巡礼とは?礼拝との違いや種類、主要宗教やトルコならではの聖地を紹介
更新日:2023.04.05
投稿日:2022.09.12
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巡礼とは、宗教上の聖地を訪れることです。映画やアニメなどの聖地巡礼の元となった言葉でもあります。日本では巡礼といえば、四国八十八箇所巡り(四国遍路)や熊野古道巡礼が有名です。
寺社仏閣や教会などを訪れるのが巡礼であれば、普段の参拝や礼拝とはなにが違うのでしょうか。宗教に馴染みがなければ、「巡礼」や「礼拝」が具体的にどのようなもので、どう違うのかわからない方も多いのではないでしょうか。
この記事では、巡礼の意味や種類、礼拝との違いをはじめ、世界各地にあるキリスト教やイスラム教など各宗教の巡礼地を紹介します。最後まで読めば、知っているようで知らなかった巡礼について、一気に詳しくなれます。紹介する巡礼地は世界遺産や観光スポットとしても有名な場所ばかりなので、次の海外旅行の候補地としても検討してみてください。
巡礼とは
巡礼とは簡単にいうと、神社やお寺など宗教上の聖地を訪問することです。ただし、居住地域内にある近所の神社やお寺を訪問することを巡礼と呼ぶことはありません。基本的には日常生活から離れて遠方にある聖地を訪問し、神聖なものに触れて再び日常生活に戻るというイメージです。
巡礼は、日本では平安時代に始まったとされています。貴族が願掛けのために神社を参拝していたものが、いつしか極楽往生を願う巡礼へ変わったようです。巡礼が一般人にも広まったのは中世になってからのことです。四国八十八箇所巡りに関しては、江戸時代中期以降に広まったとされています。近世の巡礼は極楽往生を願うというよりも、現世での願いを叶えることを目的として行われる傾向があります。
なお、アニメやドラマなどのファンが、作品に深い関係のある地を訪れること意味する「聖地巡礼」は、宗教的に重要な意味を持つ地を巡るという意味が転じて生まれた言葉です。
巡礼の種類
一口に巡礼といっても、その種類は一つではありません。たとえば、巡礼を行う規模によって「集団型」と「個人型」に、目的地によって「直線型」と「円周型」にわけられます。
集団型と個人型
集団型では、パッケージツアーのように集団で聖地を訪問します。巡礼の目的地の多くは人里離れた場所にあるケースが多いため、交通手段が発達していなかった時代は、ほとんどが集団型でした。
個人型では、個人が巡礼したいと思ったときに、自分でスケジュールを立てて手配し、一人で聖地を訪問します。準備や費用の負担が大きいことから、現在でも世界的には集団型が主流です。
- 集団型:集団で聖地を訪れる
- 個人型:個人で聖地を訪れる
同じ聖地を訪れる巡礼でも、仲間とともに行う集団型と一人で行う個人型では、まったく違う体験となるでしょう。
直線型と円周型
直線型では、特定の聖地を目指して訪問します。目的地は一つなので、ほかの聖地は回りません。
一方、円周型では、いくつかの聖地を順番に訪れます。聖地がきれいな円形に並んでいない場合も、複数の目的地を順番に回る場合は円周型に分類されます。
- 直線型・・・特定の聖地を目指して訪れる
- 円周型・・・いくつかの聖地を順番に訪れる
世界的に一般的なのは直線型ですが、アジア圏では円周型が多い傾向があります。
礼拝との違い
礼拝とは、神社や教会で神様を拝むことです。仏教では礼拝を「れいはい」ではなく「らいはい」と呼び、イスラム教では「サラート」と呼びます。巡礼は聖地を訪れて礼拝することを指し、礼拝は信仰対象を拝むこと自体を指します。巡礼と礼拝は、それぞれの言葉が指す行為そのものが違います。
- 巡礼:聖地を訪れて礼拝すること(特別な行為)
- 礼拝:信仰対象を拝むこと(日常的な行為)
