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クサントス遺跡とレトーン遺跡とは?古代リュキアの政治と宗教の中心地

更新日:2023.02.28

投稿日:2022.11.11

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クサントスとレトゥーン トルコ 世界遺産

地中海のリゾートであるトルコのアンタルヤを訪れた際に、古代遺跡の観光をご一緒にいかがでしょうか?クサントスとレトゥ―ンでは、独自の文化を持つリュキアの遺跡を見学できます。

クサントス遺跡とレトーン遺跡とは?

クサントス レトーン

クサントス遺跡とレトーン遺跡は、いずれもトルコ南西部の地中海沿いにあるリュキアの遺跡です。リュキア地域は古来より様々な勢力から侵攻を受け、破壊や略奪をされましたがその都度復活を遂げました。

クサントスは古代リュキア連合の首都です。クサントス川沿いにある2つの丘に都市が作られました。紀元前のリュキア時代にアクロポリスが作られ、その後、北の丘にローマ時代のアクロポリスが建造されて、2つのアクロポリスでクサントスが構成されています。

リュキアはギリシャの影響を受け独自の文化を持っていました。特に葬送芸術にユニークな特徴があります。岩を削って作った岩窟墓や、柱の形をしたお墓、家の形をした石棺が柱の上に乗ったお墓など、他では見られない珍しいお墓をクサントス遺跡で見ることができます。

レトーン(レトゥーン)は、女神レトとその双子の太陽神アポロンと月の女神アルテミスに捧げるための神殿が建てられたリュキアの聖域でした。この場所からは住居跡は見つかっておらず、神聖な場所であったことが分かっています。アポロン神殿の近くで発見された紀元前337年に作られた碑文には、リュキア語、ギリシャ語、メソポタミア地域で話されていたアラム語の3か国語が刻まれています。この碑文によりリュキア語の解明が進展しました。

2つの遺跡は、1988年に「クサントス遺跡・レトーン遺跡」として、ユネスコの世界文化遺産に登録されました。

Xanthos-Letoon – UNESCO World Heritage Centre

クサントス遺跡とレトーン遺跡の場所とアクセス

アンタルヤ国際空港

2つの遺跡はトルコ南西部の地中海沿いにあります。日本から直行便で行けませんので、イスタンブールで国内線に乗り換えが必要です。イスタンブールからダラマン空港まで飛び、ダラマン空港から遺跡まで車で約1時間30分の距離です。

また、地中海のリゾート地アンタルヤからクサントスまで車で約3時間となります。そのためアンタルヤでのんびり羽を伸ばしながら、日帰り観光で遺跡見学を行うことも可能です。クサントス遺跡からレトーン遺跡までは約6㎞となり、車で15分の距離です。この2つの遺跡はぜひ一緒に見学してみてください。

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リュキア地域の解説

遺跡をご紹介させていただく前に、簡単にリュキア地域の解説をします。

リュキア地域とは、トルコ南西部にあるムーラ県とアンタルヤ県の県境のエリアのことです。この地域には、古代よりリュキア人が住んでいました。リュキア人たちはこの地域でそれぞれ都市を作り、全ての都市がリュキア同盟を結んで一つの国を形成していました。リュキア地域には19近くの都市があったと考えられており、クサントスがリュキア同盟の中心地となっていました。

リュキア人は、アナトリアに暮らしていた民族が話すルウィ語を話していました。そして時代が経つと、ルウィ語を元にした独自のリュキア語が使われるようになります。リュキア語で刻まれた碑文は、クサントス遺跡・レトーン遺跡で見ることができます。

山と森林に囲まれた地形を生かし、また、強く結ばれたリュキア同盟により大国からの侵略を許しませんでした。ヒッタイト帝国がアナトリアを支配した際も独立を保ち、ヒッタイト帝国とは同盟を結んでいました。

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しかし、紀元前546年にアケメネス朝ペルシア帝国に支配され、その後はアレクサンドロス大王率いるマケドニア王国やローマ帝国に征服されました。様々な大国の支配を受け、リュキア語はやがて使われなくなり、この地域ではギリシャ語が使われるようになりました。

