古代ギリシャとは?都市国家の成立や文化・文明、神話、有名人まで徹底解説
更新日:2023.02.28
投稿日:2022.10.27
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古代ギリシャ(ギリシア)とは現在のギリシャにあたる場所で、紀元前に文明や都市国家などが栄えていた時代をいいます。古代ギリシャでは、「ポリス」と呼ばれる都市国家が成立して民主政が広まり、さまざまな学問、思想、芸術などが発展しました。後世のヨーロッパにも与えた影響も大きく、西洋文明の起源は古代ギリシャともいわれます。この記事では、古代ギリシャとはどのような時代だったのか、文明や都市国家の成立からギリシャ神話、有名人などを解説します。
古代ギリシャとは
古代ギリシャといえば、神話や歴史ある神殿、白い布の服を身に纏った人などをイメージする人が多いのではないでしょうか。古代ギリシャの人々は、温暖なバルカン半島に暮らしていたこともあり、1枚の布を身体に巻きつけるシンプルな服装で生活していました。素材はウールや亜麻布で、色はほとんどが白一色。上流階級のみ刺繍や染色されたものを着用していたようです。
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はじめに、古代ギリシャの年代や文化・文明の特徴、古代ローマとの違いなどを解説します。
古代ギリシャ時代はいつからいつまで?
古代ギリシャがいつからいつまでの時代を指すかについては諸説ありますが、B.C.(紀元前)3000年頃にエーゲ海やバルカン半島で栄えたエーゲ文明(キクラデス文明)から始まり、古代ローマによる支配を受けるB.C. 2世紀頃まで指すのが一般的です。
ほかに、エーゲ文明は含めずに、私たちが古代ギリシャと聞いてイメージするポリス(都市国家)社会が成立するB.C.800年頃から消滅を迎えるB.C.149年〜A.D.(紀元後)148年頃までを古代ギリシャとする区分もあります。
日本にあてはめると、弥生時代がB.C.1000年〜A.D.300年中頃のため、主に弥生時代中期にあたり、エーゲ文明まで含めると縄文時代までさかのぼります。
古代ローマとの違いは?
古代ギリシャと古代ローマは日本人から見るとよく似ており、混同してしまいがちですが、両者の間にはさまざまな違いがあります。古代ギリシャと古代ローマの違いについてみていきましょう。
古代ローマはイタリア半島から発展していった国で、イメージとして現在のイタリアとギリシャのように地中海を挟んで隣同士の国家でした。大きな違いは、古代ローマが統一国家だったのに対して、古代ギリシャは1,000を超えるポリス群が自治を行っており、紀元前4世紀頃にマケドニアに統一されるまで単一の国家ではなかった点です。
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政治制度も異なり、どちらも民主政を採用していたものの、古代ギリシャでは幅広い層の市民が政治参加できたのに対し、古代ローマでは富裕層や有力市民を中心とした元老院が権力を握り、一般市民の意見は反映されにくくなっていました。
年代は古代ギリシャのほうが古く、古代ローマの建国はB.C.753年頃とされます。B.C.168年、当時台頭していたマケドニアを滅ぼしたローマはギリシャを支配しました。A.D.27年には共和政から帝政に移行してローマ帝国となりますが、4世紀末に東西に分裂。西ローマ帝国はゲルマン人によって滅ぼされますが、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)はその後も1453年まで存続しました。
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古代ギリシャ文化の特徴
古代ギリシャ人は、政治や学問、神話、芸術など、さまざまな分野で独自の文化を生み出しました。多くの市民が参加し、人間的で合理的な明るい文化であったところが古代ギリシャ文化の大きな特徴で、西洋文明の起源の1つともいわれています。
ポリスでは、一般の市民も参加する世界初の民主政が発達。アゴラと呼ばれる広場では政治をはじめとした活発な議論が交わされ、哲学や自然科学など多くの学問の基礎が築かれました。
宗教面では多神教で、オリンポス十二神など多くの神々を信仰しており、ギリシャ神話やパルテノン神殿など、多くが現代の私たちが耳にするものとして伝わっています。
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芸術面でも、演劇や文学、彫刻、建築など多彩な分野が発展し、多くの著名人や現代まで残る作品や建築物を生み出しました。
