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ギョベクリテペ遺跡とは?謎多き世界最古のトルコの遺跡【世界遺産】

更新日:2023.04.04

投稿日:2022.04.06

Views: 17322

ギョベクリテペ遺跡 トルコ 世界遺産

発音をする際に舌を噛んでしまいそうなギョベクリテペ遺跡ですが、近年様々なメディアに取り上げられたことにより、世界中で認知度が上がっています。

遺跡の本格的な発掘作業は1996年から開始されましたが、現在でも遺跡全体の5%ほどしか発掘がされていません。全容が謎に包まれた太古の建造物、ギョベクリテペ遺跡をご紹介します。

ギョベクリテペ遺跡とは?

ギョベクリテペ遺跡 トルコ 世界遺産

ギョベクリテペ遺跡とは、トルコ南東部の都市シャンルウルファから12㎞ほど離れた、郊外の丘にある遺跡です。最も古い層から計測した遺跡の高さは15mとなり、大きさは約80,000㎡と、東京ドーム約1.7個分となります。

ギョベクリテペ遺跡からは、巨大な石柱が配置された円形の構造物が多数出土しています。この建造物は、なんらかの理由によって利用をされなくなった際に、人力によって埋められたことが判明しており、そのため自然環境による劣化が少なく、石柱に掘られた動物のレリーフなどを鮮明に見てとることができます。

なお、このギョベクリテペ遺跡は、2018年にユネスコの世界文化遺産に登録されました。

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ギョベクリテペは世界最古の遺跡

ギョベクリ・テペ遺跡 メソポタミア

学生時代、授業で「世界最古の文明はメソポタミア文明である」と習った記憶をお持ちの方も多いことでしょう。

しかし、石柱の物質を放射性炭素年代測定で分析したところ、ギョベクリテペ遺跡は約1万2,000年前のものであることが分かりました。メソポタミア文明が発祥した紀元前3,500年頃より7,000年ほど前の後期旧石器時代の後半に作られていたのです。

メソポタミア文明が栄えた地のように大きな川が流れる付近ではなく、不毛で平坦な台地であるギョベクリテペに、巨石で作られた建造物が存在したことは世界中に驚きを与えました。

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ギョベクリテペが作られた時代は、まだ農耕が発展しておらず、人々は狩猟採集を行い生活していたと考えられています。遺跡の石柱の重さは1個10トンから20トンほどとなり、遺跡から約100m離れた石切り場から運ばれていました。

200個近い石柱が使われているため、ギョベクリテペ遺跡の建造のためには数百人に及ぶ集団が形成され、決められた社会的秩序の元で作り上げられたと考えられています。

なお、エジプト文明で作られた、巨大な石の建造物であるピラミッドは、紀元前2,700年頃に最初の建造物である「階段ピラミッド」が作られました。これはギョベクリテペ建造の遥か後の時代となります。

亜旧石器時代になり、農耕が定着し始めた紀元前8,000年頃には、ギョベクリテペは人の手によって丁寧に埋められ放棄され、長い間忘れ去られた場所となっていました。

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ギョベクリテペの名前の由来

ギョベクリテペ遺跡 トルコ 世界遺産

ここからは、ギョベクリテペの名前の由来について説明しましょう。

日本語ではギョベクリテペまたはギョベクリ・テペと呼ばれていますが、トルコ語の表記はGöbekli Tepeとなります。ギョベクリテペとはトルコ語で「太鼓腹の丘」という意味です。なんとなく風景のイメージがつきやすい名前ですね。

もともとこの地域は太鼓腹(Göbekli)と呼ばれていたものの、遺跡が発見されるまで、荒れた大地が広がっているだけの地域と思われていました。調査チームにより遺跡が発掘されたのは、ここにある小高い丘(Tepe)からでした。そのため、地名と地理的特徴からギョベクリテペ遺跡と名付けられました。

正式名称はGöbekli とTepeの間にスペースが入りGöbekli Tepeとなりますが、トルコではあまり気にせずに続けて表記や発音をする人も多いです。日本語の表記も続けてギョベクリテペと呼ぶ場合が一般的ですが、正式名称に近いギョベクリ・テペと表記する場合もあります。

