世界遺産「ディヴリーイの大モスクと病院」はイスラム建築の最高峰!
更新日:2023.02.28
投稿日:2022.11.14
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トルコの広大な地には多くの観光スポット、いくつもの世界遺産があります。主要な観光スポットはイスタンブールをはじめ、トルコの西から中央部に集中していますが、トルコ東部にも世界遺産はいくつもあり、見どころも満載です。
今回紹介するのは、トルコ東部にある「ディヴリーイ」という名の小さな町が誇る世界遺産「ディヴリーイの大モスクと病院」ですが、実はこの世界遺産、1985年に「イスタンブール歴史地域」と共にトルコで初めて世界遺産に登録された建造物で、イスラム建築の最高峰とも称されています。
しかし、イスタンブールやカッパドキア、パムッカレなどの有名観光スポットに隠れてあまり知られていません。
そんな、「ディヴリーイの大モスクと病院」とは一体どんな世界遺産なのか?ディヴリーイの町の歴史も含めて解説します!
Contents
世界遺産「ディヴリーイの大モスクと病院」とは?
大モスク(ウル・ジャーミィ)は1229年、メンギュジュク朝のスルタン、アフメット・シャーが建築家アフラットル・フッレム・シャーに建てさせたモスクです。スルタンの名前を取って「アフメット・シャー・ジャーミィ」とも呼ばれています。
そして、付属する病院(ダーリュッシファー)はモスクを建てさせたスルタン、アフメット・シャーの妻トゥラン・メレキの命によって建てられました。
「ディヴリーイの大モスクと病院」は大モスクと病院が一体化した複合施設で、建物は64m×32mの長方形となっており、北側2/3がモスク、南側1/3が病院となっています。「ディヴリーイの大モスクと病院」は1985年に、「イスタンブール歴史地域」と共にトルコで初めて世界遺産に登録されました。
Great Mosque and Hospital of Divriği – UNESCO World Heritage Centre
「ウル・ジャーミィ(大モスク)」は、イスラム建築の最高峰とも称され、「ディヴリーイの奇跡」や「アナトリアのアルハンブラ宮殿」とも言われています。
ちなみに、ウル・ジャーミィの建設を指示したスルタン、アフメット・シャーは、600年にもわたって存続した“オスマン帝国”を建国したオスマン1世の祖父にあたる人物でもあります。
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ウル・ジャーミイとは?
「ウル・ジャーミィ(Ulu Camii)」とはトルコ語で「大モスク」を意味しています。そのため、トルコではディヴリーイ以外の町にも「ウル・ジャーミィ」と呼ばれているモスクはいくつも存在しています。
ちなみに、「モスク(Mosque)」とは英語の呼び方で、イスラム教の言語であるアラビア語では「マスジド」(=ひざまずく場所の意味)と言います。そして、トルコ語では「ジャーミィ(Camii)」と呼びますが、これは大規模な「モスク」を意味し、これは「人の集まる場所」を意味するアラビア語を語源としていると言われています。
なお、モスクはイスラムの信仰に欠かせない「礼拝」を行う礼拝堂です。
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キュッリエ(モスク複合施設)
イスラムの世界では都市を構築する際、最初にモスクを建てて、そのモスクを中心に病院や学校などが建設されていました。オスマン帝国時代でもモスクを中心に、マドラサ(神学校)、病院、市場、ハマムなどといった公共性の高い複合施設が造られましたが、こういった複合施設のことをトルコ語では「キュッリエ(Külliye)」と言います。
ディヴリーイの大モスクと病院が一体化されているのはこのような経緯があるからといえます。
ディヴリーイの大モスクと病院の観光情報
名称 | ディヴリーイの大モスクと病院 |
---|---|
住所 | Kemenkeş, Ulu Cami Cd., 58300 Divriği/Sivas, トルコ |
開館時間 | 5:00~22:00(※礼拝時間は入場不可) |
入場料 | 無料 |
公式サイト | http://www.divrigiulucamii.com/ja/ |
見学の際の諸注意
モスクはイスラム教にとって神聖な場所。入場する際は、女性はスカーフなどで頭髪を覆い隠します。そして、男性も女性も肌の露出の高い服装は控えましょう。
