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プリエネ遺跡は整然とした町並み残るトルコの古代都市遺跡

更新日:2023.04.05

投稿日:2022.11.15

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プリエネ アテナ神殿

トルコの有名観光地エフェソスの近郊には、「プリエネ(Priene)」という名の古代都市の遺跡があります。プリエネはイオニア人が築いた古代都市として、イオニア同盟に含まれる12都市のひとつでもあったことから、歴史的に重要な役割を果たしていました。

また、「私の財産は私の頭脳である」等の名言を残した、古代ギリシャ七賢人の1人であるビアスの生誕地としても知られています。

プリエネ遺跡はあまり知られていない遺跡ですが、実はみどころ豊富な穴場スポットです。そんなプリエネ遺跡について紹介します。

プリエネの歴史

プリエネ トルコ

険しいミュカレ山を背景に、平らな高原にプリエネは位置していますが、このプリエネの地には、紀元前11世紀にイオニア人が最初に定住したとされています。

プリエネはイオニア同盟にも含まれる12都市のひとつで、その中でも最も影響力を持つ都市でもありました。その象徴として「パンイオニア祭」と呼ばれる祭りが、ミュカレ山の北の山腹のパンイオニウムと呼ばれる聖域(ポセイドンを祀っている)で盛大に行われていたと言います。

その後、町は紀元前5世紀初期にペルシャ人に破壊されてしまいましたが、その後アテネの援助でプリエネは再建され、紀元前4世紀にはイオニア人によってメンデレス川(ビュユックメンデレス川)の河口に築かれた、エーゲ海に面する港湾都市となりました。

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しかし、港町として重要な役割を果たしていた中、度重なる河川の氾濫に悩まされ、4世紀半ばにメンデレス川の河口から13km上流の内陸部、現在の場所に町が移され、都市づくりが行われました。

町はアテネを基本として作られ、背後の岩山の斜面を利用し、山頂はアクロポリスとして神殿などが建てられました。この時、町には4,000~5,000人もの住民がいたと言われています。現在プリエネの地で見られる遺跡は、この時代のものとなります。

プリエネはやがて、ペルガモン王国、次いでローマ帝国の支配を受け、ローマとビザンチンの支配下で繁栄していきますが、13世紀後半にはイスラム教徒の手に渡り、現在は長閑な田舎町となっています。

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イオニア人とは?

イオニア人とは古代ギリシャ民族の一分派で、紀元前2000年頃にバルカン半島を南下し、ギリシャ中部やアナトリア半島(現トルコ)北西部に定住したとされるアカイア人の一部です。イオニア人が定住した地域はイオニア地方とも呼ばれていました。

プリエネ遺跡の見どころポイント!

プリエネ遺跡 トルコ

プリエネには、神殿や劇場などの遺跡がありますが、その他に古代の都市計画の最古の例として知られる碁盤の目のような整然とした町並みが有名で、東西に6本、南北に15本の道路が碁盤の目のように交差しています。

またこの古代都市には、議事堂などのある政治地区、劇場などがある文化地区、アゴラのある商業地区、そしてゼウスに捧げられた聖域を含む宗教地区と、4つの地区が配置されていました。

プリエネ遺跡は19世紀末に発見されましたが、プリエネが衰退してから背後にそびえる岩山の土砂が崩れ、その土が遺跡を覆っていたため、東西南北にきれいに並んだ道路や、神殿、劇場、民家跡などが、当時のままの姿を現しました。2018年にはユネスコ世界遺産の暫定リストに追加されています。

Archaeological Site of Priene – UNESCO World Heritage Centre

プリエネ遺跡は周囲2,5kmほどと小さな遺跡なので、1時間もあれば一通りを見て回ることができます。その中で見どころポイントを紹介します。

基盤の目のような町並み

プリエネの古代都市では基盤の目のように作られた町並みが特に有名です。メインストリートは平行に、サイドストリートは直角に交差するように作られました。下水道設備も整えられており、水は必要な分が供給され、使用した分を支払うといった現代のような方法が取られていたそうです。

アテネ神殿

プリエネ遺跡 トルコ

ハリカルナッソスの建築家ピュティオスによる建築物であるこのアテネ神殿の遺跡は必見です。建築家ピュティオスとは、紀元前4世紀に半ば頃に活動していた建築家で、世界七不思議のひとつとしても知られる「ハリカルナッソスのマウソロス霊廟」を設計した人物です。

アテネ神殿は、紀元前4世紀にこの地方を訪れたアレキサンダー大王によって寄贈された神殿になります。

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現在は5本の列柱を残すのみとなっていますが、アテネ神殿は小アジアにおいてイオニア建築を代表するもので、5本の柱にはイオニア式の特徴がよく表れています。実はこの5本の柱は、1965年から1966年に瓦礫から建てられましたが、計算された元の柱の高さより3m短くなっています。

また、神殿には7mもの高さのアテネ像もあったとされ、アテネ像の破片もいくつか見つかっています。

デメテルの神殿

アクロポリスの低い斜面には、デメテルの神殿があります。「デメテル」とは、ギリシャ神話に登場する豊穣の女神です。この神殿はプリエネの町の中で最も古い神殿のひとつで、内部の壁には願掛けの奉納物を置くための石の台が高い位置に設けられていました。そして神殿を出た南側には、生贄にした動物の血を流し込んだとされる窪みも残っています。

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ギリシャ劇場

プリエネ遺跡

このギリシャ劇場はギリシャ式の半円形の形をしている劇場で、プリエネ遺跡の中でも最も立派な建造物のひとつです。保存状態も良い方で、身分の高い人が使ったという肘掛け椅子などもそのままの形で残っています。

