トルコが誇る世界遺産 イスタンブール

世界遺産イスタンブール歴史地域の見どころ解説!おすすめ観光名所

更新日:2023.02.28

投稿日:2021.10.26

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イスタンブール ブルーモスク

「行ってみたい」という人が多い、トルコのイスタンブール。観光名所も多く、トルコの中でも非常に人気のある都市です。長い歴史を持ち、旧市街全体が世界遺産に登録されています。本記事では、イスタンブールの歴史的価値や、おすすめ観光スポット、観光のポイントなどを解説します。

世界遺産「イスタンブール歴史地域」とは?

イスタンブール 歴史地区 世界遺産

イスタンブールは、世界で唯一ヨーロッパとアジアの両方にまたがっている都市です。古代ギリシャやローマ帝国の昔より、東西を結ぶ重要都市であり、長きにわたって世界の中心として栄えてきました。

イスタンブールには、3つの帝国の首都となった歴史的背景があります。そのため、西洋文化と東洋文化が混ざり合って作られた、独特の雰囲気がイスタンブールの魅力といえるでしょう。イスタンブールの人口は、東京都のおよそ1.5倍で、ヨーロッパ最大の都市であることからも、繁栄ぶりが容易に想像できます。

長い歴史を持ち、文明の交差点として繁栄し続けてきたイスタンブールには、多様な文化に彩られた貴重な遺跡が多数残されており、その歴史的価値の高さから1985年に世界遺産に登録されました。日本はもちろん、世界中から多くの観光客が訪れる人気観光地となっています。

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イスタンブールの歴史

イスタンブール

トルコの歴史は古く、新石器時代の紀元前6500年、チャタルヒュユックに築かれたトルコ史上最初の集落から始まりました。それを受けて、トルコは「文明発祥の地」といわれています。

トルコの地には数々の文化が栄え、特にローマ帝国やビザンツ帝国(東ローマ帝国)、セルジューク朝、オスマン帝国は世界史上でも重要な役割を果たしました。

イスタンブールは、このうちローマ帝国・ビザンティン帝国・オスマン帝国の首都として数多の歴史を見てきました。これにラテン帝国を加えれば、実に1,600年もの長きにわたって4つの帝国の首都として繁栄を続けてきたのです。

  • 330~395年:コンスタンティヌス帝による遷都でローマ帝国の首都に
  • 395~1204年:ローマ帝国の東西分裂によってビザンツ帝国(東ローマ帝国)の首都に
  • 1204~1261年:一時的にラテン帝国の占領下に
  • 1261~1453年:ニカイア帝国がコンスタンティノープルを奪還して再びビザンツ帝国の首都に
  • 1453~1922年:メフメト2世がコンスタンティノープルを陥落し、オスマン帝国の首都に
  • 1923年~:トルコ共和国建国と同時に首都はアンカラになるが、現在でもトルコ最大の都市として発展

現在のトルコ共和国は1923年に英雄ムスタファ・ケマル・アタチュルク(ケマル・パシャ)が建国した国家です。トルコ共和国建国と同時に首都はアンカラに移されましたが、イスタンブールは今もトルコ最大の都市、そして文化・経済の中心地として歴史を積み重ねています。

長い歴史の中で他民族と攻防を繰り返してきたトルコですが、現在は「国内に平和を、世界に平和を」をトルコ共和国の理想として掲げています。

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イスタンブールの名前の意味と由来

イスタンブール

イスタンブールは長い歴史の中で何度も名前が変わっていますが、最も有名かつ長く使われた旧名は「コンスタンティノープル(コンスタンティノポリス)」です。これは、ローマ帝国の首都をビザンティウムの地に移した皇帝コンスタンティヌスの名に由来します。

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その後はしばらくコンスタンティノープル(コンスタンティノポリス)の呼び名が定着し、オスマン帝国時代もこれをアラビア語読みした「コンスタンティニイェ」と呼ばれていましたが、トルコ共和国成立以降は、現在の「イスタンブール」の名が公式に使われるようになりました。

イスタンブール(Istanbul)の語源は、ギリシャ語で“都市へ”または“都市で”を意味する「イスティムボリン(is timˈbolin)」だといわれています。ビザンツ帝国時代からギリシャ語で“都市”を意味する「イポリス(iˈpo.lis)」という呼称が存在し、これが「イスティムボリン」の由来だと考えられています。

また、トルコ共和国以前にもイスタンブールの名は使われており、オスマン帝国後期には公式に使用されることがあったようです。

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イスタンブールの場所・アクセス

イスタンブール空港

イスタンブールに旅行に行くときは、現在は羽田空港からイスタンブール空港(ISTANBUL AIRPORT:IST)への直行便を利用できます(成田空港や関西国際空港などからの直行便も、今後順次就航予定です)。

日本からの飛行時間は、およそ12時間前後です。また、イスタンブール空港へは、例えばパリやロンドンといった、ヨーロッパ内の都市からの乗り継ぎも可能なので、イスタンブールをヨーロッパ旅行の一つに組み込むのもよいでしょう。

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街全体が世界遺産!イスタンブール歴史地区のおすすめ観光名所と見どころ

イスタンブール歴史地域 世界遺産

最も重要な観光スポットが集中しているのがサライブルヌ(Sarayburnu)とスルタンアフメット広場(Sultanahmet Square)の旧市街地区の「イスタンブール歴史地区」です。ローマ、ビザンチン、オスマン帝国の各時代において、いつの時もイスタンブールには皇帝の宮殿が設けられ、国家の中心都市として栄えてきました。その為に国家最大のモスクや麗美な寺院、博物館もこの地に多く存在しています。

イスタンブールには七つの高台がありますが、うちの二つがサライブルヌの近郊にあり、トプカプ宮殿とスルタンアフメット・モスク(ブルーモスク)はこの丘の上に位置しています。また、ビザンチン、オスマン帝国時代を通じて都の社会的な中心地として機能してきた、競技場ヒッポドローム(Hippodrome)はスルタンアフメット広場にあります。

重要史跡のほとんどがサライブルヌとスルタンアフメット広場にあって、それぞれ近いうえ、他にもトルコ・イスラム芸術博物館、モザイク博物館など興味深い場所へも数分の為、旅行者は必ず立ち寄るポイントとなっています。

展示品などの一点一点を鑑賞するにはここだけに数日を裂く必要がありますが、トルコ旅行観光省公認ガイドの案内によるツアーへの参加なら、時間的に制約のある旅行者も時を有効に使い、かつ正しい知識が得られることから最良の選択であると言えるでしょう。

歴史好きな人を虜にするだけではなく、普段の生活ではなかなか見ることができないような芸術的なイスタンブールの美しさに、多くの人が魅了されるでしょう。イスタンブール旅行で、ぜひ訪れたいおすすめのスポットを紹介します。

※掲載している情報は予告なく変わることがあります。

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トプカプ宮殿

イスタンブール歴史地域 トプカプ宮殿

約400年にわたって、世界でも稀に見る巨大な帝国であったオスマン帝国の管理中枢が置かれたトプカプ宮殿は、イスタンブールで外せない観光スポットのトップにあげられます。年間300万人が来訪する、トルコでは第一位の、ヨーロッパでも屈指の見学者数を誇る博物館です。

1453年、当時のコンスタンティノープルを征服した後、ベヤズィット地区の現在のグランドバザールの近くに元々あった小さな宮殿(旧宮殿)を住まいとしていたオスマン帝国のスルタンであるメフメット二世は、1475年~1478年、旧ローマ市街の跡に新宮殿としてトプカブ宮殿の核となる建物を造らせました。その後、19世紀に立ち退くまでの数百年の間、ここを住まいとした各時代のスルタンが自らの必要や趣味に応じて宮殿を美しく飾り、広げていったのです。

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大砲(TOP=トプ)が扉(KAPI=カプ)の前に置かれていたことに由来して、一般に “トプカプ” の名でよばれる宮殿の本来の名称は “Saray-i Cedide-i Amire”と言います。

周囲は全長5kmに及ぶ城壁でおおわれており、繊細で美しい装飾が施されています。第二内庭は幅130m、長さ160mの広さです。糸杉、プラタナスなどが影を落とすこの庭に足を踏み入れる前に、門のすぐ右手にある宮殿の縮小模型を見てその大きさと位置をつかんでおくのがいいかもしれません。

平屋の造りに囲まれた第二内庭は厨房、枢密院に出入りをする外部の人々にも解放されており、スルタンが宮殿滞在中は禁語令が敷かれていました。何百人もの庭師によって丹精に作られた庭園には鹿や孔雀が戯れる様子が見られ、あたかも天上の花園のようであったと言われています。第二庭園の右手には、端から端まで厨房の設備が並んでいます。

厨房と陶器

トプカプ宮殿 厨房

メフメット二世の治世下で造られ、16世紀のセリム二世の時代に高名な建築家スィナンによって修復された宮殿の台所では1,200人が働いていました。これは、宮殿がマイホームであり職場であった人々の数が5,000人程度であった事を考えると、スタッフの約25%が食べる事の為に配属されていた計算となります。厨房の設備はスルタン用、それ以外の人々用、デザートと大きく三部に分けられ、料理長達や配膳係の宿舎、モスク、浴場と倉庫などを完備していました。

メインキッチンは10部屋から成り、各々、皇太后、寵姫達、皇太子、黒人宦官達などの食事の準備専用でした。厨房を覆うドームは15世紀以降に造られたもので、その突き出す煙突は1574年の大火のあとにスィナンによって増築されたものです。

毎日20,000食がここで準備されていた事から、常時宮殿に暮らす5,000人分の一日三食、計15,000食以外にも5,000食分を隊商隊や貧民用に提供していたことがうかがえます。年間の生鮮食材の消費量は小さな町のそれを超えるほどで、資料によると20,000頭の羊、15,000頭の牛、30,000羽の鶏、そして厳選された‘山ほどの’果物や野菜が用いられた、と書かれています。

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旧厨房は、今日に至るまで、中国、ドイツに次いで中国、日本の陶磁器12,000点を保存して、世界第三のコレクションを誇る陶磁器の展示室として機能しています。しかし展示面積の関係で公開されているのは所蔵の1/4、つまり3,000点程であり、これらは戦利品、外国からの贈呈品、購入したもの、死亡した政治家達の寄贈品などで構成されています。

トプカプ宮殿 イスタンブール

まずはぜひ、大部分を構成する中国陶器を、年代順に唐(7~10世紀)、宗(10~13世紀)、元(13~14世紀)、明(14~17世紀)と追って見てみてください。17世紀以降、焼き釜を閉鎖されて衰退期に入った中国窯業にとって代わって、日本の陶器が名を轟かせ始め、18、19世紀のセーヴル、ヴェネチア、マイセン、ベルリン、ワルシャワ等で製作されたヨーロッパの作品も観賞する事が可能です。

最も貴重なものは欧米では見られない青磁や白磁、そしてエンペラー・イエローとよばれる黄色を用いた作品でしょう!青磁の食器は、その性質から毒が混入したものを盛ると表面の色が変色するといわれ、皇位をめぐって権力争いの激しかったオスマン宮廷では重宝されたようです。

陶磁展示室の隣、デザートが用意された“ヘルヴァハネ”では、厨房で使用された当時の巨大な鍋や釜、まな板などの道具に驚かされることでしょう!ここに隣接した通路の突き当たりには、宮廷御用達のガラス工房やヴェネチアで作られた品々が展示されています。また、通路の反対側にある、宮殿に贈呈されたり宮殿付きの職人の手による銀の品々も素晴らしいです。

