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サンタクロースの正体と由来!フィンランドが出身地ではない?

更新日:2023.04.05

投稿日:2022.07.13

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サンタクロース

クリスマスになくてはならない存在「サンタクロース」はフィンランド出身だと思われていますが、実はトルコが出身地なのをご存知でしたか?サンタクロースのモデルとなったのは、トルコの神父「聖ニコラウス」です。誰もが知っているサンタクロースですが、そもそもサンタクロースの起源や由来をしっかり理解している方は意外と少ないでしょう。この記事では、そんな謎の多いサンタクロースについて、ルーツや誕生の歴史を解き明かしていきます。

サンタクロースの由来

サンタクロース 聖ニコラウス

多くの人が想像するサンタクロースの姿は、「トナカイが引くそりに乗り、赤い衣装に白く長いヒゲが特徴的な老人」ではないでしょうか?そもそもサンタクロースはいつどこで誕生し、どのようにして現代まで伝わってきたのか知らない方は多いでしょう。ここでは、サンタクロースの由来について説明します。

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サンタクロースのモデルっているの?

サンタクロースはオランダの神話的存在である「シンタクラース」が基礎となったと言われています。シンタクラースは老齢でかしこまった人物で、白い髪とあごひげをはやしています。また、伝統的な白い司祭の服に、赤いケープと赤い司教冠を身に着けていたそうです。

シンタクラースは、「シンタクラースの書」という分厚い本を持っており、本には子供たちの1年の行いが書かれています。本に記載された行いをどれだけ守れたかを記録しており、その記録によってプレゼントが決まりますが、悪い子にはお仕置きがあるとされていました。

ただし、実はこのシンタクラースにはさらにモデルとなった人物がいます。それは、「聖ニコラウス」という人物です。

サンタクロースのモデル「聖ニコラウス」って?

聖ニコラウス サンタクロース

聖ニコラウスは3~4世紀に実在していた人物で、当時のローマ帝国のミュラ(現トルコのアンタルヤ県)という町で、大司教(カトリック教の教会において最高位の聖職)を務めていました。彼にまつわる逸話は多く残されており、弱い者や貧しい者を助けたり、信仰心の薄い者に教えを説いて改心させたりしていたそうです。

聖ニコラウスは4世紀半ばで亡くなりましたが、その遺骸は腐敗どころか芳膏が湧き出て、多くの病を癒したと言われています。そのため、聖ニコラウスを記念する聖堂が建てられ、多くの信者が参拝に訪れたそうです。聖ニコラウスの遺骸はしばらくミュラに保管されていましたが、11世紀後半にセルジュク・トルコに征服されると、イスラム教徒からの迫害を恐れ、南イタリアのバーリへ運ばれたと言われています。

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今でも聖ニコラウスの遺骸はバーリのサン・ニコラ教会に安置されており、キリスト教の巡礼地となっています。聖ニコラウスが亡くなったのは12月6日で、オランダなどヨーロッパの一部の国では12月6日を「聖ニコラウスの日」として盛大にお祝いします。オランダでは「クリスマスが2回ある!」と言われるほどです。

では、どうして聖ニコラウスがサンタクロースのモデルとして有名になったのか?以下でサンタクロースのモデルとなった逸話を紹介します。

サンタクロースのモデルとなった聖ニコラウスの逸話

クリスマス 靴下

聖ニコラウスがサンタクロースのモデルとなったきっかけとして、有名な逸話があります。ある日、聖ニコラウスは家の中で泣いている3人の姉妹と、その父親を目撃しました。貧しさ故に3人の娘を嫁に出すこともできず、人買いに売らなければならなくなったことを、父親が娘たちに詫びて泣いているところでした。

その様子を見た聖ニコラウスは、その晩、金貨の入った袋を3つ、3姉妹の家の窓からこっそり投げ入れました。この金貨のおかげで、父親は娘たちを売ることなく、3姉妹は無事嫁に行き、幸せに暮らしたそうです。

この逸話について、「聖ニコラウスが投げた金貨は、窓からではなく煙突から投げ入れられた」「干してあった洗濯物の靴下に金貨が入った」など諸説あり、最終的に“サンタクロースは煙突から入ってきて、プレゼントを靴下に入れる”というエピソードと結びつきました。

北欧のサンタクロースのはじまり

「サンタクロース=北欧」のイメージを持っている人も多いと思いますが、北欧にはどうやってサンタクロースが伝わってきたのかご存知ですか?これには、キリスト教が北欧諸国に布教された背景がカギとなっています。ここではサンタクロースが北欧に伝わった経緯を解説します。