礼拝には、宗教上の儀式としての礼拝と、個人的に拝む礼拝があり、宗教や教派によって拝み方や作法はさまざまです。たとえば、キリスト教の場合は毎週日曜日に教会へ向かい礼拝を行いますが、教派ごとに教会内の雰囲気や儀礼の内容が異なります。なお、日本ではキリスト教の礼拝をミサと呼ぶことが多いものの、本来、ミサはカトリック教会で行われる特定の祭儀を指す言葉です。
主な宗教の巡礼地
キリスト教やユダヤ教、イスラム教など、ヨーロッパから中近東にかけての巡礼は直線型が一般的です。巡礼地は日本でも広く知られているエルサレムやサンティアゴ・デ・コンポステラ、メッカなどがあります。
主にアジア圏で信仰されている仏教やヒンドゥー教の巡礼地は円周型です。仏教ならブッダゆかりの地を巡礼します。たとえば、中国の四大聖地巡礼が有名です。
巡礼地には、メッカのように教徒以外は立ち入り禁止としている「限定型」と、四国遍路のように観光での訪問を含め、信仰を問わずだれでも受け入れている「開放型」が存在しています。
3つの宗教の聖地エルサレム
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は、起源を同じくする姉妹宗教です。エルサレムはこれら3つの宗教の聖地とされており、世界中に点在する聖地の中でも特殊な場所といえるでしょう。現在はそれぞれの宗教を信仰する人々が暮らしています。1981年には世界遺産に登録されました。
エルサレムは古代イスラエル王国が建国された場所に位置します。四方を壁で囲まれた旧市街に「嘆きの壁」「聖墳墓教会」「岩のドーム」など、宗教に関連する施設や歴史的に重要な建造物が存在しています。
嘆きの壁はユダヤ教徒が祈りを捧げる場所で、ユダヤ教の聖地です。モーセの契約の櫃が保管されていた神殿の西側の壁のうち、地上に出ている部分を指すのが一般的です。
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聖墳墓教会はキリスト教徒が祈りを捧げる教会で、ユダヤ教と敵対し処刑されたキリストが復活した4世紀に建てられた教会です。
岩のドームは嘆きの壁の内側にあるドームで、現存するイスラム建築の中では最古の建物といわれています。こちらではイスラム教徒が祈りを捧げます。
キリスト教の巡礼地
キリスト教の巡礼地はエルサレム以外に「バチカン」と「サンティアゴ・デ・コンポステラ」があります。この2か所はエルサレムとともに、キリスト教の三大巡礼地とされています。キリスト教については、以下の記事でも詳しく解説していますので、あわせてお読みください。
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バチカン
バチカンは、「バチカン市国」とカトリック教徒の総本山「教皇聖座」の総称です。バチカン市国はイタリアのローマ市内にあり、約0.44平方kmほどの世界で一番小さな国です。ローマ教皇が立法・行政・司法の全権を行使する元首となっています。
バチカンには世最大級の教会として知られる「サン・ピエトロ大聖堂」や、キリスト教に関連する芸術を展示している「バチカン美術館」、教皇のための礼拝堂「システィーナ礼拝堂」などがあり、街全体が世界遺産に登録されています。
サン・ピエトロ大聖堂の名前は、イエス・キリストの12使徒の一人で、初代教皇とされるペテロが由来です。最初の聖堂が建設されたのは324年ですが、1506年に皇帝ユリウス2世が建て替えをはじめます。ミケランジェロやラファエロといった芸術家も携わり、120年かけて完成したのが現在の聖堂です。
サンティアゴ・デ・コンポステラ(スペイン)
サンティアゴ・デ・コンポステラは、スペイン北部に位置する都市です。中心部にあるサンディアゴ大聖堂には12使徒の一人、聖ヤコブが祀られており、この大聖堂に続く巡礼路がヨーロッパ各地から続いています。