再び第二内庭に戻って、厨房の対面、内庭左手の建物に目を移してみましょう。手前から、スルタンの厩舎、そして隣にはハレムが続いています。

ハレム

トプカプ宮殿 ハレム

アラビア語で “禁断の” “秘められた” の意味にあたるハラムに由来し、公務を終えたスルタンがプライベートな時間を過ごした場所をハレムと呼びます。

トプカプ宮殿建設後、全ての政治機能は旧宮殿から新宮殿であるトプカプ宮殿に移動されましたが、スルタンの家族は約80年の間ベヤズィットの旧宮殿に住み続けていました。

スレイマン大帝の時代に旧宮殿が火災で焼かれると、第二夫人ヒュッレムの強要もあってトプカプ宮殿内部に木造の “大奥” が設けられ、夫人や子供達、そして多くの召使が揃ってこのハレムに越して来たのです。こうして政治の中枢に隣接して暮らすスルタンの夫人達が、帝国の運命を舞台裏から操る機会も増えることとなりました。

再び修復された旧宮殿はこれを境に、降位した、あるいは死亡したスルタンに属する夫人や子供達の住む、忘れ去られた場所となっていくのです。

その後、1666年の大火で全焼した木造の造りに代わって、各部屋が迷路のように入り組む多くの新しい部所が新設され、300部屋を有するハレムが出来上がりました。今日、一般公開される部分はそのわずか一部であり、ほとんどが16~18世紀に建設されたものです。ハレムを見学するには第二内庭でまた別に入場券を購入する必要があるため、注意しましょう。

外の世界とは完全に遮断されたハレムに入殿できるのは、スルタンに最も近い親族と、ここで働く人間だけに与えられた特権でした。三つの職-健康を管理する医者、皇子達の教育にあたる学者達、祝日に呼ばれる楽団-にある男性には、決められた日のみ、決められた広間に入ることが許されていました。

トプカプ宮殿 ハレム イスタンブール

イスラム教徒でない人々にとってハレム入殿は夢にも不可能なことでありましたが、例外中の例外として、トルコ人の治療が不可能な場合のみヨ一ロッパの医者に、あるいは稀に時計類の点検の為に外国人の職人に、短時間のみ入城許可が与えられたといいます。

ハレムではスルタンの夫人や寵妃たち、母以外に、ゆくゆくは権力の座に就く可能性のある皇子達、そして彼らの世話にあたる女性や宦官が生活していました。イスラム教は一夫多妻制であったため、スルタン達は四人まで正妃を迎えることが可能でした。

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“ジャーリエ” “オダルク” などの階級で呼称される女性達は、征服地から連れて来られて名前と宗教を変えさせられた後、宮殿に相応しく厳しく躾けられた少女達でした。このうち、スルタンの目にとまり子供を身ごもった女達には個室が与えられましたが、その他大勢はスルタンや家族の召使として空しくここで一生を終えるか、あるいは名のある政治家などと結婚させられ、-つまり体よくお払い箱となり-ハレムから外に出されるのでした。

スルタンの夫人達から召使まで、もともとハレムに暮らす女性達のほぼ全ては、前述のように “戦利品” として征服地から連れて来られたり、奴隷市場で買い取られたり、または、”献上品” としてスルタンに贈られたものでした。各国からイスタンブールに連れて来られた美しい少女達はスルタンの最も身近に侍り、その後継者を身ごもることに躍起になった一方で、自身に降りかかった捕らわれの身という立場故に、スルタンはもとよりオスマン国家に対して決して真の親近感を抱くことはありませんでした。

その見掛けのきらびやかさの裏側で、女性達は常に駆け引きと根回しの世界で気の休まる時などなかったのです。オスマン帝国では、帝位は直系の父から長男へとではなく、同世代の皇子たちの間で競わせるのが慣例でした。新王は、自らの地位や内紛による国家分裂を避けるために「兄弟殺し」を行うことがメフメト2世の時代から慣例化しており、皇子たちにとっては、生死を争う過酷な競争となっていたのです。

トプカプ宮殿 ハレム イスタンブール

寵妃達は、とにかく皇子を出産することに懸命でした。つまり皇子を産んだ女性に与えられる“ハセキ”の称号を得て、初めて将来安泰という訳ですが、しかしそれでもなお、ハレムを支配し、スルタンに次ぐ位置にある皇太后(ヴァーリデスルタン)と皇帝の寵愛を受けた女達との確執はさけられないものがありました。

ハレムの最高権力者である皇太后(ヴァーリデスルタン)は、40の部屋と多数のお付きを抱えていました。また、ハレムは6,700m2の敷地にあって300の部屋と、46のトイレ、8つの浴場、4つの小台所、2つのモスク、6つの倉庫、病院、プール等の設備も完備されていました。

黒人宦官達(カラアー)は主に故郷アフリカでの戦争で捕虜となったか、あるいは奴隷市場で買い取られた者で、ハレムで“男”の力の必要な仕事は全て“彼等”に任されていました。ハレムに従事した約40人の黒人宦官の中の最高権力者は黒人宵宮長(クズラルアー)で、その地位はスルタン、皇太后に次ぐNo.3という高い位置にあります。嫡子の教育、育成の責任をも負う宦官長の部屋は、他の宦官達より広く美しくありました。

しかし、絶世の美女に囲まれながらも、彼女らの間に確固として存在する目に見えない厚い壁、去勢された体、不自由な奴隷の身分… いくらスルタンに忠誠を誓ってはいても、これら負の要素は、時として宮廷内部の陰謀に宦官達を深く係わらせる要因ともなりました。

ハレムの見学では、宦官達の部屋、タイルに装飾された内庭、嫡子の学問所、寵妃達の内庭とそれを取り囲む部屋、皇太后の美しい寝室、食堂、礼拝の間などを目にすることができます。その他、常に暗殺の危険と背中合わせにあったスルタンの、青銅の格子がはめられた大理石の浴室、18世紀を支配したアブドゥルハミットⅠ世の寝室、アフメットⅠ世の図書館、当時の最高の手法によるアフメットⅡ世の食堂 「果実の間」、スルタンの兄弟達が半ば囚われの身で暮らした小部屋や女達がスルタンの御成りを迎えた46mの”黄金の道”も興味深いです。

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第二内庭の見どころ~第三内庭へ

トプカプ宮殿 イスタンブール

ハレム見学を終了すると第三内庭に出ますが、その前に第二内庭のポイントを記しておきましょう!

ハレム入り口のすぐ横、帝国政治の中枢であった枢密院クッベアルトゥ(会議の間)には、その上階に宰相等の会議の様をスルタンがこっそりと監督した、鉄格子のはまったガラス窓の部屋があります。

その枢密院の上には、高さ41mの正義の塔が建っています。本来は15世紀に市街の監視の目的で設けられたものですが、今日、これは単にトプカプ宮殿のみならず、全イスタンブールの象徴となっています。

オスマン帝国時代には宝物殿として利用されていた建物は、今日、武具展示室となっています。征服王の鉄砲、中東を手中に収めたスルタン・ヤウズ・セリムの馬具のほか、16~19世紀の世界各国の武器、武具など、興味深い展示は必見です!

第二内庭の北側に「バービュスサーデの門」(幸福の門)と呼ばれる白人宦官の門(アクアーラルの門)があり、くぐると第三内庭に出ます。当時は、ここに白人宦官の宿舎がありました。宮殿はこの門を境に、帝国の政の中心とスルタンの私的な場とに分けられていました。

400年間にわたり、重要な儀式や祝賀会がこの門前で執り行われてきましたが、その際には、現在その上を石にて保護されている穴にオスマン帝国旗が据えられ、前にはスルタンの玉座が置かれました。帝国上層部の政治家、軍人もこの門の前で半円を描くように位置したのです。

バービュスサーデの門(幸福の門)をくぐって第三内庭にはいるとすぐ、目前にアルズ・オダス(謁見の間)がひかえています。枢密院での決定事項をスルタンの御前に献上したり、または外国の大使や賓客がスルタンの謁見を仰いだ場所で、装飾タイルの美しさが印象的です。

向かって左の壁際には貴石をちりばめた玉座が置かれています。壁に設けられた大理石の水桶は、密談が外部に漏れる事を防ぐために、そこに落ちる音で話し声を消す役目をおっていました。アルズ・オダス(謁見の間)の向かい、バービュスサーデの門(幸福の門)の上部にはアラビア文字を用いた装飾とスルタンの花押(トゥーラ)も見られます。

第三内庭に入って右手の部分はかつての宮廷学問所であり、現在は博物館管理事務局がオフィスとして使用しています。スルタンの身辺で奉仕した小姓達の中で「セフェッリ・アー」の位置にあった者達の宿舎であった場所は内庭の右側に位置し、今日ではスルタンと皇子達の衣装展示室となっています。そして、この建物に隣接するのが、宮殿で最大の見どころと言うべき宝物殿です!

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宝物殿

トプカプ宮殿 イスタンブール

オスマン帝国時代は17世紀以来、宮殿の財宝を管理する為の部屋として使用されていました。コレクションの大部分は宮廷お抱えの宝石職人の手によるもので、資料によると15世紀には70人の職人が宮廷の為に腕をふるったとされています。ちなみに、今日では、イスタンブールに定住したアルメニア系トルコ人がトルコ宝飾芸術を継承し生かし続けています。宮廷の財宝を構成するものとしては、これ以外にも戦利品や献上品としてここにおさめられたものがあります。

展示室は四つの部屋から構成されています。

第一室

黒檀に象牙と真珠貝で象限細工を施した17世紀のムラトⅣ世の玉座、黄金の燭台、水晶の水パイプや琥珀の吸い口、インドからの黄金の象のオルゴール、宝石の散らされた杖等が注目すべき展示物として飾られています。

第二室

トプカプ宮殿 短剣

17世紀に造られた、アフメットⅠ世の天蓋つき玉座があります。

また、ここには宮殿一の傑作品 「トプカプの短剣」とよばれる、エメラルドの剣が展示されています。これは元々、マフムッドⅠ世がイランのシャー・ナーディルに贈呈する為に作らせた品でしたが、道中でシャーの死を知らされて再び宮殿に持ち帰ったものです。

第三室

トプカプ宮殿 ダイヤモンド

名前の由来には諸説ありますが、発見者の職業から「スプーン屋のダイヤモンド」と呼ばれる、周囲を49個のブリリアントカットのダイヤで取り囲まれた86カラットのダイヤが置かれるのがここです。預言者ムハンマドの墓用に、各々6,666個のダイヤがはめられた対の黄金の燭台も必見の価値があります!

