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カーリエ(コーラ)博物館とは?美しいモザイク画とフレスコ画が魅力

更新日:2023.02.28

投稿日:2022.11.14

Views: 1230

カーリエ博物館 イスタンブール

イスタンブールの人気観光スポットのアヤソフィアと同じように、カーリエ博物館は教会からモスクに改装され、その後博物館となりました。残念ながら日本人観光客にはカーリエ博物館の知名度はあまり高くありません。しかし、建物内の全面に描かれたモザイク画は必見の価値があります。この記事でカーリエ博物館に興味を持った方は、ぜひ現地を訪れてみてください。

 カーリエ博物館とは?

カーリエ博物館

カーリエ博物館(コーラ博物館)とは、トルコのイスタンブール旧市街にある博物館です。アヤソフィアやブルーモスクなどの人気観光箇所から少し離れて旧市街の西に位置し、博物館の近くにはテオドシウスの城壁があります。

カーリエ博物館は、14世紀に作られたキリスト教を主題としたモザイク画とフレスコ画で建物内が覆われており、これらの作品を見学できる博物館です。キリストの生涯や聖母マリアに関する物語が、180以上のモザイク画と80以上のフレスコ画によって描かれています。これらはビザンツ美術の最高傑作と言われています。時間をかけてじっくり見学する場合、1~2時間は必要となります。

カーリエ博物館は元々ギリシャ正教の教会でしたが、オスマン帝国がコンスタンティノーブルを征服して約50年後に、教会からモスクへと改築されました。イスラム教では偶像崇拝が禁止されているため、モスクに改修される際にモザイク画とフレスコ画は漆喰によって塗り固められました。その後、1948年にアメリカのビザンツ研究者によって漆喰が除去されると、壁や天井から色鮮やかな美しい装飾が現れました。現在は博物館として内部のモザイク画とフレスコ画が公開されています。

カーリエ博物館はイスタンブール歴史地域の一つとして世界遺産に登録されています。現在は長期の改装工事に入っており、2022年2月時点ではまだ再開の日にちは決まっていません。

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名称の由来

カーリエ博物館はキリスト教の教会として建てられ、4世紀にはコーラ聖救世主教会と呼ばれていました。コンスタンティノープル城壁の外側に位置していたため、ギリシャ語で「田舎」や「郊外」を意味するコーラという名称がつけられました。16世紀初めにオスマン帝国下でモスクへと改装されると、カーリエ・ジャーミィと呼ばれるようになります。カーリエとはアラビア語で「郊外」を意味し、ギリシャ語と同じ意味の名前が付けられました。

今日ではカーリエ博物館またはコーラ博物館と呼ばれています。キリスト教徒が多い国ではコーラの名称がよく使われ、トルコ国内や日本ではカーリエと呼ばれることが一般的になっています。

名称 カーリエ博物館(Kariye Camii)
住所 Dervişali, Kariye Cami Sk. No:18, 34087 Fatih/İstanbul, Turkey
入場料 無料
公式サイト https://muze.gen.tr/muze-detay/kariye

カーリエ博物館の歴史

カーリエ博物館

カーリエ博物館が教会からモスクとなり、そして博物館になるまでの歴史をご紹介します。

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建設から中世まで

コーラ聖救世主教会は、コンスタンティヌス1世によって建設されたコンスタンティヌスの城壁の外側に、4世紀初頭に建てられました。その後、西暦413年にテオドシウス2世によって、さらに外側にテオドシウスの城壁が作られると、テオドシウスの壁の内側に位置するようになります。

8世紀~9世紀にかけて起こった教会や修道院を破壊する聖像破壊運動によって、コーラ聖救世主教会も破壊されてしまいました。その後、東ローマ帝国コムネノス王朝のアレクシオス1世コムネノスの義理の母親によって、1077~1081年に再建されました。現在ある建物の構造の大部分はこの時に再建されたものがベースとなっています。

12世紀初頭に地震の影響で壊れ、13世紀のラテン帝国によるコンスタンティノープル占領により、コーラ聖救世主教会は損害を受けました。1261年にビザンツ帝国がコンスタンティノープルを奪還すると、都市防衛の要であるテオドシウス城壁の近くにあったコーラ聖救世主教会は、アヤソフィア教会と並んで重要な教会とみなされるようになりました。

