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アナトリアが小アジアと呼ばれる理由とは?歴史・文明・遺跡を紹介

更新日:2023.04.03

投稿日:2022.03.22

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マルディン

“小アジア”の名でも知られるアナトリアは、その長く複雑な歴史の中でさまざまな文明を築き上げてきました。今もなお現存する遺跡や出土品からは、ロマンあふれる古代文明の息吹が感じられます。

この記事では、そんなアナトリアについて徹底解説。おすすめの観光スポットと共にアナトリアの長大な歴史をひも解いてみましょう。

アナトリアとは

カッパドキア アナトリア

アナトリアは古代から存在する地域名です。歴史の変遷によってさまざまな国の領土となっていましたが、現在はトルコ共和国のアジア側、トルコ全体の9割以上の土地がアナトリア地域に入るため「アナトリア=トルコ」というイメージが一般的に広まっています。

アナトリアがあるのはアジア大陸の最西端。アナトリア半島とも呼ばれ、ヨーロッパ大陸とアジア大陸の境界に位置し、トルコではアジア部分が該当します

アナトリアは広大で各地方に分かれています。トルコの首都アンカラがあるのは中央アナトリア地方。隣国のジョージアやアゼルバイジャン共和国、イラン・イスラム共和国と接する部分が東アナトリア地方で、イランやイラク共和国に隣接しているのが南東アナトリア地方です。

アナトリアはなぜ小アジアと呼ばれるのか

アッシリア メソポタミア

アナトリアの別名は「小アジア(ギリシャ語でMikra Asia)」。なぜ「アジア」の名が付いているのか、その由来は古代までさかのぼります。

アジアの起源とされているのが、史上初の世界帝国とされている「アッシリア」です。紀元前18世紀頃、現在のトルコがある地域で勃興し、古代オリエントを統一するなど大きく発展しました。

アッシリアではエーゲ海の東を「日が昇る」という意味を持つ「アス(asu)」、西を「日没」を意味する「エレブ(ereb)」と呼んでいました。この2語が合わさり、エーゲ海東部は「太陽が生まれる国」という意味の「アッスーワ(ASSUWA)」と称されるように。この「アッスーワ」が後の「アジア(Asia)」の語源となったと言われています。

このような経緯から、長らく古代では「アジア=現在のトルコ周辺」とされていました。しかし、その後の時代で、さらに東側へ手を広げる国が増えたことから「アジア」を指す地域が拡大します。

元々の「アジア」は「小アジア」と呼ばれるようになり、その他の地域と区別されるようになったのです

アジアの歴史と定義とは?ヨーロッパとの狭間に立つトルコと日本のつながり

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アナトリア半島の地理的特性は文明を誕生させた

イスタンブール トルコ

ヨーロッパと中東、アジアをつなぐアナトリア半島は、交通の要所であるだけでなく文明が交差する地でもありました。古来より数々の文明・文化が入り乱れながら発展したこの地は、しばしば 「文明の交差点」と言い表されます。

また、東ローマ(ビザンツ)帝国やセルジューク王朝、トルコの前身であるオスマン帝国といった強大な国々がアナトリアの地を求めたことから、さまざまなルーツを持つ人種が暮らしてきたのも特徴です。現在この地に住むトルコ人もまた、アナトリア土着の民族ではありません。

多様性に富んでいたため、世界でも早い時期から文明が生まれたアナトリア。現在に至るまで長く複雑な歴史をたどり、オリエント世界を語る上では欠かせない地域なのです

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アナトリアは初期キリスト教発展の地

カッパドキア ギョレメ キリスト教

文明の発祥地として知られるアナトリアは、初期のキリスト教が発展した地でもあります。ニケーア公会議やエフェソス公会議など、キリスト教の教義に関わる重要な会合の開催地にもなりました。

なかでもキリスト教と縁深いのが、アンタキヤ(古代名:アンティオキア、セレウコス朝シリアの都の一つ)。アンタキヤは、イスラエル国外でキリスト教の布教活動を熱心に行った12使徒・聖パウロゆかりの地であります。