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また、ここに据えられた玉座は、エジプト総督イブラヒム・パシャが16世紀にムラトⅡ世に献上したもので、胡桃の素材に黄金が張られています。

第四室

トプカプ宮殿 イスタンブール

イランのシャー・ナーディルがマフムッドⅠ世に贈呈した、25,000個の真珠が用いられた金の玉座が中央に置かれています。他にも、洗礼者聖ヨハネの骨や数珠の他、書の道具、煙草盆や嗅ぎ煙草ケースなど、美しい芸術品の数々が並んでいます。

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宝物殿を後にすると、博物館管理事務所として使用されている北側の建物の間に、第四内庭に下る通路がのびています。この小路を挟む様にして、「ハズィネ・アーの宿舎」とよばれる、手書きの書物やスルタンの肖像画をおさめた能書と肖像画の展示室があります。ここにある、13~17世紀のトルコ・イスラム細密画も注目です。

連なる時計展示室では、16~20世紀の作品が管理されています。中でも、ロシア皇帝ニコラスがアブドゥルメジットⅡ世に贈った宝石使いの一品は見事です。ここの隣には、宮殿の中で最も神聖な場、「宗教遺産の間」がひかえています。

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宗教遺産の間

1517年、エジプトを征服したヤウズ・スルタン・セリムが預言者ムハンマドに属する品々をイスタンブールに持ち帰って以来、皇位についた全てのオスマン帝国のスルタンは、全イスラム世界の指導者を意味する〈カリフ〉の称号をも冠すことになりました。

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外壁、内壁をともに覆う、ブルーのイズニックタイルがで人目を引くこの建物「宗教遺産の間」は二部に分かれており、入り口の間にはカーベからの雨樋や鍵と共に、ムハンマドを継ぐ最初の四人のカリフに属する剣も見られます。続きの間には、ガラスに仕切られて保存されるモハメッドの聖なる外套、剣、軍旗、弓矢や、足跡、歯、髭、そして親書等が展示されています。

第三内庭で最も新しく、見逃せないものとして、1719年にアフメットⅡ世によって庭園の中央に建築された図書館をあげることができます。大理石を用いて造られたこの図書館には約4,000冊の手書きの書物がおさめられ、内部を覆う多彩色のタイルも美しいです。

宮殿の最も奥、第四内庭には二ケ所から入ることができます。まず左手、黒い小石が敷かれた通路をぬけると、庭の隅に建つ東屋と、かつてソファの館からスルタン達がその美しさを愛でたチューリップの庭園が広がります。ここの横にある大理石の階段をあがると、噴水のあるプールと青銅の天蓋(イフタリエ)をそなえたバルコニーが目をひく大理石のテラスに出ます。そこから見渡す景色はエミノニュとガラタ地区、そして金角湾にかかる橋…

トプカプ宮殿 イスタンブール

テラスの一角には1638年のムラトⅣ世のバグダット征服を記念した、バグダットの館(バーダット・キョシュシュ)が見られます。青いイズニックタイル、金で彩色されたドーム、真珠貝や象牙の象細工が美しい扉など、17世紀のオスマン装飾の最も優雅な作品の一つといえるでしょう。別の一角には、スルタンの嫡子達の割礼の儀式がとりおこなわれた割礼の間があります。

再びチューリップの庭園に沿って歩を進めると、まず主侍医の館の横を過ぎ、そこから階段をおりてメジディエの館へと出ます。アブドゥルメジットⅠ世の命で建築家サルキス・バルヤンによって建てられたこの東屋は、トプカプ宮殿の歴史上、一番最後につくられた1840年の作品です。

メジディエの館の前は「ボスフォラスのテラス」とよばれ、対岸に広がるアジア大陸、マルマラ海、島々、ボスフォラス海峡の、息を呑む様な素晴らしい景色が一望できます。

トプカプ宮殿は、ミュージアムパスの対象となっています。ミュージアムパスとは、イスタンブールの歴史的建造物や博物館などの観光スポットで、その都度チケットを購入しなくても入場できる便利なパスのことです。

名称 トプカプ宮殿(Topkapı Sarayı)
住所 Cankurtaran, 34122 Fatih/İstanbul, Turkey
営業時間 9:00~16:45、チケット売り場は16:00まで(冬季:10月30日~4月15日)
9:00~18:45、チケット売り場は18:00まで(夏季:4月15日~10月30日)
定休日 火曜日
入場料 72TL
ハレム入場の追加料金:42TL
ハギアアイリーン教会入場の追加料金:36TL
オーディオガイド:20~30TL
公式サイト https://muze.gen.tr/muze-detay/topkapi

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ブルーモスク(スルタン・アフメット・モスク)

ブルーモスク トルコ イスタンブール

在位期1603年~1617年、オスマン帝国第14代のスルタン・アフメットI世によって建立されたもので、イスタンブールで最も美しい寺院といわれています。

高名な天才建築家スィナンの弟子の一人メフメット・アーの監督により1609年に着工、1616年に完成しました。神学校、貧民救済の為の簡易食堂、隊商宿などを抱えた総合施設です。

14才で権力の座についてからの14年間、スルタンとしての手腕を多方面で発拝したアフメットⅠ世は、身を捧げて取り組んだモスク完成から数週間の後に、癌と思われる病で28年の短すぎる生産を閉じました。

メフメット・アーは、かつてスルタンの親衛隊であるイェニチェリの兵士でしたが、異色の才能で頭角をあらわし、まずは水路、橋の建設に従事した後、建築責任者として聖地メッカ、カーバ神殿の修復にもあたっています。

モスクの敷地として白羽の矢が立てられたのは、かつてより都の中心であった場所であったのですが、何よりもトプカプ宮殿の目と鼻の先ということが重要な決め手の一つとなりました。

建設にあたっての慎重な姿勢は資材、内装品の選択にもうかがえます。使用された21,043枚のタイルはイズニックに造られた宮殿専用の窯元で、何百㎡もの床を覆う絹の絨毯も同様に宮殿御用達の工房の作で、何百ものクリスタルのランプは外国から取り寄せられました。5ケ所に扉が設けられている内庭の広さは72m×64m。中央には六本の柱をもつ六角形の泉噴が美しく、四方には計26本の花崗岩の柱上に30のドームがのせられています。

ブルーモスク イスタンブール トルコ

この寺院はイスタンブールはもとより、全トルコでも唯一、六本のミナレットを有するモスクとしても特筆に値しています。内庭と本堂のそれぞれコーナーにそびえるミナレットのうち四本には三つずつ、残り二本の尖塔には二つずつ、計16のバルコニーが設置されていますが、ミナレットに関する言い伝えによると、アフメットⅠ世はメフメット・ア一に「黄金(ALTIN=アルトゥン)」でミナレットを建設するように命じましたが、これでは非常に高額になるため「六本(ALTI=アルトゥ)」と聞き間違えた事にしてこのような形をとったとされています。

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しかし、そうなると聖地メッカにある六本のミナレット尖塔をもつハラム神殿と同等に並んでしまうことになり、アフメットⅠ世はそこに七本目のミナレットを寄贈することにしました。こうして、ブルーモスク(スルタン・アフメット・モスク)は七本のミナレットを有するハラム神殿に次いで、尖塔の多いモスクとなったのです。

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モスクの基本的な設計には、中心の大ドームとその四方に一つずつの半ドームをもつ形式が使われ、ほぼ正方形の本堂は51m×53mの広さがあります。建設にあたって、建築学上メフメット・アーが他のオスマン帝国期のモスクには見られなかった新しい試みに挑んだとはいえませんが、しかし、内装に関しては他の追随を許さない華麗さを誇っています。

全世界で「ブルーモスク」の名で知られるのは、壁とドームに用いられた青と緑を基調にしたタイルやフレスコが理由となっています。

中世における芸術の発達を調査して気づくのが、建築物と宗教の深い関わり合いです。宗教庁によって推進された手工芸をはじめ、イスラム教にしてもキリスト教世界にしても、金銭管理をする宗教関係の諸機関がその方面に主に融資した為、芸術分野は著しい発展を遂げたことに対して、他の分野について同様のことは言い難くあります。

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例えばキリスト教の場合、教会に像や宗教画を置くことが許され、礼拝の際に賛美歌が斉唱された為に、彫刻、絵画、音楽が発展しました。一方、イスラム教では偶像崇拝が禁じられ、また、賛美歌のような音楽も用いられないため、これらの代わりにイスラム書道、ステンドグラス、タイル等の分野が発展しました。地にひれ伏すようにして祈りを捧げるイスラム世界で手織り絨毯が必要不可欠であるのに対し、着席をする形のキリスト教世界ではこれが必要なかったせいで、絨毯の製造技術は発展しませんでした。

12世紀以来トルコ民族が手掛けてきたタイル芸術は、絨毯と同様に、産地によって使用される色、図柄が様々で、トルコで窯業といえばまずキュタヒヤの地名がうかびます。モスクの装飾として好んで用いられた図柄としては、木の葉、若芽、蕾、チューリップ、バラ、カーネーション、葡萄の房、ヒヤシンス、唐草模様などがあります。

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ブルーモスク スルタンアフメトモスク イスタンブール

ブルーモスク(スルタン・アフメット・モスク)は人を圧倒する巨大さとともに、華麗で繊細でさえある中央ドーム、それを支える半円ドームや柱との調和、そして柔らかい印象を与えようと、尖った角を全て丸く削り取った工夫、モスクのキブラ壁(聖地カーバ神殿の方向を示す礼拝堂内部正面の壁)に設置された窪み状の設備をミフラーブと呼びますが、そのミフラーブの上を飾る美しいステンドグラス、ドームの周辺に設えられた窓からの採光で息づくフレスコやタイルの模様など、どの点から見ても考え抜かれた技法が駆使されています。内部には計260の窓がありますが、残念ながら建設当時に用いられていたベネチアグラスは残っていません。

高さ43m、直径23.5mの中央ドームは、各々、直径約5mの「象の足」とよばれる四本の柱によって支えられています。ブルーモスクのミフラーブにはイスラム教徒にとっての聖地であるカーバ神殿から持ち帰られた黒い石が置かれています。

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その隣にはミンベルとよばれる階段状の説教壇、そして左手にはスルタンが祈りを捧げた場所があります。中央ドーム及び半円ドームと、円柱の周囲そして壁を飾る古い時代の書には、コーランの中の節、預言者モハメッドの言葉などが表現されています。

つい最近まで本堂の床を覆っていた様々な色や大きさのどれもが貴重な手織り絨毯は、残念ながら今風の“つまらない”ものにとって代わられてしまいました。キブラ壁の方向の壁を除いた三方は、女性が礼拝する為の、あるいは宗教上の集いに利用されたギャラリーとなっています。モスクの北東にあり、子息オスマンⅡ世によって建立されたスルタン・アフメットⅠ世の廟には同スルタンの墓をはじめとして、17世紀に即位したオスマンⅡ世、ムラトⅣ世、そしてアフメットⅠ世が熱愛した寵妃キョセム・スルタンが埋葬されており、また、スルタンの一族32名の墓もここに置かれています。

入場は無料です。出口では、寄付を受け付けています。年中無休ですが、礼拝中は立入禁止です。当日の営業時間は公式ホームページで確認できます。

世界で最も美しいと称されるブルーモスクの見どころは?イスタンブール観光を満喫

名称 スルタンアフメト・モスク(Sultan Ahmet Camii)
住所 Sultan Ahmet, Atmeydanı Cd. No:7, 34122 Fatih/İstanbul, Turkey
開館時間 8:30~11:30、13:00~14:30、15:30~16:45
金曜日:13:30
定休日 なし
入場料 無料 ※出口付近で寄付を受付
公式サイト http://www.sultanahmetcamii.org/
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アヤソフィア(アヤ・ソフィア)

アヤソフィア イスタンブール

アヤソフィアは、かつてキリスト教の寺院として創建された建物です。初代はローマ帝国時代に建てられましたが、2度にわたって焼失しており、現在イスタンブールに残っているのはビザンツ帝国(東ローマ帝国)時代の537年、3番目に作られたもの。

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古代イスラエルの王ソロモンがエルサレムに建てた神殿を凌ぐ規模の大聖堂で、トラレス(現トルコ西部アイドゥン)のアンテミウスとミレトスのイシドロスの2人が建築を担当。当時の最高技術を結集した、三つの身廊を巨大なドームが覆う世界で初めての設計を採用しました。

アヤソフィアにはコンスタンティノープル教会の総主教座が置かれ、ビザンツ帝国時代、特に東西教会の分裂後はギリシア正教の総本山として中世キリスト教の重要拠点でしたが、1453年にオスマン帝国によってコンスタンティノープルが陥落するとモスクに転換され、外部にはミナレット(尖塔)、内部にはミフラーブなどが設置されました。

アヤソフィア イスタンブール

オスマン帝国の滅亡後、政教分離を推し進めたトルコ共和国において、アヤソフィアは博物館として公開されていましたが、2020年7月には再びモスクに。モスクになった現在も、礼拝時間以外は以前と同じように観光客でも内部を見学可能です。

アヤソフィアの特筆すべき点は、キリスト教の教会からイスラム教のモスクに転換される際に、建物を大きく破壊しなかったため、両者の特徴が混在して残っていることです。

最大の見どころは、初期キリスト教時代から内部の天井や壁に描かれた見事なモザイク画です。イスラム教では偶像崇拝を禁じているために、これらのモザイク画はオスマン帝国時代に一度漆喰で塗りつぶされましたが、現在は修復作業が進み、その多くを目にすることができます。

モザイクの技法や歴史を解説!モスクやカテドラルなど世界遺産を彩る芸術

名称 アヤソフィア(Ayasofya Camii)
住所 Sultan Ahmet, Ayasofya Meydanı No:1, 34122 Fatih/İstanbul, Turkey
入場料 無料
公式サイト https://www.ayasofyacamii.gov.tr/en

イスタンブール地下宮殿(バシリカ・シスタン)

地下宮殿 イスタンブール バシリカ・シスタン

「宮殿」と呼ばれていますが、実際には地下にある巨大貯水池です。バジリカ貯水池とも呼ばれています。長い修復が終わって公開されてからは、イスタンブールの人気観光スポットとなっています。

ひんやりとしているため、特に夏の暑い日には休憩がてら訪れるのもおすすめ。見どころは巨大なメデューサの頭を台座とした2本の柱です。イスタンブールミュージアムパスは対象外なので注意してください。

イスタンブールの地下宮殿は必見!メデューサに守られた場所の正体とは?

