ドルマバフチェ宮殿の見どころ・歴史・見学方法を徹底解説!
更新日:2023.04.04
投稿日:2022.05.25
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トルコには多くの宮殿がありますが、その中でもヨーロッパ様式が取り入れられた宮殿がドルマバフチェ宮殿です。オスマン帝国末期に建設されたこの宮殿は、近代化や西洋化を目指すトルコの象徴として、当時の最先端を取り入れた豪華な宮殿であり、現在ではイスタンブールの人気観光スポットにもなっています。この記事では、オスマン帝国崩壊から、トルコ共和国誕生を見届けたドルマバフチェ宮殿の歴史や見どころをご紹介します。
Contents
ドルマバフチェ宮殿とは?
ドルマバフチェ宮殿とは、トルコのイスタンブール新市街のボスポラス海峡沿いに建つ宮殿です。オスマン帝国のスルタンが元々暮らしていたトプカプ宮殿から移り住み、スルタンの新しい王宮として使っていました。現在は迎賓館としても使われていますが、観光客のために一般公開もされており、壮大な宮殿内部を見学できる宮殿博物館となっています。
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なお、ドルマバフチェ宮殿の敷地は11万㎡と広大で、本殿の面積は1万5千㎡です。単一構造の建物ではトルコで一番大きい宮殿であり、館内も非常に広いため、とても見応えのある観光スポットです。
名称 | ドルマバフチェ宮殿(Dolmabahçe Sarayı) |
---|---|
住所 | Vişnezade, Dolmabahçe Cd., 34357 Beşiktaş/İstanbul |
開館時間 | 9:00~18:30 (最終入場時間:17:30) |
休館日 | 月曜日、元旦、5/1メーデー、砂糖祭り及び犠牲祭の初日 ※その年により変更になる可能性多々あり。前もって必ずご確認ください。 |
公式サイト | https://www.millisaraylar.gov.tr/en/palaces/dolmabahce-palace |
ドルマバフチェ宮殿の時計はなぜ9時5分で止まっている?
ドルマバフチェ宮殿には、9時5分で止まっている時計があるのをご存知ですか?この止まっている時計は、トルコの初代大統領ムスタファ・ケマル・アタテュルクが使っていた執務室の隣にある寝室にあります。
時計が9時5分で止まっているのは、アタテュルクが亡くなった1938年11月10日の9時5分に合わせているからです。なお、現在もアタテュルクの命日である11月10日の9時5分になると、ドルマバフチェ宮殿にとどまらず、トルコ全土が一斉に止まります。
11月10日はトルコ人にとって特別な日とされてきました。9時5分になるとトルコ全土でサイレンが鳴らされ、国民全員が1分間の黙祷を捧げます。通勤中や仕事中、学校の授業中でも関係なく、トルコ国民全員が手を止めて黙祷を捧げるから驚きです!
なんと、運航中の電車内であっても9時5分には停車し、乗客全員がドルマバフチェ宮殿の方向へ向いて起立し黙祷します。アタテュルクはトルコ建国の父として、現在もなおトルコ人から愛され続け、最高の敬意が払われる存在なのです。
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名称の由来
ドルマバフチェ(Dolmabahce)は、「埋め立てられた庭」という意味を持っており、これはドルマバフチェ宮殿の立地に由来しています。ドルマ(dolma)はトルコ語で「埋める」や「盛り土をする」などの意味を持ち、バフチェ(bahce)は「庭」という意味です。
現在ドルマバフチェ宮殿がある場所は、自然の地形を生かし、古代から船を停泊するための港として機能していました。オスマン帝国の時代にも、海軍の艦隊が停泊する港として使われていたようです。
しかし、17世紀頃から徐々に港が埋め立てられ、皇帝専用の庭園が造られました。その後、埋め立てられた庭の跡地に宮殿が作られたことから、ドルマバフチェという名前が付けられたとされています。
ドルマバフチェ宮殿の見学予約方法・見学の所要時間は?
ドルマバフチェ宮殿は現在一般公開されており、誰でも見学が可能です。宮殿を見学する際には、現地でチケットを購入しましょう。ただし、チケットは当日空きがある場合しか購入できないため、不安な方は公式サイトより見学予約をしておくと安心です。
ドルマバフチェ宮殿の館内は非常に広いため、見学に必要な所要時間は約1時間半〜2時間程度見ておくといいでしょう。なお、建物内は写真撮影が禁止されていますので、豪華な内装をじっくり目に焼き付けてくださいね!