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モザイク装飾とコンスタンティノープル陥落まで

カーリエ博物館

14世紀にビザンツ帝国の官僚であったテオドレ・メトキテスが、コーラ聖救世主教会の修復を行いました。教会の中央通路の復元や、玄関廊と側堂の増設を行います。財務長官を兼ねていたメトキテスは資金を使い芸術家たちを集めました。そして、聖母マリアの物語やイエス・キリストの生涯を描いたモザイク画とフレスコ画で教会の壁と天井を埋め尽くしました。フレスコ画の完成まで約1年、モザイク画が全て完成するのに4年以上かかったと言われています。

13世紀末にトルコ人の遊牧民族の長オスマン1世が率いた集団が、やがてオスマン帝国となりビザンツ帝国の領土に侵攻をしました。両国の間に幾度となく戦いが繰り広げられ、1453年にオスマン帝国軍がコンスタンティノープルを包囲しました。都市の守護者とされていた左腕にイエスを抱く聖母マリア像がコーラ聖救世主教会に運び込まれました。しかし祈りは届かず、同年にコンスタンティノープルは陥落し、オスマン帝国の首都となりました。

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モスクへの改築と博物館になるまで

オスマン帝国のメフメト2世は、兵士たちにコンスタンティノープルの町で略奪をすることを許可しましたが、すぐに撤回しました。そのため教会の建物やモザイク画は破壊されずに済みました。イスラム教を信仰するオスマン帝国は、アヤソフィアを始めとする教会をイスラム教のモスクに改修していきます。そして1510年にコーラ聖救世主教会はモスクとなり、カーリエ・ジャーミーと命名されました。モザイク画は漆喰で塗られ、説教壇の設置とメッカの方角をあらわすミフラーブが掘られ、ミナレットが立てられました。

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長い間モスクとして使われていましたが、1945年にトルコ政府によってこの建物は宗教から切り離されて、博物館に指定されました。そして1948年にアメリカのビザンツ研究者により、漆喰が剥がされるとモザイク画が姿を表しました。全ての漆喰を剥がして、修復を行い、1958年に一般に公開されました。

カーリエ博物館の建築的特徴

カーリエ博物館

カーリエ博物館はビザンツの建築スタイルがベースとなり、6つの木製ドームなどのオスマン様式が追加されています。建物は4つのセクションに分かれており、それぞれ内ナルテクス(内玄関廊)、外ナルテクス(外玄関廊)、ナーベ(身廊)、パレクション(側堂)となっています。その他に2つの小礼拝堂があり、建物としては不規則な形となっています。

建物の中心は、祭壇があった内陣とナーベ(身廊)です。身廊とは主祭壇に向かう中央通路のことで、モスクに改装された際はこの場所が祈りを捧げる場所となりました。ナーベの上には直径7.7mの建物で一番大きいドームがあります。内陣の南と北には小礼拝堂がつながっています。

ナーベの西側にある内ナルテクス(内玄関廊)は、幅4m、南北長さ18mです。内ナルテクスと並行して外側に、幅4m、南北長さ23mの外ナルテクス(外玄関廊)があります。メインの入り口は外ナルテクスに作られ、西に向けて開口部があります。外ナルテクスの南端は東に直角に曲がってパレクション(側堂)につながっており、パレクションが西から東に向けて伸びている構造となっています。

パレクション(側堂)には、14世紀にモザイク画を施したテオドレ・メトキテスが埋葬されています。パレクションは墓廟礼拝堂とも呼ばれています。

カーリエ博物館にあるモザイク画とフレスコ画

カーリエ博物館

5世紀から15世紀にかけて、東ローマ帝国で発展した美術はビザンツ美術と呼ばれています。ビザンツ美術はヘレニズム文化の影響を受け、東方の要素が多く含まれています。たくさんのモザイク画が生み出されましたが、写実的な表現が少なく様式化された宗教画がビザンツ美術で多く見られます。しかし13世紀後半になると、ビザンツ美術は「パレオロゴス朝ルネサンス」と称されるようになり、ギリシャの影響を受けより写実的な表現がされるようになります。

コーラ聖救世主教会に装飾が施された14世紀はパレオロゴス朝ルネサンス期にあたります。新しい視野を持った芸術家たちによって、これまでにない革新的な表現方法でモザイク画やフレスコ画が生み出されました。

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カーリエ博物館を埋め尽くすモザイク画とフレスコ画はすべてが素晴らしい作品ですが、特に有名な作品をご紹介します。