名称 イスタンブール地下宮殿(Yerebatan Sarnıcı)
住所 Alemdar, Yerebatan Cd. 1/3, 34110 Fatih/İstanbul, Turkey
営業時間 9:00~18:30(夏季)、9:00~17:30(冬季)
定休日 なし
入場料 20TL
公式サイト https://www.yerebatan.com/en

イスタンブール考古学博物館

イスタンブール考古学博物館

イスタンブール考古学博物館は、古代オリエント博物館、考古学博物館、タイル博物館の3つの総称です。トプカプ宮殿の第一の庭に位置しています。有名な「アレキサンダーの石棺」をはじめ、6万点の考古学的出土品、76万枚のコイン、7万5千枚の粘土版が収蔵されている、世界有数の規模を誇る博物館です。イスタンブールミュージアムパスの対象施設となっていますので、ぜひ訪れてみてください。

名称 İstanbul Arkeoloji Müzeleri
住所 Cankurtaran, 34122 Fatih/İstanbul, トルコ
入場料金 50TL
営業時間 9:00~19:00(夏季)、9:00~18:00(冬季)
定休日 月曜日

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テオドシウスの城壁

かつてのイスタンブールは、その周囲をビザンチン時代の城壁によって包囲されており、マルマラ海沿いの部分は「海側の城壁」、イェディクレと金角湾の間を「陸側の城壁」、そして金角湾に沿う部分は「金角湾側の城壁」とよばれています。マルマラ海に沿ってサライブルヌからイェディクレへと続く「海側の城壁」は約8.5kmにわたります。

4世紀にコンスタンチヌス大帝、5世紀に入ってはテオドシウスⅡ世によって建築され、ビザンチン時代に頻繁に改築の手が入れられたこの城壁は、海側からの勢力侵入の可能性が薄れたこともあって、オスマン帝国時代になると人々の記憶の隅に追いやられたかたちとなりました。

イスタンブール 城壁

本来は海岸線ギリギリに立っていた城壁も、19世紀末に敷かれた鉄道や海岸通りによって、今日では海岸からかなり陸側に入り込んでいます。城壁の跡が皆無であるガラタ橋とサライブルヌ間に見られる17世紀のセぺッチ・カスル(籠職人の館)はトプカブ宮殿に属する別邸の一つであり、スルタンの金角湾での船遊びは、ここから出発していました。

チャトラデュカプ地区で、城壁後方に見える尖塔のある建物は、ビザンチン帝国時代のセルギウス・バッカス教会で、現在はキュチュック・アヤソフィア・ジャーミー(小アヤソフィアモスク)として利用されています。

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クムカプ

海岸通りに沿ってカドゥルガ地区を過ぎると、魚市場や海鮮料理のレストランが軒を連ねる有名なクムカプに出ます。地元の人々が、新鮮な魚介類といえばクムカプと太鼓判を押すこの地区は、外国人旅行者も必ず一晩は、選りすぐりのトルコの魚料理を堪能する為に時間を割くポイントとなっています。通りを挟んで両側に並ぶ沢山のレストランは、夏の盛りともなるとテーブルを外に出し、ベリーダンサーや楽団を相手に飲めや踊れやの大騒ぎとなっています。

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イェニカプから海岸沿いに走り続けるとサマトゥヤ地区に出ます。オスマン民族が都市を征服した後、少数のアルメニア人が住まいを構えた場所で、最初のアルメニア教会もここに建てられています。アイオス・テオドロス教会、スル修道院、アイオス・メノス教会など、大小の教会の多い場所です。イェディクレの城塞に着く前、海側の城壁に設けられた最後の門であるナッルカプは、すぐ後方に位置するストゥディオン修道院に海から詣でる人々が利用したものです。

イェディクレの城塞

城壁に沿って海から陸側にしばらく歩くと、城壁の中でも最も印象的な城塞が姿を現します。陸側の城壁が建設される前、ここにはテオドシウスⅠ世が凱旋門を建設させたといわれています。

413~429年の陸側の城壁建設にあ当たり、この凱旋門は壁の一部となり、重要な勝利の祝いや儀式がこの前で執り行われたとされています。それ故に、大理石に黄金を張ったこの高さ15mの門は「黄金の門」ともよばれています。

大理石の塔の上には、当時、金や青銅の像がおかれていました。ここは皇帝のみが使用したもので、一般用の門はこれとは別に設けられました。1457~58年に崩壊した部分に三つの新しい塔を遣らせた征服王メフメットは、ここを都市警備員の駐在署として使用させ、宮殿の財宝もここで管理させていました。

ムラトⅢ世が財宝を宮殿に移動させたのちには、城塞は1831年まで、政治家や役人、大使達の牢獄として使われました。内部には当時の囚人達が刻んだ壁書きが残っています。しばらくの間放置されるままになっていましたが、1959年に修復された後は博物館として機能しています。

陸側の城壁

5世紀に都市の総督アンテミオスの監督下で建設されたもので、長さは6kmあります。96ケ所の塔で強化され、最も高い場所は海抜76mに位置します。

陸側の城壁には大小46の門があり、番外側には幅20m、深さ10mの濠(堀)をしたがえています。そして、このすぐ内側には、それぞれ7mと11mの二重の壁が10mの間をあけて設けられています。

イェディクレの城塞の後、順にベオグラード門、スィリブリ門、メヴレヴィ門、トプカプの門、エディルネの門と並び、金角湾に近づくと、テクフル宮殿やアネマス牢獄の遺跡が見えてきます。

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商店街エミノヌ地区

エミノニュ イスタンブールグルメ

スルタンアフメット広場から陸側の城壁へと続くディヴァン通りに沿うチェンベッリタシ広場から商店街が広がっています。非常に活気のある一帯で、ショッピングの合間に、ローマ、ビザンチン、オスマン帝国時代から現在に残る興味深い建物にもぜひ注目してみてください!

まず、チェンベッリタシからグランドバザールを通って、ベヤ・ズィット広場に歩を進めてみましょう。そこからスレイマニエ・モスクを見学して、メルジャン坂をエジプシャンバザール(ムスル・チャルシュス)へと下ると良いでしょう。

チェンベッリタシ

ローマ時代、ヒポドロムに最も近い広場として造られたフォルム・コンスタンチヌスにおいて今日に残るものは、残念ながら「焼けた円柱」としても知られるチェンベッリタシのみとなります。

皇帝コンスタンチヌスが4世紀に造らせた約57mの円柱の上には、1105年まで皇帝のブロンズ像が据えられていた。強度の地震や大火でかなりのダメージを受け、現在の高さは約37mとなっています。柱の周囲には強化保護の為に金属の輪(チェンベリ)がかけられ、円柱の名前もこれに由来しています。

ヌールオスマーニエ・モスク

オスマンのスルタン・マフムットⅠ世の命で1748年に着工し、その死後オスマンⅢ世に継がれて1755年に完成をみた寺院で、一帯はこのモスクに由来してヌールオスマーニエ地区とよばれています。グランドバザールの正面入り口にあり、18世紀のヨーロッパ・バロックのテイストをオスマン建築様式に加味して造られた例の一つとなっています。

旧コンスタンチノープルの城壁内にある七つの丘の一つに造られたヌールオスマーニエは、典型的なオスマン時代のモスクとは異なり、たっぷりと装飾された正面壁のアーチとミナレット、本堂の外にはみ出す様に設えられたミヒラブを備えて、異色な位置づけをされています。

泉のない半円形の内庭は14のドームを支える12本の柱で取り囲まれており、これらも、それ以前のモスク建築では用いられなかったバロック的特徴を持っています。

本堂に入ると、高さ25.75mの単独ドームを支える柱が皆無であることに気づきます。五列の窓からは十分な光が差し込み、説教壇やアラビア文字でコーランの一節が記された壁のタイルの美しさを引き立てています。

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グランドバザール

グランドバザール イスタンブール

グランドバザールは、旧市街西側に位置する市場です。1461年にスルタンのメフメット2世が、アヤ・ソフィアの建設費を捻出するために開いた市場として知られています。時代とともに、周辺のお店が徐々に市場に組み込まれていき、約5000軒もの店舗が立ち並ぶ大市場に成長しました。

グランドバザールでは、貴金属、トルコじゅうたん、スカーフやパシュミナ(インドのカシミール地方に伝わる手織りの毛織物)、トルコランプ、革製品、トルコの伝統菓子「ロクム」などあらゆるものを購入できます。まさにお土産探しにぴったりの場所なので、イスタンブールを訪れた際には足を運ぶとよいでしょう。

ほかにも、グランドバザールには、カフェやレストラン、郵便局まであります。ただし、観光客向けに高めの値段を付けられることが多いので、値下げ交渉は必須です。お土産を値引きしてもらうのも海外観光の楽しみの一つなので、思いっきり満喫してください。

グランド・バザール徹底解説!トルコ観光で絶対訪れたい巨大市場の魅力

名称 グランドバザール(Kapalı Çarşı)
住所 Beyazıt, Kalpakçılar Cd. No:22, 34126 Fatih/İstanbul, Turkey
営業時間 8:00~19:00
定休日 日曜日、砂糖祭、犠牲祭、10月29日共和国記念日、元旦
※その年により変更になる可能性多々あり。前もって必ずご確認ください。
入場料 無料

スレイマニエモスク

イスタンブール スレイマニエモスク

ベオグラード、ロードスの征服に始まり、ドイツ、ハンガリー、ウィーンに遠征をしかけたスレイマン1世の治世下に於いて帝国領土は最大となり、それは皇帝ユスチニアヌスの時代に迎えた黄金期にビザンチン帝国が有してした面積にほぼ等しいものとなりました。

オスマン帝国で最も偉大なスルタンの一人にも拘わらず、在位30周年目にしてようやくその記念にモスク建造の機会に恵まれたスレイマンは、イスタンブールで最大にして最も荘厳なモスクに自らの名を冠することとなったのでした。

スレイマン大帝の時代はオスマン帝国の上昇期の末期にあたり、ヨーロッパでも賢哲さで一目おかれたその46年の治世下で、帝国は文学、科学、芸術などの分野で目覚ましい発展を記しました。

スレイマン1世とは?オスマン帝国で最も有名なスルタンの生涯と功績

建築家スィナンは「図面を必要とすることなしに傑作を生み出すことのできる天才」といわれています。歴代五人のスルタンの建築顧問を務めた彼は、1490~1588年の生産で50年を建築家として生き、400に近い作品を残しました。

カイセリの非イスラム教徒の家庭に生を受け、22歳の時に宮殿に奉仕に上がった後は19年間、近衛兵イェニチェリに所属しました。建築方面での才能で頭角をあらわしたスィナンは、この分野に専念することとなり、メッカの神学校やブダペストのモスクなど、遠隔地にも多くの作品を残しています。