アンタキヤはコンスタンティノープル教会と共に、キリスト教の重要拠点「五本山」に数えられる地で、強大な権力を持っていたことがうかがえます。なお、「クリスチャン」という呼称が使われ始めたのもアンタキヤだとされています。

こうした経緯から、アンタキヤをはじめとするアナトリアにはキリスト教に関連する重要な史跡が数多く残っています。たとえば、アンタキヤの「聖ペトロ洞窟教会」やカッパドキアのギョレメにある岩窟教会は、ローマ帝国による迫害から逃れたキリスト教徒がたびたび逃げ込んだとされる場所です。

これらの史跡は現在もキリスト教の巡礼地として知られ、年間を通じて多くの信者が訪れています。

キリスト教の宗派や教えとは?深い歴史や三大行事の意味など詳しく解説

アナトリアの歴史をたどる

ギョベクリ・テペ遺跡 メソポタミア アナトリア

アナトリアの歴史は古く、これまでにさまざまな文明が築かれてきました。

はじまりは紀元前10万年、人々が石材を用いて道具を作っていた石器時代。トルコに現存するカライン洞窟には、古いもので紀元前16万年の住居跡があります。

紀元前8000年頃以降は、集落がさかんに作られるようになりました。チャタルホユック遺跡では5,000~1万人が暮らした形跡が見られます。

東西をつなぐアナトリアは、その立地条件から、これまでに数々の国が主権を奪い合い、以下のような文明の変遷を辿ってきました。

  • メソポタミア・オリエント
  • トロイ
  • ヒッタイト
  • ウラルトゥ
  • フリギア
  • リディア
  • イオニア
  • ペルシア
  • ヘレニズム
  • ローマ
  • 東ローマ(ビザンツ)帝国
  • セルジューク朝
  • オスマン帝国
  • トルコ共和国

最古の文明はアナトリア(北メソポタミア)から始まった?

チグリス川 メソポタミア

アナトリアで発祥した文明のなかでも、もっとも知られているのがメソポタミア文明です。「メソポタミア」は、ギリシャ語で「川の間」という意味を持ちます。その名の通り、チグリス川とユーフラテス川に挟まれた、現在のイラクとシリア北東、トルコ南東の地域一帯を指します。

また、メソポタミアを含む地中海の東側は「日が昇る」という意味の「オリエント」とも称されています。

メソポタミア地域は、肥沃な大地と温暖な気候が特徴。農業や畜産に適した恵まれた環境下で、現在に繋がるさまざまな文明・文化が興隆しました。

楔(くさび)形文字や60進法、暦、天文学といったメソポタミアの文化や学問のなかには、現在の祖となるものも数多くあります

メソポタミアで最も古い文明の一つとして、これまで北メソポタミアのトルコとシリア国境付近にあるテル・ハラフ文化(紀元前6000年頃)が知られていました。

しかし、近年になってそこからさらに北のアナトリア南東部に、さらに古く紀元前1万年ごろに作られたとみられるギョベクリテペ遺跡が発掘され、話題を呼んでいます。

チグリス川・ユーフラテス川とは?メソポタミア文明が興った理由

歴史的に侵略が繰り返されてきたアナトリア

アナトリア文明博物館 トルコ アンカラ

土地・気候に恵まれ文化発展の地となったアナトリアは、その立地条件や豊かさからさまざまな国の侵略対象となりました。

東ローマ(ビザンツ)帝国やセルジューク王朝、オスマン帝国といった歴史に名を残す強国たちも、この地を手に入れるために熾烈な戦いを繰り広げました。

有名なマケドニアの王アレクサンドロス(アレキサンダー)大王や、中央アジアを席巻したモンゴル人・ティムールといった、一時代を築いた支配者たちもアナトリアを手に入れています。

