アルテミス神殿は世界七不思議のひとつ?放火による倒壊・再建の謎や見どころを解説
更新日:2023.04.05
投稿日:2022.08.24
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アルテミス神殿は、トルコのエフェソス遺跡にあるギリシャ神話の女神アルテミスを祀った総大理石の神殿です。古代ギリシャの有名な神殿といえば“パルテノン神殿”をイメージする人も多いのではないでしょうか。しかし、エフェソスのアルテミス神殿は、パルテノン神殿を上回るほどの大きさがあり、「当時の建築技術の限界に挑戦した」といわれるほど巨大で美麗だったと伝えられています。また、アルテミス神殿は放火などにより何度も倒壊し、再建が繰り返されたということも特徴のひとつです。
この記事では、世界七不思議のひとつにも数えられているアルテミス神殿の謎や歴史、見どころなどについて解説します。
アルテミス神殿の歴史
アルテミス神殿は、エーゲ海地方に属するイズミル郊外のエフェソス遺跡にある古代のギリシャ神殿です。何度も崩壊しては再建されたという深い歴史がある神殿としても知られています。まずは、アルテミス神殿の歴史について解説します。
アルテミス神殿のはじまり
最初の神殿は紀元前700年頃に造られましたが、南ウクライナで勢力をふるっていた遊牧騎馬民族のキンメリア人によって破壊されました。プリニーによると、アルテミス神殿は歴史上9回も破壊され、再建されてきたそうです。破壊された神殿には、リディア王クロエソスから贈られた大理石の円柱が立っていました。
この神殿が歴史上最も古い神殿と考えられてきましたが、設計と寸法が同じ神殿が近年新たに発見され、出土品は大英博物館に保管されています。また、1904~1906年に大英博物館のデビット・ジョージ・ホガーズが行った発掘調査によって、3つの層が見つかりました。これらの層は同じ古代神殿のものであると推定されています。さらに、紀元前6世紀頃の最下層部分からは硬貨も発見されているのです。
アルテミス神殿の再建
その後、アルテミス神殿は紀元前550年頃にリディアのクロイソス王の出資により再建されます。最高水準の芸術家や建築家である、スコパス、プラクシテレス、ポリュクレイトス、フィディアス、クレシラス、シドン、アペッレスなどの手により造られました。別名、クロイソス神殿とも呼ばれた新たな神殿は幅約55m、奥行き110mのイオニア様式。最も印象的な特徴が127本に及ぶ高さ約20mの大理石の柱です。この柱には基部に彫刻のレリーフ、上部にロゼット模様で装飾が施されていました。
アテネのパルテノン神殿の4倍の大きさを誇る壮大なアルテミス神殿は、やがて旅行者の注目の的となり、王・観光客・商人が訪れ、宝石や様々な品物を奉納してアルテミスに敬意を表しました。アルテミス神殿の壮麗さは多くの礼拝者を惹きつけ、アルテミス崇拝を形成したのです。
アルテミス神殿の放火事件
再建されたアルテミス神殿は紀元前356年7月、若い羊飼いへロストラトスの「どんな犠牲を払っても有名になり、名を残したい」という動機から放火され全焼してしまいました。この出来事から、くだらないことや犯罪行為によって自分の名前を有名にしようとする人を指す“ヘロストラトスの名誉”という言葉が生まれたのです。この事件に憤慨したエフェソスの人々は、へロストラトスの名前が決して残されず、有名にならないようにすることを共同決定しました。そして、これまでより遥かに立派な神殿を建設しようと考えます。
アレクサンドロス大王の誕生
再建されたアルテミス神殿の放火事件と同じ夜にアレクサンドロス大王が誕生しました。アルテミスはアレクサンドロス誕生のことで頭がいっぱいで、燃えている神殿を救えなかったともいわれています。
後に、イラン出征の途中だったアレクサンドロス大王は神殿の再建費用を全て支払うと申し出ましたが、「神が別の神を称えるのは適切ではありません」とエフェソスの人々は大王のプライドを傷つけることなく断ったのです。
その後、アルテミス神殿は、アレクサンドロス大王死後の紀元前323年に再建されました。新たな神殿は元の神殿の土台の上に全く同じ寸法で復元されています。湿地性の土地だったこともあり16段の階段が設けられ、半島の東西軸上に正確に建設されました。さらに、三面を聖なる港の海に接して配置し、船が直接神殿の階段に横付けできるよう工夫されていたのです。
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アルテミス信仰の禁止
