エフェソス遺跡で古代へタイムスリップ!観光ポイント徹底解説
更新日:2023.02.28
投稿日:2021.11.16
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トルコ西部大都市イズミールに近いエーゲ海沿岸にある「エフェソス遺跡」は、古代ギリシャ時代、ヘレニズム時代、特にその後のローマ時代に大繁栄し、歴史の大舞台となった古代港都市遺跡です。
遺跡に一歩踏み入れると古代にタイムスリップしたかのような感覚になるほど、広大な都市全体がとても保存状態良く現存しています。当時の生活が垣間見える場所も多くあり、観光の見どころも沢山!
事前に知っておけば観光が数倍楽しくなる有意義な情報をここで皆さんにご紹介いたします!
Contents
エフェソス遺跡とは?
エフェソスは、トルコのエーゲ海地方の町セルチュクにある、8500年の歴史を持つ古代海上貿易で栄えた港町の大都市遺跡です。東地中海で最大のローマ遺跡でもあります。
エフェソスは英語で「Ephesus」と書きますが、これはギリシャ語をラテン語転換したものになります。
ちなみにトルコ語では、「Efes(エフェス)」です。あのトルコで一番有名なビールEFESと同じ名前であることにお気付きになるかと思いますが、エフェスビールはビール工場がイズミールにあるエーゲ海地方産のビールのため、地元の遺跡エフェス(エフェソス)の名が付けられたそうです。
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エフェソスの都市は上下の街それぞれに役割があり、上の街は政治の為、下の街は市民の生活の場となっていました。全盛期には2万人以上がこの都市に住んでいたと言います。
エフェソスは歴史的に重要な価値を持つ世界遺産
- あのクレオパトラがアントニウスと過ごした都市
- 初期キリスト教の遺産が多数保存されているキリスト教徒にとっても重要な聖地
- 「万物は流転する」で知られる自然哲学者ヘラクレイトスの出身地
- 世界七不思議の一つ「アルテミス神殿」の謎
- キリスト教の教義に関する重要な会議「エフェソス公会議」が開催された
など歴史的に貴重なエフェソス遺跡は、2015年にユネスコ世界文化遺産に登録されました。現在、世界中からの観光客が後を絶たたない大変人気の観光地となっています。
エフェソス遺跡の場所・アクセス
エフェソス遺跡は、拠点となる町セルチュクの中心地から約3.5km、車で約5分の距離にあります。
イスタンブールからセルチュクへの行き方
国内線利用の場合、セルチュクの最寄りのイズミール空港へ移動。空港からセルチュクまでは、電車で1時間20分。空港から有料シャトルバスで約1時間かかります。
長距離バス利用の場合、METRO TURIZM等のバス会社から一日数本便出ており、約8時間かかります。
名称 | エフェソス遺跡(Ephesus/Efes) |
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住所 | Acarlar, Efes Harabeleri, 35920 Selçuk/İzmir, Turkey |
営業時間 | 4月1日~10月31日 (夏季シーズン) 08:00~19:30 11月1日~3月31日 (冬季シーズン) 08:30~17:00 ※チケット売り場は30分早く閉まります。 |
休館日 | なし ※砂糖祭と犠牲祭の祝日初日は13:00より開館 |
入場料 | 120 TL (丘の上の邸宅は別料金で55 TL) ※丘の上の邸宅とのセット券:160 TL ※丘の上の邸宅+エフェソス博物館+聖ヨハネ教会とのセット券:200 TL ※※8歳未満の子供は無料です。 |
観光所要時間 | 広大な遺跡ですので、最低2時間はかかると思ってください。一つひとつ丁寧に見るなら3~4時間かかります。 |
※上記情報は2021年10月時点の情報となります。
エフェソス遺跡を観光する前に知っておきたい基礎知識
エフェスで根強く信仰されていた「地母神アルテミス」
エフェソスでは、アナトリアで先史時代から信仰されて来た地母神キベレ由来の豊穣の神「アルテミス」が信仰されていました。これは、ギリシャ神話で知られる同名の女神アルテミスの起源とされていますが、その特徴は全く異なります。