イスタンブールミュージアムパスは使用不可!
イスタンブールミュージアムパスとは、イスタンブールの宮殿や博物館などの主要観光スポットに、現地でチケットを購入せずに入場できるお得なフリーパスです。トプカプ宮殿、イスタンブール考古学博物館、モザイク博物館といったイスタンブールの人気観光スポットをお得に回ることができるので、イスタンブールを訪れる際に購入する方も少なくないでしょう。
ただし、ドルマバフチェ博物館についてはミュージアムパスが使用できないため、現地でチケットを購入するか、チケット購入の列に並びたくない方はチケットの事前予約がおすすめです。
ドルマバフチェ宮殿の歴史
ドルマバフチェ宮殿はどのような経緯で建てられ、そして現在の宮殿博物館となったのでしょうか?ここでは、オスマン帝国崩壊から、トルコ共和国誕生を見届けたドルマバフチェ宮殿の歴史をご紹介します。
港から埋め立てられた庭園になるまで
現在ドルマバフチェ宮殿がある場所は、古代から船を停留させるための港として使われて来ました。港の周辺には集落が作られ、人々が暮らしていたとされています。ビザンツ帝国時代には、戦略的な重要性や海を望む美しい場所であることから、アヤママスと言う名の宮殿がこの場所に作られました。
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オスマン帝国のメフメト2世によるコンスタンティノープル陥落の際は、この港からも兵士が攻めこんだと言われています。オスマン帝国時代は海軍の最高司令官の船が停められ、軍の港として海軍の儀式が行われました。その後、17世紀頃から港は埋め立てられはじめ、ドルマバフチェという名の皇帝専用の庭園となります。この庭園の中には、ベシュクタシ海岸宮殿という建物が作られ、この宮殿は19世紀まで増改築が行われました。
ドルマバフチェ宮殿の建設
ベシュクタシ海岸宮殿は木造で建設されていたため、損傷が激しく修理が追い付かなくなります。そのため、オスマン帝国の第31代皇帝アブドゥルメジッド1世の時代には使われなくなっていました。そこでアブドゥルメジッドは、ベシュクタシ海岸宮殿を取り壊し、豪華で近代的なドルマバフチェ宮殿を建設することを決断します。
アルメニア出身のオスマン帝国宮廷建築家カラベト・バリアンと、その息子のニゴオス・バリアンが中心となって設計を行い、1843年6月13日に新しい宮殿の建築工事が始まりました。
工事は13年間続き、1856年6月6日にドルマバフチェ宮殿が完成しました。建設費は現在の価値で2,200億円となり、この大金をまかなうために債務発行や紙幣の大量印刷が行われたようです。このことで国の財政に莫大な負担がかかり、オスマン帝国の財政状況は後に悪化することになります。
宮殿の利用と、その後博物館へ
ドルマバフチェ宮殿が完成した1856年に、皇帝アブドゥルメジッド1世がトプカプ宮殿から移り住みます。その後、5人の皇帝がドルマバフチェ宮殿に住み、オスマン帝国の中心地となっていました。しかし実際は、皇帝は近くに建設した小宮殿で暮らし、ドルマバフチェ宮殿は迎賓館として使われていたようです。
後の1922年11月1日に、スルタン制度が廃止されてから、皇帝はイスラム教の指導者カリフを名乗るようになり、皇帝の後を引継いだカリフ・アブドゥルメジットがこの宮殿で生活するようになりました。
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1923年にトルコ共和国が建国され、1924年3月3日にカリフ制度が禁止されると、宮殿はトルコ政府管轄の宮殿となります。その後、ドルマバフチェ宮殿は、トルコの初代大統領ムスタファ・ケマル・アタテュルクが首都アンカラからイスタンブールに来た際の官邸として使われるようになりました。アタテュルクは、1927年から亡くなる1938年の11年間に合計1,500日ほど、ドルマバフチェ宮殿に滞在したと言われています。
1856年の完成以降、ドルマバフチェ宮殿は皇帝の住居としてだけではなく、トルコの近代化の舞台となってきました。民主制議会の開会や、トルコ語にアルファベット表記を導入するための会議など、宮殿内では様々な改革が行われます。
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アタテュルクの死後、第二代大統領となったイスメト・イノニュによって、ドルマバフチェ宮殿は大統領官邸として使われました。その後、ドルマバフチェ宮殿は政治の舞台としての役目を終え、1984年に宮殿博物館として開館しました。現在は、世界中から多くの観光客が訪れる人気観光スポットとなっています。
