スーフィズムをわかりやすく解説!イスラム教との関係や歴史について
更新日:2023.04.05
投稿日:2022.08.30
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イスラム教の中でも、神との一体感を追求する思想が「イスラーム神秘主義(スーフィズム)」です。「セマー」「メヴラーナ」「ダルヴィーシュ」という単語を耳にしたことがある人もいるのではないでしょうか。スーフィズムはイスラームの精神を追求する哲学でもあります。この記事では、そんな神秘に富んだスーフィズムに関して、意味、歴史、文化などを詳しく解説します。
Contents
「スーフィズム」とは? イスラム教とは何が違う?
「スーフィズム(Sufism)」とは、日本語で「イスラーム神秘主義」のことです。スーフィズムという言葉は“イスラーム神秘主義者”を意味する「スーフィー」に、英語で“主義”を意味する「イズム」が付けられた言葉で、トルコ語やペルシャ語では「タサッウフ(tasavvuf)」とも言われています。
キリスト教、仏教、ヒンズー教、ユダヤ教などほとんどの宗教でも存在する神秘主義。神秘主義とは、自己の精神を通して絶対的な神に到達する思想ですが、イスラム教における神秘主義は「スーフィズム」となります。
スーフィズムはイスラームの原理に帰依した禁欲的理念を持ち、音楽・踊り・神の名の復唱などで精神を高めて、神アッラーとの一体感の境地を目指す思想です。7~8世紀頃にイスラーム法学者による知識・規則を重視する傾向や、イスラームの世俗化、権威主義を受け入れられず、多数派の法学に反発して誕生した思想と言われています。
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また、スーフィズムはイスラームを基本としていますが、シーア派やスンナ派のような宗派ではありません。真理を求めて信仰の実践を形態化したものの一つで、イスラームの精神の真髄とも言えます。加えると、イスラームにとどまらず、宗教を越えた思想・哲学でもあるのです。
スーフィズムの特徴
- 禁欲、苦行、清貧の生活を重視
- 宗派ではなく信仰実践形態のひとつ
- 教義、規則ではなく精神的を高めて真理を探究し神と一体化
- 自我から脱した神への愛
スーフィーの敬称と呼び方
同じスーフィーでも、以下のように違った呼び方があります。ちなみに、スーフィーは男性だけでなく、女性もいました。
長老格で高位の指導者 | シャイフ(長老) ピール(長老) ミュルシド(指導者) |
---|---|
一般の修道者 | ダルヴィーシュ(清貧者) ファキール(清貧者) ミュリード(弟子) |
スーフィズムの4つの段階
スーフィズムには、アッラーと一体化するまでの道に、以下のように4つの門(階級)があるとされています。
呼び名 | 意味 | |
---|---|---|
1番目の門 | シャーリア(法律) | アッラーへの旅 |
2番目の門 | タリーカ(道・精神的指針) | アッラーとの歩み |
3番目の門 | マーリファ(霊地、真の神=本質の認識・知識) | アッラーの中への旅、アッラーの中への消滅 |
4番目の門 | ハキ―カ(真理) | アッラーからの旅、合一後の離脱 |
加えて、この四つの門の間には実行しなければならない10ずつの条件(階)が設けられています。
イスラーム神秘主義を実行する信者「スーフィー」
イスラーム神秘主義を実行する信者のことを「スーフィー」と言います。当初、信者たちが羊毛製の白くて長い粗衣を着ていたため、アラビア語で“羊毛”を意味する「スーフ(sûf)」の語を由来としたスーフィーと言われるようになりました。
スーフィーとは、“主のためにあらゆる種の結びつきと困惑から切り離され、アッラー以外を崇拝せず、アッラー以外の命令を放棄し、真理の逆に向かう心・魂を浄化し、純正によって真理を信仰する者”です。つまり、禁欲的で肉体を酷使した修行を行うことで、神と一体となることを目的としています。
スーフィーは禁欲主義の世捨て人
スーフィーは、「ダルヴィーシュ(Darvish)」や「ファーキル(Fakir)」とも言います。これらは“清貧”を意味し、言葉の通り、彼らは禁欲主義で世捨て人のような喜捨と施しで生計を立てていました。貧しい生活をしながらも、イスラームの教えを伝道するイスラーム神秘主義の修行者でした。
イスラーム神秘主義(スーフィズム)の歴史
スーフィズムはどのようにして誕生したのでしょうか?ここではスーフィズムの誕生から発展までの歴史を紹介します。