ギリシャ神話のアルテミスは、膝丈のチュニックとサンダルに弓矢を持った処女神です。一方、エフェソスの地母神アルテミスは、頭には城壁冠をかぶり、胸部には豊穣多産を象徴するかのように、卵型の乳房のような物が多数ついています。
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キリスト教との親密さ
エフェソスは、キリスト教にとって親密な地でもあります。
使徒パウロが宣教のためにエフェソスを訪れており、使徒ヨハネは聖母マリアと共にエフェソスにやってきてここで福音書を書きました。
またヨハネが書いた黙示録の中の七つの教会の一つというのがエフェソスです。その頃の教会と言うのは信仰者たちの集合体のことを言い、エフェソスにもキリスト教の教会があったといいます。
加えて、聖ヨハネに連れられて聖母マリアはエルサレムでのキリスト教迫害から逃れてエフェソスにやって来た後、エフェソス遺跡の南東部ブルブル山の頂上にて密かに生涯を過ごしたそうです。その晩年を過ごしたとされる「聖母マリアの家」も発見され、公開されています。
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聖ヨハネもエフェソスで生涯を閉じており、彼のお墓も現在は聖ヨハネ教会跡としてエフェソス遺跡の北東に残っています。
エフェソス遺跡の必見観光ポイントを徹底解説!
広大なエフェソス遺跡は、事前知識なしで“ただの遺跡”で終わらせるのには勿体無さすぎます!エフェソスは一つの町ですので、色々な施設があり、施設によって用途や建設させた人物や年代など多種多様です。遺跡の中には世界史で習った皆さんご存じの人物由来の物も多くありますので、旅行に行かれる前に軽く情報を頭に入れれば、遺跡見学が数倍楽しくなること間違いありません。
そんなエフェス遺跡の必見観光ポイントを東側入口からの順路で簡単な説明と共に皆様にご紹介いたします!
エフェソスの上の入口「マグネシア門(上門)」
現在のエフェソス遺跡の上の東側入口より400m程外側にあります。
防壁が張り巡らされていたエフェソスには3か所から入ることができました。一つは海からの港、二つ目は北側のスタジアムの横のコレッソス門、そしてもう一が東側のマグネシア門です。
紀元前3世紀頃に造られた凱旋門で、ドーリア式の3.7mの幅で2段、3つのアーチのある作りだったと思われ、門の町側にはほぼ正方形の中庭があったとされています。
紀元前129年からのローマの支配下では戦略的重要性が失われ、真ん中のアーチの両側に小さな二つのアーチが増設されました。歩行者は小さな門から、騎馬と戦車は大きい中央のアーチを通ったと言います。ローマ皇帝ヴェスパスィアヌスの治世に門の名は“名誉の門”と改名されました。
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男性達の社交の場「東ギュムナシオンと浴場」
こちらもエフェソス遺跡の外部、マグネシア門のすぐ北隣に位置している遺跡です。
18歳以上の男性が体を鍛えたり弁論教育を受けたりする学校のような公共の場をギュムナシオンと言い、この東ギュムナシオンは、入口に講堂があり、浴場との複合施設となっていました。
西暦2世紀頃に造られたと思われるこのギュムナシオンからは、医療の神アスクレピオス、美と愛の女神アフロディーテ、豊穣とブドウ酒の神ディオニュソス、健康の女神ヒュギエイア、牧神パンの彫像が発見されており、現在イズミール博物館に収蔵されています。
行政の中心地「公立アゴラ(上アゴラ)」
皇帝アウグストゥスにより1世紀初頭に造られたアゴラは、公的な会議や証券取引等が行われたところです。町の行政の中心地でした。
160×58mの広さで三方を柱のあるギャラリーで囲まれ、西側には無数のモニュメントが並んで立てかけられた切石の壁に囲まれていました。
上院の議事堂兼劇場「オデオン/ブーレウテリオン」
エフェソスでは、二院制が行われており、その内の上院が議論の場として使っていたのがこのオデオンです。2世紀にエフェソスの裕福な市民プブリウス・ヴェディウス・アントニウスとその妻のフラヴィア・パイアナの命によって造られたと言います。
