三日月とは?実は深い意味がある!トルコやイスラム教、神話との関係
更新日:2023.04.04
投稿日:2022.04.22
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赤地に大きな三日月が印象的なトルコの国旗は、「三日月旗」または「新月旗」と呼ばれています。神秘的な雰囲気を持つ三日月のデザインは、アクセサリーや小物類などのモチーフとしても人気です。そんな三日月の深い意味や語源をご存じでしょうか。
この記事では、三日月の意味や語源、三日月にまつわる逸話、トルコとの深い関係などを詳しく解説します。
Contents
三日月とは…?
三日月は、新月から上弦の月まで満ちていく間と、下弦の月から次の新月へ向けて欠けていく間の両端が湾曲した形の月のことです。しかし、太陰暦とイスラム歴における三日月の概要は多少異なる部分もあります。そこで、それぞれの意味や数え方などについて解説します。
太陰暦の三日月
本来の三日月は太陰暦3日の夜の月のことです。太陰暦は月の満ち欠けの周期を基にした暦で、英語ではLunar Calendarと呼ばれています。三日月より早い2日目の月はほとんど見えず、三日月は最初に目に見える月であるため、初月、若月などと呼ばれることもあります。
ちなみに、朔(新月・月齢0日)は陰暦1日目であるため、三日月の月齢は3日ではなく2日です。新月には月が全く見えないため、昔は三日月から遡って新月の日を数えたといわれています。
紀元前3,000年ごろに栄え、メソポタミア文明発展の担い手となったシュメール人は、この太陰暦を使用していました。
イスラム暦の三日月
イスラム暦(ヒジュラ暦)は、イスラム諸国で用いられている宗教的な暦です。月齢0日の新月は太陰暦1日になりますが、イスラム暦では目に見える三日月が出たタイミングがその月の始まりです。
また、太陽暦では地球の公転周期を1年としていますが、イスラム歴では月齢を基準としているため、月の満ち欠けの始まりである新月があらわれた日から次の新月までが1か月です。したがって、1年間の日数が354日となり、太陽暦とは毎年11日ずつずれるのです。
また、イスラムで神聖な月とされているラマダンはイスラム歴の第9月にあたります。イスラム教の国によっては、新月を過ぎて最初に見え始める細い三日月を観測してからラマダンを開始する国もあります。
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三日月の持つパワー
三日月は魔除けの力を持ち、願い事を叶えてくれるといわれています。昔から三日月は、輝きを取り戻した真新しい月として敬愛されてきました。日本にも古来より三日月に関連したおまじないがあるようです。
ひと月に一度、日没後に西の低い空にあらわれ、1~2時間で沈んでしまう三日月を見つけることができたら幸運です。是非願い事をしてみて下さい。昔の人は三日月に願いを込めると、月と同じようにやがて満ちて願いが叶うと信じていました。
三日月は英語でCrescent moon
三日月を英語でいうと、「Crescent moon(クレッセントムーン)」、または「Crescent(クレッセント)」です。
英語のCrescent moonは、新月(New moon)から上弦の月(Waxing moon)まで満ちていく月と、下弦の月(Waning moon)から次の新月までに欠けていく間の両方を示します。
ちなみに、狭義の三日月の英語は陰暦の3日目、月齢2日目の月で「Three days old」と表現します。
Crescentには他にも意味がある
英語の「Crescent」の意味は、三日月の他にもあります。例えば、三日月の形のもの(crescent-shaped)、クロワッサンや三日月形のロールパン、オスマン帝国の新月旗、イスラム教などの意味があります。
英語の三日月・ Crescentの語源
英語の三日月・Crescent(クレッセント)の語源は、ラテン語の「Crescere=成長する、増大する」からきています。また、三日月形のパン「クロワッサン」と、だんだん大きくなるという意味の音楽用語「クレッシェンド」もこのCrescere(クレッシェレ)から派生した言葉です。
Crescent(三日月)、Croissant(クロワッサン)、Crescendo(クレッシェンド)の3つの単語を並べてみると、スペルに語源の「Crescere」が隠れていることがわかります。
音楽用語のCrescendoは、「徐々に大きく」という意味で、三日月のCrescentは「満月に向けて徐々に大きくなる」という点が、ともにCrescereの「成長する・増大する」という意味を含んでいるのです。
パンのクロワッサン(Croissant)は、フランス語で「三日月」という意味があります。三日月のようなパンの形状そのものが由来になっているのです。
三日月と星はイスラム教のシンボル
三日月と星は、イスラム教で最もよく知られているシンボルです。イスラム教のモスクの最上部の飾りや、トルコ・パキスタンなどイスラム圏の国旗に使われています。