アナトリアの歴史は数々の国によって形作られたと言えるでしょう。

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ヒッタイト帝国

ヒッタイト メソポタミア アナトリア

ヒッタイト帝国のはじまりは紀元前1650年頃までさかのぼります。ラバルナ1世(ハットゥシリ1世)がハットゥシャを首都に定め、古代ヒッタイト帝国がはじまりました。その後は、北方の地で生まれたミタンニ王国をはじめとする周辺諸国との攻防の果てに、マルマラやユーフラテス周辺まで勢力を伸ばします。

また、紀元前1285年にはエジプト新王国との衝突を経て、世界で初めて平和条約となる「カデシュの平和条約」を締結。高度な文明を築き、一時は栄華を誇ったものの、地方国家の台頭によって紀元前12世紀ごろに消滅してしまいます。

「ヒッタイト帝国と首都ハットゥシャ」王国滅亡の理由と遺跡の見どころ

アッシリア帝国

メソポタミア 文字 言語

アッシリア帝国のルーツは古く、前身は紀元前3000年頃の北メソポタミアで興っています。ヒッタイトに学んだ製鉄の技術を生かし、強力な武器を生み出したアッシリアは紀元前900年頃から台頭し、後に中東全土を統一した初の世界帝国となりました

最盛期を築いたのは、アッシュール=バニパル王。エジプトの征服を果たしてオリエント世界を支配したバニパル王は、各地の情報を記した粘土板を所蔵する「ニネヴェの王立図書館」を作りました。

アッシリア帝国は、支配地の反乱により前609年に滅亡。以後は新バビロニア王国やリディア王国など4つに分かれます。

アケメネス朝ペルシア帝国

アケメネス朝ペルシャ ペルセポリス メソポタミア

紀元前550年~330年に建国し、アッシリアに続く世界帝国となったのがアケメネス朝ペルシア帝国です。イラン系の民族であるペルシア人は、多神教を信仰していた古代アーリア人が元であるゾロアスター教など、独自の文化を大切にしていました。ダレイオス一世が統治する前6世紀~5世紀には、その支配はバルカン半島まで及びます。

紀元前330年、当時の王ダレイオス三世が殺害されたことで王朝は終焉を迎えます。マケドニアの王アレクサンドロス(アレキサンダー)によって、中心都市であったペルセポリス も破壊されました。

セレウコス朝シリアなどのヘレニズム時代

アレキサンダー大王 アナトリア

ペルシア帝国を滅亡させたアレクサンドロス大王は、地中海からオリエント世界にまたがる大帝国を築きます。

アレクサンドロス大王の死後、帝国は後継者たちによってセレウコス朝シリア、プトレマイオス朝エジプト、アンティゴノス朝マケドニアの「ヘレニズム三国」に分かれました。

アレクサンドロスの治世から、紀元前30年のプトレマイオス朝エジプトの滅亡まで、この約300年を「ヘレニズム時代」と呼びます

ヘレニズム時代は、学問・芸術の目覚ましい発展が見られます。哲学の分野ではストア派とエピクロス派の二大潮流が生まれ、美術の分野では「ラオコーン」や「ミロのヴィーナス」といった彫刻作品の傑作が誕生しています。

ヘレニズム文化はヨーロッパからアジアまで広い範囲に影響を与え、あらゆる文化・学問の基礎を築きました

アレクサンドロス大王をわかりやすく解説!東方遠征で拡大した領土と強さの秘密

ローマ帝国

ローマ帝国 アナトリア

紀元前8世紀ごろ~紀元後395年に、地中海・オリエント世界で絶大な勢力を誇ったのがローマ帝国です。

紀元前2世紀後半から約100年は、ローマ市内で内乱が続き、カエサル(ジュリアス・シーザー)が実権を握りました。しかしながら独裁政治であったため、反発から暗殺されてしまいます。

再びローマ市内は内乱が起こりますが、カエサルの養子オクタヴィアヌスが平定。「尊厳者」を意味する「アウグストゥス」の称号を得ました。こうして初代皇帝アウグストゥスが誕生。共和制を重視し、元老院や民会がバランス良く機能する政治体制を実現しました。

