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キャラバンサライとは?トルコにも残る隊商宿の意味や歴史を解説

更新日:2023.04.05

投稿日:2022.09.19

Views: 3193

キャラバンサライ

日本では江戸から京都を結ぶ東海道沿いに宿場町が形成されたように、ユーラシア大陸を横断するシルクロードにも、沿道には数多くの宿が建設されました。遠く離れた異国から珍しい交易品を運ぶ商人たちは、キャラバンサライ(Caravanserai)で手厚いもてなしを受けました。

キャラバンサライは東洋と西洋をつなぐトルコにも数多く残されています。シルクロード交易になくてはならないキャラバンサライは現在、国内でもコーヒー店やライブハウスの名称にも採用されるなど、日本でも耳なじみのある言葉です。そんなキャラバンサライについて解説します。

キャラバンサライとは?

ラクダ 商人

自動車や飛行機がなかった時代、商人たちは交易品を抱えてラクダや馬と長距離移動をしました。その交易路沿いに作られていた商人や旅人のための宿泊施設がキャラバンサライです。交易路沿い以外に、都市の商業施設であるスーク(市場)に隣接して作られた宿もキャラバンサライと呼ばれています。

キャラバンサライは商人たちの宿泊施設としての役割だけではなく、交易品を売買する取引所としての役割も担っていました。このため、キャラバンサライを利用する商人たちは、その土地を治める有力者たちから手厚くもてなされ、数日分の宿泊費や食事代金は全て無料で提供され、荷運びのラクダや馬にも餌が与えられました。隊商の中に病人がいれば、完治するまでの滞在が許可されていました。滞在中に荷物が盗難された場合は補償を受けられる損害保険のような制度もあったそうです。

当時は商人たちの移動は狙われやすく、キャラバンサライがなければヨーロッパと中国をつなぐシルクロード交易の発展もなかったかもしれません。

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名称の由来と意味

サライ 宮殿 コンスタンティノープル

キャラバンサライは、ペルシャ語の「キャラバン」と「サライ」の2つの単語を組み合わせてできた言葉です。キャラバンは、主に砂漠や草原地帯などを長距離移動する商人や巡礼者の団体を指す言葉。サライの意味は家や宿、中庭がある建物のことです。

2つの単語をつなぎ合わせたキャラバンサライは、隊商宿を指します。キャラバンサライの名称は当初、主に大きな都市から離れた交易路沿いにある宿に付けられました。その後、この名称が定着するようになると、都市部にある宿もキャラバンサライと呼ばれるようになりました。

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キャラバンサライの別名

キャラバンサライ

隊商宿を表す言葉は、キャラバンサライが広く知られていますが、他の名称で呼ばれることもあります。

シリアでは中世のペルシャ語で家の意味を持つ「カーン(Khan)」の名称が使われています。オスマン帝国が征服したブルガリアやルーマニアでは、隊商宿を表す言葉にはトルコ語のハン(Han)が使われています。

北アフリカやモロッコでは隊商宿はフンドク(Funduq)と呼ばれています。これはアラビア語の宿屋が語源となっています。

エジプトではアラビア語で代理店を意味するウィカラ(Wikala)と呼ぶことがあります。ウィカラでは商品の保管や取引が行われており、商人の代わりに商品を販売し手数料を得る代理店もあったと考えられています。

キャラバンサライの建物の構造

多くのキャラバンサライは四角い形で中庭を囲むように、2階建てもしくは3階建てで造られていました。建物の周囲は高い壁で囲まれており、出入口は1か所しかありませんでした。出入口の扉は、大きな荷物を積んだラクダや馬が通れるように大きく造られています。夜間は頑丈な扉が閉じられ、盗賊などの侵入を許しませんでした。

建物には商人たちの宿泊部屋、食堂、管理人の部屋の他にラクダや馬が休むための厩舎もありました。砂漠地域は夜に冷え込むため、各宿泊部屋に暖炉を備えているキャラバンサライもあります。また、商品の売買を行うための取引所や、イスラム教徒が礼拝するためのモスクも作られていました。