古代オリンピックの起源:オリンピア
古代ギリシャ発祥の文化で現在の私たちにとっても馴染み深いのが、スポーツの祭典オリンピックの起源となった古代オリンピックです。古代オリンピックは、ペロポネソス半島西部の都市オリンピアで、最高神ゼウスに捧げる祭典として4年ごとに開催。ギリシャ各地から集まった選手たちが短距離や長距離、やり投げ、円盤投げ、戦車レースなどの競技で身体能力を競っていました。古代オリンピックはキリスト教が広まるとともに廃れていきましたが、オリンピアには現在も、当時の聖火式が行われた神殿や競技場などの遺跡が残されています。
古代ギリシャの文明
古代ギリシャでは、起源となったエーゲ文明から都市国家ポリスの発展、ローマによる支配などを経て、さまざまな文明の興亡が起こりました。古代ギリシャにおける文明の移り変わりの歴史をみていきましょう。
エーゲ文明
エーゲ文明は、キクラデス文明をはじめとして、トロイア文明、ミケーネ文明、ミノア文明(ミノス文明、クレタ文明とも呼ばれます)の三文明など、古代ギリシャにおける最も古い文明の総称です。19世紀まで神話の中のものと思われていたエーゲ文明ですが、ドイツのシュリーマンによるミケーネ遺跡の発掘など、考古学者らに発見されたことによって存在が確認されました。
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キクラデス文明は、B.C.3000~B.C.2000年頃にエーゲ海のキクラデス諸島で栄えた文明で、ギリシャとアナトリア間の交易に重要な役割を果たしていたと考えられます。
B.C.2000年以降、文明の中心はクレタ島やペロポネソス半島のミケーネ、トルコ北西部のトロイアへと移っていき、線文字Aや線文字Bといった古代文字も生み出されました。エジプトや古代オリエントとも深い関係にあったとされますが、B.C.12世紀頃に突然すべての文明が滅亡。海の民やドーリア人の侵入など、いくつか説があるものの、はっきりとした原因は分かっていません。
都市国家・ポリスの成立〜発展
エーゲ文明の滅亡後、古代ギリシャで発展してきたのが、ポリスといわれる都市国家です。B.C.10~B.C.8世紀頃に成立したポリスは、市民による自治や民主政が発達していき、B.C.5世紀頃に最盛期を迎えます。ギリシャ本土で150以上、海外植民地も含めると1000以上のポリスが築かれ、アテネ(古代名:アテナイ)やスパルタといった有力なポリスも登場しました。
ローマ時代にいたるまで
繁栄を築いた古代ギリシャの都市国家群ですが、ポリス同士の対立や抗争、民主政の混乱などから次第に衰退。急速に勢力を広げていたギリシャ北部のマケドニア王国に敗北し、ギリシャ全土が支配下に置かれます。
マケドニアのアレクサンドロス大王は、東方遠征により地中海からインダス川におよぶ大帝国を築きます。このとき、ギリシャとオリエントが融合したヘレニズム文化も生まれました。しかし大王の死後、国は分裂。B.C.168年にイタリア半島から進出してきたローマによりマケドニアが滅ぼされると、以後、ギリシャはローマの属州となって支配を受けました。
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古代ギリシャが後世に与えた影響
古代ローマの進出により、世界史の表舞台から消えて行った古代ギリシャですが、育まれた文化までが消滅したわけではなく、哲学や学問、思想、美術などでは多くの著名人や功績を残しており、後世にも大きな影響を与えました。
ギリシャ文明はローマへと受け継がれており、例えば、ローマ神話にはギリシャの神々が取り入れられています。東ローマ帝国(ビザンツ帝国)は、ギリシア正教を信仰するとともに、ギリシャ語が公用語になるなどギリシャ化が進み、中世ギリシャ帝国とも呼べる国でした。1453年にオスマン帝国が東ローマ帝国を滅ぼすと、ギリシャ的な文化も次第に失われていきますが、古代ギリシャ文明の栄光はこの頃まで続いていたといえるでしょう。
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古代ギリシャは文化だけでなく、言語面でも後世に影響を与えており、古代ギリシャ語はヨーロッパ諸言語に最も影響した言語の1つとされています。英語の語彙に及ぼした影響も大きく、なかには「デモクラティア(demokratia)」、英語で「democracy(民主主義)」のように現代社会に必要不可欠な単語も含まれます。