当時は木製の屋根付きで舞台がある1400人収容の小さな劇場型の議事堂で、ここで市内の重要な決定ごとや行政に関して話し合われていました。また、会議だけでなくコンサートなど劇場としても使われていたようです。
エフェソスの市役所「プリタネイオン」
宗教的な儀式、公式のレセプション、宴会が行われたのがこのプリタネイオンでした。
一番大きな役目は、エフェソスの町の永遠を象徴する神聖な炎がこの儀式部屋の中央で絶えず灯されていたことです。このため、プリタネイオンはこの都市でアルテミス神殿の次に神聖な場所でした。
現在、床の赤く色づいた場所が炎があった場所です。この儀式部屋の周りには神々と皇帝たちの像が並べられていたと言い、ここで発見された二体のアルテミス神像はエフェソス博物館に所蔵されています。
隣の建物は、迎賓のために使われていました。
この建物自体は紀元前3世紀のリュシマコスの治世中に建てられましたが、複合施設はアウグストゥス帝の時代に完成しています。
市営の憩いの場「ポリオの泉」
公立アゴラの南側下、オデオンの向かい側にあるのが、97年に裕福なエフェソス人C.S.ポリオとその家族により造られた泉です。市の公共の泉でしたので、無料で水を使用できました。
42㎞の距離のクシャダスのケンケリオス、15㎞の距離のマルナスのチャムルク村の小川、20㎞の距離のカイストロス川(現キュチュック・メンデレス川)、この3つの水源から水道橋を通ってエフェソスのこの泉に水がもたらされていました。そしてここから土管の排水システムによって水が分配されていました。
遺跡の中でも最大級の神殿「ドミティアヌス神殿」
トラヤヌスの泉の前にあるのが、エフェソス都市の中で一番大きな建物の一つであるドミティアヌス神殿です。現在は基礎部分しか残っていませんが、23×34mの6段の下部構造の上に建てられた神殿には8×13本の柱があったと言います。
皇帝ドミティアヌスに奉納する為に89~90年頃造られました。しかし、彼は暴君だったことで死後に“記憶の破壊”に処されましたので、ドミティアヌス個人ではなく彼の家族フラウィウス家へ捧げられたという経緯があります。
ドミティアヌスの石像は頭部と一本の腕が残っているのみです。
「ドミティアヌス広場」
ドミティアヌス神殿の北部にある広場で、東にはポリオの泉と病院と思われる施設、北の通り沿いにはメミウスの碑が在ります。
独裁官スッラを称えた「メンミウスの碑」
ドミティアヌス広場の下の北側、ローマの独裁官スッラの孫のメンミウスにより、1世紀アウグストゥス帝の治世下に造られた記念碑です。ブロックには祖父スッラと父ガイウス・メンミウスの姿も見ることができます。
「アジアの為のアジア」をモットーにエフェソスのローマ人8万人を殺害した黒海地方ポントス帝国のミトリダテス王を制圧し、治安回復に成功した独裁官スッラは、エフェソスのローマ人にとって英雄でした。この記念碑はスッラの功績を記念するために紀元前87年に建設されました。
上と下の都市を分け隔てる「ヘラクレス門」
クレテス通りの一番上にあるのが、ライオンの毛皮を纏ったヘラクレスのレリーフが印象的な2本の柱が残る門です。この門により上の行政の地域と下の市民の地域に実質的に分けられていました。
元々は別の場所にあったこの門を4世紀後半に現在の場所に移したとされており、レリーフ自体の年代は2世紀の物とされています。因みに、この狭い門によって車両の交通が妨げられて、4世紀以降この通りは歩行者専用になったようです。
ヘラクレス門のすぐ上のドミティアヌス広場にある、勝利の女神ニケの飛んでいる姿が彫られた三角形のレリーフは、このヘラクレス門の上部を飾っていたもので、4世紀前半に造られたとみられています。
ちなみに、勝利の女神ニケはあのナイキのロゴの由来となっている女神でもあります。
町のメイン通り「クレテス通り」
エフェソスの三大通りの一つで、エフェソスの町の真ん中をヘラクレス門(上)からケルスス図書館(下)まで突っ切っているメイン通りです。大きな石畳が伸びていてエフェソス遺跡を一望できる道でもあります。
クレテスはギリシャ神話の神霊ですが、後にエフェソスでクレテスと呼ばれた聖職者にちなんでこの名が付けられたと言います。
大理石と一部石畳で覆われている道の下には、下水路、飲料水路、温暖パイプが巡らされています。