アウグストゥス帝から、帝政ローマの全盛期五賢帝の頃までの200年は「ローマの平和」を意味する「パクス・ロマーナ」と呼ばれる最盛期が続きます。

ローマ帝国の力はブリテン島(現イギリス、スコットランドなど)から小アジアまで広大な範囲に及びました。属国の文化・学問を積極的に受け入れる統治の巧みさも繁栄の一因であったと言われています。

また、313年に皇帝コンスタンティヌス1世が皇帝で初めてキリスト教を公認し、392年にはテシオドシウス帝がキリスト教をローマ帝国の国教と定めました

今も語り継がれるほどの隆盛を誇ったローマ帝国ですが、3世紀ごろから軍事勢力や独裁体制が台頭。権力のバランスが崩れたことで衰退の一途をたどります。

動乱の歴史を歩んだローマ帝国の成り立ちから滅亡までをわかりやすく解説!

東ローマ帝国 (ビザンツ帝国)

アヤソフィア大聖堂 モザイク キリスト教

皇帝テシオドシウス1世が395年に死去し、皇帝の長男と次男が東西に分かれて統治します。結果的にローマは東西に分裂。その後、西ローマ帝国は5世紀に滅んだのに対し、東ローマ帝国は、1453年の滅亡まで実に1,000年に及ぶ繁栄を享受します。

とくに、首都コンスタンティノープル(現在のトルコの主要都市であるイスタンブールの前身)は豊かに栄え、文化・芸術の中心地となりました。東ローマ帝国を代表する「アヤソフィア」には細密なモザイク画が残されています。

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なお、東ローマ帝国が「ビザンツ帝国」と呼ばれるのは、後世になってからのこと。元々コンスタンティノープルは、ビュザンティオンという土地に造られたため、ビザンツ帝国、ビザンティン帝国などと呼ばれているのです。

世界史に燦然と輝くビザンツ帝国(東ローマ帝国)1000年の歴史をわかりやすく解説

オスマン帝国

オスマン帝国

1299年、東ローマ帝国後期にオスマン・ガーズィーによって建国されたのがオスマン帝国です。1453年にはコンスタンティノープルを陥落して、長い歴史と繁栄を誇った東ローマ帝国を滅ぼしました。

オスマン帝国を語るのに外せないのは、第10代皇帝スレイマン1世。壮麗帝のあだ名がありますが、軍事力にとても長けていました。50年近い在位の中で13回もの遠征を行い、周辺諸国を震撼させます。1536年にはフランスと同盟を締結。この時期のスレイマン1世による治世は3大陸に及び、オスマン帝国の最盛期となりました

600年以上繁栄したオスマン帝国ですが、ロシアやオーストリア、中東との戦争で領土を失い、末期にはヨーロッパから「瀕死の病人」と揶揄されるほどに衰退。1922年にはスルタン(君主)制が解体され、滅亡を迎えたのでした。

オスマン帝国はなぜ600年以上も続いたのか?栄光と滅亡の歴史と強さの秘密

トルコ共和国

ムスタファ・ケマル・アタテュルク トルコ共和国 大統領

第一次大戦の敗戦もあいまって、衰退の一途をたどったオスマン帝国を救うために立ち上がったのが、当時のオスマン帝国軍司令官、ムスタファ=ケマルです。トルコの国父として知られるムスタファ=ケマルは、「アナトリア権利擁護委員会」を組織して祖国解放運動を行います。

1915年にチャナッカレ戦争が起こり、イスタンブール占領の危機に陥りますが、ムスタファ=ケマルの活躍により阻止。その後の1922年にはイズミールを占領していたギリシャに勝利し、1923年にはローザンヌ条約を締結します。こうしてムスタファ=ケマルは、祖国を守り抜きトルコ共和国を樹立しました。