ルネサンスから20世紀はじめまで、古代ギリシャ語はラテン語と並んで、ヨーロッパの教育カリキュラムで重要な科目になっていました。現在も、ヨーロッパの伝統校やエリート校では必修とされている場合があります。ほかにも、学名に使われる新ラテン語や専門用語の新造の際などには、古代ギリシャ語の語彙が積極的に引用されています。
ギリシャ神話とは
ギリシャ神話は、ギリシャをはじめ、エーゲ海やトルコ周辺の地域で古代ギリシャ時代のB.C.15世紀頃から語り継がれてきた伝承文化です。多数の神々や英雄たちが登場し、愛憎劇を繰り広げる物語で、世界創造からはじまり、神々の子どもたちが生まれて世界が形成されていく過程が描かれています。
ギリシャ神話は世界の他の神話と比べても内容が豊富で、文学的にも高い価値をもっているのが特徴です。なお、古代ギリシャでは宗教儀式だけでなく、慣習や天候の変化など、日常の重要な部分を説明する根拠にも使われていました。多くの神様が出てくるところは日本の古代神話にも似ていて、古事記にはギリシャ神話に似た話も存在します。
ギリシャ神話は以下のような三部構成になっています。
1.世界の起源
世界のはじまりである、無限で何もない状態の空隙「カオス」。ここから生まれた大地の女神「ガイア」をはじめとする原初の神々による世界創造の様子が描かれます。カオスからはガイアのほかにも、奈落の神「タルタロス」や恋心と性愛の神「エロス」が生まれ、ガイアは天空神「ウラノス」や海神「ポントス」を生み出し、神々によって世界は豊かに創られていきました。
2.神々の物語
ガイアはウラノスと結婚し、ウラノスは全宇宙を支配する神々の王になります。2人の間には、巨人の神々ティターン12神をはじめ、17人もの神様の子どもが生まれました。さらに、兄弟同士での結婚により他の神々も生まれ、やがて主神ゼウスを中心とするオリンポス12神が登場します。多くの神々の誕生で世界がより豊かに形成されるとともに、特にオリンポス12神の登場以降は、人間味あふれる神々同士の愛憎によるさまざまな物語が展開されていきます。
3.人間と英雄たちの物語
人間の起源や神様を祖先にもつ半神の英雄たちの誕生と活躍が描かれます。ギリシャ神話の人間はガイアやゼウスによって生み出されたもので、ゼウスの起こした大洪水により大半が滅亡した後に出てきたのが半神半人の英雄たちでした。英雄たちは戦争や怪物退治に活躍し、多くの英雄譚を残しますが、激しい戦いの末に消滅。その後、生まれたのが現在の人類とされています。
ギリシャ神話に登場する神々
日本の神話における神様と同様に、数えきれないほど多くの神々が登場するギリシャ神話のなかから、特に有名な神様を紹介していきます。
<オリンポス十二神>
ギリシャ神話のメインといえる神々で、主神ゼウスを中心に男女6柱で構成されています。
- ゼウス:全知全能の至上神、雷の神
- ポセイドン:外洋と大陸の神
- ヘーラー:最高女神、結婚と出産の神
- アテーナー:戦いと知恵の女神
- アポローン:牧畜・音楽と詩歌文芸・光明の神
- アレース:戦いと破壊の神
- アフロディーテ:愛と美の女神、生殖と豊穣の女神
- アルテミス:狩猟・貞潔・月の女神
- デーメーテール:豊穣の女神
- ヘーパイストス:炎と鍛冶の神
- ヘルメス:伝令の神
- ヘスティア:炉の女神
他に有名な神々には、
- ハーデース:冥界の王
- ペルセポネー:冥界の女神
- ガイア:大地の女神
- ウラノス:天空神
- ポントス:海神
- タルタロス:奈落の神
- エロス:恋心と性愛の神
- ニュクス:夜の女神
などがあります。
ギリシャ神話に登場する英雄たち
神様だけでなく、さまざまな英雄たちが活躍するのもギリシャ神話の特徴です。ギリシャ神話の主な英雄たちを紹介します。
アキレウス
ホメロスの抒情詩『イリアス』の主人公で、トロイア戦争ではギリシャ軍の一員として、たった1人で形成を逆転したり、敵将を討ち取るなど活躍しました。不死身の体をもっていたアキレウスですが、最後はパリスの放ったアポローンの矢に唯一の弱点であるかかとを射抜かれて命を落としました。この逸話はアキレス腱の由来になっています。
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ヘラクレス
最高神ゼウスの息子でギリシャ神話最大の英雄。屈強な体をもち、幼少の頃から武器の使い方や戦い方を身につけると、ネメラーの獅子やヒュドラ退治、地獄の番犬ケルベロスの捕獲など、12の功業により不死身の体を手に入れ、神々の仲間入りを果たします。その後も数々の冒険や活躍を続けたヘラクレスですが、最後はヒュドラの毒がもとで命を落としました。
ペルセウス
ゼウスの血を引く半神半人の英雄。ゴルゴーン三姉妹の1人で、見た者を石に変える能力をもつ怪物メデューサを退治しました。ミケーネ王家の創始者で、死後はペルセウス座になったと伝えられます。