再建された神殿もゴート人の襲撃の中で略奪・崩壊されます。それから200年の間にエフェソスの人々の多くがキリスト教に改宗し、アルテミス神殿はその魅力を失ってしまったのです。何世紀も続いていたアルテミス信仰は禁止され、やがてキリスト教の時代になりました。
その後、アルテミス神殿はキリスト教徒によって完全に破壊され、残骸の石は他の建物に使われ、跡地にはキリスト教の協会が建てられたのです。
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これにより、エフェソスの人々は、アルテミスが持っていた神聖さを聖母マリアに求めていったといわれています。
アルテミス神殿とエフェソスの関係
アルテミス神殿とエフェソスにはどのような関係があるのでしょうか。ここでは、エフェソスとアルテミス神殿との深い関係や歴史について解説していきます。
アルテミス神殿と共に発展したエフェソス
紀元前6000年の新石器時代には、エフェソス周辺に人が住んでいました。そして、紀元前1200年頃にギリシャのイオニア人がアナトリアへ移住し、エフェソスの町を築いたといわれています。彼らは先住民との融和を図り、先住民の神である地母神キベレ(キュベレー)とギリシャのアルテミスを同等の神として祀るために、アルテミス神殿を建てたのです。
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エフェソスはアルテミス神殿と共に発展し、豊かな土地や港、通商を活性化させ、繁栄を支えました。最初のアルテミス神殿は紀元前7世紀に破壊されましたが再建し、町はより発展を遂げたのです。紀元前6世紀後半にはペルシャ帝国の支配下に入ることになり、その後ペルシャを駆逐したアレクサンドロス大王が紀元前333年にエフェソスに入り、この時ヘレニズム文化が到来しました。
アルテミス神殿の崩壊とエフェソスの衰退
紀元前199年、エフェソスはペルガモン王国の領有となりますが、王国の消滅と共にローマに吸収されました。そして、紀元前41年にローマで権力を握っていたマルクス・アントニウスがやってきます。アントニウスはクレオパトラの愛人であり、この時クレオパトラもアントニウスと共にエフェソスを訪れていたのです。1世紀頃になるとエフェソスは経済都市としてローマ帝国領となり、帝国内で5本の指に入る大都市になりましたが、3世紀中頃ゴート族の侵入によりアルテミス神殿が破壊され崩壊、エフェソスは衰退の一途を辿っていきました。
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現在も残るエフェソス遺跡
4世紀頃にはキリスト教が公認され、エフェソスは教会会議や公会議の舞台となり、アルテミス崇拝も衰退していきます。そして、初めて聖マリアの名前の教会が生まれ、宗教都市として重要な役割を果たし発展していきます。
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ローマ帝国が東西に分裂した4世紀の終わりにエフェソスは、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の経済と宗教の中心的役割を果たします。
7世紀になるとイスラム教の侵略を受けて城壁が造られましたが、8世紀に度々受けたイスラム勢力の攻撃により、東ローマ帝国はエフェソスを放棄します。そして、沈降が進んでいた外港は完全に埋まってしまいました。かつて整備されていた下水道も汚泥に埋まり、生活排水が溜まっていき疫病が蔓延したのです。
住民達は現在のセルチュク近郊に移り住み、栄華を誇った町は廃墟となりました。しかし、町の遺跡は良好な状態で残っており、訪れると高度な都市生活をしていたことがうかがえ、繁栄を誇った時代を彷彿させてくれます。現代、これだけの規模の古代都市遺跡がかなり完全に近い状態で保存されている例は少なく、世界最大級クラスの遺跡といえます。
アルテミス神殿の発見
エフェソスのアルテミス遺跡を発見したのは、イギリス人技師ジョン・ウッド率いる、大英博物館の考古学隊でした。1863年から7年間エフェソスの発掘を継続し、1869年に深さ4.5mの泥の中から神殿跡を発見したのです。これは、シュリーマンがトロイアやミケーネを発掘するより前のことで、東方の古代遺跡発掘の先駆けとなりました。発掘された円柱の断片などは、現在大英博物館に保管されています。その後の調査で、古い神殿の後に新しい神殿を3度にわたって建てていたことがわかったのです。
アルテミス神殿に関する見どころ
最後にアルテミス神殿に関する見どころや注目したい逸話などについて解説します。今もなお多くの謎が残っているアルテミス神殿ですが、想像を膨らませながら楽しめるのも魅力のひとつです。
アルテミス像は2体ある?
