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カマン・カレホユック遺跡とは?製鉄の歴史が塗り替えられた場所

更新日:2023.04.05

投稿日:2022.09.29

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カマン・カレホユック トルコ

カマン・カレホユック遺跡は、トルコを訪問する観光客にもほとんど知られていないため、ご存じの場合は立派なトルコ通です。しかし、現在も発掘が続けられているこの遺跡では、歴史が塗り替えられる大きな出来事がありました。

この記事では、日本の研究機関が中心となって発掘がされているカマン・カレホユック遺跡について紹介します。

カマン・カレホユック遺跡とは?

カマン・カレホユックはトルコ中央部のクルシェヒル県にある遺跡で、高さ16m、直径280mの丘状遺跡です。この遺跡は現在の発掘段階では、5000年前の青銅器時代からオスマン帝国時代まで、複数の時代にまたがって40を超える都市の層で構成されていることが分かっています。

遺跡の名前はトルコ語で、「カマンにある城の丘」を意味しています。遺跡の西3㎞にカマンの町があり、墳丘遺跡の形状から城塞を意味する「カレ」と丘を意味する「ホユック」が使われ、カマン・カレホユックの名前が付けられました。

1985年に予備調査が行われ、1986年以降、日本の中近東文化センターに付属するアナトリア考古学研究所によって発掘調査が行われています。遺丘の上から最下層部まで、少しずつ掘り進め遺跡を保護しながら記録を取る作業が現在も行われています。ツタンカーメンの黄金のマスクのようなお宝は出ていませんが、時代ごとにどのような文明や文化が存在していたのかを明らかにするために重要な遺跡です。 

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カマン・カレホユック遺跡の場所

カマン・カレホユック遺跡は、首都アンカラから南東に約100㎞の場所にあるカマンの町の郊外にあります。遺跡は、クルシェヒル県のチャウルカン村の中にあり、周囲に畑が広がっています。アンカラまではイスタンブールから国内線で約1時間、アンカラからカマンの町まで車で約1時間30分です。カマンから、カマン・カレホユック遺跡までは車で15分ほどです。

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カマン・カレホユックの歴史

カマン・カレホユック

カマン・カレホユック遺跡の発掘は、大村 幸弘氏率いる「中近東文化センター アナトリア考古学研究所」が実施しています。1985年に予備調査を行った後、1986年に三笠宮崇仁親王殿下による最初の鍬入れが行われ、以後学術発掘調査を継続しています。

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現在、発掘されているのは4層で紀元前3000年の青銅器時代初期までです。しかし、銅石器時代や新石器時代の遺物も出土しており、今後の発掘によってはさらに古い時代の新たな発見がある可能性があります。

  • 第一層:オスマン帝国時代 (15世紀~17世紀)……オスマン帝国時代と、10世紀に渡りアナトリアを支配下ビザンツ帝国時代、ローマ時代、アレクサンドロス大王のヘレニズム時代までがこの層に分類をされています。
  • 第二層:鉄器時代 (紀元前12世紀~紀元4世紀)……ヒッタイト時代の終わりから、フリュギア人がアナトリア地域にやってきてフリュギア王国を築いた時代までが第二層です。
  • 第三層:青銅器時代中期・後期 (紀元前20世紀~紀元前12世紀)……鉄器を使い最盛期にはメソポタミアを支配したヒッタイト帝国時代と、アッシリアの商業植民地時代が含まれています。
  • 第四層:青銅器時代初期 (紀元前30世紀~紀元前20世紀)……アナトリアに都市国家が成立した時代です。都市には宮殿が築かれ、都市間で交易が行われていました。

遺跡から出た驚きの出土品

カマン・カレホユック 鉄

2009年にカマン・カレホユック遺跡で、紀元前2100年~紀元前1950年ごろのものと考えられる鉄器が発見されました。この発見により今まで見つかっていた最古の鉄器の歴史を塗り替えることになり、驚きのニュースが世界中を駆け巡りました。

そして2017年には、紀元前2500年~紀元前2250年の層から、直径約3㎝の世界最古の鉄カス(製鉄の際に生み出されるもの)が発見されたのです。鉄はヒッタイト以前の層から出土しましたが、鉄鉱石を人工的に加熱したと推測されています。

また、この鉄カスを分析すると、カマン周辺で産出される鉄鉱石の成分ではなかったため、別の場所から持ち込まれた可能性が高いことが分かりました。しかし、鉄が生みだされた経緯は解明されておらず、解明されれば世界史の通説に一石を投じるでしょう。

カマン・カレホユック遺跡の発掘中に出土した鉄から、予期せずに製鉄の歴史が塗り替えられることになったということです。現在もカマン・カレホユック遺跡では、鉄製品が出土した層よりも下の層を掘り下げています。今後の発掘によってはさらに古い時代から製鉄が行われていたことが明らかになるかもしれません。