しかし、三日月や星をモチーフにした旗はイスラム起源ではなく、オスマン帝国に由来するといわれています。イスラム国家であったオスマン帝国が三日月のシンボルを旗に使っていたことからイスラムに関連付けられるようになったと見られています。
また、三日月は星とセットで用いられることが多く、月だけで用いられることはほとんどありません。月の向きは圧倒的にローマ字のC字型が多いですが、逆のC字型や、実際に見えるように明るい部分を下や斜めに向けた三日月もあります。
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トルコ国旗の三日月
トルコの国旗は、赤地に白の月と星のシンボルが描かれています。このデザインから「新月旗」や「月星章旗」とも呼ばれます。トルコ国旗の月と星のシンボルが示しているのは、民族の発展とトルコの独立です。
現在のトルコ国旗は1844年から使われています。基調となる赤はオスマン朝が好んで使用した色です。また、国旗に用いられている三日月と星の紋章は、オスマン帝国の皇帝が戦地を訪問した際、三日月と星が輝いていたということに由来しています。トルコ国旗の三日月は、進歩と国民の一致、独立を表現しているのです。
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トルコでは赤十字社ではなく赤新月社
戦争や天災時における傷病者救護活動を中心とした人道支援団体として知られる赤十字社は世界各国に存在する団体です。
日本では赤十字社ですが、国によっては赤新月社や赤十字会という名前を使用しています。トルコでは赤新月社という名前を使っており、標章も私達の見慣れた白地に赤字の十字ではなく、白地に赤の新月が描かれています。
なぜトルコでは、標章に赤の十字ではなく赤の新月を用いているのでしょうか。それは、赤十字運動への初期加盟国の一つであったオスマン帝国が1865年にジューネーブ条約に加盟した際に遡ります。自国軍のイスラム教徒の兵士が十字を使うのは不適当として、1876年に新たに赤い三日月を模した赤新月の標章を制定したからです。
以降、オスマン帝国の救護部隊には赤十字ではなく赤新月を使用するよう、スイス政府に通告を行いました。その他のイスラム諸国でも「十字はキリスト教を意味し、十字軍を連想される」と好まれなかったため、白地に赤色の三日月を標章とし赤新月社と呼ばれるようになりました。
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三日月は月の女神アルテミスの象徴
アルテミスはギリシャ神話に登場する狩猟と純潔の女神です。ギリシャ神話の月の女神は、他にヘカテー、セレネもいますが、一番有名なのはアルテミスではないでしょうか。
アルテミスは、後になってから、他の2人の女神と同一視され月の女神とされるようになりました。その理由の一つに三日月があります。アルテミスがいつも携えていた弓が三日月に似ていることから、「三日月の弓を持つ女神」や「月の女神」といわれるようになったのです。
アルテミスと三日月の神話
アルテミスと三日月には神秘的な神話があります。ある夜、1人の狩人が森の中で道に迷っていたところ、遠い山の上の三日月の中から銀色に輝く女神が現れて、狩人に告げました。
「三日月の太っていく矢の示す方向は、いつも西。満月を過ぎて、痩せていく月の矢の方向はいつも東」と言って女神は忽然と姿を消してしまいました。狩人はすぐにその意味を理解できませんが、やがて気づいたのです。
三日月から満月へ膨らんでいくさまは、弓矢を引き絞った形に見えます。その矢の示す方向が西。一方、満月を過ぎた月は反対側から欠けていきます。痩せていく月を弓に見立てると、その矢の示す方向は反対側の東になります。こうして、狩人は迷うことなく帰ることができたのです。
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エフェソス遺跡とアルテミス神殿
トルコが誇る世界遺産のエフェソス遺跡は、月の女神・アルテミス崇拝の中心となった町としても知られています。ここには、紀元前6世紀半ばに「アルテミス神殿」が建てられました。
アテネのパルテノン神殿の倍近い規模を誇り、その壮麗さから世界七不思議の一つに数えられています。
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放火などにより歴史上何度も破壊と再建が繰り返され、現在は復元された柱が1本残っているだけですが、当時の壮大な姿を想像しながら是非眺めてみて下さい。
名称 | アルテミス神殿 |
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所在地 | Atatürk, Park İçi Yolu No:12, 35920 Selçuk/İzmir, トルコ |
営業時間 | 9:00~19:00 |
三日月と関係が深いものは多い?