ヴァイキングの襲来

ヴァイキング

11世紀前後の北欧諸国は、沿岸部に侵略行為を働く「ヴァイキング」という武装集団が勢力を持っていました。そんな彼らにキリスト教の教えを説いても、すんなり受け入れられるはずもありません。

これはどの時代のどの国でも同じことが言えますが、ある国を支配下に置く場合、元々あった土着の信仰や習慣などを支配者側の信仰や習慣に置き換える手段が有効的かつ短時間で済みます。キリスト教の布教にあたって、ヴァイキングが信仰している神を使い、彼らの生活習慣に浸透させる手段を用いました。

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ヴァイキング時代のキリスト教の布教

オーディン 北欧神話

ヴァイキングが信じる神は、北欧神話に出てくる最強の神「オーディン」でした。オーディンは白髪で長い髭を持つ老人として描かれることが多く、足が8本もあるスレイプニルという馬に乗り、天を駆けることができます。

ヴァイキングには12月22日前後の冬至に「ユール」と呼ばれるお祭りがあり、オーディンに貢物を捧げ、お祭りを行う習慣がありました。ユールには、太陽がこれから力を付けていく日をオーディンと共に祝うという意味合いがあり、日照時間が一番短いこの日に現れる霊たちに、特別な料理を準備するものでした。

このヴァイキングが行う冬至祭に、以下のようにキリスト教のクリスマスを当てはめていきました。

  • 冬至祭(12月22日前後)⇒ クリスマス(12月25日)
  • 冬至祭のごちそう(ユール・ボード) ⇒ クリスマス料理
  • 神オーディン ⇒ サンタクロース
  • 8本の脚を持つスレイプニル ⇒ 8頭のトナカイ

このように、冬至祭にはすり替え可能な要素が詰まっていました。

また、オーディンの息子と位置付けされることの多い「雷神トール」という神がいます。トールは赤い服をまとい、2匹の黒ヤギが引く戦車で駆けめぐっていたと言われています。あるユールの時期、トールはこの黒ヤギを他の神々にご馳走として振舞ったそうです。しかし翌日、ヤギを殺してしまったことを後悔したトールはヤギを復活させました。

このヤギは人間には見えない姿であることから、ユールが始まる前になると多くの町を訪れ、ユールの準備がしっかりとできているかを確認し、まだ準備ができていないとお仕置きをしていたと言われています。これは、サンタクロースの原型といわれるオランダの「シンタクラース」が悪い子にはお仕置きするというエピソードにも似ていますよね。シンタクラースにも黒い助手が2人いて、お仕置き担当を務めていたそうです。

このようにして、キリスト教は徐々に北欧の神話や習慣を通してヴァイキング間にも浸透し、12世紀には北欧諸国はほぼキリスト教化されたと言われています。

サンタクロースの格好の由来とフィンランドとの関係

現代のサンタクロースは、赤い服、赤い帽子、白い髭で豊かなお腹を持った優しい男性の老人となっていますよね。ここでは、私たちが持つサンタクロースのイメージの謎について解説していきます。

サンタクロースのイメージを作ったのはコカ・コーラ社?!

サンタクロース コカ・コーラ

サンタクロースのイメージを作ったことで1番有名な説は、1931年に出されたコカ・コーラ社の広告です。コカ・コーラ社の広告やポスターで、真っ赤な服装のサンタクロースがコーラを飲む姿は、当時の人々にとってとても印象的でした。

しかし、当時はサンタクロースの容姿や服装イメージが固定されておらず、国によってサンタクロースは様々な姿で表現されていました。19世紀後半の絵本でサンタクロースが赤い服を着たものも存在していたようですが、司教も赤いケープを羽織ることが多いため、赤の服は比較的早くにイメージ付けられていたのかもしれません。

このように、各国でバラバラだったサンタクロースのイメージをコカ・コーラ社が一新し、印象的なポスターによって一気に現在のイメージに統一され、定着したと言えます。そこから、サンタクロースの出身地や性格、家族構成、仕事、クリスマス以外は何をしているかなど、少々大人の事情も絡ませながら、現在に至るようです。

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サンタクロースの故郷はなぜフィンランドと言われている?

