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トルコの宗教事情まとめ!イスラム教徒の割合や食事・お酒などの生活面も解説

更新日:2023.04.05

投稿日:2022.08.25

Views: 5837

セリミエモスク トルコ イスタンブール

トルコでは国民のほとんどがイスラム教徒だといわれていますが、国によって決められているわけではありません。また、実はトルコはイスラム教だけでなくキリスト教とも深い関係があります。

本記事では、トルコにイスラム教徒が多い歴史的背景や現在の人口割合、またトルコにおけるムスリムの生活など、トルコの宗教事情について紹介します。

トルコの宗教事情とは

トルコ 人

トルコはイスラム教徒の国ですが、トルコ人のムスリムとしての生活は周辺のイスラム系諸国とは少し異なります。トルコの宗教事情について、詳しくみていきましょう。

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宗教の割合は?人口の99%がイスラム教?

トルコは、人口の99%がイスラム教徒の国だといわれています。トルコの身分証明書の記載事項には「宗教の帰属」という項目があるため、それをもとにした正確な調査結果だといえるでしょう。残りの1%は、東方正教会やアルメニア使徒教会、ユダヤ教、カトリック、プロテスタントなどが挙げられます。

トルコが位置するアナトリアとトラキアは、かつてトルコ系の人々に加え、ギリシャ系やアルメニア系のキリスト教徒が数多く住む土地でした。しかし、1923年に行われたトルコとギリシャの住民交換によって、キリスト教徒の多くがトルコを去りました。住民の信仰に基づき、トルコ領内のギリシャ正教徒とギリシャ領内のイスラム教徒が交換されたのです。その結果、現在のトルコ国民のほとんどがイスラム教徒となっています。

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しかし、実はトルコ人の多くがイスラム教徒であることを強く意識しているわけではありません。イスラム教の教えを厳密に守って日々を過ごしている人もいますが、「イスラム教徒」と言われてピンとこない人も少なくないのです。

イスラム教を簡単に解説!

ハディース

イスラム教とは、西暦610年に預言者ムハンマドによって創設された、唯一絶対神「アッラー」(アラビア語で「神」の意味)を信仰する宗教です。「イスラム」という言葉は「神の教えに帰依すること」を意味しています。イスラム教は、現在ではキリスト教に次ぐ世界第2位の信者数を誇っています。

「ムスリム」とは、イスラム教徒の別名です。ムスリムはアッラーの言葉が記された教典「コーラン(クアルーン)」と預言者ムハンマドの言語録「ハディース」の教えに沿って生活しています。

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代表的なのが、信じるべき6つの存在「六信」と、義務として行わなければならない「五行」です。五行のなかにはモスクで行う礼拝や、ラマダンで知られる断食などが含まれています。

「六信五行」以外にも、服装や日頃の行いなどさまざまな事柄について細かく記されており、ムスリムはこれらの規律に沿って生活しています。コーランにはアッラーが信者に望むこと、アッラーの望みどおりに行動すれば死後天国に行けることが記されており、ムスリムはそれを信じて生活しているのです。

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トルコにおけるムスリムの生活

イスタンブール オルタキョイジャーミィ ムスリム

トルコは政治と宗教が切り離された政教分離の国ですが、信仰が薄いわけではありません。街中には数多くのモスクが存在するなど、トルコ人の生活にイスラム教は深く根付いています。他国のムスリムと比べれば規律がゆるい面もありますが、イスラム教の教えに沿った生活をしていることは間違いありません。

トルコでは、あくまでも信仰は個人の自由とされており、戒律のどの部分をどう守っていくかは自分次第です。

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トルコにおけるムスリムの食事・飲酒事情

トルコ レストラン

イスラム教では基本的に飲酒は禁止されていますが、トルコでは自由にお酒を飲めます。

トルコはイスラム圏でも珍しい飲酒文化を持ち、ビールやワイン、蒸留酒「ラク」といったお酒の生産も盛んです。あまり知られていませんが、実はトルコはワイン大国でもあります。

もちろん一切飲酒をしない敬虔なイスラム教徒もいますが、毎日お酒を飲む人は多くいます。

気になるトルコのお酒事情!イスラムでも飲酒はOK?ラクってどんな味?