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ギョベクリテペ発見の経緯

ギョベクリテペ遺跡 トルコ 世界遺産

ギョベクリテペ遺跡の一部が発見されたのは、1963年、イスタンブール大学とシカゴ大学による調査中のことでした。

最初の調査は遺跡のある場所で行われましたが、研究チームは地表に一部見えていた石の構造物を東ローマ帝国時代の墓標と考えました。また、この土地は近くの集落の耕作地として使われており、土地を耕した際に出てきた地表に近い石柱の一部は農民によって動かされたり、破壊されたりしていました。

1994年10月にドイツの考古学者クラウス・シュミットが、新石器時代のメソポタミア北部地域の遺跡調査を行っており、1963年に調査が行われた場所の再調査を行うことにしました。

土地を所有する農民に案内され、地表に出ている石の構造物を見た時に、これは墓標ではなく新石器時代の構造物であると考えました。そして翌年に大規模な発掘を行い、地中から巨大なT字型の石柱や円形や長方形の遺構を発見しました。

2014年にクラウス・シュミットが亡くなった後は、世界有数の考古学博物館であるシャンルウルファ考古学博物館、イスタンブール大学、ドイツ考古学機関が引き継いで発掘を行っていますが、発掘場所の保護と発掘記録の作成などが優先され、以前と比べて発掘作業は進んでいません。

ギョベクリテペ遺跡は都市的集落?それとも宗教施設?

ギョベクリテペ遺跡 トルコ 世界遺産

トルコにある木馬伝説で有名なトロイ遺跡からは、宮殿、神殿、住居、井戸などの遺構が出土しており、人々がその場所で生活を送っていたことが明らかになっています。

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一方、ギョベクリテペ遺跡では、T字型の石柱が配置された円形の構造物が20箇所ほど見つかっておりますが、人々が遺跡内やその周辺で生活をしていたらしき痕跡は見つかっておりません。

遺跡で見つかった石柱や壁には、ライオン、ウシ、キツネ、カバ、ヘビ、クモといった、様々な種類の動物のレリーフが彫られています。また、石柱には人間の手のような模様が彫られているのもあり、柱が擬人化されて表現されています。

このようなことから、ギョベクリテペは古代の神殿だったという可能性があり、人類最古の宗教施設であるとも考えられています。

この場所で人々が崇めていたのは、石で構造物を建設する技術や農耕技術を授けてくれた神々だという説や、死者となった自分たちの祖先だという説などいろいろな説があります。また、狩猟採集時代に獲物の情報交換のための集会所であったという説もあります。

ギョベクリテペ遺跡の歴史的な意義

ギョベクリテペ遺跡

これまでの歴史的な研究の側面から、宗教の誕生は農耕の開始が前提とされてきました。

太古の時代、高度な文明の多くは、肥沃な地を生み出す川のそばで発生し、人々が定住して、そこで農耕が開始され、秩序が生まれ社会集団が形成されました。そして、多数の人が安定して食料を得られるよう、豊穣を祈るために信仰や宗教が生み出されました。

しかし、ギョベクリテペは狩猟採集時代に作られ始めたことが分かっており、人々の定住や農耕より先に宗教が誕生したことを表しています。前出のクラウス・シュミットによると、神殿の建造に当たって多くの労働力が必要となり、彼らの食料を確保するために農耕や家畜の飼育が開始されたという仮説を立てています。

ギョベクリテペ遺跡の発見は今までの定説を全て覆してしまうほどの大きなものでした。今後、発掘がさらに進むと、これまで定説とされてきたものとは違う、人間社会の成り立ちが明らかになるかもしれません。

クババ崇拝のために作られた神殿?

