楽「アテネの廃墟」の第4曲として、トルコ行進曲をオーケストラ編曲しました。とても印象的なメロディーで、ベートーヴェン作品のなかでも知名度の高い作品です。
ハイドン
ハイドン(フランツ・ヨーゼフ・ハイドン)が作曲した「交響曲第100番」は「軍隊」の愛称で知られていますが、「トルコ行進曲」とも呼ばれています。1793~1794年にかけて作曲された「ロンドン交響曲」のうちの1曲です。「軍隊」の愛称は、トルコ軍楽の打楽器として有名なトライアングルやシンバル、バスドラムが、第2楽章と終楽章に使われていることに由来しています。
トルコ風音楽がヨーロッパで流行した背景
西欧を代表する作曲家たちがこぞって作曲したトルコ行進曲ですが、なぜトルコ風の音楽がそこまで流行したのでしょうか。時代をさかのぼり、トルコの音楽がヨーロッパへ渡った経緯を追ってみましょう。
ヨーロッパにおけるトルコ風音楽の歴史
発端は、1600年代後期にオスマン帝国が2度ウィーンを包囲した際に軍隊に随行した「メフテル軍楽隊」にあります。西欧の人々はこの軍楽隊の音楽に恐れを感じ、そのリズムが嫌というほど耳についてしまいました。当時の大帝国であったオスマントルコへの恐れと憧れから、西欧諸国で「トルコ風(alla turca)」の音楽が大流行したのです。
オスマン帝国はなぜ600年以上も続いたのか?栄光と滅亡の歴史と強さの秘密
1720年代初頭にはポーランド王アウグスト2世に対し、オスマン帝国第23代皇帝アフメト3世からメフテル軍楽隊が送られ、1725年にはロシアの女帝アンナも12~15名の奏者から構成される軍楽隊をもらい受けました。これに続いて、オーストリアでもオスマン式軍楽が採用され、プロイセンでもイスタンブールから本場の楽隊員が雇われることになります。その後、海を隔てた英国にもメフテルの影響が及び、シンバルやダヴル(筒形の両面太鼓)などの楽器が採用されていきました。
そして、西欧の音楽文化にもメフテルがもたらした異国音楽の影響が現れはじめます。しかし、それはあくまでトルコ「風」の音楽であり、トルコオリジナルのものではありませんでした。西欧の人々が考えていた「トルコ風」の音楽とは、軍楽隊特有の「ズンタッタッタ」というリズムや短調・長調の入れ替わり、ドラム、シンバル、トライアングルといった打楽器の使用によるものでした。
18世紀後半に活躍したドイツ人の音楽家で詩人のクリスティアン・F・D・シューバルトは、オスマン軍楽を「圧倒的なビートが要求される、他に類を見ない音楽」と評しています。
これは、当時の西欧の人々を惹きつけていたメフテルの魅力が、楽器の華やかな音色によって刻まれる確固たるビートであったことを指摘しています。この明確なビート感が、「トルコ風」として書かれた多くの曲に共通して見られる特徴の一つでもあります。
打楽器付きピアノ
「トルコ風」の音楽が流行ったことで、面白い楽器も誕生しました。19世紀に出回った「打楽器付きピアノ」は、現在のピアノより多くのペダルが付いており、ペダルを踏むことでドラムやベル、グロッケンなどの音が出る仕組みになっています。このペダルは「ヤニチャーレンペダル」と呼ばれました。面白い楽器ではありましたが、流行の終わりとともにこの楽器も使われなくなってしまいました。
西欧音楽に大きな影響を与えたトルコの軍楽「メフテル」
西欧音楽に大きな影響を与えたのが、オスマン帝国およびトルコ共和国の伝統的軍楽である「メフテル(トルコ語:Mehter)」です。演奏する軍楽隊はメフテルハーネと呼ばれました。
メフテルは、古代から続く西アジアの伝統音楽と中央アジアのテュルク民族による軍楽が融合し、オスマン帝国の常備軍「イェニチェリ」において誕生した音楽です。オスマン軍においては、軍隊の士気を高めたり相手を威嚇したりするため戦地で軍楽隊に演奏させたほか、平時においても宮廷での儀礼などに用いられました。
しかし、1826年にイェニチェリが廃止されたことで、メフテルハーネも解体されることとなります。イェニチェリのあとに組織された「ムハンマド常勝軍」では伝統的な軍楽が許容されず、代わりに西洋式の軍楽が演奏されました。20世紀初頭にようやくオスマン帝国本来の音楽として再評価されたメフテルは、第一次世界大戦においても軍隊の士気を高めるため演奏されました。
トルコ共和国への移行後もメフテルに対する評価は大きく移り変わりましたが、最終的には重要な音楽的遺産として位置付けられ、再興を遂げました。現在のトルコでは、イスタンブールの軍事博物館司令部にメフテル隊が設けられ、館内で開催されるコンサートのほか、国家行事や海外のトルコ関連行事に参加しています。