フランスのピレネー山脈を越えて巡礼に訪れる道を「スペインサンティアゴ・デ・コンポステラの巡礼路」といい、巡礼路が世界遺産となっている珍しい場所です。
壮麗な大聖堂ですが、初期は現在の姿ではありませんでした。最初の聖堂は焼失し、11世紀から始まった再建により現在の姿へとなりました。
1000年以上前からキリスト教徒の聖地として多くの巡礼者が訪れている都市は、歴史的な建物や石畳の道が広がる独特な雰囲気が魅力です。
イスラム教の巡礼地
イスラム教の巡礼地は、エルサレム以外にも「メッカ」や「預言者のモスク」などがあります。それぞれの特徴やイスラム教との関わりを詳しく解説します。
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メッカ(サウジアラビア)
サウジアラビアにあるメッカは、イスラム教発祥の地として知られています。イスラム教は、西暦570年頃にメッカを支配していた一族の息子として誕生したムハンマドが創唱しました。ムハンマドが40歳のときに天使ガブリエルによる神(アッラー)の啓示を受け、人々に神の言葉を伝えることを決めたのがきっかけです。このことから、イスラム教ではムハンマドは神様ではなく、あくまでも神様の啓示を人々に伝える預言者とされています。
メッカの中心には、神様に奉納した唯一の神殿とされる黒い箱のようなカーバ神殿があり、人々はカーバ神殿を中心に礼拝を行う決まりです。
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なお、イスラム教には「ハッジ」と「ウムラ」という2種類の巡礼があります。ハッジはムスリムが一生に一度は行わなければなければならないとされており、実施期間や巡礼方法が明確に定められています。ウムラは、ハッジの期間以外に自由に訪れる巡礼です。
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預言者のモスク(サウジアラビア)
預言者のモスクもサウジアラビアに位置するイスラム教徒の巡礼地で、預言者ムハンマドのお墓が併設されています。ムハンマドはメッカで迫害を受けたことをきっかけに、622年にこのモスクが建つ場所に移り住み、生涯を閉じるまで過ごしました。
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ムハンマドの自宅に隣接するモスクは、世界のモスクの原型になったとされています。ムハンマドがこの世を去ってからも増改築が繰り返され、現在のモスクの形になりました。
ムハンマドのお墓と説教壇の間のエリアを「ローダ・アッシュ・シャリファ(高貴な庭園の意)」と呼んでおり、「このエリアで唱えた祈りは受け入れられないことはない」といわれています。
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ヒンドゥー教の巡礼地
ヒンドゥー教の巡礼地は、ヒマラヤ四大聖地と呼ばれる「ヤムノートリー」「ガンゴトリ」「ケダルナート」「バドリナート」の4か所です。
ヤムノートリーは、ガンジス川と合流するヤムナー川の源流に位置する寺院です。昔ながらの村に佇む素朴な寺院で、この場所から流れ出る聖なる温水は持ち帰ることができます。
ガンゴトリは、女神ガンガーが舞い降りた場所とされている寺院です。宮殿のようなフォルムの真っ白な寺院はとても美しく、四大聖地の中でも特に人気があります。参道にはお土産店などもあり、観光客で賑わいます。
ケダルナートは、シヴァ派の教典に記載されている12ある聖地の中の一つです。四大聖地の中で最も標高の高い場所にあります。
バドリナートはヒンドゥー教の神様の一人、ヴィシュヌ神の聖地です。四大聖地の中では一番大きな町で、高台には太陽神を祀る寺院が建てられています。