クババ ギョベクリテペ アナトリア

Homonihilis, Public domain, via Wikimedia Commons

古代メソポタミアには、「クババ」という伝説的な女王がいたといわれています。

ある都市伝説によると、実はクババは宇宙からやってきた存在で、当時の人類に知恵を授けてくれたのだとか。そんな知恵と発展の女神であるクババを祀るために、授けられた知恵と技術を使って建造されたのがギョベクリテペなのだそうです。

この話の真偽はもちろん定かではありませんが、クババとは古代の言葉のひとつであるフリギュア語での呼び名です。後の時代のギリシャ語では、クババは「キュベレー」と呼ばれ、実際に知識の保護者としてアナトリア地域を中心として崇拝されていました。

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フリギュアとは現在のトルコ中西部に存在した国の名前です。ヨーロッパから来た人々が、紀元前8世紀頃にこのフリギュア王国を建国し、この国でクババは信仰の対象となっていました。ですが、それより遥か昔の紀元前2,000年ごろから、クババはこの地に住んでいたヒッタイト人によって崇拝されていたことが分かっています。

とても夢のある伝説ですが、紀元前1万年頃に作られたギョベクリテペ遺跡では、クババと結びつくようなものは残念ながら見つかっていません。

人型の石像は出土していますが、後世のクババの像やレリーフと比較しても特徴が一致する箇所はなく、また、この時代は文字がなく遺跡からは記号のようなものしか出ていないため、クババがギョベクリテペで信仰されていたのかは、今のところは不明となっています。

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宇宙とのつながりを表すバルチャーストーン

ギョベクリテペ遺跡 バルチャーストーン

ギョベクリテペ遺跡から出土した石柱の中に、「バルチャーストーン」と呼ばれるものがあります。そこに刻まれている動物たちを星座の位置に当てはめてみると、紀元前1万950年ごろの星座の位置と一致したことが、アメリカのエディンバラ大学の研究チームから発表されています。

同じ時代には、ヤンガードリアス期という氷河期が終わった後に訪れた寒冷期が起こっています。これは彗星の衝突によって塵が大気を覆い引き起こされたため、という説があります。そのためギョベクリテペは神殿の役割の他に、天体を観測して寒冷期が起こった時期を後世に残すという役割があった可能性もあります。

この寒冷期によって動物や植物の数が減り、狩猟採集が難しくなった人類が、寒さに強い農作物の栽培を始めたことが、のちの農耕文化発展につながっていったとも考えられています。

ギョベクリテペ遺跡に関する謎

ギョベクリテペ遺跡には、今までの考古学研究の常識が通じない数多くの謎が存在しています。いつか全ての謎が解明されることを願って、その一部をご紹介しましょう。

遺跡周辺にない住居の跡

ギョベクリテペ遺跡 トルコ アナトリア

ギョベクリテペの最大の謎は、遺跡周辺に大規模な住居の後が発見されていないことです。巨大な石を切り出し、彫刻を施し、遺跡がある丘まで運び建設するのは、大人数による労働力と時間が必要です。

しかし、ギョベクリテペは水源からも離れており、人々が暮らした痕跡が見つかっていないため、どのように建造をしたのかがベールに包まれています。

また、神殿として建設をされた場合は、完成後に人々が祈りを捧げるためにその周辺に集落が作られるのが一般的ですが、2,000年近くの間に村が作られた形跡はまだ見つかっていません。一説には、遥か長い年月が経っているため住居の痕跡が一切なくなってしまった、とする意見もあります。

意図的な埋め戻しの痕跡

遺跡は大きく分けると3層から構成されており、石柱などが丁寧に埋められ、その上に新たに一回り規模の小さい構造物が作られています。遺跡は細かい石の破片や動物の骨や人の骨などで埋められていることが分かっています。

不思議なことに、争いや自然現象で破壊された形跡はなく、人間の手によって意図的に埋められていますが、どのような意図があるのかがまだ解明されていません。

遺跡から出土した石像

ギョベクリテペ遺跡 ウルファマン

ギョベクリテペからは、動物のレリーフが刻まれたT字型の石柱の他に様々な石像が出土しています。見つかった多くの人型の石像は主に男性を表しており、頭部や口がない特徴があります。これは生贄信仰があった可能性を示唆しています。

また、高さ1.9mの石柱に、熊のような動物と2人の人間がトーテムポールのように縦に彫刻されている像もあります。

石柱に人の手を表現する彫刻が、はるか遠く離れたイースター島のモアイ像の表現に似ているという意見もあり、両者に文化的なつながりがあった可能性も指摘されています。

口がない石像ウルファマン

ギョベクリテペ遺跡 トルコ シャンルウルファ

1993年に、ギョベクリテペ遺跡付近のシャンウルファという街にある「聖なる魚の池」との呼び名でも知られる湖、バリクリゴルの近くで見つかったのが、「ウルファマン」という石像です。その地名から、バリクリゴルの像とも呼ばれています。