スーフィズムの誕生と成立
預言者ムハンマド(570~637年)が創始したイスラム教は、7世紀に急速に拡大し豊かになっていきました。それと同時にイスラーム国家の指導者たちは、個人主義的な利益のために世俗化していき、知識人ウラマーによりスンニ派の律法や形式を重視したイスラームの法学が形成されていきました。
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このようなイスラームの世俗化を受けいれられず、反発した一部のムスリムたちは国家との関係を絶ち、8~9世紀頃には禁欲主義と内面から真の神への愛を追求するスーフィーとなったのです。
ちなみに、このスーフィーたちは自分たちが神秘主義になろうと思い、この思想になったわけではありません。かれらの信仰や思想の実践の結果が後にスーフィズムとしてカテゴライズされたのです。
スーフィズムの発展
スーフィズムは、8世紀にイラクあたりの中東で、アブー・ハーシムという人物が始めたとされています。スーフィーの由来は、禁欲主義の彼が羊毛(スーフ)の長い服を着ていたことから、スーフィーと呼ばれるようになったようです。
また、彼はダマスカスに初めて自身の名を付けた修道場を設立しました。その後、660~850年頃にスーフィーの教団(共同体)が誕生し始め、スーフィズムは組織化し大衆化していきました。
850年~10世紀まで、ギリシャの哲学と科学がイスラム教徒の間で重要視されると、イスラム教内では合理主義の追い風に直面しました。人々は自分たちの信仰が根底から揺るがされるのではないかと考え、これに対処するために、スーフィーの長老たちは「神への愛の原則」と「心が精神状態を通して達する境地」の重要性を強調するようになりました。
スーフィーの公認化
10~12世紀、イスラーム法を順守した体制派の法学者ウラマーと、法よりも神との一体化を重視したスーフィーは、一時険悪となります。
しかし、イスラーム哲学とスーフィーの大家であるガザ―リーという人物が、スーフィーの思想においても、イスラーム法の順守の重要性があることを説いて、両者を和解させたことで、スーフィーは公に活動することができるようになりました。
ガザ―リーなどの有名な学者や指導者たちは、この時代にスーフィーの実践と定義を明確にし、スーフィズムは巷で非常に尊敬される教育分野となりました。そして、組織化されていくつかのタリーカ(教団)が設立され、大衆化していったのです。
スーフィズムの修行とは?
スーフィズムにおいて大事な実践は、瞑想、音楽、舞踊などにより肉体を酷使して、陶酔・忘我し、精神を神へと向ける修行を行うことです。教団によって自分たち独自の修行方法が生み出されたため、それぞれの教団によって修行の形態は違います。以下は、中でも代表的な修行の形態です。
ズィクル | アッラーの名を復唱・連唱。独特な呼吸法などがあり、頭や体を揺らしながら一心不乱に行います。 |
---|---|
セマー(サマーウ) | 歌舞音曲、旋回舞踊。 |
ムラカバ | 瞑想し心の中でズィクル(アッラーを復唱)を行います。 |
なお、スーフィズムでは師弟関係があり、指導者が修道者に教えを施すのが伝統です。
スーフィズムの教団「タリーカ」
スーフィーの中でアッラーと一体化の境地に到達した人は、尊敬されて聖人と見なされ、彼らを中心に修行者が集まり、スーフィーの精神的教団体である教団が形成されました。
この教団をアラビア語で“道/修行法”を意味する「タリーカ」と言います。なお、教団の中心となる修道場は「テッケ/テキーイェ」と呼ばれています。
ここでは、12~19世紀にかけて多く設立されたスーフィズムの代表的な教団について紹介します。
ちなみに、スーフィズムでは、スーフィーの聖人も崇拝の対象になっていることから、聖人の霊廟を巡礼することも一つの業となっています。
メヴレヴィー教団(トルコ、バルカン半島など)
メヴレヴィー教団は、スーフィズムの教団の中で最も有名な教団です。13世紀にジャラール・ウッディーン・ルーミー(通称メヴラーナ)の死後に、彼の思想を元に教団が設立されました。
特に、「セマー」と呼ばれる旋回舞踊で有名です。メヴレヴィー教団は歴史が古く、オスマン帝国のスルタンの中にも信仰する者がいました。
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ベクタシュ教団(トルコ、ブルガリア、ギリシャ、アルバニアなどのバルカン半島)