しかし、イスラム教で禁止されている豚肉はほとんどの人が食べません。イスラム教では「豚=不浄の生き物」と教えられ、豚を食べることは禁忌とされています。市場に豚肉が出回ることもほとんどないため、信仰心はもとより、生活から縁の遠い食品ともいえます。

このように、イスラム教の戒律に沿った部分とそうでない部分が混在しているのも、トルコならではといえます。

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どうしてトルコではお酒が飲めるの?

お酒 ラク

もともと、トルコを含む中東地域にはイスラム教が広がる前から多くのキリスト教徒やユダヤ教徒が暮らしていました。そして、キリスト教徒の信仰儀礼にはパンとともにブドウ酒(赤ワイン)が不可欠であり、日常生活においてもワインの醸造や飲酒の習慣が途絶えることはありませんでした。

イスラム諸国のなかには、歴史的背景から飲酒行為に特別な規制を設けていない国があり、トルコもその一つです。トルコの飲酒は、1923年のトルコ共和国建国後まもなく法律で認められました。

トルコの初代大統領ムスタファ・ケマル・アタテュルクの生い立ちと偉業

トルコはもともと、ブドウ作りにもワインの醸造にも適した土地であり、トルコ初代大統領のアタテュルクは国営ワイナリーの設立を推進しました。そして今ではワインをはじめ、トルコビール、トルコの国民酒ともいえる「ラク」という名の蒸留酒など、トルコではさまざまなお酒を楽しめるのです。

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トルコでのラマダン(断食)

イスラム 礼拝

「ラマダン(断食)」という言葉を聞いたことがある人は多いでしょう。しかし、実は「ラマダン(ラマザン)」とは断食を表す言葉ではなく、断食を行うイスラム暦の第9月を表す言葉なのです。イスラム教では断食のことを「サウム」といいます。

イスラム教徒が多いため、トルコでもラマダンの月には断食が行われます。日の出から日没までの間、一切の飲食を断ち水も飲みません。そして日没後、夜になってから食事をとります。日々の生活のなかではイスラムの教えに対してゆるいイメージのあるトルコ人ですが、ラマダンなどの宗教行事においては戒律を遵守しているようです。

ラマダンとは?本当の意味や断食する理由、1日の過ごし方などを解説

イスラム圏に旅行を計画する場合、ラマダンの時期を気にする方は多いでしょう。しかし、あくまで断食を行うのはムスリムの人だけです。旅行者に強制はされないので安心してください。

断食の期間は1ヶ月間ですが、日付は毎年同じではないので注意しましょう。また、旅行時に特に注意したいのは、ラマダン明けのタイミングです。1ヶ月のラマダン期間が明けると、街はお祝いムード一色となります。

トルコでは断食明けは「シェケル・バイラム(砂糖祭)」と呼ばれ、3日間の祝日に入ります。この祝日は日本のお正月のようなもので、会社や学校が休みになります。グランドバザールなどの市場や一部観光スポットも休みとなり、観光に制限が出てしまう可能性もあるので、旅行を計画する際には事前に確認しておきましょう。

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トルコにおける宗教の歴史

トルコの国旗

現在ではイスラム教徒の割合が99%ともいわれるトルコですが、歴史を振り返ればさまざまな変遷がありました。ここでは、オスマン帝国時代から続く宗教の歴史を紹介します。

トルコにおける宗教の始まり

現在のトルコが位置する場所は、旧石器時代にさかのぼるほどの古い歴史を持ちます。

トルコ共和国が建国された1923年までは、600年もの長きに渡ってオスマン帝国(1299年~1922年)が存在していました。トルコの現在の首都はアンカラですが、オスマン帝国ではイスタンブール(コンスタンティノープル)が首都でした。オスマン帝国は、イスラム世界の歴史上でもっとも強大なイスラム国家だったとされています。