フォンランド サンタ村

サンタクロースは北欧の雪深い山の中に住んでいるというイメージを持っている方も多いと思います。コカ・コーラ社がサンタクロースの広告を出した時期に、アメリカでは「サンタクロースの故郷は北極」という言い伝えが広がっていきました。

これは、フィンランドの新聞で“サンタクロースはトナカイの餌を求めて北極からフィンランドのラップランド地方に引っ越した”という記事に由来しており、この記事をきっかけにサンタクロースの故郷がフィンランドだと考えられるようになりました。

実際、フィンランドの北部にあるロヴァニエミという町には「サンタクロース村」が存在しており、フィンランド政府やロヴァニエミ市の公認となっています。サンタクロース村では、サンタクロースが「トントゥ」という妖精と一緒に暮らしているそうです。

【サンタクロース村|観光情報】

名称 サンタクロース村(Santa clause village)
住所 96930 Rovaniemi, フィンランド
営業時間 [ 1月-5月 ] 毎日 10:00 ~17:00
[ 6月-8月 ] 毎日 09:00 ~18:00
[ 9月-11月 ] 毎日 10:00 ~17:00
[ 12月 ] 毎日 09:00 ~19:00
※営業時間等は変更になる場合もあります。また、日によって上記と営業時間が異なる場合もあります。
公式HP http://santaclausvillage.jp/

サンタクロースの助手をしている妖精

トムテ

北欧ではトムテ(スウェーデン)、ニッセ(ノルウェー、デンマーク)、トントゥ(フィンランド)と呼ばれる妖精がいると考えられており、彼らは小さな子供くらいの大きさで、赤い帽子を被り、農家の守護神とされています。妖精は真面目に働く農家に繁栄をもたらしますが、怠けたり彼らを不当に扱ったりするとその家から出ていき、家は廃れてしまうそうです。

キリスト教が北欧に入ってきた直後は、この妖精たちも悪魔の手先のように扱われた時期がありましたが、現代ではこの妖精たちがサンタクロースの助手として、人々に親しまれています。

フィンランドにおけるサンタクロースのプロフィール

サンタクロースのプロフィールは、サンタクロースの故郷に名乗りを上げる国によってまちまちです。ここでは、中でも代表的なフィンランドにおけるサンタクロースのプロフィールを紹介します。フィンランドにあるサンタクロース村の公式サイトによると、サンタクロースのプロフィールは以下の通りです。

出身地 北極
居住地 フィンランド東部のコルヴァトゥントゥリ
家族構成 妖精トントゥと暮らしているなどとされています。

サンタクロース村の情報では、サンタクロースが出身地の北極からフィンランドへ引っ越しした理由は、「トナカイの餌が北極では入手困難なため」と、可愛らしいエピソードが記載されています。

この他、グリーンランド国際サンタクロース協会では、グリーンランドに住む長老サンタクロースをサポートするため、世界中に支店を置き、公認サンタクロースを選出しています。

日本のサンタクロース

クリスマスプレゼント

日本にクリスマスがもたらされたのはキリスト教の伝来が始まりでしたが、当時のクリスマスはキリスト教徒のみが行う行事でした。その後、江戸時代にはキリスト教が禁じられてしまい、クリスマスが表に出ることもなくなってしまいましたが、明治時代に入り禁教令が解除されると、徐々にクリスマスも一般に広まり、それに合わせてサンタクロースの存在も広まっていきました。ここでは、サンタクロースが日本に広まった経緯をご紹介します。

日本初のサンタクロースは“ちょんまげ”だった?!

明治時代に、原胤昭(はらたねあき)というキリスト教徒の実業家がいました。彼は、洗礼をほどこしてくれた宣教師でもある妻の学校で、1876年(明治9年)に初めてクリスマス祭を開きました。その時に現れたサンタクロースの姿は、裃を着て刀を持った丁髷(ちょんまげ)姿の殿様スタイルだったそうです。これが日本で初めてサンタクロースに扮した人物の姿だったと言われています。

日本初のサンタクロース物語「さんたくろう」

サンタクロース さんたくろう

日本の物語で初めてサンタクロースが描かれたのは1900年(明治33年)、子供向けの教材「さんたくろう」という本の扉絵でした。しかし、この時点ではまだ現在のサンタクロースの姿とは異なりました。名前はサンタクロースではなく「北國の老爺(おやじ)三太九郎」で、相棒は赤鼻のトナカイではなく、「ロバ」でした。