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オデュッセウス
ホメロスの抒情詩『オデュッセイア』の主人公。
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力自慢が多い英雄たちのなかでは珍しい智将とされ、トロイア戦争では「トロイの木馬」の奇策を生み出し、ギリシャ軍を勝利に導きました。
古代ギリシャの有名人
古代ギリシャでは、さまざまな学問・文化が発達し、多くの著名人を生み出しました。なかには現代の私たちがよく知っている人物も。古代ギリシャの有名人たちを紹介します。
三代哲学者:ソクラテス・プラトン・アリストテレス
古代ギリシャでは、ヨーロッパ哲学の基礎となったギリシャ哲学が生まれました。なかでもソクラテス、プラトン、アリストテレスの3人は三大哲学者といわれ、ギリシャ哲学の発展に大きな業績を残しています。
ソクラテス
- B.C.470年~B.C.399年頃
- 出身地:アテナイ
「哲学の父」と呼ばれ、西洋哲学の源流を築いたとされる人物です。デルポイで、弟子が「ソクラテス以上の賢者はいない」との神託を受け、それを聞いたソクラテスは本格的に哲学に取り組むようになります。「自分に知識がないことを自覚する」という概念である「無知の知」の思想へと辿り着きました。
彼のもとにはプラトンやクセノフォンなど多くの弟子や共鳴者が集まりますが、政府からは危険思想とみなされて死刑判決を受け、毒杯を仰いで命を絶ちました。ソクラテス自身は著作を一切残さなかったものの、彼の言葉は弟子たちによって伝えられ、後の西洋哲学全体に影響を残したとされます。
プラトン
- B.C.427年~B.C.347年頃
- 出身地:アテナイ
ソクラテスの弟子で、アリストテレスの師匠にあたる哲学者。独自のプラトン哲学により、不完全な現実世界に対して、完全な真実の世界であるイデア界が存在し、人々がイデアに憧れるのがエロースであるというイデア論を唱えました。
アテナイ王家の血を引く名門の出身ですが、政治には関わらず、ソクラテスの弟子となり、師匠の理不尽な死を目の当たりにした後は、自ら哲学の道を志します。各地を旅した後、アテナイに哲学の学校アカデメイアを創設。『ソクラテスの弁明』『国家』など、ソクラテスの思想に関する多くの著作も残しました。
アリストテレス
- B.C. 384年~B.C. 322年頃
- 出身地:マケドニア
西洋最大かつ思想の歴史において最も重要とされる哲学者の1人です。プラトンの弟子ですが、イデア論批判も行っており、人間の本性は知を愛する「愛知(フィロソフィア)」とする独自の思想を唱えました。フィロソフィアは哲学の語源にもなっています。また、論理学、生物学、天文学、形而上学、心理学、言語学、経済学、政治学など哲学にとどまらない幅広い功績を残し、「万学の祖」ともいわれました。500冊を超える著作を残したとされますが、そのうち現存しているのは3分の1ほどです。
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歴史学者:ヘロドトス
- B.C.484年~ B.C.425年頃
- 出身地:小アジア・ハリカルナッソス
古代ギリシャの歴史家で、ペルシア戦争を描いた『歴史』を著しました。『歴史』は、物語風の形式をとっており、現代とは少し書き方が異なるものの、古代ギリシャだけでなく現存する人類最古の歴史書です。ヘロドトスの著作は、歴史という概念そのものの成立にも大きな影響を与えており、歴史学における重要人物の1人として「歴史の父」とも呼ばれています。
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医学者:ヒポクラテス
- B.C.460~B.C.370年頃
- 出身地:エーゲ海・コス島
古代ギリシャの医師で、後の西洋医学に大きな影響を残したため「医学の父」と呼ばれています。ギリシャ各地を巡って医学を学んだとされ、病気を呪術や神々の仕業とする従来の考えを否定し、科学に基づいた医学の基礎を築きました。ヒポクラテスの功績は弟子たちにより『ヒポクラテス全集』としてまとめられています。
数学者:ピタゴラス
- BC560~BC480年頃
- 出身地:サモス
「ピタゴラスの定理」でも有名な古代ギリシャの数学者。もともとは万物の根源を数とする宗教組織「ピタゴラス教団」の教祖で、純粋な学者と少し異なる人物ですが、無理数の発見や幾何学的代数など、ピタゴラスによってギリシャの数学・幾何学は大きく発展しました。また、哲学者でもあり、自然を観察しながら物事の根源を探求するイオニア自然哲学者の1人にも数えられます。