オスマン帝国はなぜ600年以上も続いたのか?栄光と滅亡の歴史と強さの秘密

トルコの前身「オスマン帝国」の宗教事情

オスマン帝国 ハレム トプカプ宮殿

イスラム国家でもあったオスマン帝国ですが、国内ではムスリム(=イスラム教徒)と非ムスリム(=オスマン帝国の場合、正教徒・アルメニア教徒・ユダヤ教徒が主要な非ムスリム共同体)との共存を果たしていました。

イスラム教では、コーラン(クアルーン)やハディースの規定によってキリスト教徒やユダヤ教徒を同じ一神教に基づく「啓典の民」とみなし、彼らの自治と信仰を認めていたのです。完全なキリスト教国となったスペインで迫害されたユダヤ教徒の集団を、オスマン帝国が受け入れたのは有名な話です。

イスラム教ではムスリム同士は平等であるとの原則があります。一方、オスマン帝国では非ムスリムにはさまざまな制限が課されており、共存とはいえ、原則的にムスリムが優位であるという前提のもとに成立していたのです。

それでも、さまざまなところで迫害を受けてきた当地のキリスト教徒にとっては、オスマン帝国の征服は歓迎すべきものだったといわれています。

キリスト教の宗派や教えとは?深い歴史や三大行事の意味など詳しく解説

オスマン帝国と同時代の王朝であるエジプトのマムルーク朝やイランのサファヴィー朝、インドのムガール朝では、支配下にあった地域で非ムスリムを迫害し、改宗を強制したり、追放したりすることもありました。

オスマン帝国でも、17世紀にはカドゥザーデ派(原理主義者のようなグループ)が勢力を強め、イスタンブールの中心部にあったユダヤ教徒の居住区を郊外に移転させたり、キリスト教徒たちに改宗を推奨したりといった施策が行われました。それでも、オスマン帝国において他国で見られるような強い迫害はなかったといわれています。

19世紀になると、オスマン帝国ではこれまでの体制を大きく転換させる政策が進められます。それは、ムスリムと非ムスリムの平等化です。1876年のオスマン帝国憲法において、ムスリムと非ムスリムは平等であることが成文化され、あらゆる国民に対して「オスマン人」としての平等な権利を与えました。この考え方は「オスマン主義」と呼ばれています。

オスマン帝国下では、イスラム教が最大勢力でありながらも多様な宗教が受け入れられていました。

トルコの政教分離(世俗主義)

ムスタファ・ケマル・アタテュルク

「政教分離」とは“政治と宗教は分離されるべきである”という考え方であり、信教・宗教の自由を保障することが目的です。日本国憲法でも信教の自由と政教分離の原則については規定されており、アメリカでも憲法上の原則となっています。政教分離は、その国における歴史的背景を反映したさまざまな形態がとられています。

トルコも政教分離の国の一つですが、その発端はトルコの父アタテュルクによって遂行された「トルコ革命」です。革命によるオスマン帝国の滅亡後、トルコ発展のためには宗教と政治を切り離す必要があると考えたアタテュルクは、トルコ共和国において政教分離(世俗主義)を推進しました。

トルコの初代大統領ムスタファ・ケマル・アタテュルクの生い立ちと偉業

憲法からイスラム教を国教とする条文は削除され、カリフ(イスラム国家最高権威者)制やシャーリア(イスラム法)の廃止、トルコ語におけるアラビア文字からアルファベットへの移行など、さまざまな改革が行われました。その結果、トルコはほかのイスラム諸国とは一線を画す独自の国家路線を歩み始めたのです。

トルコ語の文字はアルファベット?発音や読み方を一覧で紹介!