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外ナルテクスのモザイク画

正面玄関から建物に入り、内ナルテクスへと向かう天井に「パントクラトール型のキリスト」がモザイクで書かれています。パントクラトール型とは、キリストが長髪の壮年の姿で、左手に福音書を持ち、左手の親指を垂直に上げ人差し指を他の指から離して描くのが特徴となっています。このモザイクには、「イエス・キリスト」と「生命のコーラ」という文字も描かれています。

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内ナルテクスのモザイク画

内ナルテクスからナーベに続く入口の上部には、「王座のキリストと寄贈者」のモザイクがあります。テオドレ・メトキテスが、自分が改修を行った教会のモデルを玉座に座るキリストに捧げている場面です。このモザイク画の下にある入口の両脇には、聖ペテロと聖パウロが位置しています。

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ナーベのモザイク画

カーリエ博物館 モザイク マリア

ナーベに入って正面の左側には「イエス・キリスト」、右側には「子供のキリストを抱く聖母マリア」のモザイク画があります。いずれも美しい濃青色の衣服を身に着けており、ここにあるイエス・キリストはカーリエ博物館の中で一番の出来であると言われています。

ナーベ入口の上部には「聖母の死」が描かれています。聖母マリアが亡くなった場面が描かれており、ベッドに横たわるマリア、その後ろに幼女の姿をしたマリアの魂を持つキリスト、魂を天国に迎えに来た天使、マリアの周りに使徒たちが描かれています。このモザイクは博物館の中で最も保存状態がよく、様々な色彩や人物の細部まで見ることができます。

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パレクションのフレスコ画

パレクションにはフレスコ画の装飾が施されています。パレクションの正面上部(後陣)には、ビザンツ美術の傑作といわれる「アナスタシス(復活)」があります。冥府で捕らわれの身となっている人たちをキリストが救いに来る場面です。キリストがアダムとイブの手を引き、まさに助け出そうという場面が描かれています。キリストの足元には冥府の壊れた門や鍵があり、サタンが足かせをされて手を縛られています。このフレスコ画には「復活とイエス・キリスト」と書かれています。

パレクションには他に、様々な画家によって描かれている最後の審判や、天使とレスリングをするヤコブなどたくさんの見どころがあります。

カーリエ博物館周辺の観光名所

カーリエ博物館はイスタンブール旧市街にありますが、主要な観光箇所から少し離れているため、ここを訪れる日本人観光客はそこまで多くありません。もしイスタンブールでスケジュールに余裕があれば、ぜひ周辺の観光箇所と併せて訪問してみてください。

テオドシウスの城壁

テオドシウスの城壁

テオドシウスの城壁とは、東ローマ皇帝テオドシウス2世の時代、西暦413年に完成したとされる城壁のことです。イスタンブール旧市街を防衛するために市街地の西側に建設されました。高さ12mの内壁と高さ9mの外壁の2重構造で、南のマルマラ海から北の金角湾まで5.7kmの長さがありました。

この壁は地震や洪水で度々損傷し、戦争によって大きく破壊されました。また、旧市街中心部から郊外への道路建設のため、壁の一部が取り除かれてしまったこともありました。現在は壁の一部や門が残されており、重厚な壁の大きさを実感できます。

ポルフュロゲネトス宮殿

ポルフュロゲネトス宮殿

13世紀後半に建設されたビザンツ帝国の宮殿の遺跡です。オスマン帝国によるコンスタンティノープル陥落の際に多くの宮殿が跡形もなく破壊されてしまったため、ポルフュロゲネトス宮殿遺跡は貴重な建造物です。3階建ての大きな宮殿で、外壁はテオドシウスの城壁の一部となっていました。現在は、赤いレンガと白い大理石を組みあわせた幾何学模様の壁と、アーチ構造を見ることができます。

ミフリマー・スルタン・モスク

ミフリマー・スルタン・モスク

Yahia.Mokhtar, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

イスタンブールにある7つの丘の内、第6丘陵と呼ばれる丘の頂上に建てられたモスクです。このモスクは、オスマン帝国皇帝スレイマン1世の娘であるミフリマー・スルタンのために建てられました。トルコ史上最高の建築家と言われた宮廷建築家のミマール・スィナンによって設計がされています。モスクは1570年に完成したあと、度々起こった地震により被害を受けて来ましたが、その都度修復と復元が行われ、現在ではこの地域のランドマークとなっています。

建物には直径20m、高さ34mのメインドーム他に数多くのドームがあります。ミナレットは細長い単一のものです。窓が多く使われており、一部の窓にはステンドグラスが使われているため、モスク内部にカラフルで明るい光が降り注ぎます。

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