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カリフとは?イスラム教の最高指導者たる称号の意味と歴史をわかりやすく解説

更新日:2023.04.05

投稿日:2022.10.03

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カリフとはイスラム教の最高指導者で、政治的指導者であり、信仰の維持とイスラム法の遵守の義務を負っていました。イスラム教の初期から、カリフという地位や制度はその歴史とともにあり、時代によってその存在意義や権威の大きさも変化していきました。今回はカリフについて、その歴史の変遷も一緒にたどりながら解説していきます。

カリフとは?

預言者ムハンマド イスラム教

カリフとは、ムハンマドの後継者を意味するイスラム教の最高指導者のことです。政教一致の理念に基づく地位で、イスラム教の政治的指導者であり、信仰の維持とイスラム法の遵守の義務を負っていました。

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当初カリフは教団の中から選ばれていましたが、680年にウマイヤ朝で世襲化し、8世紀のアッバース朝で権力が最も大きくなります。しかし、1258年にモンゴル軍により首都バグダードが陥落し、カリフが殺害されたことで、これまでのカリフ制は実質的に崩壊しました。

1517年、オスマン帝国のセリム1世がエジプトのマムルーク朝を滅ぼすと、当地に亡命していたカリフの後継者からその地位を引き継いだとして、オスマン帝国でスルタンがカリフを兼ねるスルタン=カリフ制がとられるようになります。

以降、オスマン帝国の歴代のスルタンがカリフを兼任する体制が続きますが、オスマン帝国の滅亡により1924年にカリフ制度は廃止されました。

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カリフ制度の歴史

アブー・バクル カリフ

ここでは、カリフ制度の歴史について時代をたどりながら解説していきます。

正統カリフ時代

632年のムハンマドの死後4代までのカリフの時期のことを、正統カリフ時代と呼びます。この時代は、ムハンマドの近親者か信仰心の厚い者が選挙でカリフに選ばれていました。初代カリフはムハンマドの古くからの教友であったアブー・バクルです。

カリフは神の啓示を直接受けている者ではないため、その権威を高めるためには政治的指導者としての力量を見せる必要がありました。そのため、ジハード(イスラム世界を拡大するための戦い)を頻繁におこなっていたのではないかともいわれています。

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シーア派が分裂

アリ― カリフ

656年に第3代カリフのウスマーンが殺害され、ムハンマド直系の血を受け継ぐ者に最も近いハシーム家のアリーが第4代カリフとなります。信仰上の指導者カリフはムハンマド直系の血を受け継ぐ者であるべきという考え方が、この時代には根強くありました。そのため、ハシーム家のアリーとその子孫のみをカリフと認める人々は、それ以後の歴代カリフを認めず、シーア派として分裂します。

シーア派に対して、歴代カリフを認める正統派はスンナ派といわれ両派は対立。661年ウマイヤ朝で、ムハンマド直系の血を受け継ぐ者ではないシリア総督の子孫がカリフの地位を世襲するようになったため、両派の対立はさらに決定的になっていきます。

カリフの地位が変質

ウマイヤ朝以降カリフが政治的存在となるにつれ、カリフの宗教的権威も低下していきます。さらに、人間性に疑いのある人物がカリフとなることもあり、カリフに対する反乱なども起こるようになりました。

このような背景もあり、750年アッバース朝が興ると、ムハンマドの近親者だったアッバース家がカリフを世襲。宗教的権威を回復しようとつとめるようになります。8世紀になるとカリフの権威は絶頂を迎えますが、その後ふたたびイラン系の官僚などが実権を握るようになり、カリフの地位は形式的なものヘと変質していきます。

3カリフ分裂時代へ

10世紀になると、シリアから北アフリカ一帯を支配したファティマ朝や、イベリア半島を支配した後ウマイヤ朝にカリフを称する者が現れます。これらとバグダードのアッバース朝のカリフに3分裂したため、この時代は「3カリフ分裂時代」とも呼ばれます。

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スルタンの出現でカリフの権威が限定的に

セルジューク朝

946年、シーア派政権によってバグダードが征服され、さらに1055年にトルコ系セルジューク朝がバグダードを占領。セルジューク朝のスルタンによりカリフの実権が奪われます。これ以降カリフは宗教上の権威とイスラム法の施行にのみ関わるように職責を限定されることになります。