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都市の商業施設(スーク)に隣接して作られているキャラバンサライには、高い壁や頑丈な扉はありませんが、代わりに倉庫や事務所、取引のトラブルを解決するための裁判所などが置かれていました。また、商人のための宿泊施設の他に、上層階の一部の部屋を安い家賃で提供する賃貸マンションのような役割をもっていたキャラバンサライもありました。

キャラバンサライの歴史

キャラバンサライ

紀元前550年からアレクサンドロス大王に滅ぼされる紀元前330年まで、トルコから中央アジア一帯を支配したのが、アケメネス朝ペルシャです。アケメネス朝ペルシャでは、現在のトルコ西部のサルデスからイランのスーサまでを結んだ道を「王の道」と呼びました。この王の道に沿ってキャラバンサライの原型のようなものが存在したことが分かっています。

7世紀頃、イスラム教が小アジア、中央アジア、南アジアの広い範囲で普及します。これに伴いイスラム教徒たちの寄進によって多くの隊商宿が建設されました。

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セルジューク朝の12~13世紀にも、多くのキャラバンサライが建設されます。交易路沿いに30~40キロごとにキャラバンサライが建ちました。これはラクダが1日に歩ける距離を目安に決められたとされています。都市に作られたキャラバンサライは経済活動の中心となり、やがてダマスカス、アレッポ、カイロ、イスタンブールなどの大都市へと発展しました。

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キャラバンサライの運営にイスラム教の王族や富豪が寄付を行うことで、交易商たちはキャラバンサライに無料で宿泊でき、交易品が安全に売買されるようになりました。税収も増え、国の繁栄につながっただけでなく、土地の権力者たちは、巡礼者を宿に迎え入れてもてなすことで神への信仰心を表すことになるなど、さまざまな効果をもたらしました。

オスマン帝国の時代になると、航海技術や帆船の進歩によりスペインやポルトガルなどが、海洋貿易を行うようになります。このため陸路のシルクロード交易は衰退するようになり、交易路沿いのキャラバンサライも徐々ににぎわいを失ってきます。

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現在、キャラバンサライはその役目を失い多くは廃墟となり、遺跡として保護されているものもあれば、観光客用のホテルや商業施設などとして改装されているものもあります。

トルコのキャラバンサライ7選

ペルシャやエジプトと、ヨーロッパをつなぎ、交通の要衝としての役割を担っているトルコには、多くのキャラバンサライが残されています。現在では宿泊機能はなくなっているものがほとんどですが、トルコを旅行で訪れた際にはぜひ立ち寄って往時の空気に触れてみるのもいいでしょう。

トルコにあるキャラバンサライから7つを紹介します。

スルタンハン(Sultan Han)

スルタンハン

スルタンハンは中央アナトリア地方のコンヤとカッパドキアの間にあるキャラバンサライです。13世紀のセルジューク朝時代に建設され、トルコで最も大きい隊商宿です。

面積は4,900平方メートルで、高さ13メートルの門には尖った窪みが層を成した「ムカルナス」という装飾が施されています。広い中庭(縦44メートル、横58メートル)の中央には、四角い石造りのキオスクモスクが配置されていて、四方がアーチで支えられています。2階部分に小さな礼拝所があります。

中庭の両サイドの建物には、1階に厩舎(きゅうしゃ)があり、2階には商人たちの宿泊施設がありました。スルタンハンは保存状態がよく、当時の様子を現在に伝えています。

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アウズカラハン(Ağzıkara Han)

アクズカラハン キャラバンサライ

アウズカラハンは前述のスルタンハンの東にあるアクサライ県にあるキャラバンサライです。王族以外の民間人のパトロンによって13世紀に建てられ、豪華な装飾が建物に施されているのが特徴です。

現在ドームは失われてしまっていますが、中央ドームの部屋の左右にアーチ型の天井を持つ部屋が広がっていました。スルタンハンと同様に中庭には4つの柱で支えられたモスクがあります。

ビュユク・ヴァリデ・ハン(Büyük Valide Han)

ビュユク・ヴァリデ・ハン

Robert Prazeres, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

ビュユク・ヴァリデ・ハンはイスタンブールで最も大きいキャラバンサライです。1651年に、オスマン帝国の皇帝ムラト4世の母親キョセム・ヴァリデにより建設されました。