ベクタシュ教団は、13世紀のアナトリアにてハジュ・ベクタシュが創設したシーア派寄りのスーフィズム教団です。オスマン帝国時代にインテリ層にまで普及し、特にイエニチェリと繋がりがありました。本拠地はカッパドキアの北にあるハジュ・ベクタシュ村です。
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カーディリー教団(バグダッド)
カーディリー教団は、12世紀前半にアブド・アルカーディル・アルジーラーニーが創始したスンニ派のスーフィー教団です。最初の神秘主義教団とも言われており、オスマン帝国の拡大とともに、欧州やインドにも普及しました。大きな声でズィクルを実践することで有名です。
ヤサヴィー教団(カザフスタン)
ヤサヴィー教団は、ホージャ・アフマド・ヤサヴィーが創始した早期スーフィズム教団で、初めてのトルコ語による教団でもあります。トルコ語話者の世界で普及し、シルクロードを渡りカシミール地方にも広がりました。
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ナクシュバンディー教団(ブハラ)
ナクシュバンディー教団は、14世紀にバハー・ウッディーン・ナクシュバンドが創設したスンニ派のスーフィー教団です。独特な呼吸法と共に、無声で神の名を唱え続ける修行が特徴的です。
リファーイー教団(イラク、中近東、エジプトなど)
リファーイー教団は、12世紀中頃にアフマド・アル・リファーイーが創始し、イラクの湿地帯で発展した教団。身体を傷つける荒行・苦行で有名です。
サファヴィー教団(イラン)
サファヴィー教団は、13世紀末にサフィー・ウッディーンが起こした教団で、14~16世紀にイランを中心に政治的勢力を持ち、教団にとどまらずサファヴィー王朝を建設しました。
旋舞教団「メヴレヴィー教団」
スーフィズムの中でも世界的に有名なのが、メヴレヴィー教団です。日本では旋舞教団とも言われ、白いスカートを履いてクルクル旋回する旋舞修行が特徴的!
13世紀に活躍したペルシャ出身のジャラール・ウッディーン・ルーミーの思想や教えに基づき、彼が1273年12月17日に亡くなった後に、息子スルタン・ワラドが創始したスーフィー教団です。
ここでは、世界的に有名なメヴレヴィー教団について、教えや作法、修行の内容などを紹介します。
思想の基となった「ジャラール・ウッディーン・ルーミー」という人物とは?
ジャラール・ウッディーン・ルーミーは、ペルシャ語文学最大の神秘主義詩人・思想家で、聖人化したスーフィーでした。
ルーミーは、ビザンツ帝国の地(アナトリア)を意味し、彼が40年間中央アナトリアのコンヤに住んでいたことから、ルーミーの呼称が付けられています。
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また、有名な“我らが導師”を意味するアラビア語「マウラーナ」のトルコ語「メヴラーナ」の尊称でも有名です。
メヴレヴィー教団は、美や誠実さへ導き、諦めることがなく、後悔と許しがある人間志向で友愛を重視した寛容な思想をもっています。
メヴラーナ 7つの教え
メヴラーナは現在の私たちの心にも染み入る有名な7つの教えを説いています。
- 恵みと救いは流水の如く
- 温情と慈悲は太陽の如く
- 他人の欠点を覆うのは夜の如く
- 怒りと苛立ちは死の如く
- 謙遜と謙虚さは土の如く
- 寛容さは海の如く
- あるがままに見せるか、見かけのままでいなさい
メヴレヴィー教団の作法
メヴレヴィー教団にはしっかりとした作法と規則が決められています。少しだけその例をご紹介しましょう。
- 食事をする際は、最初にスプーンに口づけをしてからでなければなりません。
- 一皿の料理を数人で一緒に食べる場合、スプーンの片側で料理をすくい、反対側から食べなければなりません。これは、口が付いた方のスプーンが料理につかないようにするためです。
- チョッキを着る際には口づけをしてから着なくてはなりません。
- スーフィーの基本である物質的・精神的に清貧を現す羊毛製の服を着なければなりません。
- 何かを書く際にトルコ語は使用しないことが伝統となっています。
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メヴレヴィー教団への入門と1001日の修行
