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ニカイア公会議をわかりやすく解説!内容・開催場所・三位一体説とは?

更新日:2023.04.05

投稿日:2022.08.25

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ニカイア公会議

世界史の教科書に出てくるニカイア(ニケーア)公会議は、キリスト教の歴史上、最も重要な出来事。実はニカイア公会議が行われた場所は、現在のトルコがある場所なのです。この記事では、ニカイア公会議ではどんな議論がされてきたのか、公会議の開催地となったニカイアの現在はどんな場所なのかなど、ニカイア公会議をわかりやすく解説します。

ニカイア(ニケーア)公会議とは?

ニカイア公会議

ニカイア(ニケーア)公会議とは、初期キリスト教の教義確立に大きな影響を与えた2つの公会議を指し、小アジアの西部「ニカイア」で行われたことから「ニカイアの公会議」と呼ばれています。

イエス・キリストが十字架の刑にかけられたのは33年と言われていますが、その後313年のミラノ勅令で、キリスト教の信仰の自由が認められるまでの約300年間、教会によってキリスト教の解釈が異なるという事態が起こり、統一性が欠如してしまっていました。

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キリスト教を承認したローマ皇帝コンスタンティヌス1世は、ローマ帝国にキリスト教を採用して帝国を統一していくにあたり、キリストの神性の解釈を教会間で一致させる必要がありました。そのため、自らがキリスト教徒であることを宣言し、コンスタンティヌス帝が議長となって、ニカイア公会議を開催したのです。

第1ニカイア公会議から始まり、現在までに多くの公会議が開催されてきましたが、正教会とカトリック教会の両方が認めている公会議は7つの公会議のみとなり、そのうち最初と最後の公会議はニカイアの公会議となります。

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ニカイア公会議の場所は?

ニカイア公会議の開催地ニカイアは、トルコのイスタンブールから約140km離れた「イズニック(İznik)」という町がある場所です。1331年にトルコ人のオスマン帝国によってこの地が奪われると、トルコ人はこの町の名前を訛らせて「イズニック(イズニク)」と呼ぶようになりました。

キリスト教の公会議とは?

ニカイア公会議

公会議とは、全世界からキリストの司教(主教)など、教会の代表者が集い、キリスト教の教義・典礼・教会法など、重要事項に関する共通認識を決める最高会議です。

7回目の公会議(第2ニカイア公会議)以降も、近年までに21回の公会議が開かれてきましたが、これらはカトリック教会のみが承認した公会議でした。なお、正教会とカトリック教会の両方が認めている7回の公会議全てが現在のトルコで行われました。

第1回(325年) ニカイア(現トルコ/イズニック)
第2回(381年) コンスタンティノープル(現トルコ/イスタンブール)
第3回(431年) エフェソス(現トルコ/エフェソス)
第4回(451年) カルケドン(現トルコ/イスタンブール内カドゥキョイ)
第5回(553年) コンスタンティノープル(現トルコ/イスタンブール)
第6回(680年~681年) コンスタンティノープル(現トルコ/イスタンブール)
第7回(787年) ニカイア(現トルコ/イズニック)

第1ニカイア公会議(325年)の内容

ニカイア公会議 三位一体

コンスタンティヌス帝が自ら議長となって325年に開催された「第1ニカイア公会議」は、キリスト教における最初の全教会規模の会議で、最初の正統教義を決定した重要な公会議でした。

この公会議の議論のメインは「イエス・キリストの神性」でした。つまり、イエスは神か、神ではなく神の創造物(人間)であるかが大きく争われました。

この答えに関しては、「イエスは神そのものではなく、父なる神に従属する」と主張し、神性はないと考えた「アリウス派」と、「イエスは子であるが、父と同じ神である」と主張し、神性があると考えた「アタナシウス派」に二分されました。

第1ニカイア公会議には318人もの司教たちが集まり、1ヶ月にも及ぶ議論の末、2名を除いたほぼ全員の意見が一致し、325年6月19日にイエス・キリストの神性を認める「ニカイア信条」が承認されました。アタナシウス派が正統とされたことから、アリウス派は異端であるとされ、コンスタンティヌス帝はアリウスらをローマから追放します。

また、この公会議では、教会によって異なっていた復活祭の日付なども確定されました。なお、第1ニカイア公会議が行われた「ニカイア元老院宮殿」ですが、現在はイズニック湖に沈んでおり残念ながら見ることができません。

第1ニカイア公会議から議論された「三位一体説」とは?

