トラキアとは?黄金文明からオスマン帝国の繁栄まで、歴史が交差する地域を徹底解説!
更新日:2023.04.05
投稿日:2022.10.04
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トラキアとは、バルカン半島の南東部を指す歴史的呼称です。現在はブルガリア、ギリシャ、トルコの3カ国に分かれています。激動の歴史に彩られ、現代でも地理戦略的にも重要な地域となっています。その歴史は古く、近年の発掘調査では、エジプトやメソポタミア文明の黄金製品より年代が古い世界最古の黄金文明が存在したことが確認され話題となりました。
今回は、そんなトラキアの歴史や、現在のトラキア地域にあるおすすめスポットなどをご紹介していきます。
Contents
トラキアとはどんな地域?
現在、トラキアはブルガリア、ギリシャ、トルコの3カ国からなり、ブルガリアの南東部とギリシャの北東部の一部は西トラキア、トルコのヨーロッパ部分は東トラキアとも呼ばれています。
ブルガリア領ではプロヴティフ、スタラ・サゴラ、ギリシャ領はアレクサンドルーポリ、コモティニ、トルコ領はエディルネとイスタンブールのヨーロッパサイドがトラキアにふくまれていて、地理的には、東は黒海、南はマルマラ海とエーゲ海によって画されています。
19世紀初頭、400年を超えるオスマン帝国の支配からギリシャが独立。その際に両国内で、トルコ領内に住むギリシャ正教徒はギリシャへ、ギリシャ領のイスラム教徒はトルコへと強制的に移住させられましたが、例外的にイスタンブールの正教徒とトラキア地方のイスラム教徒は受け入れるとしたため、現在も10~14万人のイスラム教徒がトラキア地方に住んでいます。
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トルコ領のある東トラキアとはどんな場所?
ここでは、トラキア地方のトルコ領の部分である東トラキアがどんな場所か解説していきます。
トルコにおいて重要な地域
東トラキアはトルコ共和国のヨーロッパ部分で、オスマン帝国時代の古都エディルネやイスタンブールのヨーロッパ地区などが含まれます。ボスポラス海峡とダーダネルス海峡に隣接し、ロシア、ウクライナ、ルーマニア、ブルガリア、ジョージアの5カ国の海軍の黒海から地中海へのアクセス経路となっていて、現代でも地政学的に重要な地域となっています。
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トルコワインの生産地としても有名
東トラキアはトルコワインのおもな産地としても知られています。温暖な海洋性気候のトラキアとマルマラで、全体の4割ほどを生産するともいわれるほどの一大産地で、現地には宿泊が可能なシャトーなどもあり、ワイン好きからも人気を博しています。
東トラキアだけでなく、トラキア地方では古来より盛んにワインの生産が行われてきました。紀元前8世紀頃に書かれた古代ギリシャの長編叙事詩『オデュッセイア』にも、トラキアワインについての記述があります。
古代トラキアに存在したトラキア人
ここでは古代トラキアに住んでいた謎多き民族、トラキア人について解説していきます。
トラキア人とは?