メヴレヴィー教団へは希望者が誰でも入門できますが、すぐにメヴレヴィー教団のスーフィーになれるわけではありません。小部屋で隔離され、18の雑用、教養、修行を1001日間行い、苦行を達成した者のみ、儀礼用のマントと帽子が与えられます。修行を達成した者は、指導者の資格と小部屋を持つスーフィーである「デデ」となれます。
世界遺産!旋回舞踊「セマー」で真の境地へ
メヴラーナによると、星や地球など万物は回転しているという思想から、自らも回転することで万物と一体化し、神との合一の境地に達することができるとされています。
それが、あの旋回舞踊「セマー」なのです。 この旋回舞踊セマーを実践する人たちを「セマーゼン」と言います。
「セマー」は、瞑想、音楽、詩に旋回が組み合わさった礼拝儀式です。ちなみに、セマーゼンとなるには最低5カ月の修行が必要となります。練習用の板に打たれた杭に左足の親指と人差し指をかけ、滑り止めの塩を使って旋回を習得するのが習わしです。
約800年の歴史を持つ旋回舞踊セマーは、2008年に「メヴレヴィー教団のセマーの儀式」という名で、ユネスコの無形文化遺産に登録されました。
セマーの行い方
- 最初は、手が反対の肩につくように腕を胸の前でクロスさせます。これはアラビア文字の第一番目の文字、即ち“アッラー”の頭文字を表しています。
- ゆっくり回り始めながら両手を広げます。これは“ラー・イラーハ・イッラッラー(アッラーのほかに神は無し)”の最初の“ラー”のアラビア語文字を表しています。
- 両手をゆっくり上に上げます。右手の平は神の恩恵を受ける為に天=上に向け、左の手の平は神からの恵みを皆に分配する為に地=下へ向けます。
- 左足を軸に右足で円を書くように時計と反対周り(左回り)に1回で一周360度回ります。心臓の方向へ回ることで、心から宇宙を抱きかかえることを意味します。これは、聖地カーバ神殿での巡礼の回る方向と同じです。
- 頭は右に20~25度傾け、目は半目で左手の親指を見ます。地軸と同じ角度に頭を傾け一点を見ることで目が回らないのです。
- 神の息を象徴する“ネイ”と言う縦笛の旋律に会わせながら回転することで、万物と一体化します。
セマーが行われる場所「セマーハーネ」は、円形で宇宙を象徴しているため、中心地は土足で踏んではいけません。
また、セマーゼンの導師が座っている場所の赤色は、太陽が沈む赤色(=「物質世界からの消滅、太陽が昇る赤色」=「精神世界への誕生」)を象徴していることから、アッラーと出会える場所を意味しています。
ちなみに、メヴレヴィー教団に新しく入信した者は“根源、神の唯一性”を象徴する全ての色が含まれる黒色の座にしか座ることができませんが、教えを学び成長すると、白色の座に座ることが許されます。
セマーゼンの服装と意味
帽子「シッケ(Sikke)」
セマーゼンが被っている茶色いフェルトの帽子をシッケと言います。シッケは45~50cmの長さがあり、上部が少し窄まったバケツを反対にしたような形です。この独特な形は墓標・墓石を意味しており、耳まで隠すことで何も聞かずに神への旅を始めたことを表しています。
白い長い衣「テンヌレ(Tennure)」
袖や襟がなく、裾が広がった白い長衣をテンヌレと言います。白く長い衣は死体に巻く白い布に似ていることから死を象徴し、“死ぬ前に死に、あなたの元へ来ました。我が神よ”という思いを表しています。
ジャケット「デステギュル(destegül)」
セマーゼンが羽織っているボタンがない長そでの白いジャケットをデステギュルと言います。
指四本幅の黒い帯「エリフィ・ネメド(Elifi nemed)」
黒い帯は、アッラーの頭文字でアラビア文字の第一番目の文字であるアリフを意味し、唯一性を表しています。この帯は右から左へ巻かなくてはなりません。
黒くて長い羽織「フルカ(Hırka)」
前身をすっぽり隠す黒い羽織りは魂を象徴し、このフルカをセマーの前に脱ぐことで、新しく誕生することを意味しています。
メヴレヴィー教団の現在
ムスタファ・ケマル・アタテュルクがトルコ共和国を建国した1923年から、宗教改革による脱イスラーム政策化の中で、1925年にメヴレヴィー教団を含むすべてのスーフィー教団の修道場が解体させられました。
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教団が解体されても、トルコ人とイスラームの文化にとって、メヴラーナの教えや価値は忘れられることなく受け継がれました。そのため、メヴレヴィー教団の総本山であるコンヤのメヴラーナ廟は、1926年よりメヴラーナ博物館として公開されています。