しかし近年、エルドアン大統領(2022年現在)によってイスラム教の価値観を重んじる政策が推し進められています。アタテュルクが非宗教施設の博物館とした世界遺産「アヤソフィア」をイスラム教のモスクに再転換したり、公の場におけるイスラム女性のスカーフ着用を憲法改正により解禁したりするなど、イスラムの教えに回帰する動きがとられています。

トルコの代表的なモスク

モスクはムスリムが礼拝を行う神聖な場所です。トルコには大都市イスタンブールを含め、どの町にも必ずといっていいほどモスクがあります。ちなみに、トルコ語のモスクにあたる言葉は「ジャーミィ(Camii)」です。トルコ各地にあるモスクのなかでも特に有名なモスクを紹介します。

トルコを訪問する機会があれば、是非モスクも見学してみてください。なお、モスクには腕や足を露出した服装では入場できません。訪れる際には女性は髪をスカーフで隠し、男性は短いズボンを控えるなど、服装に注意しましょう。

イスラム教のモスクとは?一度は行ってみたい世界各国のモスク13選も紹介!

ブルーモスク/スルタンアフメト・モスク(Sultan Ahmet Camii) /イスタンブール

ブルーモスク イスタンブール

ブルーモスクの名で知られるスルタンアフメト・モスクは、“世界一美しいモスク”とも称されています。トルコを代表する観光スポットでもあるブルーモスクは、オスマン帝国時代の17世紀初頭に建てられました。ミナレット(尖塔)が6本ある点が特徴的です。

世界で最も美しいと称されるブルーモスクの見どころは?イスタンブール観光を満喫

アヤソフィア(Ayasofya Camii) /イスタンブール

アヤソフィア イスタンブール

アヤソフィア(ハギアソフィア)は、もともとキリスト教会堂として建てられましたが、その後モスクへと転用された建築物です。さらに、トルコ共和国の建国後には博物館へと変わり、1985年に世界遺産にも登録されました。

しかし、2020年7月に再びモスクへと回帰しています。アヤソフィアは世界でも類をみない珍しい歴史を持ったモスクです。

アヤソフィアとは?世界遺産イスタンブール歴史地域を代表するモスクの特徴と歴史

スレイマニエ・モスク(Süleymaniye Camii) /イスタンブール

スレイマニエモスク イスタンブール

スレイマニエ・モスクはオスマン帝国がもっとも繁栄していた頃、第10代スレイマン1世の命により、オスマン帝国の偉大なる建築家「ミマール・シナン(Mimar Sinan)」の設計によって建てられました。オスマン帝国時代にイスタンブールで建設されたモスクのなかで、最大の規模を誇っています。

スレイマニエ・モスクとは?トルコ・イスタンブールにそびえ立つオスマン帝国最高の建築

セリミエ・モスク(Selimiye Camii)/エディルネ

セリミエモスク トルコ エディルネ

セリミエ・モスクは巨匠ミマール・シナンの晩年の作品であり、シナン自身が最高傑作とも称したモスクです。ブルガリアとトルコを結ぶ国境の町エディルネに建てられました。1982~1995年にわたってトルコのお札の裏面にも描かれるなど、トルコを代表する建築物です。

セリミエ・モスク|トルコ・エディルネにあるオスマン建築最高傑作の世界遺産

ウル・ジャーミィ(Ulu Camii) /ブルサ

ブルサ ウル・ジャーミィ

ウル・ジャーミィはオスマン帝国建国後に初めて建てられたモスクであり、20ものドームを持つ点が特徴です。

世界遺産の街・ブルサのおすすめ観光スポット紹介!歴史の深い自然豊かな古都

ウル・ジャーミィは40年もの歳月をかけて建てられました。通常はモスクの外にある泉亭(チェシメ)がモスク内部に位置している様子は、他のモスクでは見ることができないため必見です。

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トルコとキリスト教の関係

イエスキリスト

ここまでトルコとイスラム教の関係を紹介してきましたが、ヨーロッパと深いつながりを持つトルコではキリスト教とも密接な関わりがありました。

トルコにおけるキリスト教

トルコはイスラム色が濃いイメージですが、実は初期キリスト教布教の地でもありました。イスラム教が誕生したのは7世紀始めごろですが、キリスト教はその前から存在しており、1世紀後半のアナトリア(現トルコ)では住民のほとんどがキリスト教徒だったといわれています。

キリスト教とは、“神の子”イエス・キリストの教えを信じる宗教です。「キリスト」は救世主という意味を持ちます。

イエスによる宣教活動は、ガラリヤ(現在のイスラエル北部の地域とヨルダンの一部)から始まりましたが、キリスト教が世界へ広がったのは、イエス死後の弟子たちによる活躍からでした。

イエス・キリストをわかりやすく解説!実はトルコと関わりが深かった!