三位一体 キリスト教

三位一体説とは、「神とイエスと聖霊の三者は全て一体である」というアタナシウス派が生み出した考え方です。第1ニカイア公会議から始まる数回の公会議を通じて、三位一体説はキリスト教の正統教義とされました。

その後のローマ・カトリック教会、ギリシャ正教、宗教改革後のプロテスタント諸派も、三位一体説においては一致しており、キリスト教の最も重要な教義となりました。

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異端とされたアリウス派とは?

「アリウス派」とは、エジプトのアレクサンドリア教会で当時司祭を務めていたアリウスが唱えた教義です。アリウス派は神と子を分けて考えていたため、キリストは神に近い形で創造されてはいるものの、神ではなく人間であると考えていました。

この、“イエスはあくまでも人間であり、神の使いとして神の言葉を伝えた預言者である”としたアリウス派の考えは、イスラム教の「唯一絶対の神アッラーのみを信じ、ムハンマドは預言者」という考えと同じといえます。

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アリウス派は第1ニカイア公会議で異端とされ、次に行われた2回目の公会議(コンスタンティノポリス公会議)でも異端と認定されてしまいます。アリウス派がローマを追放されたことから、ローマ領内での布教はできなくなりました。その後アリウス派は北方のゲルマン人に布教していくことで、ゲルマン人の世俗的な信仰と合体して独特なキリスト教となっていったそうです。

サンタクロースのモデルとなった人物も公会議に参加?!

聖ニコラウス サンタクロース

実はトルコの地にはサンタクロースのモデルとなった人物がいました。3~4世紀に実在していた「聖ニコラウス」という人物です。聖ニコラウスは、当時のローマ帝国のミュラ(現トルコのアンタルヤ)で、大司教を務めていました。そのため、聖ニコラウスも当然、第1ニカイア公会議に参加しています。

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この公会議で、アタナシウス派についていたニコラウスは、激論のあまりアリウス派の人物を殴ってしまい、一度は破門されてしまったというエピソードも残されています。

第2ニカイア公会議(787年)の内容

ニカイア公会議

ニカイアで787年に開催された第2ニカイア公会議は、正教会とカトリック教会の両方が認める最後の公会議となりました。第2ニカイア公会議が開催されたのは、ビザンツ帝国の皇后エイレーネーが当時採用されていた聖像(イコン)禁止令を撤廃しようとしたことがきっかけです。

聖像(イコン)禁止令とは、726年に皇帝レオーンが発令した聖像崇敬を禁止する決まりであり、これによって聖像破壊運動「イコノクラスム」が行われました。

次の皇帝コンスタンティヌス5世も聖像崇拝禁止を継続し、徹底的に弾圧を行っていきますが、帝国領土内では大きな反発が起こり、帝国崩壊の危機にまで陥る事態となってしまいます。

この事態を重く受け止めた皇后エイレーネー(コンスタンティヌス5世の後を継いだレオーン4世の母で後見人)が、787年に第7回全地公会「第2ニカイア公会議」を主催したのが始まりです。

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聖像(イコン)禁止令は撤廃された?