ドルマバフチェ宮殿の建物紹介
豪勢で壮大な建築は、ドルマバフチェ宮殿の大きな見どころの1つです。ここでは、ドルマバフチェ宮殿の建築様式や豪華な装飾、インテリアの数々について詳しく解説します。
ドルマバフチェ宮殿の建築様式
ドルマバフチェ宮殿には、伝統的なオスマン建築様式を基本として、バロック様式、ロココ様式、ネオクラシックなどの西洋の建築様式が取り入れられています。オスマン帝国時代の芸術や文化が、西洋文化と融合して完成したのがドルマバフチェ宮殿です。近代化した西洋の象徴として、パリのルーブル美術館やロンドンのバッキンガム宮殿などの建物を参考に建築されました。
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スルタンが生活していたトプカプ宮殿は、時代とともに拡張や変更が行われて来たのに対し、ドルマバフチェ宮殿は宮廷建築家のカラベト・バリアンが中心となって作成した設計通りに建てられたとされています。広大な宮殿の敷地には、陸側と海側を合わせて12の門が作られ、いずれも装飾が施された豪華な造りとなっています。
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本殿の造り
宮殿の本殿は、地下1階から地上2階建ての3階層にわたる建物です。建物内は政府の業務が行われる国務の場(マーベイニ・フマーユン)、皇帝の私生活の場(ハレム・フマーユン)、スルタンの儀式が行われる儀式の場(ムアーイェデホール)と、3つの機能によって分けられています。ボスポラス海峡側からは、左手に国務の場、中央に儀式の場、右手に私生活の場が見えるでしょう。
海峡沿いに建てられた本殿の他には、装飾品の製作やメンテナンスのための硝子工房、鍛冶工房が作られました。他には厩舎や皇太子の宮殿、護衛兵の訓練所などの建物が敷地内にあります。
宮殿の内部
ドルマバフチェ宮殿の豪華で広大な内装は、ぜひじっくり見ていただきたいポイントです。宮殿内には285部屋、44間のホール、68基のトイレ、6つのトルコ式風呂があります。ドルマバフチェ宮殿には当時の最高技術が導入され、ヨーロッパの宮殿にはまだなかったガス灯や水洗トイレが設置されたのも特徴的です。なお、後に宮殿には電気や全館暖房、エレベーターが導入されました。
豪華な装飾
ドルマバフチェ宮殿建設の際には、当時最先端であったフランス風の内装にするため、フランスの職人が招かれ内装を手掛けています。宮殿の天井には14トンに及ぶ金でメッキが施され、多くのクリスタルが使われました。
クリスタルはフランスのバカラと、チェコのボヘミアから運ばれ、世界最大級のボヘミアンクリスタルシャンデリアが儀式の場の大広間に設置されています。このシャンデリアは重さ4.5トンで、使用された電球の数は750個!
また、儀式の場に向かう途中にある二重の馬蹄型で作られた階段にも、バカラのクリスタルがふんだんに使われました。宮殿内部の装飾には、トルコの西にあるマルマラ島の白大理石、ペルガモンの御影石、エジプトのアラバスターなどの高価な石が使用されています。
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豪勢なインテリアの数々
ドルマバフチェ宮殿を訪れた際には、ぜひ家具や陶器、絨毯などの細かいインテリアにも注目してみてください。家具類はパリから取り寄せられ、200点に及ぶ絨毯はイスタンブールの東にあるヘレケの絨毯が敷き詰められています。
陶器はフランスのセーブルやトルコのユルドゥズから取り寄せられた貴重な品々ばかりです。また、宮殿の壁には西洋の画家による絵画が数多く展示されており、広い宮殿内も飽きることなく見学できるでしょう。
ちなみに、オスマン様式ではソファーとクッションが置かれたダイニングルームが伝統的ですが、ドルマバフチェ宮殿ではテーブルを中心に、椅子が配置される西洋様式が取り入れられています。
ドルマバフチェ宮殿の見どころ
ドルマバフチェ宮殿内には多くの見どころがあります。観光時間があまり取れない人のためにおすすめの見学箇所をご紹介します。
クリスタルの階段
国務の場にある2重の馬蹄型の階段と、シャンデリアが設置された広い階段ホールが、クリスタルの階段と呼ばれています。真っ赤な絨毯と光り輝くクリスタルの装飾が見事です。ホールにある手すりの柱は全てクリスタルで作られており、キラキラと輝くクリスタルの装飾に目がくらむことは間違いありません!