完成に七年を要したモスクと周囲の施設建設は、3,000人の土木工を使って6~7mを掘り下げる基礎工事に最初の三年を費やしたといわれています。因みに総工費は現在の米ドル建てで約6,000万ドルとされています。スィナン独自の耐震設計が適用され、この設計を以って「世界があり続ける限りこのモスクもここに立ち続ける」とスィナンはスルタンに言上したといわれています。実際、イスタンブールで今日まで残る24の彼の建造物のうち、この500年間に起こった地震でダメージを受けたのは極僅かです。

スレイマニエモスクは、規模とドームの高さはさておき、全体的な優雅さ、付属施設の充実さに於いてアヤソフィアに酷似しています。16世紀、この地区は主に非イスラム教徒が居を構えた一帯で、イスタンブールの七つの丘の一つに位置しています。

ブルーモスクが古いビザンチン宮殿の遺跡の上に建てられたのと同様、このモスクは都市の征服後、暫くの間オスマン民族が生活をしていたオスマンの小宮殿跡に建立されています。

スィナン自身が「修行期の作品」と言うモスクは200m×140mの庭園の中心に、前庭、そしてスレイマン大帝と后ヒュッレムの墓を含む後方に広がる88墓地を従えて吃立しています。庭園の周囲にはモスクと同時にスィナンが建てた平屋の付属設備があり、特に、宗教教育の場であった神学校は重要でした。

ここの下手には土産物を売る店が入るバザール「ティリヤキ・チャルシュス」(病み付き達のバザールの意)がありますが、この名称はオスマン帝国時代、ここがアヘンを吸う人達のたまり場となっていた事に由来している。

また、モスクの西手には貧民救済用の食堂や隊商宿もおかれ、これらは全て付属施設の一部を構成していました。施設の中央の外苑には11ケ所の門から入ることができ、モスクの南壁には清めの泉が設けられています。西手の前庭には3ケ所の門が開いており、28のドームを支える花崗岩と大理石の24本の柱に取り囲まれています。

スレイマニエモスク イスタンブール

前庭に面するモスクの窓上にはタイルのパネルがあり、征服の賞賛に関するコーランからの一説がアラビア語で記されていますが、これはハンガリーの征服後にここから得られた収益でこのモスクが建設された際に掲げられたものです。前庭中央、メッカのカーベを思わせる長方形の泉にも注目したいところです。

4本のミナレットのうち2本には3つずつ、残りの2本には2つずつ、計10ケのバルコニーがありますが、これはスィナンが、尖塔の数をしてスレイマン大帝が都市征服後から四代目、バルコニーの数でオスマンの創立から第十代目のスルタンであることを表現したものであるといわれています。

天才スィナンが69歳の時に建築にかかったモスクの規模は57m×60m、4,500㎡の敷地を有しており、一人当たりの礼拝用の面積を1㎡と仮定すると、同時に5,000人は祈りを捧げることができます。その規模と美しさで、ブルーモスクとともにイスタンブールにあるモスクの双壁といえるでしょう。

高さ50m、直径26.5mの中央ドームはそれぞれ、レバノンはバールベックのゼウス神殿、アレキサンドリア、イスタンブールのヴェファ、そしてトプカプ宮殿周辺から搬入した4本(イスラムの最初の4人のカリフを象徴)の柱と東西の半円ドームに支えられています。南北両側には2本ずつの紅色の花崗岩の柱に支えられたアーチが見られます。ドームのまわりには32、モスク全体では136の窓がはめられており、中央ドームを支える半円ドームは直径23m、高さ40mとなっています。

外装に勝るとも劣らない内装の繊細さは、特に、当時その分野では右に出る者無しとされた「酔いどれのイプラヒム」の作品であるステンドグラスにおいて顕著に見ることが出来ます。また、イスラム世界の指導者達やコーランの一部を記した高名な書家ハサン・チェレビの書は、モスクのオイルランプの煤を集めて作った黒い下地の中に浮かび上がっています。

大々的な修復は参拝を受け始めて400年目にあたる1957年に実施されました。説教壇とミヒラブには白大理石が使用されましたが、彩色ガラスを用いた窓ガラスは16世紀当時のそのままのものとなっています。このモスクの数ある特徴の中でも、際立つものは何といっても見事な音響効果に違いないでしょう!

点火が容易な様に、また十分な明かりが得られる様に、照明(当時はオイルランプを使用)はかなり低めにさげられています。天井と照明の間に下がる球状の黒い物体はダチョウの卵なのですが、各種の香辛料と薬草で茄でられた卵の匂いがクモ避けに効果があるとされています。

本堂裏手の墓地は、屋外墓標博物館の様相を呈しており、帝国上層部の面々が葬られたこの場に見られる墓石は、どれもが一つの芸術作品といえる程に繊細で美しいのです。死者の頭上のみならず、足元にあたる部分にも墓石がおかれているところにも注目です。

1566年にこの世を去ったスレイマン大帝は、墓地の中央に設けられた霊廟に埋葬されました。スルタン・アフメットⅡ世、スレイマンⅡ世、そして大帝の皇女ミフリマーもここに葬られており、廟を覆う二重のドームの内側には夜空の星を思わせる石が刺繍されています。

スレイマン大帝の霊廟のとなりにはロシアの僧侶の娘で、大帝の后となった後、次のスルタン・セリムⅡ世の母として帝国の政治を裏から牛耳ったヒュッレムの廟があります。本名をロクセラーナとする彼女は、帝の寵愛に付け込んで大帝に実の皇子ムスタファと宰相イブラヒムを殺害させ、帝国の運命に関わる重大な決断を強いたりしたしたたかな女性でありました。

ヒュッレムとは何者か?オスマン帝国ハレムにおける功績と激動の生涯

尚、モスクの生みの親スィナンの墓も、付属施設の北西端にみられます。派手ではないが繊細で洗練された彼の霊廟は、毎年4月9日の「スィナンを偲ぶ日」に公開されます。あたかも自身の傑作品に署名を記すかの様に、彼の墓は施設の隅にたっています。

スレイマニエ・モスクとは?トルコ・イスタンブールにそびえ立つオスマン帝国最高の建築

カーリエ博物館(コーラ教会)

カーリエ博物館 イスタンブール

4世紀に初めて建設された際、城壁の外側に位置していた為「田舎の、郊外の」の意味にあたるコーラの名がつけられた教会は、後の城壁拡張事業と共に城壁内におさまったものの、名称は昔のままとなっています。今日の建物は11世紀にマリア・ドゥカエナの依頼で造られたものを12世紀にイサアク・コムネノスが修復したもので、14世紀になってテオドール・メトキテスが外廊とパラクレスィオン(埋葬の間)を増築しています。

1316~1321年に教会をモザイクとフレスコ画で装飾させた帝国最高官吏メトキテスは、文化・芸術に精通し、財産を惜しみ無く慈善事業へ提供した政治家でした。1511年、アティク・アリ・パシャによってモスクに転換された教会は、ミナレットが追加され、内部に残る教会時代の宗教画やモザイクも1765年に漆喰で固められました。第二次世界大戦後の修復を経て博物館として一般解放されて以来、イスタンブールで最も美しいビザンチン帝国期のモザイクが残る場所として多くの見学者を魅了し続けています。

礼拝堂の床は彩色大理石のモザイク、壁は大理石張りで、室内には明るい雰囲気が漂います。ここには14世紀のモザイク三点が残りますが、後陣の右手、幼少のキリストと聖母、左手のキリストを表した作品は多少ダメージを受けています。対して、入り口の上部、マリアの死を表現したモザイクは美しく残っています。

このモザイクは、中央の寝台に横たわる聖母をキリストと彼の使徒達、そして天使達が囲むものです。最も美しい外・内廊のモザイクは内容の豊かさ、使用される色彩の変化、仕事の細かさと、どの点についてもビザンチン時代の作品中、これらの右に出るものなしといわれています。

カーリエ博物館

モザイクにて表現されるのは、概して聖書のストーリーからのものですが、例えばマリアの誕生やその幼少期など、新約聖書の題材による作品も見られます。これらが作成された目的は、文盲の、あるいは聖書を得る事のできない信者達にイエスとその家族を身近に感じてもらうことでした。躍動的で現実的、生き生きとした場面は、モザイクの破片としてマルマラ海の小石が用いられ、絵画芸術再興の先掛けとなっています。

聖書とは?意外と知らない旧約・新約の違いや内容、名言などを紹介

年代を追いながら、まず、内廊の入り口に向かって左手の壁、天使から受胎を告知されるマリアの母アンナのモザイクから見ていくといいでしょう。続いてマリア誕生、その幼少期、寺院への信奉、ヨセフとの結婚が表現されています。内廊から礼拝堂へと開く扉の両側には聖パウロと聖ペテロ、その上部にはテオドール・メトキテスと玉座についたキリストが、扉右手のドームには聖書から聖人と預言者達が描かれています。

この下部、〈イエスの奇跡〉では病人を治療し、盲人に光りを与え、死人を復活させるキリストが表現されています。その中で壁の一つを完全に覆う大きな作品には、キリストとマリア、イサアク・コムネノス、そして修道女メラニーが描かれていますが、下部の損傷が激しいとはいえ、このキリストは市内に残る同種の作品の中で、最も美しいものとされています。

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外廊の物語は、左手から、ベツレヘムへと向かうマリアとヨセフに始まります。

キリストの誕生のシーンに続き、真ん中の辺りには悪魔に試されるキリストがみられます。入り口上部のものはキリストの奇跡や、パン造りやカナンの結婚が表現されたものです。外廊入り口の右側に、赤児のキリストを探させるヘロデと、こちらもキリストの奇跡からのシーンがありますが、残念ながら損傷が激しくなっています。

外廊とはL字の通路でつながり二本の柱で分けられるかのような部屋は、14世記にメトキテスが造らせた埋葬の間「パラクレスィオン」です。長さ16m、幅5mの通路はメトキテスの他、政治家ミカエル・トルニケスと身元不明二人の埋葬されている場所で、モザイクの代わりに死をテーマにしたフレスコ画が描かれています。

ここの最も奥まった部分にある半円形の後陣には、アダムとイヴを地獄から助け出すキリストが表現されています。

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この直ぐ前のアーチに描かれるのは最後の審判、地獄へと落ちる罪深き人のシーンで、通路中央のドームには聖人達に取り囲まれたマリアとキリストが見られます。

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シェフザーデ・モスク

ベヤズィットとウンカパヌの間、16世紀当時のイスタンブールで都市の中心地であった場所に、1543~1548年にスィナンが建設したモスクがあります。スレイマン大帝が、最愛の皇太子メフメットの死を悼んで造らせたもので、高さ37mの中央ドームと、その四方を取り囲む半円ドームは、スィナンの一番弟子の作である後のブルーモスクを思わせるものとなっています。

バルコニーと彫刻の美しいミナレットを二本従えており、説教壇とミヒラブは大理石製です。神学校、貧民救済の食堂、隊商宿と共に皇太子(シュッザーデ)メフメットの霊廟もここにおかれています。

リュステム・パシャ・モスク

スレイマン大帝の娘ミフリマーが夫の宰相リュステム・パシャの為、スィナンに依頼して1561年に造らせたモスクです。タフタカレ地区はナルブルラル・バザールの内部にあり、宰相の遺体はモスクの周囲に適当な場所がなかった為、別のモスクにて自らの名を冠した霊廟で埋葬されています。

リュステム・パシャはイブラヒム・パシャと並んで当時最も影響力を持った宰相であり、しかもやり手の商売上手でもあったせいで、その財産はいつも人の噂にのぼっていました。

建設用地として選択された場所が、この様な建物に適切ではないとみたスィナンは、解決策としてモスクを商店から成る土台の上に建てることに決め、こうして周囲のどこからも寺院が人の目に触れることを可能にしました。方形の基盤に建ち、中央ドームは四本の柱とアーチで支えられており、スィナンの円熟期最高の作であるセリミエ・モスクの前作ということもできるでしょう。