三代悲劇詩人のひとり:アイスキュロス
- B.C.525年~B.C.456年頃
- 出身地:エレウシス
アテナイの悲劇作家で、ソフォクレス・エウリピデスに並ぶギリシャ三大悲劇詩人の1人として、ギリシャ悲劇を確立させました。『アガメムノーン』などのオレステイア三部作、『縛られたプロメテウス』、『ペルシア人』などの代表作があり、生涯に90以上の作品を手掛けたといわれますが、現存しているのは7篇のみです。
吟遊詩人:ホメロス
- 生没年不詳
- 出身地:不明
B.C.850年頃にトルコのスミルナにいたとされる吟遊詩人。ホメロスの代表作は、トロイア戦争を描いた『イリアス』と英雄オデュッセイアの漂流を描いた『オデュセイア』の2本の叙事詩です。ギリシャの古典を代表するだけでなく、ギリシャ文学の基礎にもなりました。ホメロスには「盲目」の意味があり、イオニア地方を吟遊していた盲目の詩人だったといわれますが、出自等に不明な部分が多いため実在自体を疑問視する見方もあります。
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叙事詩人:ヘシオドス
- B.C.700年頃~不詳
- 出身地:ボイオティア
B.C.700年頃のギリシャで活躍した叙事詩人で、ホメロスが伝説的な存在なのに対し、ヘシオドスは実在が明らかになった人物です。農民として暮らした経験をもとに、農作業のやり方や仕事上の教訓を歌った『労働と日々』や、神々の誕生や戦いを描き、ギリシャの神を体系化してオリンポス十二神への信仰を確立させた『神統記』といった作品を遺しました。
政治家・将官:ペリクレス
- B.C.495年~B.C.429年頃
- 出身地:アテナイ
アテナイの政治家で、ペルシア戦争後の時期に政治を指導し、アテナイ民主政を完成させた人物です。B.C.443年~B.C.429年まで毎年連続で、アテナイの最高職「ストラテゴス(将軍職)」に任命されています。役人の抽選制徹底と給料制の導入、市民権法の制定などを行い、ペリクレス時代と呼ばれるアテナイの全盛期を築きました。
政治家・軍人:テミストクレス
- B.C.520年頃~B.C.455年頃
- 出身地:アッティカ
アテナイの軍人・政治家で、外港を築いてアテナイ発展の基礎を築きました。ペルシア戦争では海軍を率いてサラミスの海戦で勝利に導いています。しかし、市民からは独裁者になる恐れがあると警戒され、B.C.470年末頃、独裁者を選挙で追放するオストラシズム(陶片追放)によりアテナイを追われてしまいます。その後はペルシアに渡り、地方長官になったものの、アテナイ遠征の艦隊を指揮するよう命じられたため、自ら毒を飲んで命を絶ちました。
古代ギリシャの都市国家・ポリスとは
古代ギリシャの大きな特徴が、ポリスと呼ばれる都市国家の存在です。山がちな地形のギリシャでは、大きな統一国家は興らず、エーゲ文明の崩壊後、B.C.800年頃から集住(シノイキスモス)と呼ばれる村共同体が発展。やがて、アクロポリスといわれる城山を中心に、都市国家・ポリスを形成していきました。
商工業が発達すると、豊かになった市民は自前で武器を購入して軍隊に参加。政治に対する発言力をもつようになり、市民による自治や民主政へと発展します。ポリスには常設の官僚機構や軍隊をもたず、市民は民主政や行政を運営するとともに、戦争になれば武器をもって兵士として戦うという、政治と軍事両方の役割がありました。
後にペルシア戦争が起こると、船の漕ぎ手など下層市民も政治に参加するようになり、ポリス民主政はさらに成熟していきます。ただ、参政権をもつのは戦争に参加できる成人男性のみで、女性や奴隷の権利は認められていませんでした。
ポリスの規模はさまざまですが、市民の数は数百~数千ほどが一般的です。有名なアテナイ、スパルタといった大規模なポリスは例外的といえるでしょう。最盛期には植民地も含めて1000を超えるポリスが存在していました。しかし、やがてポリス同士の対立から戦争が起こるようになり、古代ギリシャのポリスは次第に衰退していったのです。
ここからは、古代ギリシャの歴史に登場する有名なポリスやポリスの主な建造物などを紹介します。
スパルタ
ペロポネソス半島南部に位置するドーリア人のポリス。他のポリスと異なる軍国主義的な国家体制が特徴で、古代ギリシャ最強といわれた重装歩兵軍を有していました。アテナイとはライバル同士で、ギリシャの覇権を巡って戦争も起こしています。
スパルタの住民は市民、半自由民(ペリオイコイ)、奴隷(ヘイロータイ)の三階層に分かれ、このうち市民が政治・軍事の担い手となります。市民は、支配層として労働から解放される代わりに、子どもの頃から戦士として厳しく指導されており、過酷な教育方式は、「スパルタ教育」の語源にもなりました。