イエス・キリスト

この公会議では、聖像破壊運動が異端とされ、聖像崇拝の自由が公認されました。理由は、聖像崇敬は聖像や聖画そのものを拝んでいるのではなく、聖像や聖画が表している神的なものに思いを巡らせているからです。よって聖像崇敬は「偶像崇拝ではない」と結論づけられました。

公会議のセッションは全部で7回ありましたが、5回目のセッションで聖像破壊勢力はユダヤ人とサラセン人とマニ教信者の三者から生まれたものと結論づけられました。

ニカイア公会議が開催されたイズニックの歴史

ニカイア公会議

キリスト教の重要な公会議が行われたニカイア(現イズニック)の町は歴史が古く、その立地と景観の良さから古代より開けた町でした。ここでは、ニカイア公会議の開催地となったニカイアの地に関して、その歩みと歴史をご紹介します。

アンティゴネアからニカイアへ

この地がニカイアと呼ばれる前、町の名は「アンティゴネア」で、紀元前311年にこの町を造ったアレクサンドロス大王の司令官のひとり「アンティゴノス」の名から付けられました。

しかし、その後の紀元前301年、アレクサンドロス大王の将軍リュシマコスにより、アンティゴネアの町は征服され、リュシマコスは自分の妻の名にちなんで町の名を「ニカイア」に変えたことが記録されています。

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紀元前281年にはビテュニア王国の支配下に敷かれ、ニコメディア(現トルコのイズミット)が成立するまで、ニカイアはビテュニア王国の首都でした。その後ビテュニア王国が没落すると、紀元前74年にはローマの属州となりました。

ニカイアの繁栄

ニカイア イズニック

ローマの州都となってからは、ヘレニズム時代に築かれた城壁が再建され、神殿、劇場、公衆浴場などの建設が進んでいきます。その後ゴート人やペルシャの侵略を受けることとなり、町は荒廃してしまいますが、コンスタンティヌス帝の時代に町は再建され、ビザンツ帝国の中で最も洗練された都市として生まれ変わります。

そして、325年にはキリスト教公会議が開催されるまでに繁栄しました。ニカイアは長らく東ローマ帝国の都市として繁栄しますが、1204年に東ローマ帝国の首都コンスタンティノポリス(現トルコのイスタンブール)が第4回十字軍によって陥落。

その後は、この町を首都として東ローマ帝国の亡命政権ニカイア帝国が完成し、ローマ帝国後期、ビザンツ時代には重要な役割を果たしました。

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オスマン帝国時代にイズニックへ改名

イズニックはタイル

ニカイア帝国がコンスタンティノープルに去った後、ニカイアは再び東ローマの首都近郊の地方都市となります。オスマン帝国のスルタン、オルハンが1年間の包囲の末、ようやくニカイアを征服すると、1331年に町の名はニカイアから「イズニック」へと改名されました。

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その後、イズニックはタイルの生産地としてその名を高めていきます。タイルの生産地として発展した経緯としては、1514年にスルタンのセリム1世が腕の良いタイル職人をイランから多数イズニックに招いたことが始まりです。

セリム1世の政策により、16世紀にはイズニックには600もの釜が設置され、イズニックで作られたタイルは「イズニックタイル」と呼ばれるようになり、オスマン帝国時代の建築には欠かせない存在となりました。

旧ニカイア「イズニック」の見どころを紹介!

イズニック

ニカイア公会議の開催地であったイズニックの現在は、ビザンツ時代に作られた城壁に囲まれ、湖のほとりに存在する町となっています。「イズニックタイル」という言葉を耳にしたことがある人もいるかと思いますが、イズニックはタイルで名を馳せた町でもありました。

イズニックは小さい町ですが、見どころが城壁内に集中しているので観光しやすく、現在も多くの観光客が訪れています。ここでは、そんなイズニックの見どころを紹介していきます。

緑のモスク(イェシル・ジャーミィ)

イェシル・ジャーミィ

緑のモスクは、宰相チャンダルル・カラ・ハリル・ハイレッティン・パシャのために、1378年に建てられました。中央にドームを有するモスクとしては初となります。

3つの回廊がある大理石の広間は4本の柱で支えられており、ミフラーブはオスマン帝国初期に流行した石細工の典型例です。

建物の内装と外装は大理石でできており、ミナーレは緑色(イェシル)のタイルで覆われています。緑と青のモザイクとタイルで彩られた珍しい模様が見どころです。

名称 緑のモスク(Yeşil Camii)
住所 16360 Yıldırım/Bursa トルコ
開館時間 7:00~20:00(礼拝中は入場不可)
休館日 なし
入場料 無料