前述したようにトルコの国旗や神話と関係が深い三日月ですが、三日月と関係の深いものはその他にもたくさんあります。ここでは、三日月と関係が深いものとその理由について紹介します。
三日月とメフテル
トルコの軍楽「メフテル(Mehter)」は、オスマン帝国とトルコ共和国で伝統的に演奏されてきた音楽です。メフテルはペルシャ語の「新月」に由来しており、三日月状に弧を描いて並んだ隊形で演奏することによって名付けられました。
メフテルは、トルコ風の音楽やトルコ行進曲、そして後の西洋のブラスバンドにも大きく影響を与えており、メフテルを演奏する軍楽隊はメフテルハーネといいます。
主に使われる楽器は、チャルメラのように高い音が出るズルナという管楽器と、左手で持ち、右手のバチで叩くダウルという太鼓です。
その他にも、ボルというラッパや打楽器のナッカーレ、キョス、シンバルの原型となったズィルといった楽器を使います。
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三日月とターキッシュクレッセント
トルコを象徴する楽器としては、チャヴギャーン(英語:ターキッシュクレッセント)という、上部に三日月が飾られた錫杖(しゃくじょう)があります。
ターキッシュクレッセントは「トルコの三日月」を表現しています。杖には三日月の下に「あずまや」の屋根をかたどった金属の枠と、また別の三日月の枠をつけた120㎝ほどの鈴やベルで装飾された棒で構成されており、行進しながら垂直に上下に振って鳴らす体鳴楽器です。
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イスタンブールのハルビエ軍事博物館では、現在も軍楽隊の実演コンサートが開催されており、迫力のある演奏が楽しめます。
名称 | ハルビエ軍事博物館・文化遺跡司令部 |
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所在地 | Halaskargazi, Vali Konağı Cd. No:2, 34367 Şişli/İstanbul, トルコ |
公式サイト | https://askerimuze.msb.gov.tr/ing/index.html |
三日月形の刀・シャムシール
「シャムシール」は、ペルシャが起源の刃の部分(刀身)が湾曲した湾刀です。英語ではシミター、日本語では三日月刀と訳されています。
シャムシールは、中世のペルシャの代表的な刀剣で「ライオンの尻尾」という意味です。剣の柄の先端が丸く突き出していて、その部分は「ライオンの頭」と呼ばれています。
それまで使われていた直刀に代わり、切り下ろすスタイルに適した形状の刀剣として考案されたのがシャムシールです。近世ヨーロッパの騎兵が使用した「サーベル」の起源の一つになったといわれています。
また、オスマン帝国でもシャムシールと同じような「キリジ」という湾刀が使われていました。
三日月形のパン・クロワッサン
バターをパン生地に何層にも折りこんで焼き上げる、サクサクの食感が特徴のクロワッサン。クロワッサンは、フランス語で「三日月」という意味があります。クロワッサンは、オーストリアのウィーンが発祥です。
1683年に攻めてきたトルコ軍を、オーストリア帝国の皇帝「ハプスブルク家」の守備隊が撃退しました。そのお祝いにトルコの国旗に描かれている三日月の形をしたパンを作って食べ「トルコを食べてやった」とお祝いしたというエピソードもあります。
その後、フランス王のルイ16世に嫁いだマリー・アントワネットによってフランスへ伝えられ、フランスを代表するパンになりました。クロワッサンの形には、三日月形と菱形があります。
フランスでは、マーガリンを使用した三日月形のものを「クロワッサン・オルディネール(Croissant ordinaire)」、バターを使用した真っ直ぐな菱形のものを「クロワッサン・オ・ブール(Croissant au beurre)」と呼び、区別することもあるようです。
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ちなみにトルコには、クロワッサンとよく似た形の「アイ・チョレイ(Ay çöreği)」という甘いパンがあります。