内壁全てと外壁の一部はタイルに覆われ、殊に外面のタイルは他のモスクには例を見ない装飾と美しさです。セリムⅠ世がイズニックに遣らせたタイル工房の最も美しく価値ある作品が使用されているのですが、これほど多くの、しかも貴重なタイル製作を実現するにあたっての融資は、リュステム・パシャの様な裕福な人物によってこそ可能であった訳です。図柄としてはチューリップや幾何学模様が多く使用されています。

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エジプシャンバザール(スパイス・バザール)

エジプシャンバザール イスタンブール トルコ

オスマン帝国時代、エジプトからイスタンブールに持ち運ばれた香辛料の市として作られたことから、この名でよばれています。ガラタ橋の正面、旧市街に入って直ぐの赤レンガ造りの建物で、イェニ・ジャーミーの推持費集めを目的に、1660年に完成しました。6ケ所に出入り口が設けられたL字形の建物の屋根は鉛使用のドームに覆われています。

内部の約80の店は主に香辛料や薬草をあつかっており、他には燻製品、チーズ、ジャム類、海綿、ナッツ類も種類豊富です。

プンと鼻をつく香辛料の香りが独特なエジプシャン・バザールは、もう一つの有名なバザール “グランドバザール” に比べて、よりオリエンタルな雰囲気につつまれており、周囲には植物やペットを扱う店、木陰で一息つくのにうってつけのカフェ、行商人の屋台など、興味を引かれる店、物、人が溢れています。

バザールの裏手に広がるタフタカレ地区は主に行商人が露店販売をしている一帯で、オスマン帝国時代から続く精力剤に始まり、輪入品の電気製品、香水、文房具、衣類など、ありとあらゆる物が売られています。

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イェニ・ジャーミー

イエニ・ジャーミイ イスタンブール

イスタンブールでも土地柄、最も多く信者が集まるモスクで、これ以前、アジア側のウスキュダルにヴァーリデ・ジャーミー(皇太后のモスク)が造られた為に、ここは最初イェニ・ヴァーリデ・ジャーミーと呼ばれ、後に簡単に今の名前で呼称されるようになりました。
イスタンブールのモスクの中で、建設期間が66年と最も長期にわたったもので、トルコ語で 「新モスク」 を意味するその名前に反して、着工1597年と古い寺院の一つです。

スルタン・セリムⅡ世の后であり、メフメットⅢ世の母であるヴェニス出身のサーフィエ・スルタン(本名バフォ)の依頼で、建築家ダヴゥト・アーが着手した建立事業でしたが、実は建築家の死と資金繰りの行き詰まりのせいで1605~1661年の間、未完成のまま建設ストップの状態におかれていました。

その後、メフメットⅣ世の母トゥルハン・スルタンに命じられたムスタファ・アーは、中途のままのモスクを1663年に完成させています。

建設当時はモスクの土台3mの所まで海が接近していた為に、技術上も豊富な経験と知識が必要とされました。モスクの図面は、これ以前にシェフザーデ・モスクでスィナンが、そしてブルーモスクでメフメット・アーが適用した、四方に一つずつの半円ドームと四本の象の足(太い円柱)で支えられる中央ドームプランが用いられており、古典的オスマン宗教建築の最後の大規模な一例といえるでしょう。

中央ドームの高さは36m、径17.5m。窓のステンドグラスや扉に見られる真珠貝の螺細細工、窓の上部に描かれたコーランからの一節など、オスマン芸術の繊細で美しい作品の数々で装飾されていますが、残念ながら内部のタイルは、それ以前のものに比較して質的に劣るものとなっています。

5ケ所に設けられた扉の一つをぬけると、24のドームを乗せた20本の支柱の並ぶ柱廊が見られます。それぞれ、3つずつのバルコニーを備えた2本のミナレットが、天に向かって吃立しています。

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ガラタ橋

ガラタ橋 イスタンブール

19世紀初期より金角湾の北岸側の居住区が拡大すると、湾の両岸を結ぶ為に幾つものプロジェクトが立てられました。これについては、その一世紀前にあのレオナルド・ダ・ヴィンチまでが、作成した橋の青写真をスルタンに献進したとされています。

自然港として大変重要な金角湾の入り江を封鎖する事のないよう、開閉式の橋建設技術が開発される以前は、小船を以て両岸の連絡をとっていましたが、帝国の主要宮殿をトプカプからドルマバフチェ宮殿へと移動させる件が本格化すると、橋の必要性はどうしても避けられない話となりました。

湾に最初の橋が渡されたのは1836年、ウンカパヌとアザプカプの間でした。

間もなく都市の中心地ガラタ地区への交通を考慮してイェニ・モスクの前に1845年に渡された第二の橋は、構想段階の陣頭指揮をとったベズミ・アーレム・ヴァーリデ・スルタンの名前から「ヴァーリデ橋」と呼称されました。

1863年と1875年に修復された後、1912年、ドイツのMAN社によって建造された468mの橋は、1992年までイスタンブールの人々に親しまれてきました。しかし火災で損傷を受け、再びドイツのTHYSSEN社によって現在のガラタ橋が建設されました。長さ80m、直径2mの114本の鋼鉄の杭の上に乗る484mの橋は、湾内部にあるドックヘの出入りの必要上、跳ね橋となっています。

ガラタとタクシム・新市街

イスタンブール ベイオール地区

ガラタ橋を渡ると観光スポットの多い旧市街に対して新市街と呼ばれる一帯、ガラタ地区、タクシム広場に出ます。ビザンチン期、辺りはヴェニスやジェノア人の支配下にありましたが、残念ながら彼らの暮らしの跡を示すものは皆無で、最古の建造物としてはガラタ塔とアラビアン・モスクを挙げることができます。

都市を征服した後もオスマン民族は彼等の信条とする寛大な態度をとり続け、占領した土地の人々の引き続いての居住と宗教の自由に、何らかの制約をつけることはありませんでした。この為、辺りには今でも多くの教会やシナゴグが存在しています。オスマン時代、特に18世紀のベイオール地区といえば、ヨーロッパの商館や大使館のある一帯として知られ、今日ではイスタンブールの繁華街として夜も遅くまで沢山の人で賑わっています。

トゥネル

ガラタ橋から新市街に入るとすぐ、ガラタとベイオールを結ぶ非常に短距離の地下鉄が通っています。フランス人技師が設計し、1871~1876年に英仏間で設立した会社によって建設されたもので、世界で三番目に古く、距離570m、乗車時間2分と最も短い地下鉄です。

ガラタ塔

ガラタ塔 イスタンブール

都市のどこからも望める、高さ61mのガラタ塔からの景観は絶品の一言に尽きるでしょう。143段の階段かエレベーターを利用して頂上のバルコニーにでると、足元のボスフォラス海峡、金角湾、マルマラ海の中に、横たわるアジア、ヨーロッパの両大陸が一望できます。

早くも5世紀にしてこの辺りの塔の存在を記す資料がありますが、ガラタ塔が現在の姿になったのは1348~1349年のことです。元々は、ジェノア人がビザンチンからの防御壁の一部として造ったもので、当時の名称を「イエスの塔」といいました。海抜140m、内径9mで、オスマン帝国時代には、牢獄、倉庫、灯台、火の見櫓としても利用され、1964~1967年の修復時には頂きに円錐形の屋根が被せられました。

伝説によると、オスマン時代の17世紀、自ら作った翼を背負って学者ハゼルフェン・アフメット・チェレビが、塔から対岸のアジア側ウスキュダルまで飛んだとされ、後に映画化もされています。

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イスティクラル通り

トルコ イスタンブール

トゥネルの上駅とタクシム広場をつなぐ通りを「イスティクラル通り(独立通り)」と呼びます。オスマン帝国の末期、西側諸国が大使館をおいた地区の中央を突っ切るこの通りにはカフェやブティックがならび、所謂、西洋の商習慣伝播の震源地ともいえるでしょう。

歩行者天国の通りには、古き好き時代を偲ばせる「ノスタルジック・トラム」が運行しています。両側の商店に目を奪われますが、19世紀末から20世紀初期に建設された建物の、細かいレリーフのある美しい外壁にも注意を払いたいですね。

トゥネルからタクシム広場へと進むと、右手にスウェーデン、オランダ、ロシア総領事館や、1906~1912年に近代ゴシック様式にて建立され、イスタンブールで最も重要なカトリック教会とされるサン・アントゥアン・イタリアン教会などがみられます。尚、イスタンブール最古のデラックスホテルであるペラ・パラス、米、英国総領事館は、通りに並行して走る大通りに位置しています。

イスティクラル通り中程には、名門ガラタサライ高校や1875年に造られた郵便局、ビアガーデンやレストランの並ぶチチェキ・パサジ、香辛料や魚、キャビアやカラスミを扱うバルクパザル、典型的なトルコ風呂ガラタサライ・ハマムが集まるガラタサライ広場があります。さらに歩を進めると、左側には1834年に造られたアー・ジャーミー(モスク)や、1898年に建設され、1920年以来フランス領事館として使用されている建物があります。

タクシム広場

イスタンブール 新市街 タクシム

歴史を通じて、重要な政治集会や演説の行われてきた広場です。
広場の中心にはイタリア人ピエトロ・カニーニが救国戦争と共和国設立をテーマに、1928年に完成させた高さ12mの「共和国の記念碑」が建っています。広場の一端にあるのが、1950年代に着工の後、タクシム広場1969年に完成したアタテュルク文化センターで、コンサート、展示会場、映画館を備えた設備となっています。

広場の前からドルマバフチェヘと下るギュムシスユ通り右手にはドイツ、日本総領事館、向かいにイスタンブール工科大学の建物(これらは全て19世紀の建造物)が見られます。

広場にはデラックスホテルの一つザ・マルマラホテルと、かつては兵舎のおかれていた公園(ゲズィ公園)が広がり、イスティクラル通りに対して左手には、1880年に建立された単ドームと二つの鐘塔のあるアヤ・トリアダ教会が建っています。

タクシムから北へと走る大通りはジュムフリエット通り(共和国通り)と言います。多くの航空会社や旅行代理店、銀行が両側に並び、エルマダー、ハルビエ地区へと歩くと、イスタンブール初のファイブスターホテルであるヒルトンホテル、1949年に放送を始めたラジオ局等が姿を現します。

ここを過ぎると、通りの右側に、トルコが陸軍の大国である事を実感させる「軍事博物館」が見えてきます。1959年に建てられてから、12世紀より朝鮮戦争までにトルコ軍の使用した武器、軍服、テント、戦争に関する多くの絵画を展示してきたこの博物館には、ビザンチン側がオスマン軍の金角湾侵入を防ぐ目的で入り江に張った太い鎖も保存されています。世界で最初に編成された軍楽隊であるメフテルの演奏は、是非とも鑑賞したいものです。

トルコ音楽を知ろう!特徴や有名な曲、宗教音楽から軍楽メフテルまで徹底紹介

ボスポラス海峡

イスタンブール ボスポラス海峡

ボスポラス海峡は、アジアとヨーロッパを隔てる海峡です。その両岸には、ドルマバフチェ宮殿、ベイレルベイ宮殿、ルーメリ・ヒサルなど、かつてのオスマントルコ時代の歴史を感じる観光名所が盛りだくさん。

ボスポラス海峡や周辺の魅力を一度に味わいたいなら、ボスポラス海峡クルーズがおすすめです。美しい金角湾や、旧市街と新市街を結ぶガラタ橋、新市街のランドマークであるガラタ塔、日本とも関わりの深いボスポラス大橋など、優雅にクルージングしながら短時間で主要な見どころを満喫できます。

ボスポラス海峡とは?クルーズの見どころと夢のトンネル、日本との関係

ドルマバフチェ・モスク

スルタン・アブドゥルメジットの母御ベズミアーレム皇太后に捧げられたこのモスクは、スルタン・アブドゥルメジットの宮殿の建築責任者でもある、高名なアルメニア人建築家バルヤンの作によるものです。自分の財産はもとより、国家から内廷費としてわたされた金を慈善活動に費やした皇太后は、モスク完成前年の1852年に43歳でこの世を去りました。