その後、初代大統領に就任したムスタファ=ケマルは、民主主義への移行や女性の権利向上、福祉・教育政策などを行い、トルコの近代化に尽力しました

トルコの初代大統領ムスタファ・ケマル・アタテュルクの生い立ちと偉業

トルコは世界的に見ても多様性に富んだ国であり、「アナトリア」と一言で表現される言葉の中には、長きに渡る歴史があることが分かります。

文明や文化、宗教のほか、さまざまな思いや祖国に対する愛、思惑が生まれ、そして戦いまでもが生じてきました。すべて令和の現代に紡がれていることを考えると、とても興味深いですね。

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アナトリア文明博物館 (トルコ:アンカラ)

アナトリア文明博物館 トルコ アンカラ

トルコのアンカラにあるアナトリア文明博物館では、アナトリア高原から発掘したさまざまな出土品が見られます。

ここまで紹介した、アナトリアの長い歴史を肌で感じられる貴重な博物館なので、トルコ旅行の際はぜひ立ち寄ってみてはいかがでしょうか。

名称 アナトリア文明博物館(Anadolu Medeniyetleri Müzesi)
住所 Kale, Gözcü Sk. No:2, 06240 Ulus/Altındağ/Ankara, Turkey
営業時間 8:30~19:00(冬季は18:00まで)
入場料金 50TL(約420円)
ウェブサイト https://muze.gov.tr/muze-detay?SectionId=AMM01&DistId=AMM

アナトリア文明博物館の見どころ解説!アンカラで外せない観光名所

アナトリアの息吹を感じられる有名な遺跡(世界遺産)

ギョレメ国立公園とカッパドキアの岩窟群

カッパドキア ギョレメ キリスト教

トルコの中央に位置するカッパドキア。円錐形の巨大な岩々がそびえるギョレメ国立公園やカッパドキアの岩窟群は、太古の時代、火山活動によって作られました。

「ギョレメ(Göreme)」は、「見えない・見てはならない」という意味を持つ言葉です。その奇異な地形を利用して、迫害から逃れたキリスト教徒が身を潜めました。現在でも、このエリアには当時の教会や住居などが数多く残っています。

ギョレメ国立公園とカッパドキアの岩窟群は、1985年にユネスコ世界遺産に登録されました。カッパドキアの観光拠点として多くの人々が訪れています。

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ブルサとジュマルクズック:オスマン帝国発祥の地

ブルサ トルコ アナトリア

イスタンブールの南、ウルダー山のふもとに位置するブルサは、かつて栄華を誇ったオスマン帝国の最初の首都があったことでも知られています

オスマン帝国の名残が見られる古都・ジュマルクズックでは、石畳とパステル調の木造住宅の街並みをゆっくりと散策できます。

「グランド・モスク」としても知られる「ウル・ジャーミィ」や「イェシル・ジャーミィ」など名だたる建造物は、この地に訪れた際には外せないスポットです

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ハットゥシャ:ヒッタイトの首都

ハットゥシャ ヒッタイト アナトリア

紀元前1800年に勃興し隆盛を誇った帝国が、現在のハットゥシャを首都としたヒッタイトです。製鉄を得意としたヒッタイトは鉄製の武器や軽戦車を駆使して勢力を広げ、エジプトに匹敵する力を持ったとされています

1986年に世界遺産に登録されたハットゥシャには、ヒッタイト帝国が建設した大神殿や城門が数多く遺されています。「ライオンの門」「スフィンクスの門」に加え、パワースポットとして人気の高い「願いの石(グリーンストーン)」など、謎めいた遺跡に触れることができます

世界遺産「ハットゥシャシュ遺跡」紀元前に栄えたヒッタイトの首都

トロイの古代遺跡

トロイの木馬 トルコ アナトリア

トルコの観光名所として特に名が知られる遺跡の一つがトロイの古代遺跡です。ダーダネルス海峡の南に位置するチャナッカレ県からほど近い場所にあります。

トロイ遺跡からは、古代に何回も都市が建設された形跡がうかがえます。異なる時代に形成された33もの層から構成され、考古学の歴史的には9層に分けられています。1998年には世界遺産に登録され、2018年には2,000点近い出土品がおさめられたトロイ博物館が建設されました。