スパルタでは「城壁は人なり」といわれ、城壁を築かなかったところも他のポリスと違っており、絶大な軍事力に対する信頼感が分かります。有名ポリスの筆頭であるスパルタですが、アテナイなど民主政をとっていた他のポリスと比較すると、かなり異質な存在であったといえるでしょう。
アテナイ(アテネ)
古代ギリシャを代表するポリスの1つ。ギリシャ南部のアッティカ地方にあったイオニア人のポリスで、現在はギリシャの首都アテネとなっています。ポリス名はギリシャ神話の女神アテーナーに由来しており、政治、経済、文化などさまざまな面から古代ギリシャを牽引する存在でした。
アテナイの街は、パルテノン神殿がそびえるアクロポリスを中心に、城壁に囲まれた市街で構成され、周囲は耕作地になっています。領内のラウレリオン鉱山は貨幣発行などを支えるアテナイ経済の原動力であり、さらに、サラミス湾には外港ペイライエウス(現在のピレウス港)を保有し、海外との貿易も盛んでした。人口は多いときで20万人以上といわれます。
アテナイでは、参政権をもつ市民が直接政治参加を行う「アテネ民主政」といわれる政治制度を導入。学問や文化も活発で、ソクラテスやプラトン、アリストテレスなど、多数の有名人を輩出しました。私たちが古代ギリシャと聞いて思い浮かべる多くのものがアテナイから来ており、アテナイは典型的な古代ギリシャのポリスといえます。
テーバイ(テーベ)
アテナイの北西、中央ギリシャのボイオティア地方中心に位置するポリス。精鋭歩兵部隊を有し、優秀なエパミノンダス将軍が生み出した「斜陣線」といわれる新戦術を駆使して、B.C.372年レウクトラの戦いでスパルタを破り、B.C.4世紀頃に古代ギリシャの覇権を握りました。
デルポイ
中部ギリシャ、フォキア地方に位置するポリス。デルポイのあったパルナッソス山の麓は当時、世界のへそ(中心)とされており、ギリシャ中の信仰を集めていました。アポローン信仰の中心地でもあり、アポローン神殿で下される「デルポイの神託」は、すべてのギリシャ人にとって真実のものと考えられ、戦争や植民など重要な決定の際に利用されたといわれます。ちなみに、ソクラテスへの神託もアポローン神殿で下されました。
コリントス
ギリシャ南部、ペロポネソス半島の付け根に位置する港湾都市。海上交通の要衝にあったため、商業都市として繁栄を築きました。ギリシャ建築様式の1つ、コリント式でも有名です。また、アテナイやテーバイと同盟を結んでスパルタと戦ったコリントス戦争や、スパルタを除く全ギリシャのポリスが加わったコリントス同盟の結成など、ポリス同士の勢力争いでも大きな役割を果たしました。
ポリスの主な建造物
ポリスには、政治や文化の中心となるさまざまな施設が存在していました。ポリスの主な建造物と役割を解説します。
アクロポリス
ポリスの中心に位置する小高い丘で、アクロポリスとは「高いところ」を意味します。ポリス黎明期は王の居所だったといわれますが、民主政が発達すると丘の頂上には都市国家の守護神を祀った神殿が建造され、ポリスのシンボルとなっていました。パルテノン神殿のあるアテナイのアクロポリスなどが有名です。アクロポリスの麓では、市民による政治参加の場である民会が開かれたり、アゴラ(広場)が設けられたり、名実ともにポリスの中心といえる存在でした。
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アゴラ
古代ギリシャにおいて、市民による集会や商取引、裁判などの重要な活動が行われ、政治、経済など多方面で、市民生活の中心になった公共広場です。アゴラはアクロポリスの麓や都市の中心部に設置されており、付近には評議会所(ブレウテリオン)や公文書館(メトロオン)なども建っています。アゴラの周囲にはストアといわれる列柱が並び、柱の周囲は店が出されたり、人々が議論を交わしたりする場所になっていたほか、水時計も設置されており、ポリス市民が時間を知れる場所でもありました。
円形劇場
古代ギリシャや古代ローマで演劇や歌、戦闘などの見世物を行うために建造された巨大な屋外会場です。数百人程度のサイズから、大きいと数万人規模のものもあり、観客席が放射線状に丸く配置されたために円形劇場といわれます。
円形劇場とは?古代ギリシャ・ローマ時代の遺跡が今も息づくトルコ
ローマでは娯楽目的での使用がメインだったのに対して、ギリシャ時代の演劇は神事の1つで、神に捧げる儀式として上演されていました。
古代ギリシャの有名な遺跡
ギリシャやトルコには、現在も古代ギリシャ時代の遺跡が残されており、訪れる人に当時の文化や生活の一端を垣間見せてくれます。なかには、世界遺産に登録されているものもあり、旅行や観光にもぴったりです。ここでは、古代ギリシャの有名な遺跡を紹介します。