バロック、ルネッサンスの影響を受け、古典的なオスマン様式によるモスクとは様相を異とするもので、ドルマバフチェ宮殿の付属機関の一つとして造られたことから、宗教活動の場というよりはきらびやかなサロンの雰囲気が漂っています。壁の大きな窓から注がれる光が、内部の彩色大理石の装飾に反射する様子は大変に美しいものです。刺繍が多用される室内装飾には欧風のデザインが用いられ、ミヒラブや説教壇、繊細なミナレットはエレガントでさえあります。

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時計台

宮殿の隣には、1890年にスルタン・アブドゥルハミットの命によって建築家サルキス・バルヤンが建設した27mの時計台が建っています。基盤は大理石、上部にはストーン・ブロックが用いられ、塔の四面にはフランスのガルニエの時計とオスマンの紋章が見られます。

ドルマバフチェ宮殿

ドルマバフチェ宮殿 イスタンブール

285の部屋に43の大小ホール、6つのバルコニーに6つの浴室…それに14トンの金を加えて、もはや気狂いじみたロココスタイルを作り上げ、さらに280の花びん、156の時計、58のシャンデリア、11の火鉢に4555平方メートルの手織絨毯…を一つに混ぜ合わせたもの。一言でいえば、それがドルマバフチェ宮殿です。スルタン・アブドゥルメジドは、初めて自分の宮殿を訪れた時に、「これは贅沢すぎる。もっと簡素にできなかったのか…」とつぶやいたなどと言われるほどの代物です。

ドルマバフチェとはトルコ語で「埋めたてられた庭」を意味しています。ここは埋め立て地だったのですね。19世紀半ば、31代スルタン・アブドゥルメジットは自分がもはや「アラーの影」というよりもただの「影」にすぎない事を忘れて、ボスフォラスの岸べに新宮殿を建てたのでした。結果、国家予算の破綻を招いてしまうことになります…

ヨーロッパ列強の君主からの贈り物は、ナポレオンⅢ世のプール細工のテーブル、ロシアのニコラスI世から白熊の敷物、フランツ・ヨセフオーストリア皇帝からボヘミアグラス、イギリスのヴィクトリア女王から重さ4.5トンという豪華なシャンデリア…など見事なものばかりでした。

浴室はエジプト産のアラバスターで作られています。また、大広問の絨毯を織るために、ヘレケ(イスタンブールの近くの有名な絨毯産地)には特別の織機が準備されるなど、贅を尽くした仕上がりは大変見ごたえがあるでしょう。

ドルマバフチェ宮殿の見どころ・歴史・見学方法を徹底解説!

ベシクタシュ

ドルマバフチェ宮殿を後にして海岸沿いに歩くとベシクタシュ地区に出ます。ボスフォラス海峡沿岸の中でも早くから人が住み始めた地域で、幾つかの史跡と重要な二つの博物館があります。

海軍大将「パルバロス・ハイレッティン・パシャの霊廟」と、向かい側の「スィナン・パシャ・モスク」は、どちらも有名なスィナンの作品です。一本の尖塔と42枚の窓がはめられたモスクは、スレイマン大帝の海軍大将スィナン・パシャに捧げられたものとなっています。

重要な博物館としては、「ドルマバフチェ宮殿内の美術博物館」と「海軍博物館」があげられるでしょう。1961年まで財政局の建物として使用されてきた場所に、現在はオスマン帝国海軍に属する品々、大砲、地図、軍服が展示されています。また、近くのベシクタシ・バザールの中にはギリシア正教とアルメニアの教会があります。

海岸通りを進むと、左手に「ユルドゥズ・パーク(星の公園)」が広がっています。ビザンチン時代に月桂樹で有名だったこの森は、オスマン時代になると園遊会の催される場所となり、アブドゥルハミットⅡ世によって小宮殿や東屋が建設された。公園の向かい、19世紀の元宮殿チュラーン・サライは、現在、超高級なホテルとして利用されている。

オルタキョイ

イスタンブール オルタキョイ

最もヴィヴィットな地区オルタキョイは、回教のモスクとユダヤのシナゴーグ、ギリシア正教の教会があることから、イスタンブールの宗教的寛容さを象徴する場所ともいえます。1990年代の初めに再建された広場は、週末や夏になると若者達でごった返しています。

岸辺の「オルタキョイ・モスク」は1854~1855年に皇帝アブドゥルメジットがバルヤンに建設を命じたもので、対岸のベイレルベイ宮殿を住まいとするスルタンは、小舟にのってこのモスクに礼拝にやってきていました。

モスクの裏通りには1856年完成の「アイオス・フォカス教会」と1915年完成の「アヤイム・シナゴーグ」があります。また、モスクの隣、エスマ・スルタンのヤルは1875年に皇帝アブドゥルアズィズが皇女エスマの為に造らせた別荘となっています。

ボスフォラス大橋

イスタンブール ボスポラス海峡

1950年代から既にプロジェクトにかかっていたボスポラス大橋の建設は1970年2月20日に始まり、1973年10月29日のトルコ共和国建国50周年記念に完成をみています。

ドイツ・イギリス共同のこの建設事業には、35人のトルコ人技師と400人の土木工も参加をし、2,300万米ドルの費用をかけて、全長1,569m、幅33m、高さ165mの橋脚間の距離1,074m、水面からの高さ64mの橋を完成させました。

毎日20万台の車両と、それに乗った60万の人々が欧亜両大陸間の移動に利用するこの橋は、吊り橋の長さ部門でヨーロッパで第4、世界第7番目にランキングされています。(有料/歩行禁止)

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カドゥキョイ・イスタンブールのアジア側

カドゥキョイ イスタンブール

カドゥキョイでは、イスタンブールの近辺で最初の集落跡として、先史時代は紀元前4,000年頃の出土品が発見されています。伝説の建国者ビザスが対岸のサライブルヌにビザンチンの核となる町をつくる前、既に紀元前7世紀にここカルケドンにやって来たメガラからの移民が、町を「盲人達の町」と呼んだことはよく知られています。451年にはキリスト教公会議の舞台となったことも、町の重要性を物語るものと言えるでしょう。

オスマンの征服後、海岸沿いに贅沢なヤルや広い庭のある美しい邸宅が造られましたが、急増する都市人口を背負って、高層の集合住宅がこれらにとってかわりつつあるのは少々残念なことです。
一帯に歴史を物語るものはほとんど残っていませんが、洒落たブティックやカフェの並ぶバーダッチャッディス(バグダット大通り)は、イスタンブールがヨーロッパの一部であることを感じさせてくれるハイセンスな場所となっています。

カドゥキョイの港の反対側には、イスタンブールで最も大きな貿易港ハイダルパシャの港と、アジア側の主要駅であった旧ハイダルパシャ駅があります。旧ハイダルパシャ駅はドイツの企業が19世紀の末から20世紀初期にかけて敷いたバグダット鉄道の一部であり、駅舎は1906~1908年に建設されました。海に打ち込まれた1,700本の杭に支えられた4,000㎡の面積に、4本のプラットホームを有する駅舎で、この前の桟橋には、1915~1917年に造られたタイルの窓間壁が美しい建物がみられます。

カドゥキョイからウスキュダルへと向かうと、四つの角にそれぞれ塔を掲げた「セリミエ・クシラス」(市内で最も大きな軍用施設:セリミエの兵舎)があります。もとはセリムⅢ世の時代に木造の兵舎として建設されましたが、その後全焼しました。現在の建物は、マフムットⅡ世によって1825~1827年に造られたものを、アブドゥルメジットが修復したものです。

クリミア戦争中、フローレンス・ナイチンゲールは、当時、野戦病院と化したこの兵舎で負傷兵の看護にあたり、現在も彼女の使用した部屋はそのまま保存されています。また、この近くにはその戦いで命を落とした英国兵士達の墓もあります。

広大なカラジャアフメット共同墓地はオスマン帝国時代からの何千もの異なった造りの墓石をして、あたかも「野外墓石博物館」の様です。オスマン時代、預言者モハメッドの墓があるメディナにより近いことから、信仰心厚いイスラム教徒はアジア側の墓地に埋葬されることを望んだといいます。

ウスキュダル

ユスキュダルはアジア側で最も歴史のある居住区です。他と同様、西洋的で合理的な建物に押され気味とはいえ、オリエンタルな面影を残す典型的なトルコ建築等、パーソナリティーを守り続けている貴重な町となっています。

古代に「黄金の町」と呼ばれていた訳は諸説あると言われ、その自然美をして、とか、あるいは日没時の海の色から、はたまた海峡通過料として金貨が支払われたから…等々有力な定説は特にありません。紀元前6世紀にこの他を支配していたペルシア人が撤退の際、アナトリアで集めた金をここに忘れたから、などという説もあります。

ローマ、ビザンチン時代、ウスキュダルは都市の境界外にあって、守備隊の駐屯地として利用されていました。皇帝はここから、守備隊の意味にあたるスクタリを町の名とし、これが現在の地名ウスキュダルの基となったといわれています。

オスマン帝国期、ここには特にスルタンの妃や娘達の出資によって運営された様々な公共施設がおかれました。スレイマン大帝とヒュッレム・スルタンの娘であり、宰相ルステム・パシャの妻であったミフリマー・スルタンが、1547年にスィナンに依頼した「ミフリマー・スルタン・モスク」(スィナン初期の作)が桟橋の後方に建っています。その正面には、1728年にアフメットⅢ世が母親の為に造らせた記念泉噴が見えます。表面に残る、当時の有名な詩人の筆による詩文も興味深いです。

スルタン・メフメットⅣ世の后でアフメットⅢ世の母ギュルヌシ・エメトゥッラ・ハートゥンの為に、1710年に建立されたイェニ・ヴァーリデ・モスクも見てみてください。海岸から町中に少し入ると、1580年にスィナンがスレイマン大帝の宰相の一人であったシェムスィ・パシャの為に造った、小さいながらも優雅で美しい同名のモスクも残っています。単独ドームと尖塔を備えるとともに特徴的なのは、海岸に面しているこのモスクの基盤は海へと崩れる心配があった為に、一種のアラームとして、その際にはミヒラブの二本の柱が回転してコトコトと音を立てる工夫がされています。

乙女の灯台

イスタンブール 乙女の灯台

レアンドロスの塔としても知られる灯台は、ウスキュダル南のサラジャクの、岸から200m離れた海中に建てられています。どちらの名称も伝説に由来し、「乙女の塔」の方は愛娘を守ろうとして彼女をここに閉じ込めたビザンチン皇帝に関係しています。呪い師が贈った果物籠から這い出した蛇に噛まれて、可哀想に、彼女は予言どおり死んでしまうのです。

二つ目の「レアンドロスの塔」の伝説は、若干こじつけた感があります。アフロディーテの巫女ヘラと、彼女との逢瀬に毎晩海を泳いで来る美男子レアンドロスの恋物語から来る伝説なのですが、実はもともとの舞台はボスポラス海峡ではなくダーダネルス海峡です。
しかし、人々はこれをボスフォラス海峡にあてはめて、次の様な逸話にしています。”ヘラの掲げるランプの光を目印にして泳ぐレアンドロスは、ある嵐の晩、風に消されて光を失い溺死してしまった。哀れに思ったヘラも彼を追って海中に身を投げた” …

紀元前5世紀、アテネとスパルタの戦いの頃、既にここに要塞が置かれた、とする文献があります。オスマンによる征服後、スルタン・メフメットの造らせた要塞は1600年頃に灯台として使用される様になり、19世紀はマフムットⅡ世の時代に現在の形に直されています。