トロイ遺跡の敷地やチャナッカレ市内には「トロイの木馬」のレプリカが置かれており、こちらも人気スポットです。

トロイ遺跡|伝説の古代都市が現実に!歴史ロマンあふれる世界遺産

ヒエラポリス-パムッカレ

パムッカレ ヒエラポリス アナトリア

1988年に世界遺産に登録されたヒエラポリス-パムッカレは、トルコでも有名な温泉街でもあります

温泉に含まれる炭酸カルシウムが沈積してできた石灰棚は、パムッカレ屈指の観光スポット。古くは綿の産地であったこの地は、真っ白な景観とあいまって「綿の城=パムッカレ」と呼ばれるようになりました

石灰棚の上にあるのがペルガモン王国の遺跡「ヒエラポリス」。風呂文化が盛んなローマ帝国の支配下となってからは温泉療養地として栄え、現在ではローマ遺跡が沈んだ温泉に入ることができます

パムッカレ-ヒエラポリスはがっかり世界遺産じゃない!観光の見どころ解説

ギョベクリテペ

ギョベクリテペ遺跡 トルコ アナトリア

トルコの南東、シャンルウルファにあるギョベクリテペは、世界最古の遺跡です。これまで世界で最も古く、高度な文明とされてきたメソポタミア文明の時代から、さらに7,000年をさかのぼり、歴史が覆ったことで話題を集めました。

円を描くように配置されていたとされる柱には、さまざまな動物のモチーフが刻まれ、当時の環境や生活を垣間見るヒントとなっています。

これまでの考古学の常識を覆す存在であり、2018年に世界遺産に登録されたギョベクリテペ。観光スポットとしても人気を集めています。

ギョベクリテペ遺跡とは?謎多き世界最古のトルコの遺跡【世界遺産】

アルスランテペ

アルスランテペ トルコ アナトリア

2021年にトルコで19つ目の世界遺産として認められたのがアルスランテペ。トルコの南東部、マラティヤ平野に位置します。トルコで最も古い遺跡の一つであるアルスランテペは、紀元前6000年~ローマ時代後期という長期間にわたって形成されたとされています。そのため、約4.5ヘクタールの面積に30メートルもの集落跡が重なり合っています。

アルスランテペの注目すべき点は、アナトリアという広大な土地の中で、都市国家の構造が初めて確立された集落であること。長い歴史の中で興隆した、さまざまな国家や文明の拠点であったことも明らかになっており、さらなる発見を求めて発掘作業が続けられている注目の遺跡です

アルスランテペ遺跡は2021年に世界遺産となったトルコの注目の遺跡!

アナトリアの有名な犬を紹介!

アナトリアは、世界でも知られる賢く優秀な犬種を産出している国でもあります。アナトリアを代表する2つの犬種について見てみましょう。

アナトリアンシェパードドッグ

アナトリアンシェパードドッグ 犬

アナトリアンシェパードドッグ(アナトリアンシープドッグ)は、トルコを中心に飼われてきた犬種です。独立した犬種として認められたのはごく最近ですが、ルーツをさかのぼると紀元前から人と共に生きていたとされています。

アナトリアンシェパードドッグは、その名が表す通り、牧羊犬・護畜犬として家畜の管理や保護を担ってきました。

明るいベージュの被毛と黒いマズル、垂れ耳が特徴で、成犬はオスで70Kg近くなる超大型犬。飼い主への忠誠心が高く、外部への警戒心が強いので番犬としても優秀な存在です。

近年では家庭でも飼育されるようになったものの、その体の大きさや気質から、しっかりとしたトレーニングが必要だとされています。初心者や子どもがいる家庭では難しいでしょう。

JKC(ジャパンケネルクラブ)によると、日本では登録数がゼロであり、ブリーダーもいないため、飼うとするなら個人輸入となります。

カンガールドッグ(カンガル犬)