この隊商宿はグランドバザールのすぐ北にあります。15世紀半ばにメフメト2世により、グランドバザールが建設され、すぐに国際貿易の拠点として発展しました。

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グランドバザール周辺地区には多くのキャラバンサライが建設され、ビュユク・ヴァリデ・ハンも宮殿の跡地に建設されました。都市の限られたスペースに建設されたため、ビュユク・ヴァリデ・ハンは3つの中庭を持つ不規則な形となっています。一番大きな中庭は1辺が55メートルあります。2階建ての建物は、1階に厩舎、2階に商人の宿泊部屋や事務所がありました。完成後も頻繁に増改築が行われ、古い建物の上に多くの部屋などが追加されていきました。

現在は老朽化が進んでいますが、一部に企業などがテナントとして入っていて、現役で稼働しています。

コザ・ハン(Koza Han)

ブルサ トルコ オスマン帝国

コザ・ハンはマルマラ海の南沿岸にある都市ブルサで見ることができる歴史あるキャラバンサライです。ブルサはオスマン帝国最初の首都として1491年に完成し、貿易や経済活動の中心地として栄えました。

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コザ・ハンは絹織物の産地でもあり、絹製品や繭の取引が行われていました。現在はカフェや土産物屋などのほかに、高級な絹織物を扱う店も入っています。

建物の構造は典型的なキャラバンサライのもので、中庭の周囲に2階建ての回廊とたくさんの小部屋があり、レンガと石を交互に積み重ねて作られています。中庭の中央には8本の柱で支えられた八角形のモスクがあります。

リュステム・パシャ・キャラバンサライ(Rustem Pasha Caravanserai)

リュステム・パシャ・キャラバンサライ

リュステム・パシャ・キャラバンサライはトルコ東部にある黒海地域とペルシャを結ぶ交易路の中継都市、エルズルムに1561年に建設されました。建設したのはオスマン帝国宰相のリュステム・パシャです。

建設当時は商人の宿泊部屋と厩舎があるキャラバンサライでしたが、オスマン帝国の領土が東に拡大すると、一般向けの賃貸住宅として使われ、多くの商店が入り、商人の宿としての役割は失われていきました。

現在このキャラバンサライは商業ビルとして使われています。地元で採掘されるオルトゥ石で作られたネックレスや数珠などの工房や販売店、お土産店などが約100軒入っています。

オキュズ・メフメト・キャラバンサライ(Öküz Mehmed Pasha Caravanserai)

オキュズ・メフメト・キャラバンサライ

オキュズ・メフメト・キャラバンサライはオスマン帝国の宰相、オキュズ・メフメト・パシャが、トルコ西部の都市クシャダスに建設しました。1615~1618年に建設され、エーゲ海からの侵入を防ぐための要塞と税関としての役割を兼ね備えていました。

厚い壁に囲まれ、2階建ての建物と長方形の中庭があります。正面の出入り口は海に面して作られ、もう一つの入り口は町の市場に通じていました。1968年に改装され、ホテルとしてリニューアルオープンしました。

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ソコルル・メフメト・パシャ・キャラバンサライ(Sokollu Mehmet Pasha caravanserai)

ソコルル・メフメト・パシャ・キャラバンサライ

Nedim Ardoğa, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

ソコルル・メフメト・パシャ・キャラバンサライはトルコ南部の地中海に面した都市パヤスに造られました。パヤスにはオスマン帝国時代に造船所があり、ここで造られた船がキプロス征服の際に活躍したことから、大宰相ソコルル・メフメト・パシャが私財を投じてこの地にキャラバンサライを建設、1574年に完成しました。

このキャラバンサライには、主にシリアの都市アレッポに向かう商人やメッカを目指す巡礼者たちが宿泊しました。2011~2013年に修復が行われ、現在は事務所や店舗が入った複合施設となっています。

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世界各地のキャラバンサライ

トルコ以外にも、キャラバンサライは数多く残されています。世界各地にあるキャラバンサライから9つを紹介します。

ブハラキャラバンサライ(Bukhara Caravanserai)/アゼルバイジャン

ブハラキャラバンサライ

Interfase, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

ブハラキャラバンサライは、アゼルバイジャンの首都バクーの旧市街にあります。主に中央アジアからやってきた商人が宿泊し、彼らを総称してブハラ人と呼んだため「ブハラのキャラバンサライ」の名称がつきました。