皇帝トラヤヌスに捧げられた「トラヤヌスの泉」
クレテス通りに面して建つ2階建てのこの建物は、102~114年にティベリウス・クラウディウス・アリスティオンとその妻によって女神アルテミスと皇帝トラヤヌスに捧げる為に作られた泉です。エフェソス遺跡の中で最も素晴らしいモニュメントの一つです。
20×10mの泉の3面を9.5mの柱と彫像が並んだ2階建ての外壁が囲み、水が注がれる泉の真ん中には地球を踏んでいるトラヤヌスの足を乗せた台座があります。ここで見つかった外壁のギリシャ神話の神々や皇帝家族の彫像は現在エフェソス博物館に収蔵されています。
当時の豪邸の生活が垣間見られる「丘の上の邸宅(テラスハウス)」
クレテス通りを下っていき左側、ハドリアヌス神殿の向かい側にて坂を利用して幾つかの邸宅が段々に作られています。
3000平方メートルの広さの中に3つのテラスがあり、6軒の家がそれぞれくっついた形で建てられており、一番古い家は紀元前1世紀のもので、これらはローマ人の裕福な家族によって7世紀まで使われていたと考えられています。
この家々の中央には中庭があり、二階建ての家の床には素晴らしいモザイク、壁にはフレスコ画が残っています。また、お風呂や暖房システムが備わっているなど、当時の裕福な家庭の暮らしを鮮明に見ることができます。
1960年より始まった発掘は現在も続けられており、上部は屋根で覆われ、ちょっとした博物館のようになっております。遺跡とは別料金となりますが、一見の価値はあるので是非見学してみてください!
市民の憩いと社交の場「スコラスティカ浴場」
紀元前1世紀に作られ、4世紀に富豪でクリスチャンの女性スコラスティカによって再建された浴場です。
元々は3階建てで、クレテス通りからと脇道からの二つの入口を持ち、1階が入口から順に脱衣所、プールのある冷却部屋、リラックスできる温かい部屋、最後が発達した暖房システムが供えられたホットルームがあり、2階はマッサージやセラピーやスクラブのために使われていたと言います。
エフェソス創設の伝説が刻まれた「ハドリアヌス神殿」
皇帝ハドリアヌスに捧げる為に造られた小さな神殿の様な記念碑で、大変状態良く残っています。コリント式の神殿の入口上部のフリーズには、エフェソス創設の伝説が刻まれています。
ちなみに、この神殿はケルスス図書館と共に、2001年から2009年までトルコのお札の裏に描かれていました。
古代ローマの水洗洋式トイレ「公衆トイレ」
スコラスティカ浴場の一部にあるのが古代の公衆トイレです。三方の壁に大理石でコの字型に作られたベンチには、一定間隔でいくつも穴が開いており仕切りはありません。ここに市民は横並びに座って用を足していました。富裕層の市民は、寒い季節は先に使用人に座らせて大理石の便器を温めさせてから座ったそうです。
下水道も完備されており、汚物は便座の下を通る流水で流されていました。また、便座の前には水路があって、用を足した後は海綿が先に付いた棒でお尻を洗い、前の水路の水で海綿を洗ったそうです。ちなみにこの海綿のお尻洗い棒は共有で使われていたようです……。
トイレ部屋の地中央にはプール、床にはモザイクが施してあるなど当時はとっても優雅だったことがうかがえます。ローマ人にとってトイレは用を足しながら語り合う社交場でもあったのです。
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エフェソス男性御用達?!「娼婦の館」
スコラスティカ浴場と繋がった公衆トイレの北側、ケルスス図書館の前にあるのが、1世紀のトラヤヌス帝の時代に造られ、愛と美の女神ビーナス(アフロディーテ)に捧げられた2階建ての娼婦の館です。
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一階はモザイク張りの床のメインホールとお客たちの部屋、二階は女性たちの小部屋があったとされています。なお、一階西側レセプションの床には四季を現すモザイクが施されています。
なんとケルスス図書館の前から大理石通りの下を通る地下道があり、裕福な男性達は奥さんに見つからないように図書館に行くと見せかけて娼婦の館に行っていたと言います。
「足跡」が世界最古の娼婦の館の広告!?