ちなみにトルコ南東部にあるギョベクリテペ遺跡には、今から1万2,000年前に建造された構造物が発見されており、最古の高度な文明が存在していたことが分かっています。今後も歴史が覆される発見は、トルコの遺跡から見つかるのでしょうか。

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製鉄の起源の通説

ヒッタイト帝国 ハットゥシャ

鉄の利用は紀元前15世紀頃のヒッタイト帝国時代に始まり、ヒッタイト帝国の繁栄は製鉄技術によって支えられていたと考えられていました。ヒッタイト帝国では製鉄技術は最重要機密とされていました。ヒッタイト帝国とは、アナトリア(現在のトルコ)に高度な文明を築いた古代民族ヒッタイト族によって作られた大国です。

ヒッタイト帝国は一時期、エジプト王国と同じくらいの巨大な勢力を持っていました。鉄はヒッタイト帝国の繁栄を支えたものの一つだったため、製鉄技術が他の国に広まらないように独占し、大国としての地位を維持していたのです。

また、ヒッタイト帝国の製鉄所とされたのがアラジャホユックの集落です。アラジャホユックの紀元前15世紀頃の地層から製鉄の痕跡が見つかったため、紀元前15世紀頃にヒッタイト帝国で製鉄が始まったというのが通説でした。しかし、カマン・カレホユック遺跡で見つかった製鉄の痕跡から、今までの通説よりも1000年以上前に製鉄が行われていたことが判明しています。

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日本の製鉄の歴史

ちなみに、日本の製鉄の歴史はどうだったのでしょうか。日本に鉄が入ってきたのは、3世紀頃の弥生時代後期です。中国から朝鮮半島に伝わって入ってきたとされています。初期の頃は日本では鉄を輸入し、加工して鉄器を作成するだけでした。

その後、日本で古くから独自の技術とされている「たたら製鉄技法」が生み出され、5世紀頃には本格的な製鉄が始まったと考えられています。たたら製鉄とは、粘土で作られた箱型の低い炉に、原料となる砂鉄、還元のための木炭を入れて送風し、鉄を取り出す技術のことです。

トルコで製鉄が始まったのは紀元前25世紀であるため、日本はトルコの3000年後に製鉄が始まったことになります。

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カマン・カレホユック遺跡の見どころ

カマン・カレホユック遺跡を訪れたらぜひ見学しておきたい見どころを紹介します。

カマン・カレホユック考古学博物館

カマン・カレホユック

カマン・カレホユック考古学博物館は、遺跡から1.5㎞ほど南にある博物館で、カマン・カレホユックや周辺の遺跡からの出土品が収蔵されています。この博物館は日本の政府開発援助によって建設されました。2008年に着工し、2009年3月末に完成しました。そして、エルトゥールル号の遭難事故から120年目の節目にあたる2010年より一般公開されています。

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博物館のオープニング式典では、3千人を超える人々が参加し、三笠宮寛仁親王殿下、彬子女王殿下もご臨席されました。博物館の外観は、丘状遺跡がモチーフとなっているユニークな形状となっています。なお、カマン・カレホユック考古学博物館の建築は日本の石本建築事務所が設計を手がけました。

カマン・カレホユック考古学博物館には、カマン・カレホユック遺跡から出土した遺物が第一層のオスマン帝国時代から時代をさかのぼるようにして展示されています。特に第二層の鉄器時代の出土品が展示の中心です。土器、青銅器、鉄器などの他にも、彫刻した水晶などを見ることができます。また、発掘の様子などをパネルで展示しています。博物館には展示室の他にも、図書館や修復室や収蔵庫があります。

名称 カマン・カレホユック考古学博物館(Kaman, Kalehoyuk Arkeoloji Muzesi)
住所 Bahçelievler, 40300 Çağırkan/Kaman/Kırşehir, Turkey
入場料金 10TL
ウェブサイト http://www.jiaa-kaman.org/jp/index.html

三笠宮記念庭園

カマン・カレホユック 三笠宮記念庭園

1993年にオープンした日本庭園です。庭園が造られた後に、隣に考古学博物館が建設されました。庭園には、古代オリエント史研究の第一人者であった三笠宮崇仁親王殿下の名が付けられています。21,620㎡の広さを持ち、海外にある日本庭園の中で最も大きい庭園の一つです。

錦鯉が泳いでいる池を中心とした回遊式庭園には、ソメイヨシノやモミジが植えられており四季を感じらえます。この場所は、地元の人やトルコの人たちの観光名所兼憩いの場となっており、結婚式シーズンには多くのトルコ人カップルがウェディング写真を撮る光景が見られます。

