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アンティオキア(アンタキヤ)は古代の重要都市だった!歴史と見どころ解説

更新日:2023.04.05

投稿日:2022.11.11

Views: 2079

モザイク アンティオキア

アンティオキア(Antiochia)は、トルコ南東部にある都市アンタキヤの古代名です。雄大な山々に囲まれた肥沃な平野を流れるオロンテス川(アシ川)に沿った町にシリアの王朝・セレウコス朝の首都として建立されました。

「クリスチャン」という言葉が生まれたキリスト教の聖地であり、エジプトの女王クレオパトラとローマの将軍アントニウスが結婚式をあげた場所でもあります。ここでは歴史的に重要な町アンティオキアについてご紹介します。

アンティオキアとは?

アンティオキア 聖ペテロ洞窟教会

アンティオキアは、マケドニア王国の貴族の息子でアレキサンダー大王の後継者の一人として仕えていたセレウコス1世が紀元前312年に建立しました。都市名は父「アンティオコス」を記念して名付けられました。シルクロードの終点であり、中国から運ばれた品物がアンティオキアから地中海沿岸の各国に船で運ばれていきました。

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現在はトルコのアンタキヤ

アンティオキアがトルコ共和国の領土になったのは1939年です。現在は、アンタキヤ(Antakya)という都市名で、トルコ南部地中海地方のハタイ県に属しています。

他のトルコの町とは少し雰囲気が異なり、ヨーロッパ風の重厚な独特の味わいある建物が並んでいます。これは、第一次世界大戦後から1938年までフランス領シリアに編入されていたためです。現在もシリアの血を引いた人々が多く、シリア方言のアラビア語が通じることも多いです。また、アンタキヤが属する県名のハタイ(Hatay)の名で呼ばれることも多くあります。

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アンタキヤ(アンティオキア)の場所・アクセス

日本からアンタキヤへ行く場合は、ターキッシュエアラインズの直行便でイスタンブールまで行き、国内線に乗り換えてハタイ空港へ行きます。ハタイ空港はアンタキヤの中心部までは車で約40分程です。

アンティオキアの歴史

アンティオキア ハタイ

セレウコス朝の首都となったアンティオキアは紀元前2世紀になると、最も繁栄したヘレニズム都市となりました。セレウコス朝が徐々に弱体化し、ローマに滅ぼされてからもローマのシリア属州となり、ローマ、アレクサンドリアに次ぐ3番目に大きな都市として栄えました。

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相次ぐ地震で都市は何度も崩壊しましたが、その度に再建されました。しかし、526年の大地震で壊滅的な打撃を受け、その後も再建されましたが、かつてのような威厳は蘇りませんでした。

そして、サーサーン朝ペルシャに攻撃されたこともあり、衰退が始まりました。7世紀に東ローマ帝国がイスラム帝国に敗れてシリアを失った後は、アンティオキア周辺が両帝国の争奪の前線となって荒廃し、アンティオキアは北シリアの地方都市になりました。

その後、東ローマ帝国が再び奪還しますが、1084年にイスラム王朝のセルジューク朝に征服されました。1096年に派遣された第1回十字軍は半年以上に渡ってアンティオキアを征服し、エルサレム王国を宗主とする十字軍国家の一つアンティオキア公国を建設しましたが、1268年にマルムーク朝に奪われました。

1516年にオスマン帝国がマルムーク朝を滅ぼしアンティオキアを征服すると、オスマン帝国アレッポ州の地方都市となりました。第一次世界大戦後は、フランス領シリアに編入されましたが、トルコ系住民がシリアからの分離運動を起こして1939年にトルコ共和国の領土になりました。

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セレウコス朝

セレウコス1世

アンティオキアを首都としたセレウコス朝は、アレキサンダー大王の後継者の一人セレウコス1世が現在のシリアよりも広範囲の古代シリアを中心にイラン高原をまたがる広大な領土に築いたシリア王国の王朝です。クレオパトラが最後の王となったエジプトのプトレマイオス朝と、マケドニアのアンティゴノス朝と共に、ヘレニズム三国の一つとされています。この3つの王朝の中でセレウコス朝は一番広い領域を持った国家でした。

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セレウコス1世は紀元前305年にティグリス河畔に新都セレウキアを建設しました。バビロンに代わってオリエントの中心都市となり、東西交易の中心地としても繁栄しました。セレウキアの人口が増加したため、セレウコス1世は、紀元前312年に西方の地中海に近いアンティオキアに遷都しました。

セレウコス1世とは?

