ゴルディアスの結び目の意味や由来とは?舞台となった古代アナトリアのフリギア王国
更新日:2023.04.05
投稿日:2022.09.08
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「ゴルディアスの結び目」という故事成語をご存じでしょうか?誰にも解決できない問題や、大胆な方法を考えつかないと解決することができない難問などの比喩として使われるこの言葉の背景には、神話の由来だけでなく、現代のトルコにあたる中央アナトリアの歴史の話もたくさん詰まっています。
さらに、神話の舞台となった古代アナトリアのフリギア王国は実在の国でもあり、トルコにはこの国にまつわる遺跡も多数残っているのです。今回は、「ゴルディアスの結び目」というひとつの故事成語から、雄大な古代アナトリアの歴史を紐解いていきます。
Contents
「ゴルディアスの結び目」とは有名な故事成語
ここでは、「ゴルディアスの結び目」という故事成語について、その言葉の意味や由来について解説していきます。
ゴルディアスの結び目とは?
ゴルディアスの結び目とは、誰も解決できないような難題のたとえのことで、有名な故事成語です。誰も思いつかなかった大胆な手段をとらないと解決できないような、難しい問題のたとえのことでもあります。
ゴルディアスの結び目とはどんな結び目だった?
「ゴルディアスの結び目」という故事成語の由来は、『アレクサンドロス大王東征記』の逸話だといわれています。
現在のトルコの首都アンカラの西部にかつて存在したフリギア王国の都ゴルディアン。ここに都を築いた王のゴルディアスが結んだという複雑な縄の結び目がありました。当時、権力争いが激化しすぎて世継ぎが亡くなってしまったフリギア王国で、とある臣下がテルメソッスの神サバジオスに「次期国王はいつ現れるのでしょうか」と信託を仰ぎました。すると「牛車に乗ってやってくる男が王になる」との神託が下ります。
そこに牛車で神殿に入ってきたのが、貧しい農民のゴルディアスでした。信じがたいご神託ではありましたが、ゴルディアスの牛車に神の使いの鷲が止まっていたため、そこにいた占い師の女が「この者こそがフリギアの国王だ」と叫びます。
ご神託通り王となったゴルディアスは、神の預言に感謝を示すため、乗ってきた牛車を神サバジオスに捧げます。そのとき、ミズキの樹脂でできた丈夫な紐で、それまでに誰も見たことがないくらいにしっかりと牛車を柱に結びつけたと伝えられています。この結び目こそが、ゴルディアスの結び目です。
ゴルディアスの結び目は、紐の両端が確認できないほど複雑に結ばれていたと伝えられています。あるいは紐の両端が存在しないともいわれていて、運命や永遠を示す象徴的なシンボルとしてアクセサリーなどのモチーフとしてもよく使われています。
ゴルディアスの結び目を解いたのはアレクサンドロス3世だった
ゴルディアスの結び目を成したフリギア王国の国王ゴルディアスは、「この結び目を解くことができたものこそ、このアジアの王になる」と予言したとも伝えられています。そのためさまざまな人が結び目を解くことに挑戦しましたが、誰一人としてその結び目を解くことはできませんでした。それから数百年後、ついにその結び目を解く人物が現れます。
マケドニア王のアレクサンドロス3世が、その人物。フリギア王国を訪れたアレクサンドロス3世は、この結び目を解くことに挑戦しましたが解くことはできませんでした。そこでアレクサンドロス3世は、剣で結び目を一刀両断に断ち切ってしまったのです。
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その後、ゴルディアス王の予言どおり、アレクサンドロス3世は東方世界を征服しアジアの王となりました。
ゴルディアスは実在の人物なのか?