なお、現在セマーは、観光客向けのショーという名目でのみ実施が許されています。こうしてコンヤを始め、イスタンブールやカッパドキアなどで現在でもセマーを見ることができますが、これはスーフィー教団の儀式としてではなく、あくまでもエンターテイメントとしてのショーであり、本当にスーフィーが行っているわけではありません。
メヴレヴィー教団発祥地「コンヤ」の見どころ
メヴラーナが40年過ごし、息を引き取った地であるトルコのコンヤは、アナトリアでのスーフィズムの中心地でした。メヴレヴィー教団は、メヴラーナの死後にコンヤで創設されました。
コンヤではメヴラーナの命日12月17日を記念して、毎年12月7日~17日までの10日間を「メヴラーナ週間」として盛大に催し物が行われ、世界中から信者が訪れます。特に最終日の17日は、メヴラーナが亡くなりアッラーと出会った日とされるため、旋舞セマーが最高潮に達します。
ここでは、そんなメヴレヴィー教団の発祥地であるコンヤの見どころを紹介します。
メヴラーナ博物館
メヴラーナの霊廟があり、メヴレヴィー教団の総本山の修道場でもあった場所が、1926年より一般公開されている「メヴラーナ博物館」です。
「メヴラーナ廟」の名でも呼ばれていますが、霊廟だけでなく、修道場、モスク、修行者宿舎などが含まれた約6500㎡の複合建物で、全敷地18,000㎡と広大な施設となっています。
もともとはセルジューク朝の宮殿内のバラ庭園であった場所を、時のスルタンがメヴラーナの父へプレゼントし、その後メヴラーナが死去すると1274年に敷地内に霊廟が建てられました。
その後、16世紀にオスマン帝国の皇帝スレイマン1世などのスルタンによって、メヴレヴィー教団の施設が増設されました。
メヴラーナ博物館の内部
博物館は、主に霊廟と教団施設の二つに分けられます。「緑の霊廟」の別名を持つメヴラーナの霊廟は、綺麗なターコイズ色のタイルでできた尖がり帽子のような屋根がついた建物です。
入り口には「来なさい、来なさい、あなたがどのような人でも来るのです。あなたが無神論者でも偶像崇拝者でも、拝火教信者でも構わないから来るのです。私たちの修行場は希望のない修行場ではありません」というメヴラーナの教えとして有名な言葉が掲げられています。
メヴラーナの教えの効果かはわかりませんが、実際現在まで世界中から信者だけでなく多くの観光客が絶え間なく訪れる観光スポットとなっています。
以前までは入場料が必要だったのですが、その時期においてトルコ国内で2番目(1番はトプカプ宮殿)に入場料を得ていた、訪問者数の多い博物館となっていました(現在は無料のため、正しい訪問者数の統計がとれていません)。
教団施設では、メヴレヴィー教団の修行場やセマー儀式の場、厨房、修行者の小部屋など、メヴレヴィー教団の風景が展示されています。
名称 | メヴラーナ博物館(Mevlâna Müzesi) |
---|---|
住所 | Aziziye Mah. Müze Alanı Caddesi No:1, Karatay/Konya-Turkey |
定休日 | なし |
開館時間 | 夏季(4~10月):09:00~19:00 冬季(11~3月):09:00~17:00 |
WEBサイト(トルコ博物館局内ページ) | https://muze.gov.tr/muze-detay?DistId=MEV&SectionId=MEV01 |
注意 | 霊廟でもありますので、露出の多い格好はお控えください。 |
メヴラーナ文化センター
コンヤ市内のメヴラーナ博物館から約1㎞の場所に、メヴラーナ文化センターがあります。ここには各2,670席収容の野外と屋外のセマーを行う場「セマーハーネ」があり、メヴラーナの命日を最終日とする10日間のメヴラーナ週間では、毎年この場にて数々の催し物が行われます。
また、毎週土曜日にはセマーの儀式が行われており、一般人も有料にて鑑賞することが可能です。
名称 | メヴラーナ文化センター(Mevlana Kültür Merkezi) |
---|---|
住所 | Çimenlik, Aslanlı Kışla Cd., 42030 Karatay/Konya-Turkey |
開催日時 | 土曜19:00 |
所要時間 | 1時間 |
料金 | 30TL ※5歳以下は観賞不可 ※鑑賞には下記サイト(トルコ語)よりチケットの事前購入が必要です https://biletinial.com/muzik/sema-mukabelesi |
イスタンブールでもメヴレヴィー教団の修行場が見られる!?