ヒマラヤ四大聖地は、いずれもガンジス川と合流する川の源流域に位置しているのが特徴です。全長約2500kmにも及ぶガンジス川自体も、女神ガンガーとして神聖な存在とされています。
仏教の巡礼地
ここからは、日本人にも馴染み深い仏教発祥の地やお釈迦様にまつわる聖地、日本国内の聖地にわけてご紹介します。
インド・ネパール・スリランカ
仏教発祥の地はインドです。紀元前5世紀頃のインドで、お釈迦様(ブッダ)が人々にさまざまな教えを説いたのが仏教のはじまりです。
発祥の地だけあり、インドとお釈迦様には現在も深い関係があります。たとえば、仏教がはじまった地には世界遺産にもなっているマハーボーディー寺院が建っており、インドの国旗には仏教をインドに広めたアショーカ王の仏教マークが記されています。
そんなインドや周辺国にある仏教の聖地といえば、四大聖地と八大聖地です。四大聖地はお釈迦様が生まれたネパール南部の小さな村「ルンビニ」、お釈迦様が悟りを開いたインド東部の地「ブッダガヤ」、お釈迦様が初めて教えを説いた初転法論の地として知られる「サールナート」、お釈迦様が入滅した「クシナガラ」です。
ここに、お釈迦様が最も長くいたとされる「ラージャグリハ(ラージギル)」、インドとネパールの国境付近にある「サヘート・マヘート」、亡き母のために天界で説法をして戻ってきたとされる「サンカーシャ」、お釈迦様が最後に旅をしたとされる「ヴァイシャリ」を加えると、八大聖地となります。
また、スリランカ最古の都「アヌラーダプラ」も、仏教の聖地として多くの巡礼者が訪れる場所です。紀元前3世紀に仏教が伝わり、そこからスリランカ全土に仏教が広がったといわれています。
日本
日本における仏教の聖地巡礼で有名なのは、「四国八十八箇所巡り(四国遍路)」や「西国三十三箇所巡り」です。四国遍路は、由来や巡礼する札所が八十八か所となった理由に諸説あります。現在の札所が固定されたのは1687年に眞念が著した「四国邊路道指南」からといわれています。
西国三十三箇所巡りは718年に始まったとされる、日本最古の巡礼です。近畿地方の2府4県と岐阜県にまたがる33の寺院を巡礼し、すべての寺院で御朱印をいただくと極楽往生できるとされています。2019年には日本遺産に登録されました。
また、816年に弘法大師が開いたとされる和歌山県の「高野山」、京都府と滋賀県にまたがる「比叡山」も仏教の聖地として有名です。高野山には117もの寺院が立ち並んでおり、比叡山には山全体が境内となっている延暦寺が建てられています。
神道の巡礼地
神道にも巡礼地があり、神社を参拝します。たとえば、三重県にある「伊勢神宮」や和歌山県の「熊野古道」、島根県にある「出雲大社」が有名です。
伊勢神宮には、天照大御神を祀る皇大神宮をはじめとする125のお宮があります。親しみを込めて「お伊勢さん」や「大神宮さん」と呼ばれることもある人気の巡礼地です。
巡礼地として知られる熊野古道とは、熊野三山(熊野速玉大社、熊野那智大社、熊野本宮大社)を結ぶ道のことです。熊野古道でつながる熊野三山と伊勢神宮を結ぶ巡礼の道は「熊野古道伊勢道」と呼ばれています。
出雲大社は大国主神を祀る神社で、男女の縁や仕事の縁など、さまざまな縁結びの御利益があるとされており、多くの参拝客で賑わいます。10月を「神無月」と呼ぶのは、毎年10月になると縁を結ぶために全国の神様が出雲大社に集合して、ほかの地域の神様がいなくなるからです。一方出雲では、神様が集まるので「神在月(かみありづき)」と呼ばれています。
トルコで聖地巡礼!宗教的に重要な意味を持つスポット
トルコには、キリスト教に関する重要なスポットやイスラム教の重要なスポットがいくつもあります。ここからは、トルコの宗教的に重要な意味を持つスポットをご紹介します。
キリスト教