ゴルディアスはギリシア神話に登場するフリギア王国の王で、首都のゴルディオンを建設したと伝えられています。しかしながら、同じ名前の王が史上4人はいたと推測されていて、資料を基に歴史を確定することは困難。いまだに証明するにはいたっていません。
ゴルディアスの息子は紀元前738年~696年頃にフリギア王国の全盛を築いたミダス王です。ミダス王はギリシア神話に登場する有名な王ですが、複数の文献に王としての記録が残っているため実在した可能性が高いといわれています。
ちなみに、ミダス王は有名な童話『王様の耳はロバの耳』の主人公の王様のモデルでもあります。
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さらに、ふれたものを黄金に変えてしまう「ミダス・タッチ」の神話でも知られています。
フリギア王国は古代アナトリアに実在した国
フリギア王国は現在のトルコの中西部に存在した国で、紀元前8世紀頃を中心に栄えました。ヒッタイトが滅亡した後にトラキア方面から侵入してきたフリギア人によって建国された国で、紀元前7世紀末頃にはキンメリア人が支配。その後リディアやペルシア、アレクサンドロス3世やペルガモン王国に支配され、ローマ帝国内の地域として名を残しました。
アンカラ西部・中央アナトリア地方にあるフリギア時代の遺跡
ここでは、トルコの首都でもあるアンカラの西部や中央アナトリア地方にあるフリギア時代の遺跡をご紹介します。有名観光地とはいえないかもしれませんが、古代史が好きな人にはおすすめのスポットです。トルコを旅したら、ぜひ足を伸ばして訪れてみてくださいね。
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アンカラ近郊にフリギア時代の遺跡が現存
トルコの首都アンカラ近郊のエキスシェヒルとアフヨンカラサヒルには、フリギア時代の遺跡があります。ゴルディアスの結び目の舞台でもあるゴルディオンは、現在のトルコ共和国の首都アンカラの西の県境近くにあります。
また、ポラットル群ヤッスホユック村にあるゴルディオンには、王族のものとみられる古墳が128も残っています。この古墳の中で一番大きな物は、ゴルディアスの息子であるミダス王のものと考えられていて、王の頭蓋骨や副葬品などもみつかっています。ミダス王ものと思われる頭蓋骨などは、アンカラにあるアナトリア文明博物館に収蔵されています。
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フリギア時代の重要な遺跡をご紹介
ここでは、中央アナトリアにあるフリギア時代の遺跡の中から、特に重要な遺跡をご紹介いたします。
ミダス王の古墳墓
トルコの首都アンカラの西部にあり、かつてはフリギア王国の首都だったゴルディオンにある古墳。フリギア王国の王であるミダス王の墓だと考えられています。こんもりとした山のようになっていて、内部が見学できるようになっています。古墳の近くには小さな博物館もあり、合わせて見学できます。
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ペシヌス遺跡
ペシヌス遺跡は、フリギア王国の時代に重要な宗教儀式がおこなわれていたといわれている場所です。現在は、ローマ時代の神殿や広場などが残っています。
ミダス王のモニュメント
ミダス王のモニュメントは、エキスシェヒルの南東部、ヤズル村にあります。ミダス王のモニュメントは「碑文の刻まれた岩」という意味のヤズルカヤとも呼ばれる巨大な石碑で、表面にはフリギアの文字が刻まれています。
フリギアの谷
フリギアの谷は、アフィヨンカラサヒールからキュタフヤに広がる場所で、かつてこの地に存在したフリギア王国の遺跡が数多くあります。岩をくりぬいた住居や城壁、教会などが一部残っています。
ゴルディアスの結び目の舞台になったトルコのアンカラや中央アナトリアを訪ねてみよう
今回は「ゴルディアスの結び目」という故事成語と、それにまつわる由来などについてご紹介してきました。ゴルディアスの結び目にまつわる神話の舞台となったのは、現在のトルコのアンカラ西部、中央アナトリアに存在したフリギア王国です。現地には、現在も発掘中の遺跡がたくさん残っています。
古代アナトリア時代の神話に彩られた街には、他に見どころがたくさんあります。雄大な歴史に思いをはせながら、トルコを旅してみてはいかがでしょうか。
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