※2022年3月現在、ウル・ジャーミィは修復作業中につき内部見学は不可となっています。外側も修復により足場が組まれていますが、門などの見どころの見学は可能です。なお、修復工事の終了時期は未定です。
ディヴリーイの歴史
「ディヴリーイ(Devriği)」はトルコ東部「スィヴァス」の南東約100kmの山間にある小さな町で、世界遺産に登録された「ウル・ジャーミィ」がある町として有名です。
あまり聞かない町の名前ですが、ディヴリーイの歴史はとても古く紀元前20世紀頃のヒッタイト時代にまで遡ります。古代から重要な土地としての役割が続き、紀元前5世紀頃にはアケメネス朝ペルシャのダレイオス1世が作った古代の公道「王の道」やシルクロードもこの地に通っていました。
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ディヴリーイの周辺には鉄鉱石の鉱山が多く、昔から鉄をメソポタミアに輸出することで町が栄えていました。現在も近くには製鉄所があります。
ビザンツ時代は「テフリケ」と呼ばれていて、これが現在の町の名前ディヴリーイの起源になったと言われています。
1071年、セルジューク朝がビザンツ帝国を破ると、1077年にはニカイア(現トルコのイズニック)を首都にルーム・セルジューク朝が独立し、アナトリア半島を中心に各地にベイ(君侯)を君主とするベイリク(君侯国)を配置して統治していきました。ディヴリーイを中心としたこの地は、エミール・メンギュジェクに与えられ、1080年にメンギュジェク侯国が成立しました。
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12世紀にこの地がメンギュジュク朝の都となると、13世紀にはウル・ジャーミィが建設され、現在もウル・ジャーミィをはじめとした、当時の面影を残す建築物が点在することとなりました。
1919年9月には、後にトルコ初代大統領となるケマル・アタチュルクが祖国解放につながる国民会議を開いた場所としても知られています。
「ディヴリーイの大モスクと病院」の見どころポイント!
「ディヴリーイの大モスクと病院」の見どころは、何といっても美しい彫刻です。ウル・ジャーミィは石造りとなっており、その外観は遠目から見ると、いたってシンプルなのですが、近づいて見ると施されているレリーフの素晴らしさに言葉を失ってしまうほどです。
ウル・ジャーミィ(大モスク)
ウル・ジャーミィには東、西、北に4つの門(入口)が設けられています。東側にある「東門(別名:王の門)」は主に有力者が利用する門でしたが小ぶりな造りとなっており、それ以外の3つの門に施されたレリーフこそが一番の見どころになります。それぞれの門にあるレリーフは個々に意味を持ち異なる装飾が施されているのがとても魅力的です。
そんな、ウル・ジャーミィにあるそれぞれの門の特徴や、門以外の見どころポイントを紹介します。
「天国の門」(北側のクブレ門)
「天国の門」とも呼ばれているこの門は一番装飾が美しい門とされ、天国や楽園を意味しているモチーフが施されています。
扉の上には生命の木と永遠を表すロゼットのモチーフがあります。永遠は、死後の世界と天国を象徴化しています。また、下には火が燃えている釜を示すモチーフがありますが、これは地獄を表すために用いられています。釜の上につながっている柱に何のモチーフも描かれていないのは、地獄は「無」、天国は「美」でいっぱいであるということを強調しているとされています。
また、門には「スレイマン・シャーの息子アフメッド・シャーがこのモスクの建設を命じた。」といった内容の書も刻まれています。
夏になると、太陽の最初の光とともにこの門の上に一人の女性のシルエットをした影が現れると言われています。
「王冠の門」(西壁南側のダーリュッシファー門)
南側にある病院へと入る門は別名「王冠の門」とも呼ばれています。王冠の門と呼ばれるようになった由来は諸説ありますが、門の上の部分がアナトリアの女性が頭につける冠に似ているからと言われています。
王冠の門には、セルジューク朝を象徴する五芒星と八芒星のモチーフがあり、門の上にある星と新月のモチーフはトルコの国旗と同じ姿をしています。
扉の上にある窓の真ん中には柱がありますが、これは「バランスの柱」と言われ、モスクと病院のバランスが取れているかどうかを示している柱になります。そして、その柱の左右にある新月のモチーフの中には、スレイマンのしるしと言われる六芒星もあります。
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「西の門」(西壁北側のチャルシュ門)