「トルコに旅行に行くけれど、コンヤまでは行けない」という方は、イスタンブールの「ガラタ・メヴラーナ博物館」をぜひ訪れてみてください!メヴレヴィー教団の修道生活跡を垣間見ることができます。
ここは1491年に建設されたメヴレヴィー教団の修行場で、1791年にオスマン帝国皇帝セリム3世によって再建されています。1925年に共和国で行われた宗教改革によって宗教団体が解体された後は、初等教育機関の校舎として使われました。
1975年よりディヴァン文学博物館として再開し、2008~2011年に大改修した後、2011年11月よりガラタ・メヴラーナハーネスィ博物館として公開されています。
ガラタ・メヴラーナハーネスィ博物館は、新市街のガラタ塔とイスティックラル通りの間にありますので、イスタンブール観光の間に立ち寄ってみてはいかがでしょう?
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セマー儀式鑑賞は不定期で行われていますので、事前に必ずご確認ください。
名称 | メガラタ・メヴラーナハーネスィ博物館(Galata Mevlevihanesi Müzesi) |
---|---|
住所 | Şahkulu, Galip Dede Cd. No:15, 34420 Beyoğlu/İstanbul-Turkey |
定休日 | 月曜 |
開館時間 | 夏季(4~10月):09:00~19:00 冬季(11~3月):09:00~17:00 ※最終入場は閉館時間の1時間前まで |
入場料 | 25TL |
Webサイト(トルコ博物館局内ページ) | https://muze.gov.tr/muze-detay?SectionId=GLT01&DistId=MRK |
コーヒーとスーフィズム
現在では日常的に飲まれているコーヒーですが、実はスーフィズムととっても関係が深い飲み物なのです。
コーヒーはアラビア半島南部が発祥の地で、14世紀にイエメンにいたスーフィーが夜間の御祈りの際に、深く眠らないように飲んだのが喫茶の始まりだと言われています。
スーフィズムはコーヒーの覚醒効果に目を付け、ズィグルや瞑想などの修行を行う際に、コーヒーを口にする習慣ができたことから、スーフィーの間でコーヒーが広まりました。
その後、コーヒーは16世紀のスレイマン大帝の時代に、イエメンから首都イスタンブールへもたらされ、それからトルコではトルココーヒー文化が花咲いたのです。
歴史やおいしい淹れ方から占いまで! トルココーヒーの奥深い世界
トルコのコーヒー文化は、世界無形文化遺産にも登録されています。
コンヤヘ行くなら観光ツアーがおすすめ!
メヴレヴィー教団の発祥地として知られるコンヤには、ターコイズブルーの屋根がきれいなメヴラーナ博物館や、本物のセマーが見られるメヴラーナ文化センターなど、魅力的なスポットが多くあります。
特にメヴラーナ博物館がライトアップされた姿は、ターコイズブルーの屋根とも相まって、幻想的な雰囲気を醸し出しています。
しかし、コンヤはイスタンブールから車で7時間以上かかるため、アクセスがいいとは言えません。もしイスタンブールやカッパドキアなど、トルコの主要観光地と合わせてコンヤを訪れる場合は、旅行会社のツアーを利用するのがおすすめです。
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