客席は50段あり、5,000人も観客が収容可能でした。劇場に水時計 (クレプシドラ)もあったことから、政治的な集会にも利用されていたと考えられています。

初期の劇場は紀元前4世紀頃に建設され、その後2世紀頃まで修復が繰り返されていました。かなりの損傷はありますが、半円形の客席が分かる姿は当時の姿を留めているともいえます。

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アゴラ

アゴラとは、古代ギリシャ都市の中心広場として不可欠な場所を指しますが、もちろんプリエネにもアゴラがあります。アゴラは町の中心にあり、どの方角から来ても必ず目に入ります。現在は、大理石やブロンズ像が置かれてあった円形や四角形の台座だけが残っていますが、かつてアゴラの中央には、ヘルメス(古代ギリシャ神話に登場する青年神)を祀る像が建っていました。

アゴラの西側には、オリンポス山に住むゼウスのテメノス(神殿の内陣)跡もあります。

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アレキサンダー大王の神殿

紀元前334年、アレキサンダー大王はミトレス包囲攻撃の途中でプリエネに立ち寄り、この神殿に滞在したと言われています。その後、この神殿にはアレキサンダー大王が祀られるようになりました。

それが分かるように、アレキサンダー大王の大理石の像がこの場所で発見されました。

プリエネ遺跡

ブレウテリオン(議事堂)

プリエネにあるプレウテリオン(議事堂)は、数ある古代遺跡のプレウテリオンの中でも保存状態の良い建物のひとつです。ほぼ正方形に近い、20m×21mの寸法となっています。総座席数は640名で、議席の中央には大理石の祭壇があり、祭壇の四方すべてに月佳樹の枝の花輪を運ぶブクラニオンがありました。

このプレウテリオンは紀元前2世紀に建てられました。

プリタニオン(市庁舎)

プレウテリオンにすぐ隣接してプリタニオン(市庁舎)があります。プリタニオンは行政機能が置かれた場所で、市庁舎のような役割を果たしていました。また、食事や宿泊等のサービスも提供されており、他市民や外国使節団のための宿泊施設も整えられていました。

そして、プリタニオンの建物内には町の聖火が灯され続けていたのですが、結婚したカップルがここで聖火の火をもらい、消えないように注意しながら家まで火を持ち帰るというのが習慣だったそうです。

ビザンチン様式の教会

アゴラのすぐ北には、紀元前2世紀に建てられた教会があります。ここにある碑文によると、この教会の柱廊はカッパドキアの第6王によって建てられました。そしてこの碑文とともに、紀元前130年に寄託されました。

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アゴラから教会まで6段の階段があります。また、柱廊の全面には49個のドーリア式の柱があり、内側には24個のイオニア式の柱があります。屋根はおそらく木造で、柱廊の後ろには15の部屋があったとされています。そして、部屋の壁に刻まれた碑文から、ユリウス暦(ローマの英雄カエサルによって紀元前45年から導入された太陽暦)が使われていたということもここから判明しました。

プリエネ遺跡までのアクセス

プリエネ トルコ

プリエネはトルコ南西部、エーゲ海から近い場所にあります。最寄りの空港は「イズミル(İzmil)」です。

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プリエネ遺跡観光の起点はクシャダスの南にある「ソケ(Söke)」という町になり、ソケの町からプリエネ遺跡までは約20kmの距離となっています。

ソケのオトガル(バスターミナル)の近郊バス乗り場から、「ギュッリュバフチェ・ベレディエスィ(Güllübançe Belediyesi)」と書いてあるバスに乗って、「プリエネ(Priene)」下車です。

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プリエネ遺跡|観光情報

名称 プリエネ遺跡(Priene)
営業時間 8:00~19:00(冬期は8:30~16:45)
定休日 なし
入場料 6TL

プリエネは古代ギリシャ七賢人「ビアス」の生誕の地

プリエネのビアス

古代ギリシャの七賢人の中に、このプリエネの地で生まれた「ビアス(バイアス)」という人物がいました。

古代ギリシャ七賢人とは、紀元前620年から紀元前550年に実在し賢いと呼ばれていた7人の古代ギリシャの人物たちです。7人の中には最初の哲学者として有名な、ミトレスの哲学者タレスも含まれています。ミトレスのタレスはギザのピラミッドの高さを、比率を使って求めたとして知られている人物です。

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七賢人の1人であったビアスは修辞的なスキルに長け、強い正義感で広く知られている詩人、哲学者、そして政治家でした。また、“誰よりも思いやりのある人”と言われており、誠実な人物として有名でした。この地で誕生したことから、「プリオネのビアス」とも呼ばれています。

そんなビアスの誠実さが分かるこんな逸話が残されています。

ビアスが心身共に衰えた高齢の時、法廷における弁護演説を依頼されます。ビアスはそれを快く引き受けました。そして裁判官がビアスの依頼人に有利な判決を下すと、ビアスは孫の胸の中で息を引き取りました。

ビアスは生涯を閉じる直前まで、人のために動いていた人物だったのです。

また、ビアスはイオニアの繁栄を考えて、約2000もの言葉を残したとされています。その中でも代表的な言葉が次のとおりです。

  • 「すべての人は邪悪です」
  • 「壮大さで運命の変化に耐えることは難しい」
  • 「速く話さないでください。それは愚かさを示しています」
  • 「慎重さを愛しなさい」
  • 「神々のことをそのまま語りなさい」
  • 「彼の富のためにふさわしくない人を称賛しないでください」
  • 「物事を受け入れ、力ではなく説得によってあなたの主張を獲得してください」
  • 「若者から老後への旅の手段としての知恵を大切にしなさい。それは他のどの所有物よりも長続きするからです」

これはビアスが残した言葉の中のほんの一部ですが、ビアスは不幸や困難、苦境を諦めずに耐え忍び、乗り越えることの重要性を言葉に残していたのでした。

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