娼婦の館の前の大理石通りの隅に左足の足跡と女性の顔とハートが彫られた石畳があります。この足跡は娼婦の館の位置を指していて、世界最古の広告と言われています。
ちなみに、この足跡より小さい足の男性はお断りだったとか……。
クレオパトラの妹の墓「オクタゴン」
世界三大美女の一人クレオパトラが、アウグストゥス帝に頼んでエフェソスで殺させた末の妹アルシノエ4世の墓と言われているのがオクタゴン。アルシノエが殺された紀元前41年頃に造られたとされる八角形の霊廟です。
9m四方の正方形の台座の中には大理石の石棺があり、15~16歳くらいと思われる若い女性の骨が見つかっています。
古代三大図書館の一つ「ケルスス図書館」
エフェソス遺跡の目玉が、106年に死去したエフェソス知事ケルススのために、息子ガイウスが墓碑として作らせた2階建てのケルスス図書館です。古代世界の三大図書館の一つで、アレクサンドリアとペルガモンに次ぎ3番目に大きな図書館でした。当時は1万4千冊が収容されていたと言います。
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ケルススのお墓は図書館の西壁の下にあり、この図書館で発見されたケルススの銅像は、現在イスタンブール考古学博物館で展示されています。
エジプトの神を祀った「セラピス神殿」
エフェソス遺跡の中で最も変わっているのが、ケルスス図書館の裏にあるセラピス神殿です。138~192年頃のローマ五賢帝時代の建築装飾が施されている建物の破片があり、発掘の際に発見されたエジプト花崗岩の像と碑文により、この神殿はセラピス信仰者に捧げられた神殿とみられ、そこからセラピス神殿と呼ばれるようになりました。
なお、キリスト教時代には神殿は教会へと変えられています。
アウグストゥス帝へ捧ぐ豪華な「マゼウスとミスリダテスの門」
ケルスス図書館の左前、三つのアーチと通路がある立派な門は、奴隷であったマゼウスとミスリダテスが、彼らに自由を与えてローマ帝国の財政保持担当としてエフェソスに送った皇帝アウグストゥス帝とその家族に敬意を示して40年に作った記念碑的な門です。
門のケルスス図書館側は黒大理石、大理石通り側は白大理石で作られています。ケルスス図書館側の上部にはブロンズの象眼細工でアウグストゥス帝とその家族を称える碑文が刻まれています。
市民の通り「大理石通り」
ケルスス図書館から大劇場までのびる大通りが大理石通りです。1世紀に作られた後、5世紀に再建されたこの通りは、パナユル山を越えてアルテミス神殿へ続く神聖な道の一部でもあります。
道の西側は市民のアゴラの壁で囲まれており、その壁の上にはネロ帝の治世に歩行者のために建設された高いプラットフォームがありました。皇帝発の手紙は、市民に読ませるためにこの道の壁に刻まれたと言います。
地中海貿易で賑わう市民生活の重要地「商業アゴラ(下アゴラ) 」
ケルスス図書館の北側横にある広場がエフェソスの最も重要な商業センターであるアゴラです。ここでは、アナトリア産、エフェソス産、アラビア産の物など食品から宝石まで多種多様な商品が売られていました。
このアゴラは紀元前3世紀のヘレニズム時代に造られましたが、現存しているのは今の形になった3世紀初頭のカラカラ帝時代のものです。アゴラは柱の廊で囲まれた一片110mの正方形で、中央には日時計と水時計がありました。
アナトリア最大の野外劇場「エフェソス大劇場(円形劇場)」
大理石通りの終わり、パナユル山の斜面を利用して作られているのが、遺跡の中でも最も壮大な大劇場です。
ステージはなんと18メートルの高さで、観客席には2万4千人収容でき、古代アナトリア世界で最大の野外劇場とも言われています。コンサートや演劇だけでなく、宗教的、政治的、哲学的な討論の場として、また剣闘士と野獣の戦いなどにも使われていました。
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リュシマコスの時代に造られたこの大劇場は、皇帝クラウディウスの治世31~42年の間に完成までに70年かかる大規模な増築改修工事が始められました。ちなみに、あの聖パウロがエフェソスを訪れた際にこの工事が行われていたと言われ、聖パウロはここで宣教の演説をした際、エフェソス市民の反乱に遭ったため、エフェソスから離れざるをえなくなったと聖書で触れられています。