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ベイレルベイ宮殿

ベイレルベイ宮殿 イスタンブール

16世紀、スルタン・ムラトⅢ世の時代に、最高指揮官(ベイレルベイ)メフメット・パシャがここに大きなヤルを造らせました。現在の宮殿は、1861~1865年にスルタン・アブドゥルアズィズの命により、マフムットⅡ世時代に焼失した木造宮殿の跡地に、建築家サルキス・バルヤンが建造したものとなっています。

5,000人の人夫がリズムに乗って働ける様に、特別編成のオーケストラが工事の横で演奏をしたとのいい伝えが残っています。海峡沿岸に建設された二番目のこの宮殿は、外国の客人をもてなすための夏の離宮で、エドワードⅧ世とシンプソン夫人、オーストリア皇帝フランツ・ヨセフ、ナポレオンⅢ世の后ユージーンなどの要人を迎えました。

3ケ所に門があり、趣味よくまとめた6つの大広間と24の部屋を抱える建物は65×40mの広さとなります。エジプトの絨毯、ボヘミアンクリスタルのシャンデリア、フランスの時計や中国、日本の陶磁器が飾られ、ドルマバフチェと同様にへレケに特注した絹の手織り絨毯も好んで使われています。後方の木蓮の庭には、泉噴水と二つの水辺の東屋が建っています。第一次世界大戦の最中、皇位を廃されたアブドゥルハミットⅡ世は、生涯最後の6年をこの宮殿で過ごし、ここで息を引き取っています。(現在は博物館となっています)

チャムルジャの丘

ベイレルベイ宮殿裏手には、イスタンブールで最も高いチャムルジャの丘があります。海抜263mとなっています。見晴らしは最高で、眼下には絵のようなマルマラ海や島々、ボスポラス海峡や新市街、旧市街が広がり、胸のすく様な絶景です。

1980年代にトルコ自動車旅行協会の実施した整備活動で、緑深い木立の間に古き良き時代を彷彿とさせるオスマン風茶屋も建てられ、心和む場所ができあがりました。そのせいか、式を挙げたばかりの新婚カップルが、ウェディングドレスのままここで家族や友人と喜びを分かち合うシーンがよく見られています。

イスタンブールで買えるトルコのお土産

トルコランプ

旅行の思い出を語るうえでも外せないのが、現地のお土産の存在です。イスタンブールにはすてきな郷土品がたくさんあります。その中でも、「これは外せない」というものを3点ピックアップしました。

トルコランプ

華やかなトルコランプはトルコ土産の定番といえるでしょう。シンプルなものやカラフルなもの、吊り下げタイプや卓上タイプ、小さいものから大きいものまで種類が豊富なので、きっとお気に入りのものが見つかるはずです。

注意点としては、ランプがきちんと点灯するかを確認してから購入しましょう。帰る途中で破損しないようにしっかりと梱包してもらうことをおすすめします。

トルコランプの魅力とは?特徴やデザイン、インテリアとしての飾り方を解説

ナザール・ボンジュウ

ナザール・ボンジュウはトルコの伝統的なお守り平らな青色のガラスに目玉のようなものが描かれているのが特徴です。効果として、妬みなどの視線から身を守ってくれるといわれています。

アクセサリーとしてもとても綺麗で、手頃な価格のものもたくさんあります。大勢の人に「気持ち」を届けるためのお土産、いわゆる「ばらまき用」にも適しているといえるでしょう。

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絵皿や器

宮殿やモスクの美しい装飾を思い出に持ち帰りたければ、装飾のデザインが施された絵皿や器がおすすめです。装飾タイル風のものやアラビア文字が描かれたものなど、デザインはさまざまなものがあります。

手頃な価格の商品も多いので、お土産にぴったりです。サイズも大小そろっており、食器としてだけではなく小物入れになりそうな器もあります。色鮮やかで存在感のある模様は、例えばオブジェとしてキャビネットを飾るのにもふさわしいでしょう。

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イスタンブールで開催されるお祭りやイベント

チューリップ イスタンブール トルコ

イスタンブル・チューリップ・フェスティバル(4月)

イスタンブル・チューリップ・フェスティバル」は、チューリップの原産国として知られるトルコにふさわしいイベントです。祭りの期間中はイスタンブールの町中がチューリップで飾られます。特に、アヤソフィアの前に作られる「世界一大きなチューリップのカーペット」は必見で、絶好の撮影ポイントです。

カーペットに使われるチューリップ生花の数はイスタンブール史で最も重要な年である1453年に由来し、毎年増えていきます。オスマン帝国のスルタン・メフメット2世がコンスタンティノープルを攻略した年が1453年です。1453に、それから経過した年を足して1000をかけた本数が使われるため、2020年なら56万7000本のチューリップで作られるカーペットが出来上がります。

チューリップはトルコ原産!品種改良の歴史やトルコにおける深い意味

イスタンブール国際映画祭(4月)

イスタンブール国際映画祭」はトルコ最大の映画祭の一つであり、1982年からイスタンブール文化芸術財団の主催によって始まりました。映画祭の期間中は市内の映画館で世界中の作品が上映されます。「楢山節考 (1983)」の今村昌平など、日本人映画監督の作品が出品されたこともありました。

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イスタンブール国際音楽祭(6月)

イスタンブール芸術財団が主催する「イスタンブール国際音楽祭」は、クラシック音楽やバレエを中心に世界中の音楽家と音楽ファンが集まるイベントです。1973年の「イスタンブールフェスティバル」で開催された音楽イベントを起源とし、1994年から「イスタンブール音楽祭」に改名されました。ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団やウィーン・フィルハーモニー管弦楽団など、国際的に有名なオーケストラが参加しており、クラシック音楽ファンの注目を集めています。

音楽祭の会場はコンサートホールや文化会館に加えて大学の講堂や博物館、シナゴーグや博物館、古い教会や野外ステージなど多彩です。耳だけでなく目でも楽しめる、特別な音楽鑑賞の機会といえるでしょう。音楽祭の開催期間は1週間です。

イスタンブールジャズフェスティバル(7月)

これまでナタリー・コールから、エリック・クラプトンやエルヴィス・コステロなど幅広いジャンルに渡って世界的に有名アーティストを招聘してきたイスタンブールジャズフェスティバルは、毎年約5万人から6万人を動員しています。

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イスタンブールユーラシアマラソン(11月)

アジアからヨーロッパにかけて2大陸を走り抜けられる唯一のマラソン大会が「イスタンブールユーラシアマラソン」です。スタート地点はアジア側で、ボスポラス橋を渡ってヨーロッパ側の歴史地区にあるヒッポロドームにゴールするフルマラソン。日本から参加するランナーもいます。

トルコ旅行でぜひ行きたい!現地の人気イベントや伝統のお祭りを紹介

F1グランプリ

フォーミュラ1世界選手権が2020年11月13日~15日までの3日間、イスタンブール・パーク・サーキットで開催をされました。トルコでは2005年にF1が初開催をされ、2011年まで行われていましたが、2012年より財政的な理由により脱落しました。しかし新型コロナウィルスの影響の中でツアーは再編され、2020年に9年ぶりに復活しました。残念ながら無観客での開催となったが、F1開催はトルコのモータースポーツにおいて最大のイベントとなりました。

イスタンブール・パーク・サーキットの正式名称はインターシティ・イスタンブール・パークとなり、2005年8月21日に開業をしました。自然の起伏を生かしたサーキットの全長5,338mで、14個のコーナーからなる。最大収容人数は12万5千人。場所はイスタンブールの中心地より東に行ったアジアサイドにあります。

コースの特徴は平均時速205kmの高速サーキットで、F1では珍しい反時計回りのコースとなる(反時計回りは他にイモラやアブダビ)。ターン8コーナーは「ディアボリカ」という名称で、下り坂で4つの頂点を持つ複合高速コーナーとして有名です。他にホームストレートの終わりにある急な下り坂の左コーナーのターン1は「トルココークスクリュー」と呼ばれています。

9年ぶりに開催をされたトルコグランプリは、雨の中で2020年11月15日に行われた決勝の結果、メルセデスのルイス・ハミルトンがシーズン10勝目を挙げました。

イスタンブール旅行の前に知っておきたい基礎知識

イスタンブール

地理

トルコの国土面積の97%は黒海や地中海に面する広大なアナトリア半島、3%はバルカン半島東端のトラキア地方にあり、西アジアと東ヨーロッパをまたぐエリアに位置しています。また、トルコの南はアラビア半島です。トルコは西側のギリシャとブルガリア、東側のジョージアとアゼルバイジャン、南部のシリアやイラク、キプロスと国境を接しています。

アナトリアが小アジアと呼ばれる理由とは?歴史・文明・遺跡を紹介

トルコを構成する地方はマルマラ海地方や黒海地方、エーゲ海地方や地中海地方、中央アナトリア地方や東アナトリア地方、そして南東アナトリア地方の7つです。マルマラ海地方はトルコ西部にありイスタンブールを中心とするエリア。アンカラがある中央アナトリア地方は内陸部に位置しています。東アナトリア地方は山地が多く、泳ぐ猫として知られる「ターキッシュバン」の故郷です。

トルコのタイムゾーンは東ヨーロッパ時間で、UTC(協定世界時)からプラス3時間、日本時間からマイナス6時間です。2016年以降はサマータイムを廃止したため、一年を通じて同じ時差となります。

トルコの時間で知っておきたいこと!日本の時差・フライト時間・イスラム暦など

気候

トルコは季節と地方によって気候が異なり、特に、朝晩と昼間、夏と冬の温度差が大きいことが特徴です。旅行する時期と目的地に合わせて服装を考えると良いでしょう。下着・服・上着と重ね着の準備をしておけば気温の変化に合わせて着たり脱いだりできて、体感温度を調整しやすくなります。

夏は黒海周辺を除く全土が乾燥し、気温が高くなります。7~8月の最高気温はイスタンブールやアンカラで約29度、カッパドキアで約31度です。ただし、最低気温はイスタンブールやアンカラで20度前後、カッパドキアで約13度と朝晩は涼しくなります。

冬の気候は地域ごとの違いが明らかです。12~3月の最低気温はイスタンブールやアンカラで0~3度くらい、カッパドキアではマイナス5度前後と寒くなります。また、内陸部では雪が降ることも。それに対し、エーゲ海や地中海地方は真冬でも5度を下回ることはまれです。

トルコの気候を解説!季節別の服装や観光地のベストシーズンも紹介!

トルコ旅行するならツアーがおすすめ!

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見どころが多く国土が広いトルコを周遊旅行するなら、パッケージツアーを活用する方法が最も効率的です。個人で手配する場合にかかる時間や労力、出費と比較すると、ツアーに参加するほうがメリットは多いといえます。

トルコを個人旅行する場合に苦労するポイントは主に2つです。まず、飛行機や公共交通機関のスケジュールを確認してチケットを手配しなければなりません。次に、初めてのトルコ旅行の場合は土地勘や危機管理の感覚が十分にないことにより、道に迷って時間を無駄にしたり、最悪の場合はトラブルに遭ったりするリスクもあります。イスタンブールの観光エリアを除き、日本語や英語を理解するトルコ人はあまり多くないため、助けを求めることも難しいかもしれません。

パッケージツアーなら、見逃せない観光エリアやスポットをうまく組み合わせた効率的な周遊プランが完成しているため、安全に旅行できます。手配や時間の管理は旅行会社やガイドにまかせて、観光に専念できるのです。特に、個人ではアクセスが難しい観光スポットに行きたい場合はツアーの利点が大きくなります。また、交通・宿泊・観光・食事など旅行サービスのすべてに団体割引が適用されているため、同じ内容を個人で手配するよりもリーズナブルです。また、各地の名物料理を食事に組み込んでいるツアーを選べば、トルコのグルメをいろいろと楽しめます。

ただし、ツアーに含まれる各サービスの内容やグレードは旅行会社によっても、かなり差があるのが実情です。ツアーに申し込む前に内容をよく確認し、比較したほうが良いでしょう。

トルコ旅行で知っておきたい文化の特徴と歴史!日本との違いや宗教上のマナーは?

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