観光地としても有名なエフェソスやカッパドキア、洞窟教会は、キリスト教に関する重要なスポットです。それぞれどのような場所なのか、詳しく確認していきましょう。
エフェソス
エフェソスは、現在のトルコのエーゲ海地方に位置するセルチュクに残る大都市遺跡です。クレオパトラがアントニウスと暮らした都市、世界七不思議の一つであるアルテミス神殿が建造された都市として有名です。歴史的に重要なだけでなく、キリスト教にとっても深いつながりのある土地で、有名な聖地でもあります。
エフェソスはキリスト教の大伝道者といわれるパウロが布教活動を行った地であり、イエスの12使徒ヨハネが聖母マリアを連れてきて過ごした地です。
エフェソスにはヨハネが埋葬された墓の上に建てられた「聖ヨハネ大聖堂」や、聖母マリアが晩年を過ごした「聖母マリアの家」など、キリスト教に関するスポットがあり、見学可能です。
また、ヨハネが書いたとされる「ヨハネの黙示録」には、小アジア(現在のトルコ)の主要な教会七つの中の一つとしてエフェソスが記されています。七つの教会はほかにイズミール、ベルガマ、アクヒサル、サルト、アラシュヒル、デニズリにあります。
シャンル・ウルファ
トルコ南東部の町シャンル・ウルファは旧約聖書の預言者アブラハムゆかりの地です。2018年に世界遺産登録された“世界最古の遺跡”とされる「ギョベクリテペ遺跡」を有する歴史ある町です。
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市の中心にある「聖なる魚の池」には、アブラハムにまつわる逸話があります。アブラハムがニムロド王に火あぶりの刑に処された際、炎が水、薪が魚に変わる奇跡が起きたといわれています。現在でも池の魚は聖なる魚とされ、食べることはありません。
聖なる魚の池のとなりには、アブラハム生誕の地とされる小さな洞窟があります。誕生の前に「今年生まれた子が当時の王の治世を終わらせる」との予言があり、王がその年に生まれた男の子を殺そうとしていたため、アブラハムの母は洞窟に逃れてそのまま出産したのです。アブラハムはこの洞窟に7歳まで住んでいたとされています。
現在では国内外から信者が訪れる聖地となっており、洞窟の中にある泉の湧き水は、治癒の水として知られています。
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聖ペテロの洞窟教会
アンタキヤ東部に位置するスタウリス山に聖ペテロがつくった教会が、「聖ペテロの洞窟教会」です。岩肌にある高さ約7m、幅約9m、奥行き約13mの教会は、自然の洞窟を利用してつくられました。この教会はもともと迫害されたキリスト教徒が密かに集会を実施するためにつくられたそうです。洞窟内には水が湧き出ており、飲料や治療のために使用されていました。
1983年にローマ教皇のパウロ6世がキリスト教徒の巡礼地と宣言し、毎年6月29日にはカトリック教会のミサが行われています。フレスコ画や床のモザイクの断片も目にすることができます。
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イスラム教
トルコには、イスラム教に関する重要なスポットもあります。観光地としても有名な、みどころある場所ばかりです。
エユップ・スルタン・ジャーミィ
エユップ・スルタン・ジャーミィはイスラム教を開いたムハンマドの盟友、アイユーブ・アル・アンサーリの墓近くに建てられたモスクです。アイユーブ・アル・アンサーリは、ムハンマドの死後、アラブ軍を指揮していた、イスラムにおける英雄の一人です。
モスクは1458年に建てられたものの崩壊し、1800年に再建されました。内部にはあらゆる時代の美しいタイルや巨大なシャンデリア、黄金、豪華なトルコ絨毯などで装飾が施されており、見る者を魅了します。アイユーブの墓は、モスクを見下ろす丘に残っています。
コンヤ