アヤソフィア・ジャーミィ

アヤソフィア・ジャーミィ

イズニックの中心に建つアヤソフィア・ジャーミィは、元々は4世紀に建てられたバシリカ聖堂で、787年に行われた第2ニカイア公会議(第7回宗教会議)はここで行われました。

14世紀にモスクへと改修されますが、その後にオスマン帝国の建築家ミマール・スィナンが修復に携わったときに、イズニックタイルで装飾されたミフラーブが加えられました。現在内部には、モザイク画やフレスコ画がわずかながら残っています。

アヤソフィア・ジャーミィは1960年代から博物館として公開されていましたが、近年は改修を終え、2011年には再びモスクとして機能し始めました。

名称 アヤソフィア・ジャーミィ(Ayasofya Camii)
住所 Mahmut Çelebi, Kılıçaslan Cd. No:163, 16860 İznik/Bursa, トルコ
開館時間 9:00~17:00
休館日 なし
入場料 無料

城壁と門

城壁と門

イズニックの町を囲む城壁は、保存状態も良く重要な歴史的記念碑でもあります。現在残る城壁はビザンチン時代のもので、そのほとんどがハドリアヌス帝の時代に築かれたものです。

その後も8世紀頃まで繰り返し修復が行われ、赤レンガのみで構築された城壁もあれば、石の層の間にレンガの層を挟んだ城壁など、さまざまな姿の城壁を見ることができます。

この城壁には4つの門があり、町の南に「イェニシェヒル門(Yenişehir Kapı)」、東に「レフケ門(Lefke Kapı)」、北に「イスタンブール門(İstanbul Kapı)」、西に「ギョル門(Göl Kapı)」となっています。

なお、東のレフケ門と北のイスタンブール門には、3世紀頃にあったとされる戦争の様子を描いた3つのレリーフがあります。

イズニックはタイルの町としても有名!

イズニックタイル

イズニックタイルは、イスタンブールにあるブルーモスクやトプカプ宮殿など、世界遺産として残る数多くのモスクで使われており、オスマン帝国時代にはタイルの生産地としてその名を高めていました。

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イズニックタイルはオスマン帝国の建築において、なくてはならないないものであり、イズニックタイルは数々のモスクの壁を飾り、現在でも各地の博物館などで、その色鮮やかな模様を目にすることができます。イズニックタイルに描かれている鮮やかなブルーの草花や果物の絵は、世界中で高い評価を得ました。

その後、タイルの生産はキュタフヤに移ってしまいましたが、21世紀に入る頃から再び陶器工房が増えてきています。鮮やかなブルーが特徴のイズニックタイルは、イズニックの街中にある陶器屋などで購入可能なので、お土産にもおすすめです。

イズニックの町を散策していると、家の表札やお店の看板など、町のいたるところでタイルが使われているのを見かけます。色鮮やかなタイルを眺めながら、イズニックの町を散策するのも楽しいですよ!

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イズニックまでのアクセス

ニカイア公会議が行われた場所「イズニック(İznik)」は、イスタンブールから日帰りで行くことができます。まず、イスタンブールの「イェニカプ(Yenikapı)」港から高速船(IDO)で「ヤロワ(Yalova)」に行きます。イスタンブールからヤロワまでの所要時間は約90分です。

そして、ヤロワからはイズニック行きのドルムシュ(ミニバス)を利用し、所要時間は約1時間となります。イズニック⇔ヤロワ間のドルムシュは1時間に1便運行しています。

イスタンブールからのイズニック行きの直通バスも出ていますが、1日1便のみと少ないため、高速船とバスを乗り継いで行く方法が一般的です。

イズニックは見どころがたくさん!

イズニック

イズニックは単にニカイア公会議の開催場所というだけではありません。城壁や、神殿、劇場、公衆浴場が建設され、イズニックタイルで有名になった地名でもあります。ビザンチン時代に建設された城壁からは歴史的情緒が感じられるだけでなく、アヤソフィアや緑のモスクなど、見どころも満載!ぜひイスタンブールを訪れた際には、少し足を伸ばしてイズニックを訪れてみてはいかがでしょう?

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