ウルファマンは、1.9mの高さの人型の像で、ギョベクリテペ遺跡と同時代に作られたことが分かっており、等身大に近い世界最古の人型の像と言われています。なお、ウルファマンは現在、シャンルウルファ考古学博物館に展示されています。

目のくぼみには黒曜石がはめ込まれ、鼻や耳も丁寧に作られており、衣服の襟またはネックレスの彫刻も施されています。しかし、口の部分には口を表す彫刻が一切されていません。これはギョベクリテペの人々に、言葉ではなくテレパシーを使って知識を授けた宇宙人を現わしているという説もあります。

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高度な技術

ギョベクリテペ

ギョベクリテペは、狩猟生活を行っていた後期旧石器時代に巨石を使って正確に作られていました。石柱を立てる基礎石には穴があけられ、同じ高さにそろえられた石灰岩の石柱が固定されていました。また、いくつかの部屋の床は石灰で作られており、時代が新しくなると床が磨かれ、人造大理石のような輝きが表現されていました。

エジプトのピラミッドが建設される遥か昔に、巨石を切り出し、動物の彫刻を施し、正確に配置されている様子からは、当時の人々の技術力の高さがうかがい知れます。

ただし、紀元前1万年頃に、このような高度な技術が存在をしたことの説明がつかず、前述のクババの都市伝説のように、地球外から来た宇宙人により知識を授けられたと唱える説も存在します。真相が明らかになる日が来ることを待ちましょう。

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ギョベクリテペの場所と行き方

シャンルウルファ

ギョベクリテペ遺跡は、トルコの南東部にあるシャンルウルファから、北東に約12km行ったところに位置しており、車で30分ほどの距離です。シャンルウルファへは、イスタンブールから国内線で片道1時間40分ほどとなります。

遺跡の入口にはビジターセンター、カフェ、ミユージアムショップがあります。ビジターセンターでは当時の様子を再現したイラストや解説動画を見ることができます。遺跡の理解が広がりますので、遺跡見学前に事前に訪問をすることをお勧めします。

なおシャンルウルファと県都とするシャンルウルファ県は、シリアとの国境沿いに位置をしているため渡航に関して制限が出ている場合があります。ギョベクリテペ遺跡の訪問を検討されている方は、外務省の海外安全ホームページでご確認をお願いします。

名前 ギョベクリテペ遺跡(Göbekli Tepe)
住所 Örencik, 63290 Haliliye/Şanlıurfa
ユネスコ世界遺産URL https://whc.unesco.org/en/list/1572/

シャンルウルファ考古学博物館

ギョベクリテペ遺跡見学の際は、ぜひシャンルウルファ考古学博物館も一緒に見学をされてはいかがでしょうか?

シャンルウルファ考古学博物館は、シャンルウルファの街の中心地にあり、聖なる魚の池バリクリゴルの近くにあります。2015年に新規オープンし、3階建てで34,000㎡(東京ドーム約0.7個分)の広さを持つ、トルコ最大級の考古学博物館です。

エリアは大きく分けてモザイクセクションと考古学セクションに分かれています。モザイクセクションには、西暦184年のマケドニアで作られたギリシャ神話のオルペウスを題材にしたモザイクがあります。考古学セクションには、ギョベクリテペ遺跡や周辺地域で発見された1万点以上の出土品の展示を見ることができます。

博物館最大の見どころは、ギョベクリテペから出土した迫力満点の巨石や、前述した等身大に近い世界最古の人型の像といわれるウルファマンなどです。

名称 シャンルウルファ考古学博物館(Şanlıurfa Archaeology Museum)
住所 Haleplibahçe, 2372. Sk., 63200 Merkez/Eyyübiye/Eyyübiye/Şanlıurfa
公式サイト https://turkishmuseums.com/museum/detail/2227-sanliurfa-museum/2227/4

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