アテネのアクロポリス
ポリスの中心となるアクロポリスのなかでも最も有名なのが、アテネ(アテナイ)のアクロポリスです。地上50mの高さと3ヘクタールの広さをもつ丘にはBC5世紀後半頃の建造とされる遺跡群がそびえており、1987年にはユネスコの世界文化遺産にも登録されました。なかでも有名なパルテノン神殿は、女神アテーナーを祀るため建てられた神殿で、ドーリア建築の最高傑作といわれます。実は1度ペルシア軍に破壊されており、現在のものは2代目です。ほかにも、イオニア建築の代表とされるエレクテイオン神殿やアテナ・ニケ神殿、プロピュライアなどが見られます。
トロイ遺跡
トルコ北西部に位置するトロイ遺跡は、トロイアの木馬で有名なトロイア戦争の舞台となった場所です。かつては、叙事詩や神話の中の存在と思われていた古代都市・トロイアですが、シュリーマンの発掘により発見され、1998年には世界遺産にも登録されました。トロイ遺跡は年代ごとに9つの層に分かれ、城塞や神殿、市街地の跡などが遺されており、英雄アキレウスが斃れたスカイア門など、神話に出てくる場所の遺構も見られます。
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ミレトス遺跡
ミレトスは、エーゲ海に面したイオニア地方で政治・文化の中心として繁栄した都市です。ギリシャ人のポリスが築かれると、早くから活発な商業活動が行われます。交易によって栄えるとともに、学問が盛んになり、自然哲学のミレトス学派が生まれ、タレスなど有名な哲学者を輩出しました。現在は観光地になっており、小アジア最大級の劇場や典型的なローマ浴場、アポロ神殿、市場の門などの豊富な遺跡が残っています。
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イズミル
古代ギリシャ時代はスミルナと呼ばれていました。『イリアス』などで有名な吟遊詩人ホメロスが住んでいたとされる街で、現在は、イスタンブールに次ぐ貿易港として賑わうトルコ第3位の都市になっています。ギリシャ時代の市街は現在よりも北にあったとされ、アゴラやパゴス丘の城砦(カディフェカレ)など、古代遺跡も多く残されているほか、イズミル考古学博物館では豊富な発掘物が見学可能です。
イズミル(イズミール)はエーゲ海の真珠!観光スポットやグルメなど徹底解説!
エフェソス遺跡
トルコ西部にある小アジアの古代都市で、最盛期を迎えるのは古代ローマ時代ですが、古代ギリシャの時代から存在していました。2015年にはユネスコの世界文化遺産にも登録されており、世界七不思議の1つであるアルテミス神殿やエフェソス公会議の開催地としても有名。クレオパトラや聖母マリアもこの地を訪れたといわれています。
現在は無人の遺跡ですが、1世紀頃は人口25万人を超え、ローマに次ぐ世界第2位の規模を誇りました。
古代ギリシャで起こった有名な戦争
さまざまな文化が発達した古代ギリシャですが、平和だけの時代ではなく、大きな戦争も起こっていました。ここでは、古代ギリシャの有名な3つの戦争を紹介します。
トロイア戦争
トロイア戦争は、B.C.1260年~B.C.1180年にかけて、トルコ北西部にあったトロイア王国と、スパルタやミケーアなどのギリシャ連合軍との間で起こった戦争です。
トロイア戦争は実際に起こったのか?
トロイア戦争については、ギリシャ神話に記述があり、ホメロスの叙事詩『イリアス』『オデュッセイア』にも描かれているものの、長い間、神話上の話だと考えられてきました。しかし、1870年にドイツ人の考古学者シュリーマンがトロイア一帯の遺跡を発掘。戦争の舞台となった、トロイア王国や古代都市イリオスが実在するものであったことが明らかになりました。現在も架空とする説はあるものの、その後の考古学研究により、イリアスなどの記述は全くの伝説ではなく、ある程度事実に基づいたものと考えられています。
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トロイア戦争の原因
トロイア戦争のきっかけは、「増えすぎた人類を減らすため、大戦を起こす」というオリンポスの最高神ゼウスの立てた計略とされます。ゼウスは戦争のきっかけを作るため、3人の女神をトロイアの王子パリスのもとへと連れていき、最も美しい1人を選ばせました。
パリスに選ばれたアフロディーテは見返りに、「最も美しい女」を贈ると約束していたため、スパルタ王・メネラーオスの妻ヘレネーが彼に恋するよう仕向けます。パリスは王の留守を狙ってスパルタへ赴き、ヘレネーをトロイアへと連れ帰ってしまい、激怒したスパルタ王は、ギリシャ連合軍を結成すると、ヘレネーを取り戻すためトロイアへ攻め込みました。