アンティオキアを建立したセレウコス朝の創始者セレウコス1世(在位・紀元前305年~紀元前281年)は、マケドニア王国の貴族アンティオコスの息子でアレキサンダー大王の家臣として、東方遠征にも参加して活躍しました。後にはニカトール(勝利王)と呼ばれています。

紀元前324年に行われたギリシア人と東方人の集団結婚式では、アレキサンダー大王に敗れたソグディアナ人の実力者スピタメネスの娘アパメーと結婚しました。この時、大王に知られて東方人の妻を迎えた者たちのほとんどは離婚しましたが、セレウコスだけは生涯連れ添いました。ソグディアナ人を妻にしたことは、後の東方支配に大いに利したとされています。

ナイキとセレウコス1世

エフェソス遺跡 ニケ

セレウコス朝の王の多くはセレウコスまたはアンティオコスと名付けられています。歴代の王には、セレウコス1世ニカトール(勝利王)、アンティオコス1世ソテル(救済王)、アンティオコス2世テオス(神王)、セレウコス4世フィロパトル(愛父王)、アンティオコス4世エピファネス(顕神王)といった称号が与えられました。

セレウコス1世の称号「ニカトール」はギリシャ語で勝利や勝利の女神を意味するニケ(Nike)が語源になっています。この「ニケ」という言葉は、最初のキリスト教公会議の開催地ニカイア(Nicaea)や、スポーツ用品ブランドのナイキ(Nike)の語源にもなっています。

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アンティオキアとクレオパトラ

クレオパトラ アントニウス

アンティオキアで結婚式を挙げたとされる、絶世の美女として知られる古代エジプトの女王クレオパトラ(クレオパトラ7世)とローマの将軍・アントニウスの恋は、古代ギリシャ・ローマ史の中で最大のロマンスとして世界的に知られています。

クレオパトラが生きていた時代に造られたもので、彼女の姿を忠実に表現しているものに「コイン」があります。紀元前36年にアンティオキアで造られた古代ギリシャのテトラドラクマ銀貨のコインの表と裏にはクレオパトラとアントニウスが刻まれています。

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キリスト教布教の拠点

パウロ ペテロ イエス

アンティオキアは、初期キリスト教の時代に聖パウロや聖ペテロが異邦人布教の拠点とした地で、キリスト教が最も早くから広まった町でした。新約聖書によると「クリスチャン」という呼称はアンティオキアで初めて使われたとされています。

その後、キリスト教がローマ帝国に公認されるようになってからは、アンティオキアがローマ、コンスタンティノープル、エルサレム、アレクサンドリアに並ぶ五大総主教座の一つになりました。このような歴史からアンティオキアは、クリスチャンにとって特別な町でもあるのです。

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現在も町にキリスト教各派の教会がありますが、「トルコで最も美しい10の教会」にも選ばれたギリシア聖教会が特に有名です。

アンタキヤのおすすめ観光スポット

歴史ある町アンタキヤに行ったら是非訪れたい、人気の観光スポットをご紹介します。

ハタイ考古学博物館

ハタイ考古学博物館

ハタイ考古学博物館は、モザイク博物館とも呼ばれています。1948年に一般公開され、1975年に改修と拡張を経て再開しました。アンタキヤと近郊のダフネの遺跡などから発掘されたモザイクの数々が展示されています。ローマ時代のモザイクのコレクションとしては世界でも有数のコレクションを誇り、ギリシャ神話や聖書の場面がいくつも描かれていて、その精巧さは見る人の心を打ちます。

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モザイク以外の展示物も充実していて、先史から現代まで時代の流れに沿って紹介しています。特にヒッタイト時代の展示物が質・量ともに優れたものが多いです。その他にアンティオキア様式の石棺やコインのコレクションも必見です。

名称 ハタイ考古学博物館(Hatay Museum)
住所 Küçükdalyan, Antakya Reyhanlı Yolu No:117, 31120 Antakya/Hatay, トルコ
営業時間 8:30~17:00
入場料 65TL
公式サイト https://muze.gov.tr/muze-detay?SectionId=HTY01&DistId=HTY

聖ペテロ洞窟教会

聖ペテロの洞窟教会 アンティオキア

聖ペテロ洞窟教会は、アンタキヤの東部郊外にある崖のそばにひっそりと建っています。迫害を受けた初期キリスト教徒が難を逃れるために、聖ペテロの導きでこの洞窟にやってきたといわれています。

この教会は天然の洞窟を利用して造られていて、スタリウス山の岩の絶壁に幅約9,5m、奥行約13m、高さ約7mの大きさで建てられています。洞窟の奥には抜け道もありますが、現在は入れません。