儀式の間
儀式の間の大広間は40m×45mの広さで、壁や天井に施された豪華な装飾に圧倒されるはず。大広間の中央ドームからは、英国女王ヴィクトリアⅡ世から贈呈された世界最大級のシャンデリアがかかっています。また、シャンデリアの下には124㎡の大きなヘレケ産の手織り絨毯が敷かれているため、シャンデリアだけでなく、床にも注目するのをお忘れなく!
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ハレム
ハレムとは皇帝が私生活を送るためのエリアのことで、国務を行うエリアと分けられて作られるのが中東建築の伝統です。昔は皇帝がハレム内で家族や側室と一緒に住むのが一般的でした。ただし、ハレムに暮らす皇帝の家族は、宮殿内の公の場に立ち入ることを制限されています。
また、宮殿で働く役人や使用人のほとんどがハレムへの立ち入りを制限されており、当時は宮殿で働くほとんどの人がハレム内部に足を踏み入れることができませんでした。現在は一般人もハレムへの立ち入りが許可されているため、ハレムで皇帝の私生活を見学することができます。
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ムスタファ・ケマル・アタテュルクの部屋
ハレムの中には、トルコの初代大統領ムスタファ・ケマル・アタテュルクの執務室があります。彼がイスタンブールで公務を行う際に、ドルマバフチェ宮殿内の部屋を使っていました。
健康状態が悪化したアタテュルクは、執務室の隣にある寝室で1938年に亡くなってしまいますが、その部屋にある時計は、亡くなった時刻の9時5分を指したままで止まっています。また、ベッドはトルコ国旗で覆われており、アタテュルクがトルコ国民から愛されていることがわかるでしょう。
ボスポラス海峡から見えるドルマバフチェ宮殿の全貌
全長600mの巨大なドルマバフチェ宮殿の全貌は、ボスポラス海峡クルーズの船上からしか見ることができません。
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ドルマバフチェ宮殿は元々、来賓が船で宮殿を訪れることを前提に建設されたため、ポスポラス海峡側が正面として建てられており、庭園や桟橋がボスポラス海峡側に作られています。豪華絢爛な内部だけでなく、ぜひクルーズ船から宮殿の全貌を見てその大きさを感じ取ってみてください。
ドルマバフチェ宮殿の庭園の紹介
広大な緑地に建てられたドルマバフチェ宮殿には、建物に負けないぐらい立派な庭園があります。ヨーロッパ様式の庭園には、池と噴水、彫刻、壺や街灯が幾何学的に配置されているのが特徴です。
また、庭園は宮殿内の機能に応じて、ハスバフチェ(男性の庭園)、クシュルク(鳥の庭園)、ハレム(女性の庭園)、クラウンガーデン(皇帝の庭園)と、大きく4つのエリアに分かれます。それぞれの庭園にはアジア、ヨーロッパ、アメリカから珍しい植物が持ち込まれ、庭のエリアに沿って植えられました。
ここでは、それぞれの庭園についてご紹介します。
ハスバフチェ(男性の庭園)
宮殿の敷地内で一番大きな庭園がハスバフチェです。この庭は宮殿入口の財宝の門から本殿までの間に位置しており、大きな正方形型をしています。庭園の中央部には円形の池があり、その池を囲むように歩道が作られているのが特徴です。中央部の池には、真ん中に白鳥の形をした噴水が設置されていますが、この噴水はイスタンブールにあるユルドゥズ宮殿から運びこまれました。
この庭園にはイスタンブールの気候とは異なる熱帯性の植物が多く植えられており、エキゾチックな雰囲気を演出しています。クルーズ船から見ることができる海岸沿いの庭園も、ハスバフチェの一部です。
クシュルク(鳥の庭園)
クシュルクはハスバフチェとハレムガーデンの間に位置し、儀式の間の陸側のファサードにあたります。高い壁によって他の庭園とは隔てられており、日陰が多く落ち着いた雰囲気が特徴です。庭園内のガラスパビリオンの入り口には、イスタンブールで最も古い桐の木が植えられています。