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現在、ここでコンサートや毎年国際オペラ・バレエフェスティバルが行われております。その幻想的な雰囲気は正に古代にタイムスリップしたかのような感覚に見舞われるほどです。
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エーゲ海から都市への玄関口「アルカディアン通り(港通り)」
港通りは、エフェソスの三大通りの一つ。現在港は埋まってしまっていますが、港から都市へ入る玄関口で、都市へのメインの入口でもあり、長さ530m、幅11m、両側には柱が立ち並び、下は大理石が敷き詰められたエフェソスで最長の華やかな大通りでした。
加えて、陸路アナトリアからは元より海からの来賓や商人や船員がエフェソスへ着いて初めに通る場所でもありました。
ヘレニズム時代に造られた後、ビザンツ帝国皇帝テオドシウスの息子アルカディウス帝の治世395~408年に改修したため、アルカディア通りと呼ばれています。通りの中央には高い四本の柱があり、その上にはキリスト教4使徒の彫像が一台ずつ乗っていたと言います
当時、ローマ、アンティオキアとエフェソスのこのアルカディア通りのみに街灯があったと言い、ここでは50個の街灯が煌々と灯されていたようです。
史上初!マリアの名で造られた「聖母マリア教会堂(主教教会堂)」
431年にエフェソス公会議が行われ、マリアが神の母であることが決定された場所としても有名な場所です。145×30mの大きさで、聖母マリアの名で造られた最初の教会でもあります。
7世紀に主教座が聖ヨハネ教会に移された後の中世以降、墓地として使われるようになりました。港浴場の北部に在ります。
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エフェソス遺跡はいつの時代のもの?
大まかにいうと古代ギリシャ・古代ローマの遺跡ですが、実は紀元前6千年頃の新石器時代から集落があったのが確認されています。古代ギリシャから、ヘレニズム、その後のローマ時代にも重要都市として全盛期を迎えました。
新石器時代
エフェソス遺跡のすぐ南東には紀元前6千年頃の住居跡が見つかっています。
青銅器時代
エフェソスは、紀元前1500年頃のヒッタイト帝国時代、アルザワ国の首都でアパザと言う名前でした。
この遺跡付近では、紀元前1500~1400年頃のミケーネ時代の陶器も見つかっており、アカイア人がこの頃小アジアに移住して、ミケーネ文明が広がり始めたことが解っています。
古代ギリシャ時代
紀元前1050年頃、アテネ王コドロスの死後にアテネから移住してきた息子アンドロクロス率いるギリシャ人移民により、港町としてギリシャ人植民都市が築かれたのがエフェソスとしての始まりです。ようやくここでギリシャ人の町となりました。
ちなみに、この他にも女性戦士部族アマゾネスがエフェソスの町を建設したと言う言い伝えがあり、アマゾネスの女王の名からエフェスという名になったとも言われています。
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その後の紀元前7世紀頃、アナトリア南西部を支配していたリディア王国の支配下に入り、紀元前560年頃に少し内側のアルテミス神殿近くに都市が移されました。
紀元前546年にアケメネス朝ペルシャ帝国の支配下になり約200年存続、そして紀元前334年にペルシャを後退させたアレキサンダー大王率いるマケドニア王国の支配下になります。
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ヘレニズム時代
現在のエフェソス遺跡は、紀元前323年アレキサンダー大王死後、将軍の一人リュシマコスによって紀元前260年頃に建設されたものです。それ以前よりも3㎞程南西へ移動したこの都市は、新たな港と防壁が築かれ、都市の名はアルシノエアと変更されました。
紀元前281年にリュシマコスがディアドコイ戦争で敗死すると、都市名はエフェソスに戻されました。その後、セレウコス朝シリアの支配下、紀元前263~197年の間はプトレマイオス朝エジプトの支配下となります。