また、容姿も今とは異なり、右手にはもみの木、左手には杖を持ち、どちらかというと仙人のような見た目だったそうです。さんたくろうの物語を簡単にまとめると、「8歳の少年が旅人のおじいさんを助けて、そのおじいさんがクリスマスイブの夜にたくさんのプレゼントを持って少年のもとにやってきた」とういうものでした。

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日本でもクリスマスが年中行事に

サンタクロース さんたくろう

三太九郎の物語が登場する前の1888年(明治21年)頃からすでに、クリスマスカードなどのクリスマス用品が日本に輸入されていたこともあって、さんたくろうの物語も一般に広まっていったそうです。この物語の発行から2年後の1902年(明治35年)頃には、日本でもクリスマスが年中行事として定着していきました。

大正時代に入ると、児童向け雑誌などにも、赤い帽子に赤い服を着て太いベルトを腰に巻いた、現在と変わらないイメージのサンタクロースの姿が様々な場面で描かれるようになりました。

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トルコとキリスト教の関係

トルコは国民の99%がイスラム教徒と言われる国です。ただし、トルコ国民の大部分がイスラム教徒になったのは7~8世紀以降のことで、それ以前はキリスト教徒のローマ帝国に支配されていました。そのため、サンタクロースのモデルとなった聖ニコラウスがトルコの司教であったり、キリスト教の重要会議がトルコで行われていたりしていたのです。ここではそんなトルコとキリスト教の関係を解説します。

トルコのクリスマス

トルコのクリスマス

トルコではキリスト教の行事であるクリスマスやバレンタインデーを盛大にお祝いします。東ローマ帝国滅亡の後、オスマン帝国によりトルコはイスラム教化されましたが、近代トルコにおいては政治と宗教は別物という政教分離の考えのもと近代化を進めてきたため、比較的緩やかで穏やかな宗教解釈を持っていました。そのため、クリスマスやバレンタインデーも当時の頃からお祝いされており、「楽しい事ならみんなでお祝いしましょう」という日本人の考え方にも似てた解釈を持っています。

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ただし、トルコでのクリスマスは「新年のお祝い」といった位置付けで、もっぱら装飾に力を入れています。ホテルやショッピングセンターには巨大なクリスマスツリーが飾られ、それは12月半ばから2月初旬まで飾られているのが日本とは異なる特徴です。

また、クリスマスのご馳走やケーキはトルコでは食べません。それでも、サンタクロースは「ノエル・ババ」(クリスマスのお父さん)と呼ばれ、トルコの人々から親しまれています。

トルコにある「サンタクロース教会」

サンタクロース教会 トルコ

トルコには聖ニコラウスを祀った「サンタクロース教会(聖ニコラウス教会)」があるのをご存知ですか?トルコ南部のアンタルヤにはデムレという町がありますが、この町は元々ローマ帝国時代にはミュラという町で、聖ニコラウスが司教を務め、多くの逸話が残された場所でもあります。現在も、アンタルヤのデムレにサンタクロース教会があり、観光客の賑わう場所となっています。

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前述で、聖ニコラウスの遺骸はイタリアのバーリに運ばれて、サン・ニコラ教会に納められていると書きましたが、2009年にトルコ政府はイタリア政府に、「聖ニコラウスの遺骸を返してほしい」と要求したことがあったそうです。しかし、イタリアからは無対応でした。

その後トルコは、2017年にサンタクロース教会をスキャンして調べると、「手つかずの棺らしいものが見つかった!」と発表し、これがもしかすると聖ニコラウスの棺かもしれないという議論が行われました。しかし、発見された場所は床がモザイク画で装飾されており、発掘するのは大変難しいため、今もなお聖ニコラウスの棺かどうかは判明されていません。

もし発見されたものが棺で、遺骸をDNA解析できれば、何か新しいことがわかるかもしれません。聖ニコラウスの遺骸は南イタリアのバーリにあるサン・ニコラ教会にありますが、分骨されてイタリア以外にもフランスやアメリカなど様々な教会に納められています。もしトルコの聖堂で聖ニコラウスが眠っていたならば、また大変な騒動が巻き起こること間違いなしです。

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サンタクロースは世界中で愛される存在

サンタクロースは、実在の人物をモデルとし、国家征服の急先鋒として北欧神話や民間信仰に潜り込み、流行の最先端であるアメリカ企業をバックアップに備え、これだけ大きな人物になっていきました。そんなサンタクロースがイスラム教徒の多いトルコの出身であるというのは驚きですよね!トルコを訪れた際には、サンタクロース教会をぜひ訪れてみてはいかがでしょう?

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