クシュルクは噴水や彫刻などが幾何学的に配置されているわけではなく、中央に位置する池の周りに、たくさんの小島が自然な形で配置されているのが他の庭園とは異なるポイントです。つまり、クシュルクはヨーロッパ様式ではなく、トルコ式庭園が採用されていることが伺えます。クシュルクには名前のとおり多くの鳥が住んでおり、クジャク、キジ、オウム、セキセイインコなど、世界中から様々な鳥が持ち込まれました。
ハレムガーデン(女性の庭園)
ハレムガーデンは、宮殿のL字型構造部分にあるハレムの前に広がる庭です。楕円形の池を中心として、幾何学的に植物などが配置されています。ヨーロッパにある宮殿の庭園と同じ様式で作られているのが特徴です。
クラウンガーデン(皇帝の庭園)
宮殿内で一番小さい庭園がクラウンガーデンです。クラウンガーデンはハレムガーデンと繋がっており、立派なあずま屋(キオスク)や熱帯植物のための温室があります。
ドルマバフチェ宮殿の敷地内にある建造物
ドルマバフチェ宮殿には本殿以外にも、使用人の宿舎、厩舎や工房などの様々な建物があります。ここでは、ドルマバフチェ宮殿内の建造物を一部ご紹介します。
財宝の門
宮殿を見学する際は、財宝の門を通り男性の庭園を抜けて、本殿にたどり着きます。財宝の門はアーチ構造をしており、両脇2本の柱の間には鉄の扉がついているのが特徴です。門の上部にある円形のレリーフには、ドルマバフチェ宮殿に初めて住んだ皇帝アブドゥルメジッド1世のモノグラムがあります。この門の前で宮殿を守る衛兵の交代式が行われていました。
ボスポラス海峡への門
船での訪問を前提として、ドルマバフチェ宮殿はボスポラス海峡に面して建てられました。宮殿の正面にアクセスする桟橋に作られた門が、ボスポラス海峡への門です。この門はクルーズ船の上からも見ることができますが、陸地の宮殿側から見ると、海峡を行き交う船をまるで額縁に納めたかのようなパノラマ写真を撮ることができます。
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ドルマバフチェモスク
ドルマバフチェモスクは、皇帝アブドゥルメジッド1世の母親であるベズミアレムの委託を受けて、1853年から2年の歳月をかけて建てられたモスク(礼拝堂)です。本殿よりかなり離れた場所にあり、宮殿敷地内の一番端に位置しています。
ドルマバフチェ宮殿の設計を主導したカラベト・バリアンによって、モスクは重厚なバロック様式で建築されました。完成後はモスクとして礼拝が行われたものの、後に海軍博物館として使用されます。ただし、1967年に再びモスクとして礼拝が行われるようになりました。
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時計塔
宮殿を訪れた観光客が最初に目にするのが時計塔です。この時計塔は、ドルマバフチェ宮殿に住んだ4人目の皇帝アブドゥルハミット2世によって注文され、1890年から5年の歳月を経て完成しました。高さ27mの4階建ての塔の4面に、フランスで作られた時計がオスマン帝国の宮殿時計職人によって設置されています。
ドルマバフチェ宮殿の観光はツアーの利用がおすすめ!
ドルマバフチェ宮殿は豪勢かつ壮大な建築を堪能できる観光名所として、イスタンブールを訪れた際にはぜひとも訪れていただきたい場所です。イスタンブールは見どころが多いため、限られた時間内で効率よく回りたいなら、ツアーを利用しましょう。
トルコは国土が非常に広く、観光スポットが各地に点在しているため、ツアーを利用することで、イスタンブール以外の観光スポットも逃すことなく観光できます。旅行会社のツアーを賢く利用して、トルコ旅行を存分に楽しんでくださいね。
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