紀元前190年にマグネシアの戦いでローマに負けると、ベルガマ王国の支配下に入りました。
古代ローマ時代
紀元前129年ベルガマ王国が共和制ローマへ移譲されると共に、ベルガマの支配下であったエフェソスは自動的にローマの支配下となります。
紀元前30年代には、ローマのマルクス・アントニウスとプトレマイオス朝エジプトの女王クレオパトラも訪れました。
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紀元前27年にはローマのアジア州の首都となります。この時代には人口が2万人を超え、3世紀に至るまで全盛期を築きました。
ビザンツ帝国時代
実際、古代では現在の海岸より5キロメートル内陸に港がありましたが、4世紀頃に川の土砂によって港が沈んだため、エフェソスは海から遠のいたことでエーゲ海へのアクセスを失い、商業の中心地としての重要性が低下しました。
そして港が失われたため、人々は街の低地を離れて周囲の丘に向かい始めます。7世紀にアラビア人の侵略によりエフェソスの人々は、現在のセルチュクのアヤスルックの丘の辺などに他の場所に完全に移り住み町を作ります。
14世紀にセルジューク朝のトルコ人の支配下となり、15世紀にオスマン帝国の下でエフェソスは多少使用されましたが、不便な町と化していたため、遂には放棄されて荒廃する運命となりました。
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エフェソス遺跡周辺には昔のエフェソスの名残のある観光スポットが多く残されております。エフェソス遺跡観光と合わせてこちらも是非お見逃しなく!
エフェソス考古学博物館
エフェソス遺跡、アヤスルック遺跡、聖ヨハネ教会など周辺の遺跡から発掘された8500年間の貴重な遺物が収蔵されているトルコ国内でも重要な博物館の一つです。
この博物館の目玉は、何といっても大きな2体のアルテミス像です。加えてエロスの頭部像、イルカに乗ったエロス像、ソクラテスの頭部像など世界的にも有名な展示物が沢山あります。
名称 | エフェソス考古学博物館(Efes Müzesi) |
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住所 | Atatürk Mah, Uğur Mumcu Sevgi Yolu No: 26, 35920 Selçuk/İzmir, Turkey |
開館時間 | 4月1日~10月31日(夏季シーズン)8:00~19:00 11月1日~3月31日(冬季シーズン)8:30~17:30 ※チケット売り場は30分早く閉まります。 |
休館日 | なし ※砂糖祭と犠牲祭の祝日初日は13:00より開館 |
入場料 | 30 TL ※エフェソス遺跡+丘の上の邸宅+聖ヨハネ教会とのセット券:200 TL ※8歳未満の子供は無料です。 |
公式サイト | https://muze.gov.tr/muze-detay?SectionId=EFM01&DistId=EFM |
※上記情報は2021年10月時点の情報となります。
世界七不思議の一つ!アルテミス神殿
古代世界七不思議の一つに数えられているのが、このアルテミス神殿です。エフェソスは古代世界において、アルテミス女神の最大の聖地でした。
神殿の最古の物は紀元前625年まで遡り、リディア王クレソスの命令で36本の巨大な柱で囲まれた神殿であったといいます。その後もこの神殿は幾度も崩壊と再建が繰り替えされており、最後の姿は当時最大級のイオニア式建築の神殿として紀元前334年~260年に造られたものです。しかし、西暦262年にゴート人によって破壊され、残念ながらそれ以降は再建されることはありませんでした。
現在は沼地にかつての壮大な神殿の柱が一本と基礎部分が少しだけ残るのみで、オープンミュージアムとなっています。
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聖母マリアの家
エフェソス遺跡から南へ約9㎞、ブルブル山の頂上にあるのが、聖母マリアが聖ヨハネと共にエルサレムからこの地へ来て、密かに隠れながら晩年を暮らしたと言う家です。