ただし、スルタン(スンナ派イスラム王朝の君主)の承認はカリフが行っていました。これは形式上のもので、スルタンの正当性を高めるためだったとも考えられています。

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実質的なカリフ制度の終わり

1258年、モンゴル軍の西アジア遠征によりアッバース朝が滅びます。このときに実質的にカリフ制度も崩壊します。

1262年にアッバース朝のカリフを名乗る人物がマムルーク朝の庇護のもと、カイロで復権したと伝えられていますが、イスラム神学の定説ではマムルーク朝以降のカリフは認められていません。

オスマン帝国のスルタン=カリフ制

オスマン帝国 イェニチェリ

ここでは、オスマン帝国におけるスルタン=カリフ制について解説していきます。

スルタン=カリフ制とは

スルタン=カリフ制とは、オスマン帝国のスルタンがカリフの地位を兼ねるという制度のことです。メッカとメディナを制し「二大聖地の守護者」の称号を手にしたことで、カリフの称号を得たとされていて、スルタンの権威を強調するための制度だったとも考えられています。

スルタン=カリフ制度誕生の経緯

スルタン セリム1世

オスマン帝国の君主は、14世紀末のバヤジット1世の時代から、カリフから建前上の承認をされてスルタンを称していました。

しかし1517年、オスマン帝国のスルタン・セリム1世がエジプトのマムルーク朝を滅ぼします。この時に、「カイロに亡命していたアッバース朝の後継者からカリフの称号を認められた」ことを理由として、オスマン帝国のスルタンは、イスラム教主流派のスンナ派の宗教上の最高指導者としての地位を兼ねることとなります。

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オスマン帝国末期におこったカリフ擁護運動

19世紀から20世紀のオスマン帝国末期、民族主義運動がアジアで活発になり、イスラムの宗教的な権威であるカリフを擁護する運動が起こります。特に、インドのイスラム教徒の中でその動きが強く、苦難の中にあるオスマン帝国のカリフを擁護すべきだという「ヒラーファット運動」が起こりました。インドの民族闘争の指導者ガンジーも、カリフ擁護運動と連携することを主張していました。

カリフ制度の終焉から現在

アブドュルメジド2世 最後のカリフ

オスマン帝国末期の1922年、トルコ革命を行ったムスタファ・ケマル・アタテュルク率いるアンカラ政府の決議によって、スルタン制とカリフ制が分離されることが決定します。このとき、36代スルタン・メフメト6世をもってオスマン帝国のスルタン制は廃止されました。

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カリフの地位は、メフメト6世の従兄弟のアブドゥルメジト2世が継承していましたが、1924年に廃止。これによってカリフ制も終わりをむかえます。カリフ制廃止以降もカリフを名乗るケースがありますが、現在のイスラム世界では、カリフ制度は認められていません。

カリフとなった最初のスルタン、セリム1世ゆかりのモスク「ヤヴズ・スルタン・セリム・モスク」

ヤヴズ・スルタン・セリム・モスク

R Prazeres, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

スルタン=カリフ制によって、オスマン帝国のスルタンは政治的にも宗教的にも権威を手中に収めることとなります。スルタン=カリフ制をとった最初のスルタン・セリム1世は、オスマン帝国の繁栄の土台を築いたスルタンともいわれています。そのセリム1世のために、息子のスルタン・スレイマン1世が建立したモスクが「ヤヴズ・スルタン・セリム・モスク」です。

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「ヤヴズ・スルタン・セリム・モスク」は、世界遺産にも登録されているイスタンブールの歴史地区にあり、モスク内ではセリム1世の棺をみることもできます。

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スルタン=カリフ制により栄華を極めたオスマン帝国に思いをはせて、トルコを旅しよう

トプカプ宮殿

今回はカリフについて解説してきました。カリフとは、ムハンマドの後継者という意味で、イスラム教の最高指導者のことです。イスラム教の政治的指導者であり、信仰の維持とイスラム法の遵守の義務を負っていましたが、イスラム世界の激動の歴史の中でカリフ制は変質。オスマン帝国が栄華を極める時代になると、スルタンがカリフを兼ねるスルタン=カリフ制が誕生し、スルタンは政治的にも宗教的にも最大の権威を誇るようになっていきます。

トルコには華やかかりしオスマン帝国の時代を今に伝える遺跡がたくさんあります。雄大な歴史に思いをはせながら、トルコを旅してくださいね。

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