15世紀後半に建設され、この宿のすぐ近くには高さ30メートルの塔があり「乙女の塔」と呼ばれています。建物は正方形ですが、中庭は八角形となっています。現在は中庭にアゼルバイジャン料理を提供するレストランがあります。

ムルターニーキャラバンサライ(Multani Caravanserai)/アゼルバイジャン

ムルターニーキャラバンサライ

Urmen19, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

ライは、ブハラキャラバンサライの向かいにある宿で、14世紀頃に建てられたと言われています。ムルタンはパキスタンの都市で、かつてはこの地域からやって来たインド系商人はムルターニーと呼ばれました。多くのインド系商人たちが宿泊したことからムルターニーキャラバンサライという名が付きました。中庭には井戸があり、厩舎は宿泊棟とは別の建物に作られています。

ゼイノッディーンキャラバンサライ(Zein-o-Din Caravanserai)/イラン

ゼイノッディーンキャラバンサライはイラン中部のヤズド砂漠にある円形のキャラバンサライです。伝統的な四角い形ではなく円形なのは砂嵐から建物を守るため。円形の外壁に5つの半円の塔がある特徴的な外観となっています。

紀元前よりこの場所にキャラバンサライが作られていましたが、サファヴィー朝のアッバース1世により、16世紀に新たに建設されました。現在は改装されホテルとなっています。街から離れた砂漠の中にあるため、夜は一面に広がる綺麗な星空が最大のアピールポイントになっています。

ドラハのムガールセライ(Mughal Serai, Doraha)/インド

ドラハのムガールセライ

Sidprabhakar87, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

インド北部のパンジャブ州のドラハにあるムガールセライは、ムガール帝国時代に造られたキャラバンサライです。第4代皇帝ジャハーンギールは、イランのサファヴィー朝やオスマン帝国と積極的に交易を行い、交易商たちをサポートする目的でこの宿を建設しました。

南北と東側に建物があるコの字型をしており、北門と南門はそれぞれ交易路に通じていました。建物内には50部屋の宿泊部屋があり、豪華なスイートルームもありました。建物の西側にはモスクがありますが、現在は廃墟となっています。

ラバティマリク(Rabati Malik)/ウズベキスタン

ラバティマリク

Bobyrr, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

ラバティマリクはサマルカンドとブハラをつなぐシルクロード沿いに、11世紀に建設された隊商宿のひとつで、中央アジアで最も古い宿です。隊商宿の役目を終えた後は廃墟となり、1968年に発生した地震で正面の門を除き建物や壁が完全に崩壊してしまいました。現在は遺跡となっており保存活動が行われています。

ガウリーのウィカラ(Wikala of Al-Ghuri)/エジプト

ガウリーのウィカラ

Sailko, CC BY 3.0, via Wikimedia Commons

ガウリーのウィカラはエジプトのカイロにあるキャラバンサライです。エジプトを支配していたイスラム政権のマムルーク朝のスルタン、アシュラフ・カーンスーフ・ガウリーによって建設され、1505年に完成しました。

建物は長方形の5階建てで、2階まではしっかりとした石造り、3階以上はレンガで作られています。1階は厩舎と商品の保管庫、2階は宿泊部屋、3階以上は低所得者用のアパートとなっていました。

中庭にはモザイクで装飾された噴水があります。現在は職人の工房や事務所などが入っており、観光客に伝統的な儀式を披露するショーの会場にもなっています。

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ブユクハン(Buyuk Han)/キプロス

ブユクハン

ブユクハンはキプロス島で最大のキャラバンサライで、オスマン帝国がキプロスを征服した翌年の1572年に建設されました。ブルサにあるコザ・ハンをモデルにしているといわれています。

建設当初は別の名前が付けられていましたが、17世紀に広場の向かいに小さなキャラバンサライが建設されると、「大きな宿屋」の意味を持つブユクハンと呼ばれるようになりました。

正方形の2階建ての建物には各階68部屋があり、1階は商品の取引などが行われ、2階が宿泊施設となっていました。キプロス島は1878年にイギリスに征服され、イギリス統治下ではブユクハンは刑務所として使われました。