コンヤはトルコ中部に位置する都市で、紀元前3000年からの歴史があります。現代ではイスタンブールやカッパドキアなどほかの観光地ほどの知名度はないものの、11世紀のルーム・セルジューク朝時代には首都として栄えていました。
コンヤはイスラム神秘主義の教団「メヴレヴィー教団」の総本山があった都市です。メヴレヴィー教団は1925年に解散させられましたが、総本山だっただけあり教団を立教したメヴラーナの霊廟や神学校などなどの遺跡が残っています。メヴラーナの霊廟は「メヴラーナ博物館」の一部として一般公開されています。
コンヤとは?外せない観光スポットと歴史あるトルコの古都の魅力を解説
また、コンヤを訪れた際は、ぜひメヴレヴィー教団独自の礼拝の儀式「セマー」を鑑賞しましょう。セマーは白い衣装を身に着けて1時間以上旋回し続ける舞踊で、2008年にはユネスコの無形文化遺産に登録されています。
番外編:トルコにあるドラマ・漫画の聖地
トルコには、日本の漫画『天は赤い河のほとり』『夢の雫、黄金の鳥籠』や世界中にファンを持つ人気トルコドラマ『オスマン帝国外伝』の舞台となった聖地もあります。
トプカプ宮殿
トプカプ宮殿はイスタンブールの旧市街に建つ宮殿で、オスマン帝国の最盛期を描いたドラマ「オスマン帝国外伝」や漫画「夢の雫、黄金の鳥籠」に登場します。1460年から1478年にかけて建てられ、1856年にドルマバフチェ宮殿が完成するまでオスマン帝国を治めるスルタンの住まいとして活用されていました。
宮殿の敷地内に一歩足を踏み入れると、ドラマや漫画の世界に入り込んだかのような空間が広がります。約70万㎡もの広大な敷地内には複数の中庭や宮廷の女性たちが暮らしたハレム、宮殿内には海外からの贈り物が並ぶスルタンの広間、複数の小さな噴水があるムラト三世の部屋、美しいステンドグラスなど見どころが満載です。
トプカプ宮殿はオスマン帝国皇帝達380年の居城!見逃せない観光ポイント!
スレイマニエ・モスク
スレイマニエ・モスクは、オスマン帝国を最盛期に導いたスレイマン一世が建てた壮大なモスクです。外観、内装ともに見事なモスクは、オスマン帝国史上一といわれる建築家、ミマール・スィナンが手がけました。
スレイマニエ・モスクも「オスマン帝国外伝」や「夢の雫、黄金の鳥籠」に登場しています。オスマン帝国時代のモスクとしては最大規模のモスクで、敷地内にはスレイマン大帝や「夢の雫、黄金の鳥籠」のヒロイン・ヒュッレム妃とその娘が眠る霊廟もあります。
モスク内は16世紀につくられたガラスを使用したステンドグラスを通って差し込む光が幻想的です。訪れる際は事前にドラマや漫画でスレイマン大帝やヒュッレム妃の物語を見て、彼らに思いをはせてみるのもおすすめです。
スレイマニエ・モスクとは?トルコ・イスタンブールにそびえ立つオスマン帝国最高の建築
ハットゥシャ遺跡
ヒッタイト帝国の首都だったハットゥシャは、漫画『天は赤い河のほとり』の舞台です。現在の女子高生・夕梨(ユーリ)が突然、ヒッタイト皇妃の生贄として紀元前14世紀のヒッタイト王国首都ハットゥシャへ召喚されて物語がはじまります。王妃の魔術をかわしつつ、ヒッタイト皇子カイル(ムルシリ2世)との愛を育んだユーリは、現代へ戻るのではなく、女神イシュタル・皇妃タワナアンナとしてヒッタイトで生きていきます。史実をもとにしており、ヒッタイトや古代オリエント世界、周辺国との関係なども描かれている壮大な歴史スペクタクルです。
ハットゥシャ遺跡は、アナトリア高原に広がる当時の生活の様子をうかがい知れる貴重な遺跡です。建物はほとんどが基礎しか残っていませんが、当時どんな町が存在していたのか想像するには十分な光景が見られます。事前に見どころを抑えておくと、訪れる際の楽しみを何倍にもできます。
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