トラキア人は古代の東ヨーロッパ・バルカン半島に住んでいた民族。トラキア語を話し、当時のヨーロッパでは相当の勢力を誇っていたと考えられていて、古代ギリシャの歴史家ヘドロスをして「インド人についで世界最大の民族」といわしめたほど。さらに、多数の精巧な金製品などの遺物や遺跡を残していて、高度な文明を持っていたこともうかがえます。
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現在のルーマニア、モルドバ、ウクライナ中西部、ハンガリーやスロバキアの東部にいたダキア人は、トルキア人と同族とされています。また、アナトリアにいたフリュギア人もトラキアから来たという言い伝えがあるようですが、真実は解明されていません。
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トラキア人は数多くの部族に分かれていましたが、紀元前1世紀頃に建国されたダキア王国のように、有力部族が連合して国を作ることもあったようです。
神話の中のトラキア人
トラキア人が文献に最初に登場するのは、ホメロスによって作られたと伝えられている最古期の古代ギリシャ詩作品の『イーリアス』です。ここには、トラキア人がトロイアを支援して戦ったという話が記されています。また、『イーリアス』と並んでホメロスの作品だと伝承されている古代ギリシャの長編叙事詩『オデュッセイア』にも記載があります。ここでは、オデュッセウスたちがトロイア戦から帰還する途中にトラキアを襲ったという話が出てきます。
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古代トラキア人の信仰・神話
古代トラキア人の信仰は、人身御供や動物崇拝が行われるような原始的なものでした。また、ギリシャ神話の豊穣神であり酒の神バッカスとも呼ばれるディオニュソスと同一視される植物神を崇拝していたことでも知られています。同じくギリシャ神話に登場する詩人で竪琴の名手でもあるオルフェウスは、トラキア出身だとする説もあります。
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さらに、死後は死後の世界に魂が移行するという来世信仰も行われていて、生と死において独自の価値観を持っていました。
トラキアとフリュギアとの関係性
古代の歴史家の説や神話では、フリュギアとトラキアには深いつながりがあるといわれています。古代ギリシャの歴史家ヘロドトスが著した『歴史』には、フリュギア人はトラキアから小アジアに移住したというマケドニアの言い伝えが記されています。ほかにも、トラキアの埋葬習慣にアナトリアとの類似性があるなど、両地域には深い関係性があることがうかがえますが、はっきりしたことはわかっていません。
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トラキアの歴史
ここでは古代から中世を経て、近現代までのトラキアの歴史について解説していきます。
古代から中世へ
有史以前のトラキアの歴史は現在もはっきりとわかっていませんが、ブルガリアで発見された紀元前3000年頃の遺跡がトラキア人のものではないかと推測されています。また、近年ブルガリア領内でトラキア時代の発掘が進み大量の金細工などが発見されたことで、金の活用方法を知っている高度な「黄金文明」が存在していたとも考えられています。
トラキア人に関する記述がある最初の文献は、古代ギリシャの『イーリアス』で、その後本格的に記録に表れるのは紀元前5世頃から。
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古代ギリシャの有名な歴史家ヘロドトスは彼の著書『歴史』の中で、人身御供や子供の売買、一夫多妻制であったことや火葬が行われていたことなどを、トラキア人の奇習として記しています。これらの習わしはギリシャ人から野蛮とみなされていました。
トラキアは紀元前6世紀にはペルシアのアケメネス朝の支配下に入り、紀元前4世紀にはマケドニア王国によって征服されます。トラキア人は次第にギリシャ文化の影響を受けるようになり、彼ら独自の言語や文化は消滅していくこととなります。
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ローマ帝国・東ローマ帝国の支配
紀元前4世紀頃から、トラキアの南部は共和制ローマに支配されます。また、現在のブルガリアに含まれる北部は、ローマ帝国・東ローマ帝国の支配を受け属州となりました。当時、トラキアの東端にあるビザンチンがローマ帝国の首都コンスタンティノポリスとなったことで、トラキアは首都近郊の要所とみられるようになっていきました。
紀元前73~71年には、ローマ史上最大といわれる奴隷反乱が起こります。「スパルタクスの乱」とも呼ばれるこの戦いを指導したスパルタクスは、トラキア人でした。
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オスマン帝国の勢力が浸透
大ブルガリアから第1次ブルガリア帝国、第2次ブルガリア帝国と、一時はブルガリア帝国がトラキア地域の大半を支配していましたが、14世紀以降オスマン帝国の勢力が浸透していきます。