現在はギャラリー、手工芸品の販売店、カフェや土産物店などが入っています。

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アクバリサライ(Akbari Sarai)/パキスタン

アクバリサライ

Shaguftakarim, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

アクバリサライはパキスタンのパンンジャブ州ラホールにあるキャラバンサライです。1550年代に商人や旅人のために建設されました。ムガール帝国第4代皇帝ジャハーンギール墓廟が隣にあるため、墓廟の管理人もこの宿で暮らしました。

中庭を囲み180近くの部屋があり、武器やお墓に捧げる品物などが置かれている倉庫もありました。宿には医師が常駐し、パン屋や小さな市場があり、郵便局としての役割も持っていました。ムガール様式の2つの出入口があり、メインのゲートはジャハーンギールの墓廟への入り口となっていました。

フンドク・アルネジャーリン(Funduq al-Najjarin)/モロッコ

フンドク・アルネジャーリン

Josep Renalias, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

モロッコのフェズにあるキャラバンサライ、フンドク・アルネジャーリンは1711年に建設されました。アラビア語で大工を意味し、この隊商宿が、大工の工房がたくさんある広場に隣接していたためこの名前がつきました。

建物は長方形で3階建ての建物が中庭を囲んでいます。正面の門には、漆喰とタイルで花と幾何学模様の装飾が施されています。現在は、木工芸品が展示されている博物館となっています。

日本でもさまざまなお店の名前に使われている「キャラバンサライ」

「キャラバンサライ」という言葉は、「キャラバン」が車の名前になったり、「サライ」が雑誌や歌の名前になったりしているためか、日本人にも耳なじみのある言葉です。このため、商店の名称に採用されるケースがあります。「キャラバンサライ」が店名となっている例を3つ紹介します。

高知のライブハウス

高知県高知市に音楽のライブができるホールやレコーディングスタジオを備えたライブハウス「CARAVAN SARY」があります。

「CARAVAN SARY」は1981年にオープンした高知県最大級のライブハウスです。キャパは最大で約400名、天井高5.5mの開放的なフロアで、プロのミュージシャンによる全国ライブツアーから地元のバンドによるライブや各種イベントなどに使われていて、地元の人に親しまれています。バンド練習スタジオや楽器の販売店も併設しています。

CARAVAN SARY :https://www.caravansary.jp/

金沢のコーヒー店

石川県金沢市に「キャラバンサライ」と名付けられたコーヒー店があります。1980年創業の同店は、自家焙煎した新鮮なコーヒー豆で有名な店で、各店舗にコーヒーマイスターの有資格者が在籍、世界の優良産地から厳選したスペシャルティコーヒーを提供することで、地元の人に人気です。

店長自ら産地に出向いてこだわりの豆を買い付け、培った焙煎技術とブレンド技法で個性的な味を生み出しています。豆は全国に発送しており、全国どこにいても「キャラバンサライ」の味を楽しめます。「自家製カカオのブランデーケーキ」も人気です。

キャラバンサライ:https://www.caravanserai.co.jp/

東中野のレストラン

東京・東中野の東中野駅から徒歩1分のところに、アフガン料理を楽しめるレストラン「キャラバンサライ包(パオ)」があります。

キャラバンサライ包(パオ):http://paoco.jp/

大広間にじゅうたんが敷かれ、低めのテーブル席で味わうスパイスのきいた羊肉料理の数々は「クセになる」と人気です。羊肉のひき肉にゴマたっぷりのあえ麺「ラグマン」など麺料理のほか、牛乳を発酵させて作った「乳酒」など、ほかではなかなか味わえない酒類の数々のとりこになった人が足しげく通っています。

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本物のキャラバンサライを訪れよう

シルクロードの各地に商人のために造られたキャラバンサライ。遠く離れた異国から珍しい交易品を運ぶ商人たちはキャラバンサライで保護され、各国の経済発展の源となりました。東洋と西洋をつなぐトルコにも、キャラバンサライは数多く残されていて、イスタンブールなど今ある大都市にもつながっています。

日本国内でもコーヒー店やライブハウスの名称にも採用されて耳なじみのある「キャラバンサライ」、トルコ旅行の際にぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。

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