カマンの町

胡桃

遺跡から3㎞の場所にあるのがカマンの町です。人口約3万人の小さな町で、絨毯やレンガ造りが盛んに行われています。また、この街はクルミの産地として有名です。トルコ国内で流通しているクルミのほとんどはカマン産と言われています。1991年から開催されているクルミフェスティバルでは、普段静かな町が盛り上がりを見せます。

この祭りはクルミの収穫時期の10月の第1土曜日と日曜日に行われます。街ではクルミを売る店が多くあるため、お土産にクルミを買ってみてはいかがでしょうか。

アナトリア考古学研究所の紹介

カマン・カレホユック

アナトリア考古学研究所は、東京・三鷹市にある中近東文化センターの付属機関として1985年に設立されました。1986年からカマン・カレホユック遺跡を中心に周辺の遺跡の発掘調査を行っています。カマン・カレホユック遺跡では、2019年に第34次発掘調査が行われました。

現地ではプレハブ小屋で研究や修復が行われていましたが、三笠宮崇仁親王殿下と寛仁親王殿下のご尽力を受けて考古学博物館と同じ敷地に2005年に研究棟が完成しました。また、寛仁親王殿下は、アナトリア考古学研究所建設募金委員会委員長としての指揮を執られました。そして、日本全国から寄付が集まり、研究所の建設が始められたのです。

2005年9月に研究棟が、2007年9月には会議と図書館等がそれぞれ完成しました。研究所の主な事業として考古学的調査研究、文化遺産の保存修復、考古学・歴史学・文化財の還元等が行われています。アナトリア考古学研究所の所長を務める大村幸弘氏は1986年からカマン・カレホユック遺跡の発掘を手がけ、調査隊長として世界最古の鋼などを発見してきたそうです。その後は、『鉄を生みだした帝国』や『アナトリア発掘記』など、トルコの発掘に関する著書を多数出しています。

なお、この場所は遺跡発掘の拠点としての役割だけでなく、トルコ国内や他の国から来た発掘に参加する学生たちの育成機関にもなっています。また、貴重な文化遺産を後世に引き継いでいくために地元の子どもたちへの教育を積極的に行っているのです。

アナトリア考古学研究所の母体である中近東文化センターとは?

東京都三鷹市にある中近東文化センターは、アナトリア考古学研究所の母体とされている施設です。中近東の歴史的文化を専門的に研究し公開する施設として、昭和54(1979)に年開館しました。中近東とは、エジプトやトルコ、イランなどの地中海と黒海に挟まれた国々のことです。以前は専門家向けの展示でしたが、現在は一般向けの展示を行っています

時代の流れにあわせてそれぞれの国ごとにあわせて作り出されたガラスや登記、装飾具などが展示室で見られます。文字についての展示ゾーンでは、複数の資料が展示されています。また、春と秋には企画展、夏には子ども向けの展示が行われています。

施設の増改築工事を平成元(1989)年に行っており、地上2階、地下3階、展示室・図書室・大ホール・研究室などで構成されています。延床面積は7,022平方メートルです。

名称 中近東文化センター
住所 東京都三鷹市大沢3-10-31
入場料金 一般:1,000円
高・大生:500円
65歳以上:500円
中学生以下:無料
開館時間 10:00~16:00(最終入館時間は15:00)

カマン・カレホユック遺跡調査に貢献された三笠宮崇仁殿下

カマン・カレホユック遺跡調査に大きく貢献された三笠宮崇仁殿下は、大正天皇の第四皇子として1915年のお生まれで、三笠宮家の初代当主です。戦後に東京大学文学部研究生として「古代オリエント史」を専攻され、1975年には中近東文化センターの総裁となられました。

古代オリエント史の歴史学者として、1991年に日本トルコ協会の名誉総裁に就任された後は代々三笠宮家で引き継がれています。現在は孫にあたる三笠宮彬子女王が総裁として就任されています。

三笠宮崇仁親王殿下は、1986年にカマン・カレホユック遺跡に最初の鍬入れをされてからというもの、歴代の三笠宮家はカマン・カレホユック遺跡における考古学発掘調査やアナトリア考古学研究所の設立に尽力されています。以来、トルコの考古学史上に大変大きく貢献され、考古学に多大な成果をあげられました。

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カマン・カレホユック遺跡を訪れて古代アナトリア文明を探ろう

カマン・カレホユック

カマン・カレホユック遺跡では、1985年から現在も日本の機関によって発掘作業が続けられています。世界最古の鉄器が発見された場所として、2009年には世界中のニュースとして注目されました。ヒッタイト以前の層からは鉄の塊も出土されるなど、古代文明に対する理解を深めたい方にとって興味深い話が多いのではないでしょうか。

トルコの首都アンカラから約100kmの位置にあるカマン・カレホユック遺跡。トルコ旅行の際はぜひ立ち寄ってみてください。

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