二階建ての小さなこの家は前室、寝室、祈禱室、暖炉部屋で構成されています。家の外にある泉から湧き出る水は治癒力があると信じられ、これにあやかりたい訪問者が水を求めに来るほどです。
ここはバチカンのローマ教会が聖母マリアの最期の地と承認しており、聖母マリアの昇天された8月15日にはローマ法王が主催する礼拝が毎年行われています。質素ながらも世界中から巡礼者が後を絶たず訪れる聖なる地となっています。
名称 | 聖母マリアの家(Meryrm ana evİ) |
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住所 | Sultaniye, 35920 Selçuk/İzmir, Turkey |
開館時間 | 4月1日~10月31日(夏季シーズン)8:00~18:00 11月1日~3月31日 (冬季シーズン)9:00~17:00 |
休館日 | なし |
入場料 | 無料 ※寄付箱への寄付が歓迎されます。 |
注意事項 | 聖地ですので内部での写真撮影は禁止されております。 |
※上記情報は2021年10月時点の情報となります。
聖ヨハネ聖堂
12使徒の一人、聖ヨハネは晩年をエフェソスで過ごし、死後はエフェソス遺跡から3㎞程北東のアヤスルックの丘に埋葬されたといわれています。
ヨハネの死から300年後の4世紀になり、この埋葬地の上に礼拝堂が建てられました。そしてユスティニアヌス帝の治世(527~675年)に十字型で6つのドームを持つ石と煉瓦創りの大聖堂に改築されました。
1世紀半頃にはキリスト教徒への迫害が激化し、パウロやヤコブ等の使徒は殺されました。イエスの最愛の弟子ヨハネは聖母マリアを連れて西暦37~38年頃エルサレムからエフェソスへやって来て、ここエフェソスで福音書を、そして西暦96年にパトモス島で啓示を書いたとされています。
ヨハネは使徒と洗礼者の2人いる?イエス・キリストとの関係や何をしたのかを詳しく解説
7世紀にフェソス市民がアヤスルックに移り住むと、この聖ヨハネ教会が総司教座となりました。ここはキリスト教徒にとって大切な巡礼地の一つです。
名称 | 聖ヨハネ聖堂(Aziz Yohannes Bazilikası) |
---|---|
住所 | Atatürk, St. Jean Cd., 35920 Selçuk/İzmir, Turkey |
開館時間 | 4月1日~10月31日(夏季シーズン)8:00~18:00 11月1日~3月31日(冬季シーズン)8:30~16:30 |
休館日 | なし |
入場料 | 30TL |
※上記情報は2021年10月時点の情報となります。
七人の眠り聖人の洞窟
パナユル山の北山腹、エフェソス遺跡北の門から出てから東へ進み、ヴェディウスのギムナジウムの近くにあるのが、キリスト教とイスラム教の両宗教上で伝説が残る七人の眠り聖人の洞窟遺跡です。
キリスト教の伝説によると、デキリウス帝の治世下でキリスト教迫害に逢った7人のキリスト教徒の若者が、西暦250年頃に逃げ込んだ洞窟の中で眠り込んだところ閉じ込められてしまいます。しかし、431年のエフェソス公会議の後のテオドシウス2世の治世になった時まで約200年間生きており、洞窟から姿を現した時に本人たちは1日寝ていただけと思い込んでいたという奇跡のお話です。
一方、イスラム教のコーラン(クルアーン)によると、この若者達は309年間眠りについていたと言います。
実は、この兄弟が眠っていたとされる洞窟がエフェソスにあり、幾つかのお墓の上に教会が作られた形で発見され、教会の壁には七人の眠り聖人に関する碑文が残されています。
こちらはオープンミュージアムで入場料はなく、いつでも見学可能です。
エフェソス観光に行くならトルコ旅行ツアーの利用がおすすめ!
エフェソスは観光名所が数多くあるトルコでも人気の世界遺産の一つですが、日本からトルコに飛行機で行く際の玄関口であるイスタンブールからは距離があります。
トルコは広大な国土に観光スポットが点在しているため、公共交通機関を使って自分で移動するのは大変。エフェソス遺跡をはじめ、有名な世界遺産を効率的に巡りたいなら、トルコ旅行のプロが提供するツアープランを利用するのが断然おすすめです。
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