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クサントス遺跡の歴史

クサントス レトーン

クサントス遺跡から出土した遺構で最も古い時代は、紀元前8世紀の遺物です。しかし、クサントスにリュキア人の都市が作られたのは、紀元前12世紀頃と考えられています。その根拠の一つが、トロイア戦争を歌った吟遊詩人ホメロスのイリアスにてクサントスが登場することです。トロイア遺跡の発掘調査で、紀元前12世紀頃に戦争の痕跡が発見されています。

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紀元前545年にアケメネス朝ペルシアがアナトリアに侵攻し、次々に都市を攻略しました。リュキアの首都クサントスの市民は降伏を受け入れず、女性、子供、家財をアクロポリスに集めて火をつけ焼き尽くし、男性は城外に出て全員が討ち死にをしました。この悲劇は歴史家ヘロドトスによって語られています。街はペルシアの統治の元で復興をされ、紀元前520年頃までには鋳造して作られた硬貨が使われ始めます。

その後、ギリシャ連合軍とペルシア帝国の間で戦争が起こり、紀元前470年ごろに再び破壊されてしまいます。ギリシャ軍に攻撃されて破壊されたのか、もしくはペルシア軍を裏切ったことによりペルシア軍によって破壊されたのかは判明していません。破壊されたクサントスは再建され、ペルシアの支配下でリュキア地域は繁栄をします。この時代に多くの建築物やユニークなお墓が作られました。

紀元前334年にマケドニア王国のアレクサンドロス大王が東方遠征に出ます。ペルシア帝国の領土を次々と奪い、クサントスもマケドニアに征服をされました。この時クサントスの町は攻撃されて破壊されたという説と、平和的に降伏をしたという説があります。アレクサンドロス大王の死後は、エジプトのプトレマイオス朝の支配下に入ることになります。

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紀元前42年にローマ内戦が発生し、クサントスの町はシーザーの暗殺者ブルータスによる略奪を受け、ほとんどの住民が殺されてしまいました。生き残った住民はわずか150人だったと言われています。その後ローマ皇帝マルクス・アントニウスによって再建され、この時に円形劇場が建設されました。ローマの属州となったクサントスでは、現在も見ることができる水道管や貯水槽などのローマ遺跡が造られ繁栄します。

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ビザンツ帝国時代にもリュキア地域の行政や商業の中心地として栄えますが、7世紀以降にアラブ民族から度々侵略を受けやがて廃墟となりました。

1838年にイギリスの考古学者チャールズ・フェローにより、クサントス遺跡の発掘が行われます。その時に「ネーレーイスの記念碑 (海の女神たちのレリーフがある神殿型のお墓)」や「ハーピーの墓」が発掘されましたが、調査隊はほとんどをロンドン持ち帰ってしまいました。現在、オリジナルは大英博物館で展示されており、クサントス遺跡にはレプリカが置かれています。

クサントス遺跡観光の見どころ

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クサントス遺跡の見どころをご紹介します。

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ハーピーの墓

一枚岩から削り出された高さ8mの石柱の上に、レリーフで飾られた高さ1mの墓室が乗っています。このレリーフの中に、女性の上半身に鳥の下半身と翼を持つハーピーが刻まれていることから、ハーピーの墓と呼ばれています。

ギリシャ神話では罪びとをさらい食欲が旺盛な怪物と言われていますが、リュキアではハーピーは死者の魂を昇天に導くと考えられていました。残念ながら見ることができるのはレプリカで、オリジナルは大英博物館にあります。

家形石棺が乗った柱

石板を組み合わせた四角柱の上に、アーチ型の屋根を持った家をかたどった石棺が乗せられています。ローマ支配下時代に野外劇場が造られた際に、野外劇場の西にハーピーの墓と共に移されました。

ローマ時代の野外劇場

リュキア時代のアクロポリスがあった丘の下にあった窪地を利用して、野外劇場が造られました。保存状態が良く、観客席を当時の姿で見ることができます。

レトーンの歴史

クサントス レトーン

レトーンの歴史は発掘された遺構から、紀元前6世紀後半ごろにさかのぼることが分かっています。建設当初から人が居住しない聖域となっており、リュキア地域の地母神が奉られていました。紀元前4世紀ごろにギリシャの文化が入って来ると、女神レトを始めとしたギリシャの神殿が建てられ、宗教の中心地としてますます発展します。