かつて、アルテミス神殿内には高さ15mにも及ぶアルテミス像が安置されていました。女神像は木製でしたが、顔と手足の先以外は全て黄金や宝石で飾られていたそうです。また、神殿には女神像以外にも多くの芸術品が所蔵され、柱は金銀に彩られ、パルテノン神殿の建設で総監督を務めたフィディアスなど高名な芸術家たちの彫刻で溢れかえっていたそうです。
現在は、最も有名な展示品として、アルテミス像がエフェソス考古学博物館に2体置かれています。ひとつは紀元前1世紀のもので、もうひとつは紀元前2世紀のものです。2体の大理石でできたアルテミス像は、広い部屋の両側に相対して立っています。ひとつは「偉大なるアルテミス」、もうひとつは「美しきアルテミス」と呼ばれています。
2体のアルテミス像でまず目を引くのは、胸に重なる20数個の“こぶ”です。この“こぶ”をどう解釈するか定説はありませんが、かつては女神の乳房や卵、女王蜂に群がる蜜蜂などといわれていました。しかし現在は、犠牲として捧げられた牡牛の睾丸という説が一般的になっています。
その他、2体の女神像の違いは、かぶっている冠を除けばほとんどありません。偉大なるアルテミスは塔をかたどった高々とした冠を着け、冠は3層からなり、上段は周りに円柱を巡らせたイオニア式神殿を中段のスフィンクスと下段のグリフィンが支えています。これに対して、美しきアルテミスはトルコ帽に似た平たい円形の冠をかぶっています。どちらの女神像も豊かさを誇示するように、また、全ての崇拝者を抱き寄せるように両手を広げ、タイトスカートで両足を包み、遠くを望むかのように昂然と顔を上げて立っているのが特徴です。
名称 | エフェソス考古博物館(Efes Arkeoloji Muzesi) |
---|---|
住所 | Atatürk Mahallesi, Uğur Mumcu Sevgi Yolu, No: 26 |
営業時間 | 8:00~20:00 年中無休 |
ウェブサイト | https://muze.gov.tr/muze-detay?SectionId=EFM01&DistId=EFM |
ギリシャ神話とエフェソスのアルテミスの特徴は違う?
ギリシャ神話に登場する女神として知られているアルテミスは、全知全能の最高神ゼウスとティターン神族レトの娘です。また、音楽・芸能・太陽の男神として知られているアポロンと双子です。また、狩猟・貞淑の女神で、月の女神セレネやローマ神話ディアナと同一視されている月の女神とされています。月の女神アルテミスは、山に住んで狩りをする狩猟の女神で野生動物の支配者でもあり、その風貌は、弓と矢を持った長身で金髪色白の真面目な面持ちの若い女性の姿とされています。
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また、エフェソスではアナトリアの地母神キベレがアルテミスへと変化し、アルテミス神殿が建設され、人々から熱心に崇拝されていました。元となった偶像は木製で、処女神であるアルテミスとは対照的なイメージとして知られています。頭にはキベレのような冠を着け、豊穣多産を象徴する37個の卵、あるいは乳房のようなものを持っているのが特徴です。また、この女神の象徴は蜂であり、偶像の下部には蜂が刻まれています。
このように、ギリシャ神話のアルテミスはスラリとした清純な乙女の姿または若い豊満な女性の姿で描かれていることが多く、沢山の乳房を持った姿をしているのがエフェソスのアルテミスです。
アルテミスの偶像を複製したものや縮小したものが古代に出回っており、現在も残っています。その偶像はギリシャ本土のものとは異なり、エジプトや中近東に見られるように体と足が先細りの柱のようになっていて、そこから周りに魚の尾ビレのようなものが付いた足首が出ているのが特徴です。これは、下半身が魚の知恵の神であることを示唆しているといわれています。
アルテミス神殿は宗教的施設だった?
イオニア式建築の最高傑作だったアルテミス神殿は、主に宗教的施設として利用され、多くの祭司が神殿内で生活していました。さらに、硬貨が鋳造されて信用取引が開始し、金融業が成立、毎年5月には女神の誕生を祝って盛大な祝祭が開催されていたといわれています。
キリスト教信仰と一神論が人々に広まるまで、エフェソスはアルテミスの聖なる巡礼地でした。神聖に逆らう異端者も現れましたが、アルテミスは西アナトリア全ての支配者達に深く崇拝されていたのです。
キリストの使徒パウロがキリスト教を布教するためにエフェソスを訪れた時、人々は口々に「エフェソスのアルテミスは偉大なり!」と叫びながら徹底的に彼らに抗議したという逸話もあります。
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アルテミス神殿の現在の姿は?
エフェソス遺跡には、世界三大図書館セルシウス図書館や聖母マリアの家、ヘレニズム時代、ローマ時代、初期キリスト教時代の遺跡が良好な状態で残されています。現在、アルテミス神殿は復元された柱が1本残るのみです。しかし、当時の雄大な姿に思いを馳せながら眺めてみると奥深いものがあるでしょう。
世界の七不思議リストの編集者であるフィロンも、アルテミス神殿の壮麗さを評する記述を残しています。
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アルテミス神殿へのアクセス
アルテミス神殿のあるエフェソス遺跡は、トルコ南西部の町セルチュクの近くにあります。セルチュクからエフェソス遺跡までは、バスターミナル(オトガル)から出ているミニバスに乗り5分程でアクセス可能です。セルチュクまでは、トルコ第三の都市イズミルからバスまたは鉄道で1時間程です。
世界の七不思議アルテミス神殿の柱は観光スポットとして人気
アルテミス神殿のスケールは偉大であり、物理的に不可能な古代ギリシャ時代の土木技術レベルを超越した建造物です。ギザの大ピラミッドやバビロンの空中庭園などと同じく世界の七不思議とされており、観光スポットとして人気を集めています。エフェソス遺跡の観光スポットの中でも謎が多く神秘的とされているアルテミス神殿を訪れてミステリアスな魅力に触れてみませんか。
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