イスタンブールのおすすめ観光スポット7選!人気グルメやお土産も解説
現在のメフテルは、イェニチェリ廃止後の19世紀後半以降に作曲され、第一次世界大戦で演奏されていたものがベースとなっています。そのため、逆輸入された西洋式軍楽の影響が強く、本来のメフテルとは異なるといわれているのです。歌詞についても、オスマン帝国の勝利やトルコ独立を表現したものなど、近代的な内容が多くなっています。
トルコ音楽を知ろう!特徴や有名な曲、宗教音楽から軍楽メフテルまで徹底紹介
メフテルで使われる楽器
メフテルで使われる楽器には、ダブルリード型の竪笛であるズルナやトランペットのような管楽器のボル、打楽器・太鼓のナッカーレ(2つ1組で小型の鍋型太鼓)やダヴル(筒形の両面太鼓)、シンバルの原型ともいえるズィルなどがあります。
なかでもズルナとダヴルは楽隊の核であり、この2つの楽器のみという最小構成で演奏されることもあるほどメフテルにとって必要不可欠な楽器です。ちなみに、ズルナは現在のオーケストラにおけるオーボエやファゴットの原型とされており、下方部はクラリネットと同様に円錐形状に広がっています。
トルコの楽器を知ろう!サズやネイからトルコの楽器店、博物館まで紹介
メフテルの影響は、現代の吹奏楽やブラスバンドの基本構成にも垣間見ることができます。
トルコの古典音楽
軍楽のほか、宮廷などで愛されたトルコの古典音楽も長い歴史を持つクラシックとして親しまれています。西洋のクラシック音楽ではハーモニーが重要な要素でしたが、トルコではメロディーやリズムの点で独自の発展を遂げているのが特徴です。
トルコ出身の有名な音楽家
独自の文化を育み、西欧でも流行したトルコの音楽。現在もトルコ出身の音楽家が世界中で活躍しています。
ファジル・サイ(ピアニスト)
ファジル・サイは、日本では「鬼才!天才!ファジル・サイ!」というコピーで知られる、トルコの首都アンカラ出身のピアニスト兼作曲家です。
アンカラ国立音楽学院、デュッセルドルフのシューマン音楽院、ベルリン音楽院で学んだファジル・サイは、1994年にニューヨーク・ヤング・コンサート・アーティスト国際オーディションで優勝したことにより国際的な注目を浴びます。
これまで、ニューヨーク・フィルハーモニックやBBC交響楽団、フランス国立管弦楽団など世界一流のオーケストラと共演し、ルツェルン音楽祭やモンペリエ音楽祭など世界各地の権威あるイベントで演奏してきました。
モーツァルトによる「トルコ行進曲」のジャズアレンジや、多重録音による「春の祭典」などで音楽シーンに衝撃を与え、クラシックというジャンルを超えた独創的な音楽性が世界中で高い評価を得ています。日本では「たけしの誰でもピカソ」や「題名のない音楽会」へのテレビ出演も話題になりました。
ジャン・チャクムル(ピアニスト)
ジャン・チャクムルは、1997年生まれのトルコの首都アンカラ出身のピアニストです。
2017年のスコットランド国際ピアノコンクール優勝に続き、2018年には浜松国際ピアノコンクールでも優勝しました。その際、1次予選から本選まで一貫して使用した河合楽器製作所のグランドピアノSK-EXをとても気に入りました。その後に日本国内で行われたほとんどのコンサートや、コンクールの会場となったアクトシティ浜松で収録したデビューアルバムでもSK-EXを使用するなど、日本とのつながりも深いピアニストです。
作品を探求するインテリジェンスと新しい世界を拓く自由で多彩な表現力を兼ね備えた演奏は、これまで多くの国でたくさんの聴衆を魅了してきました。
トルコ行進曲の特徴や歴史、作曲者まとめ
本記事では、トルコ行進曲がなぜ「トルコ」なのかに加え、曲としての特徴、歴史的背景、作曲者による違いを紹介しました。オスマントルコ時代の軍楽隊が元となっていることを知らなかった方も多いのではないでしょうか。
歴史上の重要な拠点であったトルコには、世界遺産やグルメなどさまざまな魅力が詰まっています。ぜひ一度現地に足を運んでみてください。
関連記事
更新日:2023.11.29
Views: 3859
更新日:2023.11.29
Views: 1183
更新日:2023.09.11
Views: 2795
更新日:2023.12.05
Views: 3258
更新日:2023.08.23
Views: 1636
更新日:2023.02.28
Views: 1763