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オスマン帝国の勢力はガリポリからダーダネルス海峡を渡って拡大。東ローマ帝国のトラキア地方の中心都市だったアドリアーノブルは、オスマン帝国の首都エディルネと改称されます。オスマン帝国の支配下でトラキアにはイスラム教徒が大量に住むようになり、民族的宗教的な混在が進んでいくこととなります。
近代
20世紀初頭のバルカン戦争や第一次世界大戦によって、トラキア地方は3カ国に分裂。エディルネ以北はブルガリア、エヴロス川以西はギリシャ王国、残りはトルコに分断され現在にいたります。
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トラキアに存在した世界最古の「黄金文明」
トラキア人は現在のブルガリアを中心とした地域に紀元前3000年頃から住んでいて、紀元前3~5世紀に最盛期を迎えたといわれています。1972年ブルガリアの東部ヴァルナ集団墓地遺跡で黄金製品を含む遺跡が発見されたことで、エジプトやメソポタミア文明の黄金製品より年代が古く、世界最古の黄金文明がトラキアに存在したことが確認され話題となりました。
トラキア人は文字文化を持っていなかったこともあり、現代においても謎多き民族とされていますが、遺跡の発掘により解明が少しずつ進められています。
トラキアのおすすめ観光スポット
ここではトラキア地方にある都市やおすすめの観光スポットを国別にご紹介していきます。機会があればぜひ訪れてみてくださいね。
ブルガリア
カザンラクのトラキア人の古墳
カザンラクのトラキア人の古墳は、世界遺産にも登録されている墳墓です。建造は紀元前4世頃と考えられていて、当時の王や王妃を葬るために造られたのではないかと推測されています。古墳の内部には「告知」がモチーフとなっていると考えられている光景が描かれた壁画があり、トラキア人の作品の中でも傑出したものだといわれています。
Thracian Tomb of Kazanlak – UNESCO World Heritage Centre
スヴェシュタリのトラキア人の古墳
スヴェシュタリのトラキア人の古墳は、世界遺産にも登録されている墳墓で、ブルガリアの北東部にあります。紀元前3世紀頃に造られたトラキア人の王族の古代墓地ではないかと考えられていて、当時のトラキア人の宗教建築の基本的な構造原理を伝える遺構です。
墓の内部には彩色された壁画やカリアティードと呼ばれる彫像があり、供物として5頭の馬と1匹の豚、1匹の犬の骨、陶器や青銅製の彫像、金のイヤリングなども発掘されています。
Thracian Tomb of Sveshtari – UNESCO World Heritage Centre
ギリシャ
パナギア/カバラ
カバラはギリシャのトラキア地方にある都市です。パナギアはカバラの旧市街地区で、歴史的な中心地。オスマン帝国時代の遺跡などが残っていて観光にもおすすめです。
アギアパラスケヴィビーチ/アレクサンドルーポリ
アレクサンドル-ポリはギリシャの西トラキアに含まれる都市で、トルコとの国境から約40kmの場所にあります。アギアパラスケヴィビーチは、この町にある観光客に人気のビーチ。手つかずの自然のままの姿が美しい景勝地でもあります。
ピリッポイの古代遺跡/クリニデス
クリニデスはギリシャのトラキア地方にある都市です。おすすめの観光地は、ピリッポイの古代遺跡。マケドニア王アレキサンダー大王の父であるピリッポス2世が紀元前356年に造った城壁都市で、世界遺産にも登録されています。
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トルコ
エディルネ
エディルネはトルコ最西端の都市で、東トラキアに含まれる場所にあります。イスタンブール以前に首都ともなったオスマン帝国時代の古都でもあります。世界遺産に登録されているセリミエ・モスクや、オスマン帝国時代の貴重な美術品などが収蔵されているトルコ・イスラム美術館など、見どころがたくさんあります。
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イスタンブール歴史地区
イスタンブールの歴史地区は、イスタンブールの旧市街地にある歴史的建築物群が集中するエリアのことで、ユネスコの世界遺産にも登録されています。
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オスマン帝国のスルタンの居城だったトプカプ宮殿や、ビザンツ帝国時代にギリシャ正教の総本山とされ現在はイスラム教のモスクとなっているアヤソフィア、ブルーモスクの通称で知られるスルタンアフメト・モスクなど、ビザンツ帝国やオスマン帝国時代の歴史的建造物が数多く残っています。
雄大な歴史に思いをはせながらトラキアを旅してみよう
トラキアはオスマン帝国が支配を拡大した地域でもあります。オスマン帝国の古都エディルネやイスタンブールのヨーロッパ部分はトラキアに含まれ、東トラキアとも呼ばれます。この地域には、当時を思わせる遺跡などもたくさん残っています。ぜひ、東トラキアにあるトルコの街を旅して、雄大な歴史ロマンを体感してください。
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