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三日月と同じ語源・クレッシェンド
三日月(Crescent)と音楽記号のCrescendo(クレッシェンド)=「だんだん強く」の語源は同じで、ラテン語のCrescere(クレッシェレ)=成長する、増大するからきています。
クレッシェンドとは反対に「次第に弱く」という音楽記号は、Decrescendo(デクレッシェンド)といいます。
このクレッシェンドとデクレッシェンドの強弱が激しく変化する曲の一つにベートーベン作曲の「トルコ行進曲」があります。劇付随音楽の「アテネの廃墟」の中の1曲で、トルコの軍隊が遠くから近づいて遠くに去っていく様子を音の強弱を用いて効果的に表現しているのが特徴です。
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肥沃な三日月地帯
三日月とつく有名な言葉の一つに「肥沃な三日月地帯」があります。これは、古代オリエント史の説明で使われる地理的な概念です。
メソポタミア、シリア、パレスチナを含む三日月形のエリアは、世界に先駆けて農耕文明が成立した地域で、メソポタミア、古代エジプトといった多くの古代文明が栄えました。
現在の国でいうと、イラク、シリア、レバノン、イスラエル、パレスチナで、これにエジプトを含むこともあります。また、東南トルコ、西北ヨルダン、西南イランも含まれています。
「肥沃な三日月地帯」という用語が初めて用いられたのは、1916年のことです。アメリカのエジプト学者だったジェームズ・ヘンリー・ブレステッドが、著書『エジプト古代記録』の中で初めて使用しました。それ以降、古代オリエントの中心地を指す言葉として広く普及したのです。
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日本の戦国武将・伊達政宗と三日月
三日月というと、日本では歌手の絢香さんの大ヒット曲「三日月」や、千葉県のスパリゾートホテルグループ「三日月」が有名ですね。しかし、忘れてはならないのは三日月の兜をかぶった戦国時代の武将・伊達政宗です。伊達政宗と三日月との関係について紹介します。
伊達政宗の三日月に込めた想い
伊達政宗は戦国時代の中でも知名度の高い武将です。多くのエピソードを残す個性的な人物で、右目に眼帯をしていたことから独眼竜という異名を持ちます。また、大きな三日月の兜も目を引きます。
実は伊達政宗が掲げた三日月には、ある想いが込められています。政宗の兜が三日月のモチーフになった背景には、妙見信仰の影響がありました。
妙見信仰とは、北極星を神格化した妙見菩薩に対する信仰で、武将たちは武運を祈願しました。星、月、太陽も信仰のシンボルで、政宗の兜の前立ても月への信仰が元になったといわれています。
伊達政宗の兜と三日月
「三日月の前立て」を考えたのは政宗ではなく、実はその父の輝宗だったそうです。輝宗は政宗が生まれた時に、息子の旗印を「白地に赤丸」と決めました。この旗はそのイメージ通りに日本の国旗に似ています。
そして、輝宗はその旗印の太陽と対象になるように兜の前立てを月に決めたのです。月のデザインには満月もありますが、旗印の太陽と区別がつかなくなるため、兜の前立ては三日月になったそうです。
また、三日月の「これから満ちていく月」という意味を考えれば、天下を狙う政宗の志を表現しているともいえます。
三日月と関係の深いトルコの旅を楽しもう
神秘的な雰囲気を持つ三日月は、さまざまなものと関係があり、それぞれに意味を持ちます。日本でも戦国武将の兜のモチーフに使われたり、古くからのおまじないとして三日月に願いが込められたりしてきました。
トルコの国旗にも用いられている三日月ですが、トルコの軍楽音楽であるメフテルや使用されるトルコの楽器にも関係しています。また、月の女神アルテミスの象徴ともされています。
三日月と関係の深い、アルテミス神殿やハルビエ軍事博物館などを訪れてゆっくりとトルコの旅を楽しんでみませんか。
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