カンガールドッグ アナトリア 犬

トルコの土着犬として知られるカンガールドッグ(カンガル犬)は、トルコから国宝指定を受けている犬種です

見た目はアナトリアンシェパードと大変よく似ており、一時期は同一視されていたことも。アナトリアンシェパードはカンガールドッグやその他の犬種との交配で作られたため、外見が酷似する結果となったと言われています。

カンガールドッグもまた、優れた能力を持つ犬種です。身体機能が高く俊足で、家畜をしっかりと守る賢さを兼ね備えていることから、護畜犬や軍用犬として重宝されています。

最強の犬「カンガール・ドッグ」はトルコの国宝!特徴や性格、値段は?

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日本にある「アナトリア」の名がつくあれこれ

アナトリア コンセプト

トルコなど中近東に伝わる伝統的な織りのキリム絨毯や、美しさと品質に定評のあるトルコ絨毯をはじめ、さまざまな工芸品が取り揃えられたオンラインショップ。過去には雑誌で紹介されたこともある注目度の高いお店です。

自宅にオリエンタルな趣向を取り入れてみたいという人はぜひチェックしてみましょう。

Webサイト:https://www.anatolianconceptshop.com/

憧れのトルコ絨毯の基礎知識!賢く購入するために知っておきたい情報を伝授

アナトリアケバブレストラン

トルコの名物料理といえば「ケバブ」。埼玉県川口市に店を構える「アナトリアケバブレストラン」では、ケバブをはじめとする本場トルコ料理が堪能できます。

ケバブはトルコを代表する料理!種類やおすすめレシピも紹介

トルコランプが飾られた異国情緒あふれる店内は、夜はいっそう神秘的な雰囲気に。日本にいながらトルコ旅行に来たような雰囲気が味わえます。気になる人はぜひ立ち寄ってみてはいかがでしょうか。

店舗名 アナトリアケバブレストラン(Anatolia kebab restoran)
住所 埼玉県川口市安行原1271-10
Webサイト https://anatolia.shopinfo.jp/

漫画やゲームなどにも登場するアナトリア

「天は赤い河のほとり」「夢の雫、黄金の鳥籠」

漫画家・篠原千絵さんはアナトリアや古代ヒッタイト、オスマン帝国など、トルコを中心とした古代ロマンあふれる作品を多数出版しています。代表作は宝塚歌劇団によって舞台化が実現した「天は赤い河のほとり」、オスマン帝国を生きる女性が主人公の「夢の雫、黄金の鳥籠」です。

篠原千絵さんは、ヒッタイト研究の第一人者として知られるアナトリア考古学研究所所長・大村幸弘さんと対談本を出版。オリエント世界への造詣の深さが、作品にも色濃く反映されています

その他のゲームや漫画、音楽作品にも

ロボットアクションゲーム「アーマードコア4」。政府が権力を失い、暴動やテロが頻発する仮想未来が舞台のゲームで、主人公や仲間が所属するコロニーが「アナトリア」、主人公の呼び名が「アナトリアの傭兵」に設定されています。

同じくゲーム「千年戦争アイギス」には「オークの英雄アナトリア」というキャラが登場。また、YouTubeで高い再生数を得ている音楽「アナトリア咲く重DEAD」など、「アナトリア」というキーワードを用いた作品も多く生み出されています。「アナトリア」という地の歴史の重みや、響きの良さが美しいと感じられている所以ですね

いつか訪れたい!古代の歴史がギュッと詰まったアナトリア

アナトリア文明博物館 トルコ アンカラ

紀元前からはじまったアナトリア。さまざまな文明が興隆した、多種多彩な魅力にあふれる地として、今もなお多くの人を惹きつけています。

今回紹介した遺跡は、トルコ旅行の際にはぜひ訪れてみたいスポット。アナトリアの歴史や文明を肌で感じるチャンスです。古代ロマンが詰まったアナトリアを訪れに、ぜひトルコへ旅してみてはいかがでしょうか。

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