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ローマの支配下に入るとレトーンにローマ劇場や教会が建設され、この地域はキリスト教化されていきます。紀元前1世紀に発生した黒海沿岸のポントス王国とローマの戦いでは、リュキア地域の海岸都市パタラの包囲戦が行われました。その際にレトゥ―ンの聖なる木々を切り倒そうとしたポントス王のミトリダテスは、その冒涜的な行為を警告される悪夢を見たと言われています。それほどレトゥ―ンはアナトリアで神聖な地域となっていました。

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レトーンの建物の石材が教会建設のために転用をされることがたびたびあり、徐々に衰退していきます。そして西暦7世紀頃にクサントスが放棄された同じタイミングで、レトーンも廃墟となりました。

1962年からフランス人考古学者のヘンリ・メッツガーにより発掘が行われ、神殿や碑文などが発見されました。特にギリシャ語、リュキア語、アラム語で書かれたレトーンの三言語の碑文は、リュキア語の解読に欠かせない鍵となりました。

レトーン遺跡観光の見どころ

クサントス レトーン

レトーンはクサントスに比べると規模が小さく、見学時間はあまりかかりません。

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レト、アポロン、アルテミスの3つの神殿

3つ並んだ神殿の中で西にあるのがレトの神殿です。レトの神殿は元々あった神殿の上に建てられ、30.25m×15.75mの長方形で11×6列の柱がありました。現在は3本の柱が修復され建てられています。

中央にある神殿がアルテミス神殿ですが、廃墟となっており建物の土台のみを見ることができます。一番東にはアポロン神殿があり、神殿の床には、アポロンの象徴である竪琴と弓と矢筒がモザイク画で描かれています。

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ニンファエウム遺跡

ハドリアヌス帝時代に作られた遺跡で、神聖とされていた水源に作られています。泉を中心に両側に建物が造られていました。現在は泉に浸かっている遺跡を見ることができ、神秘的な雰囲気となっています。

クサントスとレトーンにまつわる神話

クサントス レトーン

神話を知識として覚えておくと、遺跡見学がより楽しくなります。

サルぺードーン

サルペードーン

トロイア戦争の際にトロイア王国の味方をしたのが、サルぺードーンでした。リュキアの王であるサルぺードーンは、リュキア勢を率いてクサントス川の近くから出発し、トロイア戦争に参戦をしました。

しかし、ギリシャの英雄アキレウスの親友パトロクロスによって倒され、遺体は自国クサントスに運ばれ埋葬されました。サルペードーンの話は、吟遊詩人ホメロスのイリアスで歌われています。

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女神レト

女神レト アポロン アルテミス

ギリシャ神話に登場する女神で、ティタン神族のコイオスとフォイベの娘です。レトはゼウスとの間にアポロンとアルテミスの双子を授かります。しかしゼウスの妻ヘラが怒り、レトが出産する場所を提供することを各国に禁じました。レトは世界をさまよい、ようやくデロス島にたどり着きアポロンとアルテミスを生むことができました。

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世界をさまよう途中でリュキア地域に立ち寄り、クサントス川の水を飲もうとしたところ、村人たちから妨害を受けたため彼らをカエルの姿に変えたという言い伝えがあります。

ネーレーイス

ネーレーイス

ネーレーイスは海に住む女神の総称のことで、50人の姉妹がいると言われています。トロイア戦争の英雄アキレウスの母親であるティティスもネーレーイスの一人です。

ギリシャ神話ではネーレーイスが海の神ポセイドンと行動を共にする場面や、船乗りたちを助ける場面が書かれています。神殿型のお墓であるネーレーイスの記念碑は、現在土台だけ遺跡に残されており、オリジナルは大英博物館にあります。

ハーピー

ハーピー

ハーピーまたはハルピュイアと呼ばれる生物は、ギリシャ神話に登場する上半身が女性の姿で、下半身が鳥の姿で翼を持っています。ハーピーはギリシャ神話では食料を食べ散らかして、残飯の上に汚物をまき散らすという嫌われている怪物として語られています。しかし、リュキアでは死者の魂を天界に運ぶ存在と考えられていたため、お墓にレリーフが刻まれました。

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