イエスには12名の弟子(12使徒)がいました。イエスを裏切ったユダを除いた弟子たちは、キリスト教を世界に広めるべく宣教活動を行います。弟子たちはアナトリアを経て、ギリシャやローマへと布教していきました。

また、旧約聖書に登場する「ノアの方舟」が漂着したとされる場所も、トルコの最高峰「アラトト山」だったといわれています。

「ノアの方舟」の物語は実話だった?!旧約聖書の隠された“真実”とは?

トルコにあるキリスト教ゆかりの場所

キリストの弟子たちは、イスラエルからトルコを経てギリシャやローマへと布教活動を行いました。その過程で、トルコはイスラエルに次ぐ、キリスト教における神聖な場所が多く存在する場所となりました。

そんなトルコにある、代表的なキリスト教ゆかりの地を紹介します。

カッパドキア ~初期キリスト教の隠れ家~

カッパドキア ギョレメ キリスト教

イスタンブールと並ぶトルコを代表する観光地「カッパドキア」。カッパドキアはトルコのなかでも特にキリスト教の足跡が残っている場所といえます。

カッパドキアの一番の見どころは、自然が作り出した奇岩群が広がる不思議な景観です。また、カッパドキアの「地下都市」も代表的な観光スポットとなっています。地下都市は、異教徒に迫害された初期キリスト教徒が隠れ住んでいた場所なのです。

岩窟教会が数多く残るギョレメ野外博物館には、天井や壁に保存状態のよいフレスコ画が残されています。十字架をアレンジしたものや聖書の内容を描いたものなどが特に印象的です。

カッパドキアはトルコの人気世界遺産!観光名所と旅行ツアーの楽しみ方

エフェソス ~聖ヨハネ教会・聖母マリアの家~

エフェソス遺跡 聖母マリアの家

エフェソス(エフェス)も、古代遺跡が多く残されている場所としてトルコを代表する観光地の一つです。

エフェソスにもキリスト教の足跡が残されています。12使徒の1人であるヨハネと、イエスの母である聖母マリアがエフェソスの地でその晩年を過ごしたのです。「聖ヨハネ教会」は、使徒ヨハネが過ごした場所といわれています。

また、エフェソス遺跡から約7km離れた場所には、聖母マリアの終の棲家として知られる「聖母マリアの家」もあります。イエス・キリストと直接的に関係のある2人が過ごしたエフェソスは、キリスト教にとって縁の深い場所といえます。

世界遺産エフェソスの歴史を徹底解説!ヘレニズムからローマ時代に栄えた謎多き古代都市

アンティオキア ~キリスト教布教の拠点~

アンティオキア 洞窟協会

トルコの南部に「アンタクヤ/アンタキア(Antakya)」という小都市があります。聖書にも「アンティオキア」として登場した町であり、キリスト教5本山の1つといわれています。アンティオキアは現アンタクヤの旧名です。

イエスの12使徒ペトロや伝道者パウロが布教の拠点としたことから、キリスト教がもっとも早くに広まった町とされています。「クリスチャン」という呼称もこの場所で誕生しました。

町の中心部から少し離れた場所にある「聖ペトロの洞窟教会」は、切り立った崖にひっそりと存在しています。迫害を受けた初期キリスト教徒が、聖ペトロの導きによって難を逃れるためやってきた場所として有名です。

また、アンタクヤの町中にはトルコでもっとも美しい10の教会に選ばれた「ギリシャ正教会」もあります。

アンティオキア(アンタキヤ)は古代の重要都市だった!歴史と見どころ解説

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アララト山 ~ノアの方舟の漂着地~

アララト山 トルコ

アララト山(アール山)は、トルコの東端にある標高5,137mの国内最高峰の山です。アララト山は、旧約聖書に関係する場所としてキリスト教にゆかりのある地だといえます。実は、『旧約聖書』の「創世記」に登場する“ノアの方舟”が漂着した地だといわれているのです。

山頂付近では「方舟の残骸」を思わせる、古い時代の木の化石などが次々と発見されています。

サンタクロースもトルコと関係が!