西の門は他の門に比べると装飾は簡素に見えますが、キリムや礼拝用の絨毯をイメージするような細かい装飾が美しいことから、別名「テキスタイルの門」とも呼ばれています。他にも、イスラム神秘主義の象徴でもあるチューリップや、門の外側にはルーム・セルジューク朝の紋章でもある双頭の鷲のモチーフなどもあります。
双頭の鷲のモチーフは、メンギュジュク朝がルーム・セルジューク朝に属していることと敬意の念を表すために彫りこまれたと言われています。
そして西門にはこんな魅力もあります。
5月~9月の間のみ、午後の礼拝の45分前頃になると、西門に男性の立ち姿をしたシルエットの影が現れると言われています。このシルエットは最初、コーランを読む人に見え、お祈りの時間が近づくと、手を組んでお祈りの体勢に入る人の影になっていくとされています。
この影は単なる偶然なのか、天文学の知識によって計算されて作られたものなのか、解明はされていませんが、この限られた時期に訪れる機会があるならば、是非とも自分の目で確かめてみたいものです。
モスク内部とミナレット
石造りのモスク内部はとてもシンプルな造りになっています。モスクには12のドームがあり、中央のドームを支える16本の円柱にも植物模様や幾何学模様、アラビア文字などのレリーフが細かく装飾されています。
イスラム教徒がお祈りをする方向(キブラ)を示すミフラーブも植物文様で装飾されており、重なるアーチ状の形がとても美しい造りとなっています。ミフラーブの横にあるミンバル(説教壇)は黒檀でできおり、これはセルジューク朝芸術の傑作ともされています。
また、ウル・ジャーミィにあるミナレット(塔)は、1565年にオスマン帝国の皇帝スレイマンの命によって巨匠ミマール・スィナンが補強したと碑文に記されています。この年に、同時にモスク内部の柱なども強化されました。
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ダーリュッシファー(病院)
ダーリュッシファー(Darüşşifa)と呼ばれる病院は、モスク南側にあります。世界最古の精神病院とされており、その造りは地下に水が通っていて、その水の流れる音で精神を癒す仕組みとなっていました。
現在は博物館となっており、貴重な資料を見ることができます。病院内にある幾何学模様のレリーフも必見です。
病院には小さな部屋がいくつかありますが、その中のひとつの部屋はメンギュジュク家の霊廟として使用されており、モスク建設者でもあったアフメッド・シャー、妻のトゥラン・メレキの墓が備えられています。
このディヴリーイの大モスクと病院は、小高い丘の上に建てられているので、歴史あるディヴリーイの町を一望できるのももうひとつの魅力ですよ。
ディヴリーイまでのアクセス方法は?
「ディヴリーイ(Devriği)」の町はイスタンブールから約1,040km、アンカラからも約600km離れたトルコ東部の内陸部、スィヴァス県の西部に位置しています。最寄りの空港は「スィヴァス(Sivas)」で、イスタンブールから国内線を利用して行くことが可能です。
スィヴァスからディヴリーイまでは約180km、車で約2時間半の距離となっており、バスまたは電車を利用してディヴリーイまで行くことができます。
スィヴァス⇔ディヴリーイ(※2022年3月現在)
電車(Raybüs)
- スィヴァス発:8時00分/17時25分
- ディヴリーイ発:6時20分/17時00分
- 所要時間:2時間45分/運賃:26.5TL
ミニバス(Minibüs)
- スィヴァス発:9時00分/12時00分/15時00分/17時00分
- ディヴリーイ発:5時00分/08時30分/12時00分/16時30分
- 所要時間:2時間30分/運賃:60TL
バス(Otobüs)
- スィヴァス発:5時00分
- ディヴリーイ発:10時30分 ※下記は8時30分発もあり
- 所要時間:2時間/運賃:60TL
「イスタンブール」から「スィヴァス」まで
イスタンブールからは国内線を利用して「スィヴァス」まで行くことができます。1日に1~2便の運行となり、所要時間1時間20分です。
「アンカラ」から「ディヴリーイ」まで
アンカラからは鉄道「Doğu Ekspresi (ドウ・エクスプレス)」を利用して直接「ディヴリーイ」まで行くことができます。所要時間は約13時間です。
Doğu Ekspresi(東エクスプレス)は、「アンカラ」とアルメニアに近い町「カルス」を結ぶ寝台列車で、現在トルコでは年間数十万人が利用する大変人気の観光鉄道となっています。そのため、チケットも取りづらくなっているので利用の際は早めにチケットを購入することをおすすめします。
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