壁にはフレスコ画、床にはモザイクの断片が残っていて、アンタキヤ観光の人気スポットになっています。また、1963年にはバチカンより聖地として認定されています。

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アンティオキア正教会

アンティオキア正教会

Dosseman, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

アンティオキア正教会はアンティオキア総主教庁とも呼ばれ、正教会に属する教会で古代の五総主教座の一つです。初代総主教をイエス・キリストの使徒ペトロとしていて、この教会からキリスト教が広まりました。古代のアンティオキア教会の流れを汲んだ、現存するキリスト教会の中でも最古の教会に属しています。

現在は、シリアの他にアメリカやヨーロッパ各国にも教区を持ち、毎年何千人ものキリスト教徒が巡礼にくる非常な重要な教会です。

ハビビ・ネッカー・モスク

アンタキヤの中心部にある歴史的なモスクで、キリスト教初期の時代にアンティオキアに住んでいたキリスト教の殉教者ハビブネジャールの名前からハビビ・ネッカー・モスクと名付けられました。規模が大きなモスクではありませんが、7世紀の建造と歴史は古く、その美しさは一見の価値があります。

アンティオキア城

アンティオキア城塞 アンタキヤ

アンティオキア城は、紀元前4世紀にアンティオキアが建立された後、セレウコス1世の宮殿として建てられました。中世まで使用されていたアンタキヤ城は、現在は石の城壁が遺跡として残っています。高台に建っているので、アンタキヤの町や平野を見渡せる壮大な景色を楽しむことができます。

アンタキヤの名物料理

トルコは美食の国で、トルコ料理は世界三大料理の一つに数えられています。定番のトルコ料理の他にも各都市に名物料理があります。ここでは、アンタキヤの名物グルメをご紹介します。

キュネフェ

キュネフェ トルコ料理 スイーツ

アンタキヤ発祥の名物料理に「キュネフェ」というスイーツがあります。「カダイフ」という小麦粉で作られたとても細い麺状の生地にフレッシュチーズを挟んで焼き上げ、最後にシロップや砕いたピスタチオなどをかけます。トロリと溶けたチーズの塩気と甘さがクセになるとっても美味しいスイーツです。

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カイタズ・ボレキ

カイタズ・ボレキはアンタキヤ名物のパイ生地の小さなピザです。生地の上に挽き肉や刻んだ玉ねぎ、トルコのトマトソース「サルチャ」などで作った具をのせて焼き上げます。小ぶりなので小腹が減った時のオヤツにもぴったりです。

オルク

イチリキョフテ

トルコの郷土料理に挽き肉で作った具を皮で包んで揚げた「イチリキョフテ」というピロシキのような料理があります。アンタキヤでは、このイチリキョフテをオルクと呼んでいます。キョフテはトルコのスパイシーなミニハンバーグのことで、イチリキョフテの他にもトルコ全土で200種類以上あるといわれています。

「キョフテ」はスパイスが癖になるトルコ風ハンバーグ!レシピやおすすめのお店を紹介

イチリキョフテは、挽き肉と玉ねぎ、スパイスなどを混ぜ合わせたタネにトルコの国民食である「ブルグル」という挽きわり小麦で作った生地で包んで揚げた料理です。外はカリッとして、中にはジューシーな具がぎっしり詰まっていて食べ応え抜群です。

アンタキヤ近郊の町

トルコの地中海沿岸にあるハタイ県・アンタキヤ近郊の町をご紹介致します。

ハルビエ(ダフネ)

アンタキヤの南約8㎞の場所には、ハルビエ(Harbiye)という町があります。

ギリシャ神話のオリュンポス十二神の一柱アポロンが木の妖精ダフネを恋人にしようとしていました。ダフネはアポロンから逃れるために、父親に頼んで月桂樹の木に変身したと伝えられています。ひどく悲しんだアポロンは、ダフネの月桂樹の枝から月桂冠をつくり永遠に身に着けるようになりました。

このことから現在のハルビエは、ギリシャ語で月桂樹を意味するダフネという名でかつて呼ばれ、アポロンの神託所もありました。

イスケンデルン

イスケンデルン

ハタイ県の県都はアンタキヤですが、県域最大の都市はイスケンデルン(Iskenderun)です。アレキサンダー大王にちなんでヘレニズム時代に造られた「アレクサンドリア・アド・イッサス」という町が起源になっています。地中海に面するイスケンデルン湾の東岸に位置し、1869年のスエズ運河の開通まではイランやインドにいたる内陸通商路の起点でした。

現在は、イスタンブール、イズミル、メルシンに次ぐトルコ第4の重要港です。

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サマンダー

アンタキヤの南西約25mに位置するサマンダー(Samandağ)は、セレウコス1世によってアンタキヤの外港として築かれた町です。海岸にはロカンタ(トルコの居酒屋)やホテルもいくつかあり、夏は海水浴客で賑わいます。近くにはトルコに唯一残るアルメニア人集落のワクフルもあります。

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