サンタクロース

キリスト教のイベントとしてもっとも知られているのは「クリスマス」でしょう。そして、クリスマスには“サンタクロース”の存在が欠かせません。

サンタクロースの故郷としてフィンランドをイメージする方は多いですが、実はサンタクロースの起源はトルコにあります。サンタクロースは、「聖ニコラウス(ニコラス)」という4世紀頃に実在した神父がモデルとなっています。聖ニコラウスは、現在のトルコ南沿岸の町アンタルヤにあった古代都市ミラに住んでいたのです。

アンタルヤはトルコの地中海随一のリゾート地!観光の見どころを解説

聖ニコラウスは身寄りのない子供たちを助けていました。貧しさのため身売りをしなければならなかった3姉妹をみた聖ニコラウスは、家の煙突に金貨3枚を投げ入れます。そして、3姉妹は金貨のおかげで身売りを免れました。投げ入れられた金貨は、たまたま暖炉に置いていた靴下の中に落ちたといわれています。ここから“夜中に家に来て靴下にプレゼントを入れる”という現在のサンタクロースの伝承が誕生したのです。

サンタクロースの正体と由来!フィンランドが出身地ではない?

アンタルヤ近郊の遺跡には「聖ニコラウス教会」も残っており、世界中からキリスト教徒が集まる観光スポットとなっています。

トルコみやげの定番「ナザール・ボンジュウ」と宗教の関係性

ナザールボンジュウ トルコ雑貨 お土産

トルコでは、青いガラスに目玉が描かれた「ナザール・ボンジュウ(Nazar boncuğu)」と呼ばれるお守りが有名です。トルコ土産の定番であるため、お土産屋さんに行けば簡単に見つけられるでしょう。

トルコで人気のお土産を一挙紹介!雑貨・お菓子・アクセサリー

トルコに古代から伝わる「ナザール・ボンジュウ」は、邪視から災いを退ける魔除けであると信じられています。ナザールはトルコ語で「災いの目」、ボンジュウは「ビーズ」を意味する言葉です。

トルコや中近東の周辺国では、妬みの眼差しや嫉妬心から出る悪霊が災いの元だと考えられています。そのような「邪視」を退けるお守りとして、トルコではナザール・ボンジュウが用いられてきました。中東やアフリカ諸国では、手の甲に目を描いた「ファトマの手」と呼ばれるお守りが有名です。

ナザール・ボンジュウの起原としては、いくつかの説が存在します。シャーマニズムの「青い目は天の神様の目」に基づくとする説や、古代エジプトの神「ホルス神」やギリシャ神話に登場する女神「メデューサ」をモチーフにしたとする説など、さまざまです。

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いずれもキリスト教やイスラム教の誕生前から存在する説であるため、ナザール・ボンジュウは意外にも宗教とは無関係のお守りです。

ナザール・ボンジュウは家や車の中など、どこに飾ってもよいお守りとされています。お守りが割れたときは、自分の身代わりになったのだと信じられています。ナザール・ボンジュウは古代から続くトルコ人にとって大切な魔除けのお守りです。

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トルコの宗教事情まとめ

ムスリム イスラム

本記事では、トルコにおける宗教事情について、現代トルコ人のムスリムとしての生活や歴史的背景から解説しました。イスラム教のイメージが強いトルコですが、周辺国と比べれば飲酒などの規律は比較的ゆるい国だといえるでしょう。しかしモスクやラマダンなど、イスラムの教えに基づく文化は深く根付いています。

トルコには、イスラム教やキリスト教の歴史が感じられる遺物が数多く残されています。ぜひ一度現地を訪れ、さまざまな世界遺産を堪能してみてください。

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