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ギリシャ軍VSトロイア軍の戦争
こうしてギリシャ対トロイアの戦争がはじまり、オリンポスの神々もギリシャとトロイア双方に分かれて参戦します。ミケーネ王アガメムノーンを指揮官とするギリシャ軍は、1200隻の艦隊と総兵力13万ともいわれる大軍でしたが、堅牢な城砦をもつトロイアにてこずり、戦争は約10年にわたって膠着状態へ陥りました。さらに、ギリシャの英雄アキレウスが弱点の踵に矢を受けて戦死。戦況は次第にギリシャ不利となっていきます。長期化する戦争に軍資金や食糧不足も問題化。上官への不満から反乱を起こす兵士も出始めました。
奇想天外「トロイアの木馬」作戦
状況を打破するため、ギリシャの智将・オデュッセウスが考え出したのが「トロイアの木馬」でした。まず、城内に運び入れるのさえ困難な巨大な木馬を造り、内部にギリシャの精鋭の兵士たちを潜ませます。この巨大な木馬を、トロイアサイドは戦利品として城塞の中へと運ぶだろうとオデュッセウスは踏み、木馬に潜んでいる兵士たちが、内部へと味方を引き込ませようという奇想天外な作戦です。
実際に、ギリシャ軍は木馬だけを残すと自らを撤退したと見せかけ、だまされたトロイア兵はまんまと木馬を城内に運び込んでしまいました。作戦は見事成功。夜、トロイア兵が戦勝の宴で酔いつぶれた隙に木馬から出てきたギリシャ兵は仲間を呼び込み、トロイアの城塞と街は一晩で滅ぼされました。こうして、トロイア戦争はギリシャ軍の大勝利で幕を閉じたのです。
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ペルシア戦争
B.C.500年~B.C.449年の約50年、4回にわたって戦われたアケメネス朝ペルシアとギリシャのポリス連合軍との戦争です。イオニ地方でペルシアの支配に不満をもつギリシャ人が起こした反乱に、アテナイが援軍を送って介入したのがきっかけとなりました。ペルシア王ダレイオス1世はポリスに対して服従を求め、遠征軍を派遣しています。
第1次遠征 B.C.492年
第1回の遠征はペルシア海軍が暴風で損害を受け、失敗に終わります。
第2次遠征 B.C.490年
次の遠征では本格的な侵攻が起こり、エーゲ海のポリスを攻略したペルシア軍ですが、マラトンの戦いでアテナイに敗れ、2度目も失敗に終わりました。
第3次遠征 B.C.480年
続く3度目の遠征は、ダレイオス1世の息子で、ペルシア王クセルクセス1世が自ら軍を指揮し、ペルシア有利に進みます。テルモピュライの戦いでスパルタ軍が敗れ、アテナイも一時ペルシアに占領されるなど、ギリシャ側は敗色濃厚に。しかし、サラミスの海戦でアテナイ海軍がペルシア海軍を破る逆転劇が起こり、ペルシア軍は撤退へと追い込まれました。
第4次遠征 B.C.479年
第3回遠征後も、ギリシャ北部に残存していたペルシア軍が南下してアテナイを目指しましたが、アテナイ・スパルタ連合軍にプラタイアの戦いで敗れ、海でもミュカレの海戦でペルシア海軍が大敗。4度にわたる遠征軍を撃退され、その結果、ペルシア戦争はギリシャの勝利に終わりました。
ペルシア戦争を簡単に分かりやすく!きっかけや有名な戦い、人物まで紹介
ペロポネソス戦争
ペロポネソス戦争は、B.C.431年~B.C.404年にかけて、ギリシャの二大ポリスであるアテナイとスパルタの対立抗争から発生した戦争です。各ポリスがアテナイ率いるデロス同盟とスパルタ率いるペロポネソス同盟に分かれ、古代ギリシャ全体を巻き込む戦争になりました。結果的にはスパルタ側の勝利となったものの、長期にわたる戦争はポリス社会を混乱させ、弱体化・衰退を引き起こします。ペロポネソス戦争後もポリス同士での覇権争いは止まらず、最終的にマケドニアの台頭によるギリシャ全土の支配へとつながっていきました。
古代ギリシャの世界に想いを馳せてみよう
現在からは遠い世界に思える古代ギリシャですが、哲学をはじめとする学問や占いに使う星座の由来など、探してみると、身近なところにも古代ギリシャの影響を見つけられます。何千年も昔の文明が現在まで影響を残しているのは、それだけ古代ギリシャの人々が残した功績が大きく、魅力的な時代だったからだといえるのではないでしょうか。この記事で、古代ギリシャに興味をもたれた方は、ぜひ現地に足を運んで、かつて繁栄を築いた古代ギリシャの世界に想いを馳せてみてはいかがでしょう。
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